5-3 無限の未来を救う道
「産科の医師、か……」
あたしの決意を聞いた
「
「前はそれが本音だったんだけどさ、そこから何度も考え直したんだよ。長い理由になるんだけど」
「分かった、聞く」
「大きく分けて……三つかな。まず一つ目、ママの件へのアンサー」
これは仁輔も思い当たったらしく、頷いている。
「ママがあたしを産んで亡くなったって聞いてさ。だったらあたしも産む側に回ることでしか納得いかない、みたいに言ってたじゃん。けど、それに仁を巻き込むのは止めにしたし、他の男性と結婚ってのも気持ちが追いつかない。
ならね、命が産まれる現場に携わりたいって思った。産むって決めたお母さんと、産まれようとする子供を守ること。それを仕事にすることくらいしか、自分が母親になる道に対して釣り合う道がない。
それにさ。ママみたいに無念な思いするお母さんも、パパとあたしみたいに寂しい思いする家族も、いてほしくないじゃん……そういう個人的な思い入れとか願いがあるからこそ、戦う強さだって湧いてくると思うんだよ。背負える責任も、張れる意地もあるんだよ」
「……それなら他の職種もあるんじゃとは思ったけど、じゃあ次」
「二つ目。あたしを育ててくれたモノへの恩返し」
「康さんとか母さん……と、実穂さんへの?」
「それもあるけど、場所そのものに対して。社会であり共同体……あたしたちが育った故郷、かな。仁も知ってるでしょ、最近は地方の産科が減ってるって話」
「……言われてみればそんなニュース見た気もする」
「そこはもっと関心持ちなよ、ともかくそういう傾向はあって、信野市も例外じゃないの。仁の生まれたクリニックも今は分娩対応していないし。ドクターだって人間だから、個々の選択にどうこう言う気はないけどさ……せめてあたしは、この街でお母さんになる人の力になりたい。これがあたしなりの、大人としての故郷の支え方――育った街の未来の守り方だよ」
ミラステで接してきた子供たちのことを思い出して補足。
「それに、順調にいけば結構稼げるし。余ったお金でよその子を助けることだって出来るじゃん……パパがあたしにくれたものを、あたしだって他の子にあげたい」
仁輔はしばらく考えてから答える。
「故郷を守る人になりたいとか、恩送り的なマインドなら俺もよく分かる。じゃあ三つ目は」
「うん。仁に報いたい」
「……は?」
これは本当に分からなさそう。
「だよね、説明する」
仁輔にだけは分かってもらいたい。反発されるかもしれないけど、伝えたい。
「誰かを守るために他人より過酷な道を行く、人を助けるために自分に厳しくする……ってのが、仁の生き方じゃん。仁が
「実践できているかはともかく、理想はな」
「あたしはそれをすごく尊敬しています。仁がそういう大人になったときに支えたいって本気で思ってた、けどあたしじゃできないって分かった。
だからあたしも、そういう大人になりたい。違う方法でも、人を守る最前線にいたい。だから臨床の現場に立ちたい」
仁輔は溜息をついてから、重そうな口を開く。
「なりたいって気持ちはよく分かった、その上で正直に言うんだが」
「あたしは向いてない、でしょ?」
「自覚してるか……そりゃ頭脳は十分さ、医学科だって入れるだろうし試験も乗り切れるだろうって思う。けど医者、それも産科は相当なハードワークだろ、頭脳労働と肉体労働のハイブリッドってくらいに。義花は女子の中でも体力ある方じゃない、向いているとは言えないだろ」
辛辣だが正解である、そんなのよく分かっている。
「それはその通り。後は大きな責任を負うのが嫌とか、プレッシャーのかかる状況を避けてきたとか、性格も合わないです」
「ならどうすんだよ」
「仁から学びたい」
仁輔は目を瞠る――驚いているけど、興味を刺激されてもいる。
「説明頼む」
「まずは体作りから。仁の水準とは全然違うけど、トレーニングの仕方とか、スタミナのつけ方とか、あたしも参考になると思うんだ。一緒にやったら足手まといだろうけど、たまに先生役やってほしい」
「……本気か?」
「本気です」
「人生ずっと運動嫌いの義花が?」
「十代ならまだテコ入れなんとかなるでしょ」
「無理じゃないだろうけど……とりあえず続き言ってくれ」
「うん、後は精神面の話なんだけどさ。仁はずっと、自分に重圧をかけて生きてきたじゃん。柔道の試合も、勉強だって」
自衛官にとって敗北はただの負けじゃない、本番だったら自分や誰かが死ぬことだ――という、岳志さんからの教え。自衛官にとってすらあくまで理念であるそれを、仁輔は子供のうちから背負ってきた。
高校受験だって、無理にあたしに合わせる義理なんてないのに、仁輔は食らいついて雪坂高校に来たのだ。その理由が恋心だったとしても、努力で不利を覆したことには変わりない。
「あたしにとって仁のそういう生き方は、自分にないから眩しいものだった。
けどこれからは、あたしもその厳しさを宿したい。体は追いつけなくても、心は同じくらい強くなりたい」
仁輔は黙っているけど、響いているのが目の色で分かる。
「あたしは今まで、得意なことだけ選んで得意げな顔してた。スイミングはすぐ辞めたし、体育で何もできないのは仕方ないって全部諦めた。出かけるときもたくさん歩きたくないって駄々こねた、具合が悪いときはすぐ周りに頼った。
勉強だけはよく出来たから、それが武器になる環境ばっかり揃えてきた」
「俺だって、義花がしんどそうなのは嫌だったよ。母さんも康さんもそうだろ」
「うん、それはありがたいって思うし、甘えられるのは幸せだったよ。けどさ」
すぐ隣の彼は、真逆だった。
「仁はずっと、苦手を克服しようって、失敗を成功につなげようって、何度も何度もぶつかっては乗り越えてきた。その先の理想を信じて、一つ一つ叶えてきた。
だから今度は、あたしが越える番なんだよ。仁が見せてくれたから、本気で叶えようって思えるんだよ」
仁輔はしばらく黙っていたが、やがてあたしから顔を背ける。
「……あの、仁?」
聞こえてきたのは泣き声、あたしに向いた背中は震えている。
啜り泣きの中、仁輔は答える。
「さっき、までさ。義花のこと、これから、嫌いになる、つもりだった」
もう、大事だとか、思わずに。建前で、仲良くしようって」
仲直りは本音じゃなかった、本心では壁を作っていた……ということだろうか。
「けど、やっぱり、義花のこと、大事だ。
彼女とか、夫婦とか、関係なく。ずっと大事だ」
激しさの理由を掴みきれないまま、仁輔の背中をさする。
「ありがとう、あたしも大事だよ」
しばらくしてから落ち着いた仁輔は、あたしに向き直る。
「この際だから、全部義花に吐き出すけどさ」
「……ああ、受け止めるよ」
「義花に、男じゃ無理だって言われたときから……あと、義花が母さんに惚れてるんだって気づいたときから。
ここで死んじゃうのもアリだなって、考えたことあった」
仁輔に抱きつく。今の関係とか、
「仁、ごめん、本当にごめん。あんたのこと、いくら謝っても足りないくらい、ひどい裏切り方した。ものすごく傷つけた」
「もう思ってないから安心しろって」
「そうやって強がるのがあんたじゃん」
「マジで復活したから、結華梨のおかげで」
「だって仁がそんなこと――むぐ」
仁輔の右手があたしの頬を挟み、口の動きが封じられる。びっくりして涙も止まる。
「もう死にたいとか思ってない、本気で生きてたいと思ってる、いいな?」
頷く。
「けどせっかくだから言いたいこと言わせろ」
頷く。返事できないのも仕方ないだろう、今回は。
「そもそもさ、高校生にもなってあれだけ一緒にいれば恋人付き合いもイケるって思うだろ普通」
普通そうですよね。
「この年の割にパーソナルスペースも近いし」
ガチで兄弟の距離感だったので。
「百歩譲って家族同然で距離感バグってたとしても、さすがに告られたら断れよ」
仁輔のこと嫌じゃなかったし、裏切るの怖かったし。津嶋家と離れたくなかったし。
「しかも自分からセックス応じといてドタキャンとか、こっちは中学上がる前から待ってたんだぞ」
あれは本当にあたしの大失態。
「おまけに彼氏じゃなくてその母親に惚れてるし」
「んん~~!!」
さすがに苦しくなってきたので仁輔の手をタップ、解放される。
「はあ……こういうの一瞬だろ普通!」
「すまん」
「けど、仁が言ってたことはその通りで……やっぱり、あたしがもっと早く自分のこと考えるべきだった」
自分の思考を遡ってみる。やはり、原因は。
「……同性が好きって気づいたらさ、咲子さんへの気持ちにも気づいちゃうから、蓋してたんだよ。ママが亡くなった件もそうだったけど、都合の悪い思考はシャットしがちだから。人生かけての先延ばし」
「俺も先延ばしは一緒なんだよ。義花に振られるのが怖くて、高二まで言えなかったわけだし」
「変なところで似たねえ、あたしら」
「な。それに……義花と家族同然って環境に甘えてたのも俺だから。俺の自業自得でもあるのよ」
「……うん、それもあるか」
「体が合わなくても結婚したいって考えてたし」
「それはあたしも望んでたからなあ」
きっと、誰か一人の所為とかじゃないのだろう。
あたし、仁輔、咲子さん。それぞれの執着や思惑が絡み合いすぎて、こんなに拗れてしまった。
「それでも。仁は本気で辛かったんだ」
「ああ。だから義花のこと諦めたとき、心の距離置くしかないと思ってたんだよ。好きの反動で嫌いになりそうだったから」
「……うん、それも妥当だとは思うよ」
「けど、さっき義花の話聞いて、すげえ嬉しかったんだよ」
本当に久しぶりに見た気がする、仁輔の優しい笑顔。
「義花の中に、ちゃんと俺がいるんだって。俺がやってきたこと、無駄になってないって。義花の未来に繋がっているんだって。ちゃんと分かった、しっかり伝わった」
「ずっといるよ、全部覚えてるよ、仁が見せてくれたもの」
「ああ。やっと義花のこと、好きな女の子じゃなくて、大事な親友として向き合えた」
もう一度。今度は仁輔から、手が差し出される。
「あたしも……津嶋仁輔って人間のこと、大好きだよ」
がっちりと、さっきより強く、握手を交わす。
「一緒になろうぜ、格好いい大人」
「おう。あたしらもなれるよ、人を守るヒーローに……けど、ね」
心の一番脆いところを見せてくれた仁輔に、どうしても言っておきたいこと。
「格好よくなくても、情けなくても、あたしは仁に生きててほしい。だから、また自分の命を見限りそうなときは、絶対にあたしを呼んで。仁に生きててほしい理由を、いくつだって伝えるから」
仁輔は微笑みながら頷いて、またあたしを抱きしめる。
「義花もな。お前が死にたくなったら、俺は……俺たちが、死ぬ気で引き戻すから。呼べよ、絶対に」
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