28話 気象予報士は傘を配らない

二十分程そうしていただろうか。

唐突に多喜たきさんが涙に濡れた顔を上げた。


「だめだ、早くいかないと。予言の時間が」

 そして慌ただしく立ち上がり、大きな鞄を背負い上げる。

「……もういいじゃないですか」

「あー、そうだね。今日はもう時間が過ぎちゃってるし、もういいかな……いやでも、一応!」

いや、そうじゃなくて。

涙を払う多喜さんを見上げて、僕は言った。


「休みが必要なのは僕じゃなくて多喜さんじゃないんですか?」

「え?」

「多喜さん、この辺で一度休んだらどうですか? 出来れば長い間。出来れば………そう、ずっと」

「それって、もう止めた方がいいってこと? スーパーヒーロー活動を?」

 信じられないといった表情で多喜さんが僕を見下ろす。


「だって、多喜さんはスーパーヒーローじゃないじゃないですか。普通の女の子じゃないですか。この三週間一緒にやって来てわかりました。この活動、すっごい大変です。普通の人間が背負えるようなもんじゃないですよ。なんで多喜さんがこんなことをしなくちゃいけないんですか」

「何でってそれは、未来を知ってるから……」

「多喜さんのせいじゃないじゃないですか」

「え?」

伊鶴いずる先輩が指を切るのも、実験棟が吹き飛んだのも、多喜さんのせいじゃないですよ。先に知ってたからって多喜さんが止めなくちゃいけない義務はないです。そりゃあ、坂本の事故は可哀想だから助けたい気持ちはわかりますけど。でも、悪い予言をいちいち全部処理してたら身が持たないですよ。冷たいようだけどそこはもう、本人に受けて入れてもらわないと。雨を予報した気象予報士が傘を配って歩いたりしないでしょ」

「気象予報士………? ああ、そいうことか。上手いこと言うね、海堂かいどうくんは」

「多喜さん!」


「ごめん、つい。うん、わかるよ。言いたいことは。わたしもよくそう思うもん」

 思うんかい。

「じゃあ」

「でも、やっぱりだめなんだよ。予言を見ちゃうとね。傘を配りたくなっちゃうんだよ、わたしって」

「じゃあ、見なけりゃいいじゃないですか」

「あー、そう来たかー」

「そうですよ、鐘突き堂に行かなきゃいいじゃないですか。自主練なんてどこでもできるし。別の場所で稽古するとか、時間を昼間にずらすとか、予言を受けとらない形で自主練習をすればいいじゃないですか?」

「それはねー、無理なんだよねー」

「なんで?」

「うーん、それを説明するのは難しいんだよなー。なんでかー」 

 腕を組み、困ったように眉を寄せて笑う多喜さん。まるで駄々っ子を見守る母親のような笑顔で僕を見つめ、

「……わたしが、ビビりだからかな」

 時間をかけてそう言った。


「ビビり?」

 なんだそれは。予想外の答えに思わず声が裏返る。

「うん、知ってるでしょ。あたし、ビビりのヘタレなんだよ。だから、もう予言を受け取るのは止められないんだよ。わかるでしょ?」

「いや、わからないわからない。え? え? どゆこと? 怖いんなら尚更やめたらよくないですか?」

「おーはよー!」

「いて!」

 黙れと言わんばかりにポルシェで額をつつかれた。


「海堂くんにはわかないだろーなー」

 そしてまた、多喜さんは泣いたように笑うのだった。

「多喜さん………」


 お察しの通り、全く全然これっぽっちも意味はわからなかった。

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