第5章 あたしたちの人生の話

5-1 I Believe You Will Change

 結華梨ゆかり仁輔じんすけと会っていた日の、夜遅く。あたしは仁輔から報告を受けていた。


「……つまり仁から後日、ミユカに告るんだね?」

「そういうこと」

「仁らしいじゃん……で、それまでにどうするの?」

「俺が納得できるかだから、分かりやすいのだと来月の柔道の地区大会。楽じゃないけど無理じゃないってラインを設定しようかと」

「結華梨も喜ぶよ、そういうのは」

「ああ、けどその前に」


 一拍置いて、宣言。


「ちゃんと、義花よしかと別れる」

「……そうよね、やっぱり」


 幼馴染とか、恋人とか、恋人抜きの婚約者とか、関係性がグチャグチャのまま今日に至ってしまっている。もう別れているようなものだが、清算は必要だろう。

 内心で気合いを入れる、もう仁輔の優しさには甘えられない。


「おっけ、気の済むまでぶつけて来いよ仁」

「ああ、そっちの家でいいよな?」

「待って、一応パパに連絡取る……」

 お互いの予定を確認し、長引いても良いように金曜夜にセッティング。


 電話を切ると、パパに訊かれる。

「仁と区切りつけるんだな?」

「うん、前向きな別れ話ができれば」


 パパが真剣な話をする気配、正面に座る。

「言わなくても分かるだろうけどな。仁みたいな存在にこれから会えることは、多分ないぞ」

「分かるよ。あんなにあたしを理解してくれる同年代の人間はいないし、それがどれだけ大事かってことも知ってる」

「ああ。それに、パパにとっても大事な子だ……弟というか、友達というかさ」


 息子同然、ではないのがパパの一線だ。岳志さんとの役割分担が明確だっただろうことは、これまでを振り返ってもよく分かる。


「だから、ちゃんと仲直りしてくれ、義花」

「はい、思い切りぶつかってきます」

「それと、さきちゃんのフォローしっかりな。もう遠慮しなくていいから」


 というパパの助言を受け、咲子さきこさんにメッセージを送ってみる。

 仁輔とは友達に戻るし、あたしはずっと咲子さんのそばにいるからね――という内容で、できるだけ咲子さんが寂しくないように。

 咲子さんからもすぐに「私は大丈夫」「仲直りしてくれるのが一番」という返事が来てひとまずは安心したのだが。


 寝る頃になって、「まだ起きてたら声聞きたい」と送られてきたのだ。

「……もしもし、咲子さん?」

「ごめんね、遅くに」

「あたしはいいけどさ、咲子さんはもう寝る時間じゃん」

「なんだか寝れなくて」


 鼻をすする音、今も泣いているのかもしれない。

「さっき仁からね、義花のことを聞いたの。別れるって」

「うん、来週ちゃんと話すの」

「それしかないって分かってるんだけど、やっぱり寂しいの」


 咲子さんも、まだ心の整理が済んでいないらしい。

「言ったでしょ、あたしはずっと咲子さんと一緒だって。今まで通りだよ」

「今よりもっと近くなれるって期待してたの、私は。本当に家族になれるって信じてきたから」


 家族に。仁輔と結婚することで、義理の母と娘に。

 ……結婚しなくても養子にはなれるはず、という道も考えはしたが。それだって、仁輔や岳志たけしさんが分かってくれないと難しいだろう。あたしだって、仁輔にとって良い関係とは思えない。 


 だから、あたしから咲子さんに言えるのは。


「あたしにとってはね、戸籍上どうとかよりも、実感の方がずっと大事だよ。今までずっと、咲子さんはあたしにとって一番のお姉さんだし、二人目のママみたいに思ってきたよ。それがこれから親友みたいになっていくのも、素敵じゃないかな」

「……けど義花だって、別の女の子とお付き合いしたいでしょ?」

「彼女ができたとしても、それで咲子さんと遠くなるのは嫌だよ。咲子さんの代わりになる人はもうどこにもいないんだから……ずっと独身だったとしても、咲子さんがいてくれたらそれで幸せだから」


 あたしは人の好き嫌いが相当激しい。全く新しい女性と恋人になるチャンスがあったとして、心にそれがついていくかは別の問題だろう。


 ここまで言って、咲子さんも少し落ち着いたらしい。

「ごめんね義花、母親なのに全然大人になれなくて」

「あたしは大丈夫だよ……だから仁のこと応援してあげてね」

「うん。おやすみ、義花」

「おやすみなさい、またね」


 電話が切れて、途端に寂しさがこみ上げる。

 その理由はもう自覚できている。咲子さんに執着されるのが嬉しいんだ。それが困るのに、満たされてしまうんだ。


 ……やっぱり、仁輔を見習うのが一番だろう。

 あいつがあたしを諦める潔さを、ちゃんと見届けよう。



 仁輔との約束の日を前に、あたしは高校の進路指導室に相談に来ていた。


岳都がくとだい大の医学部医学科いのい、ですか」

「はい。今から本気で目指せば、私でも現役合格できるでしょうか」

 岳都大。県内唯一の国立大学で、医学科があるのもここだけだ。


九郷くごうさんなら無謀ではないでしょう、しかしハードルは非常に高いですよ」

「印象はあります、ただ具体的に知りたいと思って」

「分かりました、資料見てもらいましょう」


 対応してくれているのは数学科の裏野うらの先生、アラサーの男性教師だ。説明も注意も冗談も同じような平坦なテンションで行うので、苦手な人は苦手らしいが、説明が明快なのであたしは気に入っている。


 裏野先生は受験方式と例年の合否ラインについて、資料を見せながら教えてくれた。

「九郷さんは奨学金でなくても良いんですよね、なら県内出身枠と一般の両方で行けますね。ちなみに他大の医学科の併願は考えていますか?」

「いいえ。私立は経済的に厳しいですし、他県に行くのも避けたいです」

「元々は他県の薬学部狙いでしたよね?」

「ここに残りたい理由ができたんですよ。岳都大なら信野のぶの市からも通えますし」

「そうですか。では他学部の併願も無く?」

「来年度はここ一本で行こうかなと……親にはまだ相談してないですが、反対はされないと思います」

 パパが進路に反対するとは考えにくいので、実現性を先に教師から聞いておこうと思ったのだ。


「分かりました。では、共通試験と個別試験と面接の全部を対策することになりますね……それに県内枠で推薦を出すとなると、他生徒との兼ね合いもあります。まだはっきり検討はできていないですが、今の九郷さんの成績でも安泰ではありません」

「はい、次の試験からトップ狙う気で行きます」

「今までは違ったんですか?」

「真面目にやっていたけど本気ではなかった、ですね」

 先生によっては怒りそうだったが、裏野先生は苦笑していた。

「九郷さんは学力よりも、物事に取り組む姿勢に改革が必要じゃないですか」

「その通りです……今さら遅い、ですかね」

「いえ全然。十代の一年間はとても濃いので」


 裏野先生は、窓の外を見る。

「私が教員なんて割に合わない仕事を選んだのは、十代の子に自分の可能性を信じてほしいからなんですよ。高校生のときに感じる苦手意識や劣等感なんて、その先でいくらでも変わるんだって後から分かったので」

 きっと語られているのは、もう取り戻せない大切な何か。

「そうしたネガティブな感情に囚われて自分を見限る癖のついた友人のこともあって。これからこの国で大きくなって、何かと厳しい時代を生きていく人が、せめて自信を胸に巣立てる、そういうお手伝いをしたいんですよ。だから九郷さんが本気を出してくれたこと、私は嬉しいです」


「そうですか……私も嬉しいですよ、裏野先生がここに居たこと」

「まあ、根拠のない自信で怠けている生徒にイライラすることの方が多いですが」

「感動を返してください」

「人付き合いは苦手なんですよ昔から」

「いくらでも変わるって話は何だったんですか」

「教師やれるくらいに改善はしたんですよ、けど好きでもないんですよね」


 ともあれ、学校からの反応は良いとのことで。


 帰宅して夕飯が済んでから、パパにも相談。

 長い長い家族会議だった。あたしの選択はいつだって尊重してくれるし、あたしの可能性を信じてくれるパパだけれども、その職業の重みをあまりにも痛感しているのもパパだ。あたしが向いているかだけじゃない、あたしが幸せになれる道なのか、パパは強く心配していた。あたしを誰より理解しているパパだから、その心配はどこまでも真っ当だ。

 それでも、あたしが全力で伝えたら、パパも全力で応援してくれることになった。


 そして、仁輔との決着の日を迎える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る