回想④ キミとの記憶 / 津嶋 咲子

 仁輔じんすけが生まれ、実穂みほが妊娠後期に入った頃。


 *


 津嶋つしま家にて。2月の寒さをものともせず、生後8ヶ月の仁輔は今日も元気である。

「あー! がーあ!」

 ベビーサークルの中で、動物のぬいぐるみと戯れている。一番のお気に入りはトラらしい、揉まれしゃぶられボロボロになりつつあるが、手放す気配は全くない。


 仁輔が一人遊びに夢中になっている隙に、咲子は実穂と一緒に育児用品のカタログをチェック。

「へえ、スリーパーか……パジャマの上に着るのね、あったかそう!」

「そうそう、汗も吸ってくれるの。夏とか仁が汗びっちょりになってたから買ったんだけど、最初からあった方は良いって」

「確かに欲しいね……けど、こんなに色々欲しがったらパパに悪くないかな?」


 妊娠が分かった頃から、実穂は康信やすのぶのことをパパと呼んでいる。

「実穂はお金のことなんか気にしなくていいんだよ、康さんだってガンガン頼ってほしいに決まってるじゃん」

「そっかあ……そうだね、これもお願いしてみる」


 実穂はノートに商品名を書き加えながら、楽しげにお腹の中へと呼びかける。

「バッチリ準備してるからね、安心しておいでね、義花よしかちゃん」

 もう女の子らしいと分かっており、実穂と康信は名前も決めていた。男の子だったら「義斗よしと」になったという、義の字を入れたいというのは二人で一致したらしい。


「んん~~、ああ~!!」

 仁輔が叫びだした、呼ばれている。

「はい仁、いま行くからね~」


 まずはマットの上に寝かせる。おむつは大丈夫そうだし、授乳はしたばかり。遊びに飽きたのだろうか。

 ひとまず抱っこして揺すってみると、仁輔はしがみついてきた。撫でてあげると、なんだか満足そうである。

「ママはここだよ~、仁のことずっと見てるよ~」

「まー! まー!」

「うんママだよ、言えて偉い!」


 仁輔を抱っこしたままソファに座ると、実穂も隣に。

「仁くん、やっほー」

 実穂が呼びかけると、仁輔もそちらを向き、手を伸ばす。咲子と一緒にいることが多いからか、仁輔は実穂にもよく懐いていた。それこそ、岳志たけしよりも。


「可愛いねえ、仁くん」

 仁輔の手を握りながら、実穂は顔を綻ばせている。

 こうやって二人で仁輔を見ていると、つい考えてしまう。


 まるで、私と実穂の子供みたいだね――なんて。

 夢でしかないと知りつつ夢みていた、実穂と結婚する未来が、叶ったみたいな。


「……あっ」

 実穂が声を漏らして、意識が現実に戻る。

「苦しい?」

「ううん、義花が動いたの」


 実穂はもう妊娠9ヶ月目だ、お腹はかなり大きくなっている。

「義花ちゃん、もうすぐ会えるからね。ママも早く会いたいからね、今はちょっと待っててね」

 お腹を撫でながら、実穂が語りかける声。世界の何よりも、優しくて温かい音。


 実穂のお腹へ、咲子も呼びかける。

「すっごく素敵なママだからね、楽しみにしててね、義花ちゃん」

「ええ、大げさだよ咲ちゃん」

「私にとっては本当なの、ねえ仁?」


 昔から好きでたまらない実穂だけど、妊娠してからは天使っぷりが加速していた。心身ともに不安定でイライラしがちだった咲子に比べ、実穂は体調が悪いときでも穏やかだったのだ。咲子が実穂を支えるつもりが、咲子が救われてばかりだった。

 実穂は子供にとって、どれだけ慈しみにあふれた母親になることだろう。咲子からすれば、義花が羨ましいくらいだ。


「ねえ。義花が3月じゅうに生まれれば、仁くんとも同じ学年じゃない?」

「だよねえ、だったら私も嬉しいな……ああでも、早生まれって色々大変じゃん」

「そうなんだよねえ、仁くんがお兄ちゃんになるのも楽しそうだし」


 仁輔と義花が、大きくなって――という未来を考えてみたとき。

 ふと、思いついてしまった。咲子にとって、一番幸せな形。


「ねえ実穂、すごく仮定の話なんだけどね」

「なになに?」

「検査の通りに女の子が生まれてね、仁と二人で大きくなって……もしかしたら、恋人とかになるのかなって」


 実穂は吹き出す。

「あはは……咲ちゃん、さすがにちょっと気が早くない?」

「分かってるよ、もしもの話だって。あんまり昔から身近すぎると兄妹みたいになりそうだし」

「私は想像つかないな~……けどもしそうなって、二人が結婚したらさ」

「そう、私たちも親族じゃない?」


 実穂との間に、初めて法的なつながりが出来る道。


「そっかあ……うん、そうだね、夫婦の親同士で揉めたりとかも多いし、咲ちゃんたちだったら安心だねえ」

 実穂も嬉しそうだった、その理由は咲子とは全然違うけれど。


「けど、夫婦とかじゃなくてもさ、この子たちにとって幸せな関係なら、私は何だって良いよ」

 実穂が正しいのは分かっている、親が押しつけるべきじゃないと分かっている。


 ただ、きっと咲子は、子供たちが明確に否定するまで諦められない。


 咲子の内心など知らず、実穂は仁輔にお腹を近づける。

「ねえ仁くん、もうすぐお友達が来るからね、たくさん仲良くしてあげてね」


「はーい!」

 仁輔の手を上げて、咲子が代わりに答える。


「ちょっと咲ちゃん、それはズルいよ」

「だって仲良くしたいのはみんな同じでしょ……ねえ仁、格好よくて優しいお兄ちゃんになろうね~」


 仁輔は何も分かっていなさそうな顔で、けどじっと実穂のお腹を見つめていた。


 *


 それから仁輔が昼寝して、咲子が食事の用意をしていると。

「ねえ、咲ちゃん」

 ソファで休んでいた実穂が切り出す。

「うん?」


「もし、もしも、私に何かあったら、この子のこと宜しくね」


 手が止まる。

「……急にどうしたの実穂」

「なんでもないよ。ただ私、昔から病気多いじゃん? この子が大きくなるまでずっと元気でいられるか、ほんのちょっとだけ自信ないの」


 あり得ない話ではない、それは理解できる。けど、それを考えることを心が拒んでいる。

 それでも、真剣な話だとは分かったから。


 実穂のそばに寄り、抱きしめる。

「分かった、義花ちゃんが幸せになれるように、私も全力で頑張る。だから実穂も、もし私に何かあったら、仁をお願いね」

「うん、約束します」


「じゃあ、もう一つ約束」

 実穂と額を合わせながら、咲子は願いを語る。

 これだけは絶対に譲りたくない、心の一番深くにある願いを。


「実穂と私。おばあちゃんになっても、ずっと元気で一緒にいようね」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る