27話 スーパーヒーローは辛いよ

「それじゃあ、海堂かいどうくんは月曜までセリフ全部覚えること」


部室棟を出た多喜たきさんはくるりと振り返って僕を指差すと、

「それまでスーパーヒーロー活動はわたし一人でやるから。今日も一人で鐘突き堂に行ってくるね。予言は多分――ってゆーか十中八九来ないと思うけど一応念のために行ってくる。ほんと、散歩にいくようなもんだから気にしないで。だから、一人で行くって言ってるでしょ、海堂くんは絶対来ちゃダメだよ。来たら怒るから。さっさとセリフ覚えろ、大根役者! ウソウソ、今日の通しよかったよ。一個だけ、目が泳ぐ癖があるから舞台に立つときは視線を定めた方がいいと思う。じゃあね、早く帰るんだよ。歯磨いて寝るんだよ。予言はきっと来ないと思うから。うん、百パーセント来ない自信がある。じゃあ行ってくる!」

 

言葉数で押し飛ばすかのようにまくし立て、一人で坂を上って行った。


………何で、百パーセント予言が来ない自信があるのに坂を上っちゃうんですか。


闇の中に消えていくひらひらとした背中を見送りながら、心の中でそう呟いた。


多喜さん。何で、毎日鐘突き堂に上るんですか。予言が来るのが四、五日ごとならそれに合わせて行ったらいいじゃないですか。

多少の誤差には目を瞑りましょうよ。

何で一つの例外もなく予言を拾い集めようとするんですか。


この三週間、何度も説得して来たことだ。

それでも多喜さんは頑なに毎晩の登頂を変えようとはしなかった。

「わたしは好きで上ってるだけだから。海堂くんも無理せず自分のペースで付き合ってくれたらいいよ」

そんなふうに笑って、多喜さんは毎晩坂を上る。


今日も上る。

通し稽古の後だとしても、風強く吹いていても、半日で台本を全部頭に入れた後でも、月も出ない暗い夜でも、後輩に怒鳴られた後でも、多喜さんは坂道を上っていく。

でも――。


「さすがに階段を上る気力は出ませんでしたか、多喜さん?」

 石段の一段目に座り込む多喜さんに向かって、僕は言った。

 真っ暗な石段に膝を抱えて蹲る多喜さんは未知の生物の卵に見えた。


「………なんで来たの? もうセリフ覚えたの?」

 顔を膝に埋めたまま多喜さんが言う。

「はい」

「……嘘だあ」

「ほんとですよ。三回読んだら覚えられるって言ったでしょ、多喜さん」

「じゃあ、三場の出だし言ってみて」

「えー、『宇宙人って怖いと思う? それとも面白いと思う?』ですね」

「『このティファール壊れてない?』でしょ。全然覚えてないじゃん」

 しまった、この人全セリフ覚えてるんだった。嘘もつけないや。


「はい、やり直し。帰って覚えて来なさい」

「今日は、やです」

「先輩の言うことが聞けないの?」

「今日だけは、すみません」

「……何で?」

「坂本に何したんですか? 階段で」

 質問に答えずに、僕は多喜さんの横に腰を下ろした。ゴツゴツとした石の感触がジーンズの下から突き上げてくる。


「……あの子が最後の一段を降りる瞬間にジャンプして肩にのしかかって、ずり落ちたあと軸足に膝カックンした」

「おおー」

 やったなー。あの状態の坂本にそれだけ一気に叩き込むとは。さすが多喜さん、役者が違う。

「これで今回の予言は全て処理完了ですね」

「……うん」


 『坂本こよりは痛いよ 危ないよ階段から落ちるよ前を見て ほら落ちた 嫌な音 足が折れてるじゃん 怖い怖い痛い痛い痛い』


 予言通り坂本は階段から一段だけ落ちて、膝を折られたわけだ。


「お見事です、先輩。これで坂本は本番一か月前に足を折らずに済みました」

「……でも、めっちゃ怒ってたね」

「そうですね。だからって悪気はないと思います。あいつ二回生じゃ一番の多喜さんファンだし。ただ真面目なだけで」

「うん、わかってるよ。わたしもさかもっちゃんは好きだから」

 まだ視線を上げないまま、多喜さんは靴裏でアスファルトをじゃりっと擦る。


「結構仲良くしてたんだけどなー。一緒にご飯も食べてたし。でも、これで予言の処理は八回目だもんね。さすがに怒るよね」

「八回……ですか」 

 前に多喜さんが言っていた。もたらされる結果が大きすぎる予言は一度の低減だけでは処理できないと。また似たような予言が何度もやって来ると。

八回。

最初に予言が来たのは最短でも一か月以上前か。

転びやすいと言っていた坂本は、やはり階段から落ちるはずだったのだ。

多喜さんはそれを人知れず受け止めて、少しずつ傷を軽くさせ続け、今の状態までこぎつけた。

八回目の予言で骨折なら一回目で坂本はどうなっていたのだろう。


「やっぱり僕がやるべきでしたかね。僕なら一回目の悪戯だからあんなに怒らせることもなかったかも」

「どうだろ? 変わらなかったんじゃないかな。それにわたし、ちょっと自信あったから。さかもっちゃんに好かれてると思ってたし、いつもみたいに笑って許してもらえるっていう計算があったんだよね。さかもっちゃんの言う通りだよ。わたし調子に乗ってた。みんなの優しさに甘えてたんだと思う」

「甘えって……」

 嘘だろ。

そんなバカなことがあってたまるか。

こんなに頑張っている多喜さんにこれ以上何を求められるっていうんだよ。

何でほんの少しの甘えも許されないんだ。


「ああ、ヤバっ。どうしよ、我慢できない」

 そう言うと、多喜さんはまた靴底でアスファルトをぞりぞりと擦った。

「もう、だから来ないでって言ったのに。何で来たの?」

「ごめんなさい」

「泣くとこ………見られたくなかったよ」

「……ごめんなさい」

 嗚咽が石段に沁みていった。

膝に顔を埋めたまま多喜さんは泣く。感情をすり潰して絞り出すような泣き方だった。

僕はそんな多喜さんを決して振り返らないように夜空を見上げていた。


月も星もない、濁った夜空。

この空のどこから予言は降りてくるのだろう。誰が何を思って落としているのだろう。

この泣き声が聞こえているのだろうか。

「さかもっちゃん………」


 小さな小さなこの声が聞こえているのだろうか。

 

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