4-4 それぞれが、できてしまう無理を
けど結局寝てた、体は正直である。
寝るのが早かったぶん、日曜にしては早い時間に目が覚めた。二度寝チャンスだったが落ち着かずリビングへ。パパはまだ寝ているらしく、テーブルにメモが置いてあった。
どうやら昨夜のうちに、
空腹感はあるが、朝食はパパが起きてからでいいだろう。ぼんやりした頭でヨーグルトを食べていると、スマホが鳴る。仁輔からメッセージだ。
「起きたら知らせてくれ、電話しときたい」とあったので、すぐに返信。彼も起きていたらしく、通話に入る。
「もしもし、おはよう仁」
「おう、悪いな朝早くに」
「いいけど。話したいの、昨日のことよね」
「ああ……
自分が謝る準備ばかりしていたので、仁輔から謝られて戸惑う。
……うん、確かに、告白を強要するのは悪いわな。あたしが言うのが必要な状況だっただろうけど、良い流れではなかった。
「……いいよ、あたしが言わなかったのも悪いから。一般論ならダメだけど」
「分かってる。昨日はちょっと、頭に血が昇った」
「あたしの方こそ、ごめん。咲子さんのことも、仁に押しつけてきたことも、ほんとに申し訳ないです」
「……納得いってないけど、もう謝らなくていいよ。お前だって苦しいだろ」
「苦しいけど、それで帳消しにはならないでしょ」
「ならないって分かってるなら良いんだよ」
電話越し、車の音のようなノイズ。
「仁、外にいるの?」
「あんまり寝れなくて、だから走りに来た」
「寝てない体で走ってもダメでしょ、風邪ひくよ?」
「そこまでヤワじゃないし、義花が心配することじゃないだろ」
突き放すような仁輔の口調。こういう言葉の後には「ごめん」が続く――はずだったけど、今日は来ない。
「……うん、そうだった」
代わりにあたしも謝らない、だって悪いことは言ってない。
「それでさ、これから俺らがどう接するかって話だよ。ゆうべ康さんとこっちで決めたけど」
「あたしもメモで伝言もらった、距離は置くべきだろうって。とりあえず、家の行き来も一緒に登下校するのも、積極的にはしないってことで」
「積極的には?」
「禁止にはしないってこと、不便になるのは避けたいじゃん。あんただってパパの部屋に自分のモノ置いてるでしょ、学校で避け合うのも不自然だし」
「……そうだな、そういう感じがいいだろ」
「うん。それで、あたしと咲子さんとについては?」
「俺が口出していいのか」
「被害者がいるとしたら仁でしょ、
仁輔はしばらく黙ってから。
「とりあえずスキンシップは控えてくれないか、見かけたら気まずい」
「それはあたしも決めてるよ。連絡絶つとかまではしたくないけど」
「……だな。母さんもその方がいいだろ」
ひとまず方針は決まった、このスムーズさはあたしの望むところでもあったけれど。
「仁さ、」
「何?」
「どれくらい平気? ……いや、どれくらい苦しい?」
こんな簡単に済むはずの話、じゃあないはずだ。
「あんまり平気じゃない、結構キツい。けど、義花が心配することじゃない」
あたしの心配は要らない、二回目――仁輔らしい、けれど。
「だって、その辛さはあたしの所為じゃないの?」
「俺だって甘えていたから。義花との距離にも、母さんの誘導にも」
「……そっか」
これ以上あたしが食い下がっても逆効果、だろう。
時間とか、他の誰かとかに任せるしかない。
「じゃ、切るぞ」
「うん、じゃあね」
電話が切れる。仁輔はあたしへのチャンネルを閉じようとしている、それも仕方ないだろう。けど、仁輔が体に悪い生活を送りそうなのは――本人に拒まれたとしても、やはり心配だ。彼氏彼女とか関係なく、知り合いの体調が崩れるのは嫌だ。
以前から仁輔は、落ち込むと無茶なトレーニングに走る癖がある。嫌な予感は消えない、ひとまずパパには言っておこう。
「……勉強しよ」
コーヒーを淹れ、数学の宿題を始める。向き合えば必ず答えが出る、考えたぶんだけ血肉になる、現実に比べてどんなに楽か。現実の人間関係だって数式みたいに打算で処理できるのかもしれないけれど。それには拒否感を覚えるあたり、あたしも子供である。
パパが起き出したので朝食に。さっき仁輔と電話したことを話す。
「……って感じで、仁は自分の体をいじめているみたいなの」
「マズそうだな、僕からも話してみるよ」
「お願い。男の先輩だから言えることもあるだろうし」
「……それは僕にはあんまり無いな、まともに付き合ったの実穂だけだったから」
「学生時代に好きになった人くらいはいたでしょ」
「叶わない前提だったから落ち込むのも馬鹿らしかったんだよ。仁はずっと叶う前提でいただろう」
「あたしすらその前提だったからなあ」
レズビアンだと早く気づくべきだった、それに尽きる。
「けど義花はいいのか、相手が相手とはいえ失恋中だろう」
「それこそ叶わない前提だったからさ。けど仲良しではいたいって思うよ、前ほどベッタリはできなくても」
「だな、義花と咲ちゃんが離れると僕もやりにくい」
「恩人には変わりないからね。あたしはまた別の女の人を探すよ、大学入ってからになるだろうけど」
その流れで、父親には聞いておきたいことを思い出す。
「あたしが女性と付き合うことについて、パパはどう思うの? 孫はできなくなるけど」
「直球で聞くなあ……孫が楽しみだって感覚はあったよ、それは否定しない」
親として順当な望みだろう。ただ、強調したいのはこっちではなさそうだ。
「けどね。結婚の話が出た頃、実穂と話したんだよ。
これからお金を貯めて、実穂が大学に入ることもできるって。社会人になってから入学する人だって意外と多いし、実穂が本気で科学の勉強をしたら研究者として成功できるだろうって……その道を優先して子供が出来なくても構わない、ともね」
あたしが産まれなかった未来の輝かしさだって、よく分かる。
もしあたしがその場にいたら、実穂さんには進学を勧めただろうから。
「それでも実穂は、すぐに君を産むことを選んだ。若くて体力があるうちに子育てをしたい、という考えだったからね。一緒にその道を選んだことに後悔はないよ。
ただね。義花が生まれてくれたことは心から嬉しい、という前提の上で。実穂が母親ではなく科学者を選んだ道も、同じくらい尊いものだったと僕は思う」
少し間を置いて、パパは付け足す。
「実穂が不自由なく進路を選べて、自立できるくらい稼げる仕事に就いて、僕と全く縁のない人生だったとしてもね、同じくらい尊かっただろうさ」
両親を巡る仮定の話、というだけでなく。
「……つまりあたしがどんな人生を選んでも、あたしが幸せならパパは納得すると?」
今のあたしの可能性の話でもある、と読み取れた。
「そういうこと。その上で、何が幸せか決めるのは義花の自由で責任だ。
君が大人になって障害に直面したとしても、もう僕は助けられないから……僕は僕で、義花の世話がいらないようにはしておくけど」
自己責任とセットの自由、ということだろう。ずっと守るから言うとおりにしろ、という判断にならなかったのは……パパの信条、ママを巡る葛藤、あたしの性格、その全部を踏まえての結論だろう。
「もう一つ質問いいかな、パパ」
「ああ」
「今後、日本での同性カップルの立ち位置はどうなると思う? パパが権利拡充に賛同してるのは知ってるから、客観的に考えて」
パパは渋い顔で考え込む。「あたしに忖度しないでね」と追い打ちを掛けると、溜息をつきながら答えた。
「若い世代ほど印象はポジティブだろうし啓発も進んできている、世間から向けられる視線という意味では生きやすくなるだろうな。これは肌感覚でも理解している」
「同感、じゃあ法制度に関しては」
「それも同様、世論に後押しされて拡充されるだろうとは思う。肯定的な議員も増えてるしな。ただ……素人意見だが、国際的な情勢が不安定である、あるいは国内のリソースが不足しているほど、マイノリティ擁護は進みにくい傾向はあるだろうな。生活に余裕がないほど擁護への反動が出てくる傾向も、あるだろう。ここ数年の流れを見ていると、その意味ではあまり楽観はできないだろうと思う」
「そうなるよねえ……」
世界はそんなに平和じゃなくなっているし、日本はそんなに余裕がなくなってきている、それを子供ながらに感じてきた世代だ。国の存亡が危ういときに優先順位がシビアになるのは、理屈としては分かる。
「まあ、でもさ。あたしはそんなに心配してないよ。
性的指向は不利かもだけど、文化資本についてはパパのおかげで恵まれているわけだし? それは今後の経済力にも活きてくるじゃん。だからひとまず勉強頑張るということで、さ」
あたしなりに話を前向きに着地させた、つもりだったのだが。
「……褒められたのになんでそんな渋い顔してるのパパは」
「割り切りが良すぎて心配になるんだよ、義花は」
「別にそんなに無理はしてないよ」
「ちょっとは無理してるんだろ」
「してるけどさ。じゃあパパは、津嶋夫婦の仲を裂くの手伝ってくれるの?」
「……できないな、それは」
「そういうこと。正解でしょ、これが」
強引に話を切って、後は白米を掻き込む。
……そもそもあたしがこんな理屈屋になったのはパパの影響だぞ。今さら純真になんてなれるか。
ともかく、あたしが行くべき方向は決まっているのだ、それを疑っても仕方ない。
いつものようにサンアサを観ながら、咲子さんと仁輔が一緒じゃないとこんなに味気ないのかなんて驚いたりもしたけれど。それだって結局は一時的な感傷になるだろう。母親のいない寂しさだって、クラスメイトの輪になじめないことだって、全部乗り越えてきたじゃないか。
……ただ、諦めるしかないと自分に言い聞かせるのは、思いのほか虚しい。
とはいえさすがにパパに酷い言い方をしたので、昼過ぎにクイズゲームで対戦してみた。まだ知識量はパパの方は上なんだろうけど、あたしより引き出しが遅くなっている気がした。
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