34話 退場


「でも、海堂かいどうくんはこんなことになると思ってなかったでしょ? 海堂くん今………今、死にかけたんだよ」 


 ――死。


その言葉を意識した途端に、記憶が一気にぶり返した。


体を貫く衝撃、足元から安定が消える感覚、耳にねじ込まれる轟音、見える世界全てが脅威に変わる瞬間。興奮と驚きが押しとどめていた恐怖が堰を切って噴き出した。


もし、目の前に多喜たきさんがいなければ、僕は蹲って叫び出していたかもしれない。

それでも僕は――。

「それでも僕は、多喜さんを一人にはしたくないです」

心の底からそう思った。


「……なんで?」

「はい?」

 赤い目を丸くして多喜さんが尋ねる。

「なんで海堂くんは、そこまでしてわたしを手伝ってくれるの?」

「なんでって、それは……」


世のため人のためのスーパーヒーロー活動だから………?


「違うんだよ」

「え?」

「わたしは海堂くんが思ってるような女じゃない。全部自分のためだもん。わたしが予言を受け取るのは全部自分のため。世のため人のためなんて一度も考えたことないよ」

「んなバカな。めちゃくちゃ助けまくってるじゃないですか」

「それは多分、言い訳なんだと思う」

 言い訳? 誰に対する?


「おかしいよね。誰かに向かって言い訳してるんだろうね。でもそうなの、これは言い訳なの。わたしこんなに頑張ってるでしょって、こんなに人のために尽くしてるでしょって、誰かに向かってアピールしてるの。だから、予言を自分の利益のために使っていいでしょって言いたくて」

「……利益」

 その言葉を多喜さんはどういうつもりで使ったのだろう。

奇妙な重さを含んで耳に届いた一言が、胸の一番気持ち悪い所に引っかかって絡み付いた。

「そういうアリバイの人助けなんだよ。だから、こんなの海堂くんに手伝って貰うのは絶対に正しくない。もう今日で終わりにしよう」

「そんな……正しいとか正しくないとか関係ないです。これは僕がやりたいから……やってるんです」

 胸の引っ掛かりを無理矢理無視して吐き出した言葉は、自分の耳にすら力なく聞こえた。


多喜さんはそんな僕の顔をじっと見つめ、一瞬目を細めると、

「わかった。じゃあ、わたしももう止めるね」

 静かにそう答えた。

「……え?」

 それは諦めの感情が音を発して漏れ出たかのような弱弱しい声で、俄かに言葉の意味を信じることができなかった。


何を言ってるんですか、多喜さん? 嘘、ですよね?

「スーパーヒーロー活動は今日で終わりにする」

 ……嘘でしょ?


「もう、鐘突き堂には上らない」

 ……嘘ですよね?


「もう、このノートも使わない」

 ……嘘だよ、そんなの。


「今までありがとう、海堂くん」

 ……そんなの。


「明日から普通の先輩後輩に戻ろうね」

 ……嘘だ。


「バイバイ、海堂くん」

そう言って多喜さんは僕に背を向けた。

綺麗だな、場違いだけどそう思った。


まるで出番を終えた女優が拍手を受けて舞台を去るような、美しい後ろ姿。

じゃりじゃりと砂利を踏みしめる多喜さんは、放置された焚火の中に予言ノートを無造作に放り込んで、そのまま神社の敷地から出て行った。

 火に投じられたノートはミシミシと音を立ててあっという間に炎に巻かれ、空のように青い表紙が黒く捻じれた。

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