第31話「迫られた選択」

 光一は今すぐにでも飛び出したいのを堪え、両手の操縦桿を握り締めていた。


 目の前のモニターに映し出されている、四歳の夢月むづき


 それが〈リライト〉の手の中にある。


 恐れが、怒りが、殺意が、全身に満ちていくようだった。


「落ち着いて、おじさんッ!」


 後ろからの声に、こわばった体がわずかにほぐれた。


 頭を強く振る。先ほど彼女に「落ち着け」といさめたばかりなのに——自分が正気を失ってどうするのか。


「状況は理解できたかしら?」


 オウマの手に乗る女性が、くいと首を上げる。


「あなたの大事な、とっても大事な姪っ子が私の手の中にあること。この場で落としてやることなんて、あまりにも簡単すぎて——あくびが出るほど」

「……何が望みだ」


 かろうじて、光一は声を絞り出した。


 四歳の夢月を人質に取ったということは、何かしらの目的があるはずだ。


 だが、〈リライト〉がわざわざそんなことをする必要があるだろうか? 人質を取らざるを得ないほど、こちらを脅威に感じているのだろうか?


 あるいは——


「望みとは少し違うわね。私はあなたに、ただ選択を突きつけるだけ」

「選択……さっきも言っていたな。一体、なんだ?」

「簡単よ。この子と、そのロボットの操縦席にいる子——どちらを取るか、ということ」

「なッ——」


 一瞬にして思考が吹き飛ぶ。


 目の前の四歳の夢月と、後ろにいる彼女の命とを天秤にかけろ——〈リライト〉はそう言っているのだ。


 できるわけがない、と光一は己の内で断言していた。だが、それを言えばオウマの手の上に立つパイロットは、ためらいなく四歳の夢月を炎の街に放り出すだろう。


 後ろを振り返れない。「どうする?」とも聞けない。聞けるわけがない。


 時間だけが刻々と過ぎていく。


 幼い夢月が敵の手の中にある以上、うかつには動けない。それに、マヒルガをいともたやすく打ち砕いた放熱板——無暗に攻撃を仕掛ければ、貫かれるのはこちらだ。不意を突くような手があればいいが、そんなうまい話はない。思いつかない。


 なければ考えるしかない。


 考えろ、考えろ、考え——


「どうするの?」

「……!」


 思考する暇さえ与えない、冷徹な声。


 どんな手を考えても無駄だと、言外に告げている。


「…………」


 光一はぎこちなく振り返った。


 後部シートの夢月はややうつむきがちに、沈黙を通している。


 この少女は、こうなることを知っていたのだろうか? 


 それとも知らなかったのだろうか? 


 千晴ちはる悟郎ごろうを助けた時点で未来は変わったはず。しかし、そのせいで〈リライト〉のさらなる介入を許すこととなった。街は焼かれ、人が死に、そして四歳の子供の命を危険にさらすことになった。


 なぜこうなった?


 どこで間違えた?


 脳内で疑問と困惑とが錯綜さくそうしている。


 四歳の夢月を選べば、少なくともあの子は十六歳まで生きられる。


 だが、十六歳の夢月を選び、四歳の夢月を見捨てれば——どちらも消えてしまうことになるのではないのか?


 同じ時代に同じ人間が二人いるということは——普通は、おそらく、あり得ない。


 それを可能としているのは、二人はそれぞれ別個の人間として独立しているから、と考えられる。


 ならばもし、十六歳の夢月を選び、四歳の夢月を見捨てたとしても——今、光一の後ろにいる少女は消えないのではないのか?


 だが、まだ四歳の子供を。自分の命よりも大事な、姪を見捨てるなどできるわけがない。


 出会ったばかりならば、迷わず四歳の夢月を選んでいただろう。未来から来た姪だなんて、そんなの信じられるはずがないから。


 だが、今は——


「——ヨルワタリ、開けて」

『……承知したわ』


 不意に、ハッチが開いた。背後からすり抜けるように夢月が前に出て、ハッチの上に立つ。


 ヘルメットを外し、熱風が彼女の髪をなびかせた。


「——待て! 夢月ッ!」


 すると彼女は振り返って、「えへ」と微笑んだ。


「やっと、名前で呼んでくれた」

「——あ……」

「大丈夫、大丈夫だよ」


 夢月は胸の前で両手を軽く組み、なおも光一に笑いかけている。


「今、わたしが死んでも、あの子には可能性があるから。あの子を助けないと、十二年後に未来から過去に飛んで、おじさんを助けられないでしょ?」

「未来は変わったはずだ! 姉さんも悟郎さんも生きているんだぞ! 君の知る過去とはもう違うんだ!」

「そんなことわからないでしょ。もしかしたら別の機会に二人とも亡くなって……結局あの子は、おじさんに引き取られることになるのかも。そしておじさんはヨルワタリを造って、わたしを過去に飛ばすのかもしれないじゃない」

「そして今、君は死ぬっていうのか!? そんなの——ただ、歴史を繰り返しているだけだろうがッ! それが君の望みなのか!?」

「……わたしの望みは」


 一歩、また一歩と後退していく。


 光一はベルトを外そうとしたが、手が震えている。焦りと苛立ちばかりがつのり、「くそッ!」と毒づいた。


 夢月は、ただ優しく光一を見つめていた。


 自分のために必死になる叔父の姿を、目に焼きつけるように。


 その目が光一に、喉から絶叫を迸らせた。


「やめろ、夢月ぃッ!」

「わたしの望みはね。おじさんとまた一緒に暮らすことだったんだよ」

「————」

「この時代のお父さんとお母さんにはもう、あの子がいるから。だからおじさんと一緒にいたかったの。どんな時でも守ってくれた、わたしにとって最高のおじさん」


 夢月の足が——ハッチから離れた。笑顔のままで。


「また、会おうね」


 光一の視界から、ゆっくりと——夢月の姿が消える。やっとベルトを外し、コクピットから這い出て、ハッチから身を乗り出した。


 届くわけがないとわかっていながら、それでも手を伸ばして。


 夢月は徐々に小さくなり、そして——炎の街の中に消えた。


「…………」

「選択は為された。これで分岐点はなくなったわ」


 オウマが浮上し、空から四歳の夢月が放り出される。


 反射的に光一は両腕を伸ばして抱き留めた。受け止めた衝撃で起きた四歳の夢月が、「ふにゃ?」と眠たそうに目をゆっくりと開けた。


「こーいち?」

「あ……」


 光一は腕の中の重みを、温かみを確かめるように、しっかりと抱いた。「いたいよー」と言われても、強く強く抱きしめた。


 それを見下ろしていたオウマのパイロットは——それ以上何も言うことなく、ただ飛び去って行く。


 目の前の命を救えたこと。


 目の前の命を救えなかったこと。


 迷い、判断すらできなかったこと。


 その事実がどこまでも、光一を打ちのめしていた。


 腕の中の夢月がもぞもぞと体を動かし、光一の目を見返していた。


「こーいち、どうしたの?」

「…………」

「かなしいこと、あったの?」

「……ああ」


 涙は出なかった。一滴だけでも、流してもよさそうなものだったのに。


 今なお燃え盛る街とは対照的に、光一の体は冷えついていた。


 腕の中の温もりだけが、今感じられるものすべてだった。

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