2-2 この道を、この時間を
「
「おう、お疲れ」
迎えにきた
「別に回り道してまで一緒じゃなくていいのよ、仁も疲れてるんだし」
「分かってるけど……なんか、顔見ないと落ち着かなくて」
「そんなにあたしに会いたかったか~」
突っ込みを前提とした茶化し、だったけど。仁輔はしばらく俯いてから。
「……だな、会いたかった」
吹いてしまった。
「げほっ、ごめん……このフリに肯定が返ってくるの、初めて聞いたぞあたし」
「俺にそういう空気が読めると思うな」
「逆に読んでる説あるよ、えらいえらい」
手を伸ばして仁輔の頭をかき回すと、「汗かいてるから」と避けられた。仁輔は練習後には体を念入りに制汗シートで拭いていることは知っているが、確かに気になるだろう。
「どうだった、ミラステ」
「いい感じだったよ、算数嫌いの子がカズバトルでしっかり考えてたし、その勢いで文章題も突破してた」
「やっぱり面白いよな、あれ。高校版もほしい」
「三角比ならともかく、微積とか絡んでくると訳わかんなくなりそう……けどやっぱり高校生向けのゲームも考えたいよなあ」
しばらく考え込む、仁輔は黙って隣を歩く。
仁輔と一緒にいるのが心地いい理由の一つは、あたしが自分の世界に入ってもいいことだ。仁輔はあたしの沈黙に合わせてくれる、それに。
「チャリ」
仁輔はあたしに知らせながら、そっと肩を引き寄せてくれた。空いたスペースを、子供の乗った自転車が後ろから通り過ぎていく。
――それに、あたしの目と耳の隙をカバーしてくれる。そんな状況は滅多にないが、よからぬ輩に絡まれそうなときも絶対に守ってくれるだろう。周りへの注意をサボっても許されるのは、楽だ。サボったらダメなことは分かるけど、甘えたくなる。
「やっぱりさ」
「うん?」
「仁が隣にいるの好きだよ、あたし」
「……そっか、良かった」
仁輔の手がふらりと浮く。所在なさげに沈もうとする彼の手へ、あたしも手を伸ばした。
「でっかくなったね、仁の手」
仁輔は答えず、あたしの手を握り返す。あたしにとってちょうどいい力加減になるのは、年の功なのか愛ゆえなのか。
「……義花、熱くないか?」
「ぶっちゃけ熱い、けどいいよ」
仁輔は体温が高い……のかは厳密には分からないが、冬でも手が温かいのは知っていた。夏の今日に至っては結構熱い、それでも嫌な熱じゃない。
手をつないだまま歩きながら、仁輔が話し出す。
「俺さ、仕事どうしようかって最近考えてるんだよ」
「うん。防大からの自衛隊ルート……からシフトしてるんだっけ?」
「今もそこで考えてるけどさ、義花はどう思うのかって」
「あたしが幹部自衛官の妻になることについて?」
「察し早くて助かる」
防大は幹部自衛官を目指す学校で、幹部自衛官は転勤が多い。
彼らの配偶者になったとすれば、普段は家にいないことを承知で定住するか、転勤についていくかの選択になる。それ以前に自衛官は、世間が大変なときに家を空ける職業だ。「大事なときに守ってほしい」から自衛官と結婚するのは、資質の面では適格かもしれないが、タイミングの面では向いていない。
……という前提は、仁輔と咲子さんをずっと見てきたあたしにはよく分かる。
「あたしはそんなにタフじゃない、というか弱っちいからさ。大丈夫と胸を張って言うのは、今はできないよね」
「まあ、だな」
「けど、頑張って立派な奥さんに……咲子さんみたいに、なりたいとも思う。ママがいなくなっても踏ん張ってくれたパパみたいにも」
普通よりハードな条件の中で、幸せに育ててくれた大人たち。
あの人たちのように、自分も誰かを支える側になること。あたしにとって一番しっくり来る、人生の目標だった。
「あたしさ、猛烈に結婚したいとかはないのよ。独りでもなんとか食ってけるだろうし。けど、独身だと多分……意味を、見失っちゃうと思う」
「意味って、人生の?」
「そんな感じ。あたしの実存ってさ、誰かと支え合うことにある気がするんだよ……実存で合ってるか微妙だけど」
「いや、気分は分かる。俺もだから」
「ね。だから、仁と一緒に家族になるのが合ってるんじゃないかな。
それにあたしも、たぶん薬剤師になるからさ。収入を見切れば場所の融通は利きやすい職種でしょ、仁の転勤についてくのも嫌じゃないよ。パパと咲子さんから離れるのは寂しいし、子供できたら色々悩むんだろうけど」
「……もう色々考えてくれてたんだな、義花は」
「パパがそういうタイプだし」
それから仁輔は、しばらく黙って。
「けど、義花さ」
「うん?」
「お前の頭の良さだったら、もっと格好よく稼ぐ生き方だって出来ると思うんだよ。そういうチャンスを俺が奪っていいのかって」
「そういう可能性を考えてくれるのは嬉しいし、研究職とかで理系エリートやろうと頑張ればいい線いけるかもだけどさ。そういうのより、大事な人と一緒に生きていくことの方があたしには合ってる……パパと仁より大事な男なんて、きっといないから」
仁輔の手を指先でなぞりながら、あたしは話を続ける。
「やっぱりさ。誰かを守れる人になろうって頑張ってる仁のこと、あたしは好きなんだよ。そこまで詳しい訳じゃないけど、ずっと自衛官やってる岳志さんのことは尊敬してるし、その背を追ってる仁も眩しい。
人生はもらったものを返す旅で、俺たちはもらった平和と命を繋ぐんだって……岳志さんが仁に教えた生き方、仁に歩んでほしいんだよ」
仁輔にとって父親は、親である以上に師匠である。岳志さんは仁輔に対し、叱るときも褒めるときも本気だった。隣で聞いているあたしも、岳志さんから仁輔に雷が落ちていたら泣きそうになるし、笑顔で抱きしめられていたらすごく嬉しい……最近の岳志さんは仕事が忙しいのか、あまり帰ってこないが。
「そっか、義花がそこ応援してくれるなら良かった」
「何年見てきたと思ってるんだって……それにさ、残念ながらだけど、真面目に国防やっとかないとマズそうな気配はここ数年でまた出てきてるじゃん。その意味でも、あんたが自衛官やってくれたら嬉しいよ。勿論、別の道を探したいってなっても応援するから、そこはちゃんと言ってほしいけど」
仁輔は真剣に聞いていた……はずが、何やらソワソワしはじめた。そんなにデレたかと思ったら。
「いま後ろから母さんがついてきてる、気がする」
視線を前に固定したまま、仁輔は言う。こいつは妙に人の気配に鋭いし、この辺りは家に近い。当たっているだろう。声が掛からないということは、観察されている。
「へえ……ちょっとビックリさせようぜ、仁さんよ」
手近な物陰を探し、狭い裏道に入る。あたしたちは密着しそうな姿勢のまま、スマホのカメラで来た道を確認。やはり咲子さんである、コンビニに寄った帰りだろう。
「おお、咲子さんキョドってるねえ」
咲子さんはあたしたちが居る辺りをチラチラ見つつ、何事もなかったかのように通り過ぎていく。
「義花、どういう」
「あたしたちが夜道でイチャついてる~みたいに思わせて、咲子さんの情緒を攪乱したい」
「人の親で遊ぶな」
「じきにあたしの親にもなるもん……よし、ゴー」
二人でダッシュ。振り返った咲子さんは、あたしたちを見て「ひぇっ!?」みたいな鳴き声を上げていた。
「やっほーただいま咲子さん!」
「おかえり……あれ、仁と一緒だったんだ」
「そうなの、もう彼氏彼女だし? 帰りもくっつきたいじゃん」
「へ、へえ……」
咲子さんの目を数秒ほど泳がせてから。
「で、さっきあたしらが何してると思ったの?」
「へ!?」
「急に物陰に行って、チュッチュしてるとでも思った?」
「え、その」
「見てたでしょ咲子さん、あたしらの後ろから」
「気づいてたの!?」
「仁が気配で気づいてた、だから怪しいことしてたら咲子さんどう思うかなって」
「どう思うって……何そのドッキリみたいな!」
「デッデデーン」
「もう、も~う!!」
真っ赤になった咲子さんの頬を両手で挟む、乙女っぷりが可愛いな……
「ほんと義花は、大人をからかうのもいい加減にしてよ~」
「だってあたしらよりもドキドキしてて可愛いんだもん」
「そうやって子供扱いする!」
恥ずかしそうな咲子さんに、横から仁輔が声をかける。
「大丈夫だって、義花は母さんのことしっかり尊敬してるから」
「こら仁、そういうこと本人に言うなや」
「ええ~なになに、聞かせてよ!」
「まだ内緒!」
――ふざけながら三人で歩く帰り道は、やっぱり楽しくて。
けどいつか離れなきゃいけなくなるのかなと、ちょっぴり寂しくもなった。ずっと子供のままがいいと、やはり思ってしまう。
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