26話 転びやすい子っているよね

「いい加減にしてくださいっっ!」


 多喜たきさんが坂本を追いかけて数秒後、凄まじい怒鳴り声が帰ってきた。


 雷でも落ちたかのように誰もが一瞬動きを止め、音の発生源を振り返る。

マズい。慌てて部室を飛び出すと、

「階段でふざけないでくださいって、いっつもいってるでしょ!」

 案の定、踊り場で坂本が多喜さんにキレ散らかしていた。


「何度言ったらわかるんですか! あたし転びやすいんです! 怖いんです! 本番一か月前なんですよ? 転んで足でも折ったらどうする気なんですか!」

「ご、ごめん、さかもっちゃん」

「まったく、多喜さんはいっついっつも!」

「おおい、待て待て、坂本。落ち着けよ、どうしたんだよ」

 それこそ転げ落ちるような勢いで階段を下り、僕は坂本を宥めにかかる。


「なんであたしに言うの? 多喜さんじゃん! 多喜さんが上からのしかかって来たんだからね! マジ怖かった」

「おお、そうなんだ。まあ、そんな怒んなよ。美織ってそういうキャラじゃん? つい悪戯しちゃうんだろ」

「は? 意味わかんない。役は役じゃん。稽古終わったら終わりでしょ」

 ええー。ごもっともー。

ごもっともだけどそれ言っちゃうか、お前ー。

「何々? どーしたどーした?」

「え、マジのヤツなん? 大丈夫?」


 坂本の剣幕を聞きつけてどやどやと部員達もやってくる。多喜さんはそんな群衆を振り返ることもなく、怒りに燃える坂本の視線を受け止めると、

「ごめんなさい」

 しっかりとした発音でそう言って頭を下げた。


「本当にごめんね……ごめん」

 坂本は多喜さんより頭一つ背が低い。そんな坂本が見下ろす形になるほど深々と多喜さんは後輩に頭を下げた。

坂本の怒鳴り声が聞こえた時とはまた別のベクトルで、辺りの空気が凍りつく。僕も坂本も、集まった部員達も誰も動けなかった。

「な、なあ、坂本。ほら、多喜さんも謝ってるしさ。もういいじゃん、別に悪気はなかったんだし」

凍った空間に耐え切れず何とかとりなしを図ってみたものの、

「……そういうのやめて欲しいんだけど」

 返ってきたのはさらに冷え冷えとした声だった。

「そうやってみんなが甘やかすからじゃん。だから多喜さんが調子に乗るんじゃん」

「調子に乗るって、お前――」

「芝居がうまかったら、何してもいいんですか?」

 ガムでも吐き出すように最後の言葉を言い捨てて、坂本は階段を駆け下りて行った。


「坂本、違うって! 聞けよ、走るなって!」

「いいの、海堂くん」

 呼び止めようとした手を逆に多喜さんに止められた。

「でも、多喜さん。あいつ」

「いいのいいの」

 僕の勢いを霧散させようとするかのように、二の腕をはすはすと叩く多喜さん。

「みんなもごめんね、騒がしちゃって。さ、着替えちゃお」


その顔はいつか見た時と同じように、笑顔の下で泣いているように見えた。

  

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