4-12 駆けつけてきたよ、ヒーロー / 箕輪結華梨

 結華梨ゆかり仁輔じんすけに「義花よしかについて話したいことがある」と伝えていた。

 義花と自分との関係のことだと、仁輔も分かっているだろう。


 学校からカラオケまでは、関係のない話をしていた。結華梨が前に紹介したパフォーマーの殺陣やトリッキングを、仁輔は気に入ってくれたらしい。仁輔と二人でこんなに楽しくお喋りしながら歩けている、少し前の自分にとっては夢みたいなことだ。


 しかしカラオケに入り、ドリンクを用意し、個室に向かい合って座り。

 本題に入るしかなくなると、もう緊張で汗が止まらない。


「じゃあ箕輪みのわさん、話してもらっていい?」

「……だね、」

「それとも、なんか歌ってから……ってのは無い、よね」

 歌えるテンションじゃない、それは仁輔もだろう。彼だって緊張していそうだった。


「うん、お話します……あのね」

 まっすぐに仁輔を見る。

「義花からね。津嶋つしまくんとの間にあったことを聞いたんだ。義花はレズビアンで、だから津嶋くんと恋人を続けることも、結婚もできないだろうって」

「箕輪さんに相談するってことは俺も聞いた。それで……俺に何かしてほしい、とか?」


 こんな状況になっても仁輔は、自分が何かしなきゃいけない側だと考えている。それは格好良くて、けど今はどうにも切ない。


「というより……あの、」

 一人称に迷う、今に相応しいのは。

「私の気持ちを聞いてもらっていいかな」


 仁輔が頷く、結華梨は深呼吸。

「この前に義花から聞いた話だけじゃなくて、中学の頃からね。津嶋くんが義花のこと、とても大事にしてるんだなって思ってきました。きっと昔から、義花とずっと一緒に生きていくんだと考えてきたんだろうって……義花の幸せが、津嶋くんにとって一番大事なことなんだろうって、私は思ってきました」


「……前まではそうだったよ」

「うん。だから今、津嶋くんはすごく苦しくて、辛いと思うの。学校で見かけたときもしんどそうだったし……むしろ、落ち着いていられるのが凄いくらいだって」

「そんなんじゃないよ、家では荒れたし」

「でも、それくらいじゃ発散できなくて、今だってしんどいと思うんだ」


 今の結華梨は仁輔にとって、脆い本音を見せてもらえるほどの距離にいない。ただでさえ仁輔は我慢強すぎるのだ。

 だから、結華梨から距離を詰めなければ、仁輔は脆さを見せてくれない。


「私は津嶋くんに、義花への気持ちから自由になってほしいと願っています。義花じゃなくても、津嶋くんの隣にいたいって女性は絶対います。津嶋くんを好きになって、彼女や奥さんになりたいって女性に、必ず出会えます」


「そんなの、」

「だって私がそうだからです!」

 仁輔の返答に被せる――遮ってごめんね、今だけはこの言葉を優先させてください。


「私がずっと前から、君に恋しているからです。

 他にいなくても、私がここにいます。一生、君の隣で生きていたいと願っている女が、ここにいます。だから、君の可能性を信じてください」


 言えた、言ってしまった。もう、戻れない。

 けど、仁輔の心境が変わったのも分かった。


「……箕輪さんが、俺を?」

「うん。柔道やってる姿が格好いいってのも本当だけど、それだけじゃないよ。心から大好きだって本音はずっと隠してたよ。津嶋くんにはもう義花がいるって分かってた……いや、二人が付き合うんだって思い込んでいたから」

「ごめん、ずっと知らなくて」

「私こそ、ずっと黙ってたから」

 

 仁輔はしばらく俯いてから、結華梨を見つめ返す。

「……俺、こういうの慣れてないから、上手く言えないんだけどさ」

「うん」

「ありがとう。とても、嬉しいです」


 ものすごく困っていて、戸惑っていて、それでも誠実に偽りなく。

 返ってきたシンプルなお礼の言葉が、あまりに温かい。


 だから、結華梨だって応えたい。


「隣、座っていいかな?」

 仁輔が頷く。結華梨は向かいへ移り、仁輔の左隣へ座る。

「……今、仁くんって、呼んでいい?」

「いい、けど」

「これからね、仁くんの格好いいところをいっぱい伝えます。だからって私にどうしなきゃとか、応えなくちゃとか考えなくていいから、ただ聞いててください」


 仁輔の左手を両手で包む――ずっと触れたかったな、この分厚くて固い手に。

 抱きついてしまったあの日から、ずっと。


「仁くんは。心と体を強くしようって、ずっと頑張ってきた人だよ。

 体を鍛えるために、自分に厳しくしてきた。その力を、誰かを傷つけるためじゃなくて守るために使う、そういう心を磨いてきた人だよ」


 すぐそばまで顔を近づけ、瞳をまっすぐに交わしながら、一言ずつを心に溶かすように。

 自分は心を開いてもらいやすい人間で、彼は心を開ける人間だと信じながら――可愛いという武器で扉を開いて、想いを注ぎ込む。


「ただ怒らないだけの優しさじゃなくて、間違ったことに本気で怒れる優しい人で。

 その優しさを貫くために強さはあるんだって、知ってる人だよ。弱い誰かを傷つけるためじゃなくて、その弱さで苦しまなくていいために、強さを使える人だよ。


「……そういう男になろうって思ってきたよ、けど全然まだ」

「仁くんにとっては分からないけど。全部、私が知ってることだよ。君が思うよりずっと、君は理想に近づけているよ」

「そんなに強かったらこんなに悩んでないだろ!」


 初めて、仁輔の声が荒くなる――大声で身が竦んだけど、それだけ届いているんだとも分かる。


「義花と一緒になれないってだけで、何考えてこれから生きていこうか分からないくらいにさ、ずっと頼りきりだったんだよ。勉強だって武道だって、あいつが応援してくれるからできたんだよ……あいつの一番でいたくて、たった一人の特別でいたくて、ずっとそれを支えにしてきたんだよ」


 語るにつれて、仁輔の両目から涙がこぼれていく。

 ――結華梨の見込みが甘かった、かもしれない。考えていた以上に、仁輔は義花に依存していたようだ。


 義花だったら、その依存を解す言葉を、雲を晴らすような鮮やかな理屈を、語れるのかもしれない。

 けど、結華梨はそれを見つけられなかった。何を言っても、仁輔の根っこには届きそうにない。


 ――最後は、これしかない、かな。


「……ごめん仁くん、さっき言ったこと訂正。私を、君の彼女にしてください」


 深く息を吸ってから、仁輔を抱きしめる。戸惑いをねじ伏せるように、想いが伝わるように――女を主張するように、体重を預ける、体を押しつける。


「頑張る理由、生きる支え。結華梨じゃ、ダメかな」


 色仕掛けみたいで、結華梨を苦しめた欲望を利用するみたいで。できれば、今の関係性のうちは使いたくなかった。

 けど。それが人の本能で、人を酷く傷つける理由にもなるなら。たまには、救うために使ったっていいじゃないか。


「結華梨は義花じゃないけどさ。少しくらい、代わりにはなれるよ。その少しを積み重ねれば、仁くんを満たせるくらいにはなれないかな」


 肌で分かる。この体温は、彼を動かしている。


「今、結華梨がぎゅっとしててさ。ちょっとでも、嬉しいとか、ドキドキするとか、気持ちいいとか、感じてくれたならさ、それはいくらだって増やせるよ。結華梨の全部、仁くんにならあげられるから……仁くんにしかあげたくないから、もらってよ」


 しばらく、二人の呼吸だけが響いて。


「……箕輪さん」

「うん」

「俺さ。周りに出さないだけで、好きな女の子のことばっかり考えてるよ。どこが可愛いとか、どう触りたいとか……どんなセックスしたいとか、ずっとそんなの」

「うん」

「これから。箕輪さんのこと、そう思っていいかな。一番ダサくて汚いところ、見せていいかな」

「思ってよ、見せてよ……結華梨は仁くんに望まれたいの、欲しがってほしいの。仁くん以外の誰かとじゃ、絶対に嫌なの」


 義花から聞いた話を思い出す。彼はきっと、義花の前で綺麗であり続けなければいけなかった。本能を抑え続けて、隣で生きてきた。義花が男の肉体を求めていないと理解していたから、それに合わせるしかなかった。


「結華梨は義花じゃないよ。だから、義花が嫌がっていたことだって、結華梨には嬉しいんだよ」

 仁輔の頭を撫でながら、耳元で言い聞かせる。

「仁くんは、義花にとって優しい男の子でいるために、ずっと頑張ってきたよ。もう十分、我慢してきたよ。そろそろ、自分の望むことができる道を選ぼうよ」



 やがて、涙の収まった仁輔は、そっと結華梨の肩を押す。

 抱きしめていた腕を解いて、結華梨は仁輔と見つめ合う。


「箕輪さん」

「はい」

「好きって言ってくれてありがとう」


 まさかこの流れで振られるのか――なんて恐怖も脳裏を過ぎったが。


「義花と決着つけてから、また俺から告白させてもらえないかな」


 なんとも、仁輔らしい回答だった。

 中途半端な自分で応えたくはない、そんな生真面目さはやっぱり好きだ。


 そんな彼を、好きになって良かった。


「分かった、待ってます……だったら、本気で結華梨のこと好きになってから、とっておきの告白してほしいな。だって、結華梨がOKを返す人生最後の告白でしょ?」

 プレッシャーを掛けると、仁輔の目が泳ぐ。可愛いけど、そこで終わってほしくない。


「……頑張ります」

「やった。後ね、いま9月だから……クリスマスは一緒じゃないと、さすがに嫌かな」

「うん、それまでには絶対に」

「約束だからね」


 小指を差し出して、指切り。

 涙の跡が残った顔で、照れたように笑う仁輔に、本当は今すぐキスしたかったけど。


 もう3年も待ったのだ。あと数ヶ月、最高の贈り物を楽しみに待てるのは、むしろ幸せだろう。


「ねえ仁くん、一つフライングでお願い」

「いいよ」

「私のこと名前で呼んでほしいな、できたら呼び捨てで」


 少し言いにくそうに、けどはっきりと呼ばれた声を聞いて。


 自分の名前がやっぱり好きだな、と思った。

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