4-3 彼が受け容れられない、彼女と彼女の話
「
太く低い
「なに言ってるのさ仁、」
「お前のこと何年見てると思ってるんだよ。さすがに今日で確信ついたよ」
「ちょっと仁、冗談でも言っちゃダメなことって」
「母さんだって同じ気持ちだろ」
仁輔は立ち上がり、あたしたちを見下ろす。
「母さんはずっと、義花に
「黙りなさいッ!!」
咲子さんは仁輔に掴みかかるが、彼に簡単に引き剥がされる。パパが二人の間に割り込み、手をかざして言う。
「落ち着け二人とも……咲ちゃん、まずは仁の話を聞こう」
「こんなこと言わせるわけ、」
「
パパに旧姓で呼ばれ、咲子さんは怯む。多分、きつい思い出のある呼ばれ方なのだろう。
「すまない咲ちゃん……僕らは親だろう、まずは子供の話を聞かないと」
「……うん、聞く」
「よし。仁、席に戻れ。水飲んで落ち着け、ちゃんと考えながら話すんだ」
四人とも元の位置に戻り、仁輔が主張を再開する。
「さっきまでの話で俺が思ったのはさ……今も母さんの中心には実穂さんがいるってこと。
実穂さんの娘だから義花と離れたくない、だから俺と結婚させて義理の家族になろうとしている。けど、義花を実穂さんの代わりみたいに思ってるから、実穂さん相手に抱いていた恋心が向いてもいる」
咲子さんは激しく首を振る。
「後半は全然違う、義花に恋なんて……どこまで行っても娘だよ、義花は」
「じゃあ義花はどうなんだよ。母さんに惚れてるんだろ」
――この流れで肯定はできないだろと、誤魔化そうとしたが。
「義花、正直に言いなさい。前提が狂うと正しい結論に行けないだろう」
パパに告げられる……やっぱり父親だな、あたしに一番効く説き方を知っている。あたしの頭はパパを手本に出来ている、そこを裏切りたくはないのだ。
息を吸ってから、正直に答えた。
「確かにあたしは、咲子さんに恋愛感情を抱いています。少し前に咲子さんには伝えてあります。けど、叶えたいなんて欠片も思ってません、岳志さんとの夫婦仲を裂こうとも思ってません……諦めるから、どうか許してください」
パパはあたしの頭を撫でてから、咲子さんに訊ねる。
「咲ちゃんはどう受け止めたんだ?」
「困ったよ。義花の願いなら何だって叶ってほしいし、私にできることは何だってしたいけど……これだけは、義花のためにならないから」
咲子さんの答えは真っ当だった、けど仁輔は納得しない。
「母さん、本音の話をしなよ。義花からの恋心は嫌なのか嬉しいのか」
「……それは、」
咲子さんは言葉に詰まる。嬉しいという本音はここで言うべきじゃない――けど、嫌だとは言えない。その躊躇が答えだった。
「ほら、義花の気持ちは嬉しいんだろ、母さんにとっても」
「……言ったでしょ、応えられはしないって」
「だから義花が俺と結婚することでスッパリ諦めたいって話だろ……少なくとも義花はそうだろ」
あたしは否定できなかった。バレてる嘘を通しても、この状況は打開できない。
「仁には申し訳ないって思ってるよ。けど、あんたにとっても良い決着でしょ。目標だって叶うし、家族がバラバラになるよりずっと良いじゃん」
――失敗したと、すぐに気づく。仁輔の目元が歪んで、低くも鋭い声が返ってくる。
「母さんも、義花もさ。俺に任せれば自分の不幸を回避できるって、便利に扱いたいだけなんだよ。
……そんな思惑に乗せられたところでさ。義花と一緒になったところで、俺が幸せになれる訳ないじゃん」
仁輔は部屋を出ていく、考える前に追いかける。玄関を出て、マンションの廊下へ。
「待って仁――待って!」
言葉で止まらなかったから、背中から抱きついて止める。
「あたしが悪かったから、もう一回ちゃんと話そうって」
「……そうやって簡単にくっつける距離だから困るんだよ。
お前がどんな近くにいたって、望みが一致することなんてないだろ。
そんなの嫌ってほど分かったのに……まだ、今だって、望んじゃうんだよ俺は」
仁輔の……泣き声、か?
仁輔の顔を見上げる、涙で歪んでいる。
久しぶりに見た。本気で悔しいときの、仁輔の涙。
あたしは言葉を見つけられないまま、仁輔は語り続ける。
「諦められないんだよ、義花と同じ好きでいたいって。
義花がどうしても無理なら俺が諦めなきゃいけないって分かるのにさ」
仁輔にとって妥協の――優しさの限界、ということなのだろう。夫婦という形を取ったところで、溝が埋まることはない。
だとしたら、仁輔にとって一番いい道は。
「じゃあさ……もう別々に生きようか、あたしたち。仁は他の女と付き合ってさ」
「そうできたら良いだろうな、それしか無いだろうな。けどさ、それじゃ上手くいかないって分かるのに、義花と一緒の人生しか浮かばないんだよ」
「そんなの……だってあんたまだ17歳だよ」
「17年、義花と一緒になる将来だけ言い聞かせられてきたのが俺だ」
「それは……咲子さんに?」
「ああ。あの人にとって、俺がそういう役割なのは決まってるんだよ」
咲子さんはあたしたちの結婚を応援している、とあたしは思ってきたけど。
仁輔にとっては応援というレベルじゃないい。誘導、あるいは刷り込みに近いのだろう――津嶋親子の見え方が急速に崩壊して、くらりとする。
「俺の、お前への気持ちの中でさ。どこからが母さんに植え付けられたもので、どこからが自分で見つけたものか、もう区別つかないんだよ……自分の気持ちなんか、どこにもないんだよ」
――あたしは何も言えなくなって、仁輔は自身の家へと階段を下りていく。
痛い。頭が、胸が、魂が。
ママの亡くなった理由、咲子さんが抱えてきた想い、仁輔が受けてきた呪縛。
そのどれだって、あたしの心にとっては大怪我なのに。こんな、一気に来られても。
ぐちゃぐちゃの頭で考えて。とりあえず今は、仁輔と咲子さんの関係を修復するのが最優先だろうと目標を決める。目標さえ決まれば足は動く。
リビングに戻ると、パパと咲子さんは厳しい面持ちで向かいあっていた。
「仁は帰ったよ……ねえ咲子さん、お願い」
「うん、なに?」
「今は、仁からあたしを切り離してくれないかな。あたしの幼馴染みとかじゃなく、ひとりの仁に向き合ってあげてほしい……それが無理でも、あたしとの関係は仁に決めさせてあげて」
「……そうね、そうしなきゃね」
パパも同意してくれた。
「まずは咲ちゃんと仁がちゃんと話せるようにしたい。僕もついていくから三人で下で話そう……義花は待っててくれ」
「分かった、仁をお願い」
あたしがいると余計に話が絡まる、それは予想できた。
「うん、よろしくね康さん……ちょっと洗面所借ります」
咲子さんが出て行った部屋で、パパと二人になった。
「……あの、パパ」
「ああ」
「咲子さんを好きになって、本当にごめんなさい」
あたしが下げた頭に、パパの手が載る。
「正直に教えてほしい。咲ちゃんと……一線を越えるようなことはしたか、君から誘ったことも含めて」
「告白のときに一回キスしかけたけど咲子さんに止められました、だからしてはないです。意識する前に、ハグとか一緒にお風呂とかならずっとしてきたけど、それ以上に類することは何も」
「……信じるよ。正直、君たちに普通の距離感は適用できないし」
パパが撫でてくれる手の温かさ、久しぶりだ。
「僕はね。どんな相手でも、好きになってしまったことが悪いとは思いたくないんだ。だから、そのことについて義花が謝るのも違うとは思う」
顔を上げる、パパの言葉は優しいようで眼差しは厳しい。
「けどね。それを理由に誰かを傷つけてしまったり、人のつながりを壊したりしてしまうことは、やっぱりいけない。それがどんな強い愛情でも、免罪符にはならない」
きっとパパは。女同士とか既婚者とか母親といった属性ではなく、できるだけ一般化されたルールにあたしを当てはめようとしている。
「はい。仁と咲子さんと……あるいは岳志さんにも、ちゃんと謝るから。パパも手伝ってください」
「いいよ……後、正直に話してくれてありがとう。咲ちゃんのことも、同性が好きってことも」
「ああ、それも言ってなかったね。仁とのことも、全然」
「そういうの聞いて嫌われるのが怖かったんだよ……けど、これからはちゃんと話そう。たった一人の肉親なんだ、僕が聞かないと」
「うん、パパを信じます」
「じゃあ下に行ってくる。鍵は閉めてくから、眠かったら寝てていいぞ」
――言動に出なかっただけで、パパが怒っているのは分かった。怒っているというより、責任を感じているというべきか。
パパは怖い態度は取らないけど、叱ったことは根強く覚えている。また咲子さんに執着したりしないか、ずっと注意して見られるのだろう。
「……当然の報い、だよなあ」
性別に関係なく、立場と年齢はマズい。下手したら咲子さんを、夫がいながら未成年に手を出した大人にするところだったのだ。
このまま恋を続けても、誰も幸せにならない。
もし仁輔の言う通り、咲子さんの実穂さんへの感情があたしにスライドしていたとしても――あたしと想いが通じ合ったとしても、叶える代償があまりに大きい。咲子さんはともかく、あたしの望みと釣り合う代償じゃない。
今、一番に心配するべきは仁輔だ。
あいつがあんなに苦しそうなの、初めて見た。
あたしがそんなに苦しめていたと、やっと分かった。
これ以上、あたしのエゴにあいつを巻き込むにはいけない。あいつを苦しめてまで咲子さんと近づこうなんて、許されるはずない。
言い聞かせながら、気持ちをリセットするべくベッドに潜り込む。
あたしの選ぶべき道は決まっている、手を伸ばしちゃいけない方向も知っている、なのに。
「……さきこさん。さきこ、さん」
心に浮かぶのは、彼女ばかりだ。
あんなふうに泣いてほしくない、寂しい思いをしてほしくない。幸せであってほしい、笑っていてほしい。
ママの代わりでもいいから、咲子さんがあたしに望む全部、あたしはあげたい。
眠れない体は、彼女の温もりを求め続けていた。
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