エピローグ

『かのへ。

五月に入って木々の葉っぱの色が濃くなってきました。新緑の季節がわたしは大好きです。そちらの暮らしはどうですか?かのが住んでいる街は、こっちに比べるとかなり涼しいと聞きました。街や、住んでいる人たちの様子や、街を囲む自然の風景も知りたいから、今度たくさん写真を送ってほしいな。


お別れ会の時に、手紙をくれてありがとう。かのが、わたしと出会えてよかったって書いてくれて、本当に嬉しかった。さくら寮は相変わらずだけれど、こっちでは四月から新学期だから、変わったことも幾つかありました。ここなとさなは中学三年生になって、週に二回くらいずつ学校に行きながら、絵本作家を目指して本格的に勉強を始めました。ここながお話を書いて、さなが絵を描いて、二人で一つの絵本を作れるようになりたいんだって。みくは、四月から学校に通っています。みきちゃんが通っている中学校、つまりわたしが卒業した第五中学校に転入をしました。中学生の残りの時間を、どうしてもみきちゃんと一緒に過ごしたいと思ったみたい。寮から学校に通って、帰って来てまた寮の家事をしたりするのは大変そうだけど、とても楽しそうです。ねおはおうちの事情が落ち着いたのもあるし、やっぱり生まれたふるさとのことが好きで、一旦、家に帰ることになりました。ねおは嬉しさと寂しさがないまぜになったような顔をしていたけれど、波子さんは、もう戻って来ないのがいちばん。でも、遊びにだったら、いつでもおいで。と、言っていました。さきあは、お母さんが近くに引っ越してきて、おばあちゃんも転院してくるという話が進んでいるみたいです。お母さんのお仕事の関係で、いつも一緒に暮らす事は難しいけれど、二人に会える時間は今よりもずっと増えるみたいで、喜んでいます。それから、ゆめの手紙は届いた?ゆめは、かのからの手紙を読んで、真っ先に、長い長い返事を書いていました。自分の正直な気持ちを全部書くんだ、と言っていました。最近、ゆめは、波子さんによく甘えるようになりました。でも、さきあには前よりもお姉さんぶって接していて、そこがとてもゆめらしいな、と思います。遊技場でのダンスは続いていて、みこちゃんのレッスンはとても楽しいし、近頃は寮の近所に住む子どもたちも集まってくるようになりました。かのが言っていたとおり、みんなはお別れよりも、新しい出会いを大切に思っているみたいです。

さくら寮は相変わらずです。相変わらずだけど、少しずつ変わっていっています。


少しわたしのことを書いてもいい?

去年の六月の終わりに、さくら寮で突然かのに再会した時のわたしの気持ちを、一言で表すのは難しい。わたしは、申し訳ないような恥ずかしいような、それでいてすごくほっとしたような、変な気分だった。

かののお母さんが亡くなって、かのが転校して行ったあと、何度か届いた手紙をわたしは全部読んでいたけれど、返事を書かなかった。書けなかったのじゃなく、書かなかった。わたしは、かのがつらい思いをしているのを自分のことのように感じていたし、できることなら代わってあげたかった。かののことが大好きだったから。これだけは嘘でも大げさでもないから、信じてほしい。でも、初めてかのから手紙が届いてそれを読んだ時に、今すぐ飛んで行ってあげたいと強く思うのと同時に、もう一つの気持ちがぼんやりと生まれていることに気が付いたの。

〝このまま返事を書かなければ、しばらくの間はかのに会わずに済むかも知れない〟

そして思った。ほんの一瞬だけど思った。

〝かのがいなければ〟って。

自分の心に浮かんだその一言くらい、恐ろしいものはなかった。そんな言葉が心に浮かぶなんて信じられなくて、でも妙にしっくりくるように思えて、わたしの内側はずっとざわざわしてた。そしてわたしは結局、手紙の返事を書かなかった。わたしはひどい奴だ。大好きなかのが寂しくてつらい思いをしているのに、見捨てるようなことをした。わたしはひどい奴だ。でも、かのに会わない方が、わたしはきっと楽でいられる。そんなあべこべな気持ちが、両方とも確かにわたしの中にあった。その、わたしの中のあべこべについては、もう少し昔のことから書かなくちゃダメかも知れない。


かのに初めて会って仲良くなる前から、わたしはテレビの歌番組や、お母さんが観ているファッションの番組を観るのが大好きだった。舞台の上で赤や青のライトに照らされながら歌って踊る人たちや、ファッションショーできれいな洋服を着て得意げに歩く人たちにあこがれてた。家にあった洋服や芸能の雑誌を眺めていると、時間を忘れるくらい夢中になれたし、小学校に上がった時にお母さんがピアノの教室に通わせてくれたのが嬉しかった。ピアノを弾くのが好きだったのはもちろんだけど、いつか人前でピアノを弾く機会があるかも知れない、と思えたから。

わたしは、小さな頃から、誰かの前に立って自分の姿を見られる、ということに、すごく興味と執着があったの。

現実のわたしは、自分が思ったことを言葉にしたり、みんなに伝えるということがあまりうまくなくて、それに比べれば、頼まれたことや決められた勉強をしっかりこなすのが得意だった。感情を強く表に出さないから〝優しい〟と言われ、頼まれごとや勉強をそつなくこなすから〝賢い〟とほめられた。でもそれはわたしが本当になりたいわたしじゃなかった。

かのは、わたしがほしいものを、ぜんぶ持っていた。

自分がやりたいと思ったらすぐに行動に移せて、周りの人も協力してくれる。ちょっとしたことで笑ったり泣いたりして、周りもそれにつられて感情を動かす。かのは、自分が求めていないのに自然と人から見られ、人を魅了する子だった。わたしがほしいものをぜんぶ持っていて、そして、わたしとは正反対だった。

小学生の頃、わたしも家族や友だちに歌とか踊りを見せたことが何度かあった。自分なりにがんばって練習してやってみたけど、反応は期待外れだった。うまいうまいとほめてはくれたけれど、みんなの心が動いていないことはわたしにもすぐに分かった。それから少しあとの、小学二年生の町会のレクリエーションの時だったかな。かのはその頃もうダンスを習い始めていて、誰かが、ちょっと踊ってみてよ、と言って、かのがほんの数十秒踊っただけで、見ている人たちの目の色が変わった。わたしはその時に分かった、かのは選ばれた人で、わたしは選ばれなかったんだ、って。

それから、わたしは、誰かに歌や踊りを見せたりしなくなった。

わたしはかのがどうしようもなく好きで、同じくらいねたましかった。自分では望まないのにわたしが望むものをぜんぶ持っているかのに苦しいほどあこがれ、同じくらい嫉妬していた。

いま書いていても、われながらひどいなって思う。でも、これが正直な話。それで、わたしは、かのから手紙をもらった時に、返事を書かないことを選んだの。自分が傷つくのが怖かったから。


中学校に入ってからも、わたしは、求められるわたしを精一杯演じ続けた。演じる、というのはちょっと違うかな。それも間違いなくわたしの一部だから。おだやかで真面目で周りの事を第一に考えるわたしのことも嫌いじゃなかった。でも、本当になりたいわたしは、心の奥に閉じ込め続けたままだった。お母さんは、もしかしたら何かに気が付いていたのかも知れない。わたしが家で何となく雑誌をめくってると、可愛い洋服を見つけたから今度一緒に見に行こうと言ってくれたり、メイク道具のことを色々と教えてくれたりした。でもわたしは、本当になりたい自分を誰にも見せることができないまま、中学校の二年間を過ごした。そうして、中学三年生の五月に、わたしは学校を休んだ。このままだと、心の奥に閉じ込めた本当になりたいわたしが、完全に消えちゃう、と思ったから。

今でもまだ、現実のわたしと本当になりたいわたしの間で、どうやって折り合いを付ければいいのか、はっきりとは分からないけれど、それでも少しずつ、見えてきたこともあるの。わたし、運が良かったと思う。先生やつぐ、ももえには感謝してもしきれない。お母さんやお父さん、それから、さくら寮に行って、波子さんとみんなに出会えた。でもね、いちばんは、かの。いちばん運が良かったのは、かのに、また会えたことだよ。

子どもたちの世話をしたり遊んだり、ダンスを教えてくれたり、とても無理だと思ってたことをやり切っちゃったり・・・。あの場所で、たくさんのかのを見て、わたしは自分が間違っていたことに気が付いた。かのは、何もしないで周りの人をひきつけていたんじゃない。かのは、誰よりも自分に厳しくて、誰よりもたくさんのことを、一生懸命にやってたんだ。見返りなんか求めずに。わたしは、望むだけで、何もしてなかった。周りの人が振り向いてくれないのは、当たり前だ、って。

だから、わたし、決めた。自分が何もしていなかったことに気付いたから、やれることは全部やろう、って決めたの。


かの。わたし、やっぱり、舞台に立ちたい。

舞台に立って、たくさんの人の視線を集めたい。

それで、たくさんの人を笑顔にしたり、幸せにしたい。

かのと再会して、あの十二人の女の子たちのダンスを観て、バザーで踊って、本当に、これだ。これがやりたいんだ。って、心から思ったの。

かのは笑うかな?きっと笑わないよね。

かのは、きっと応援してくれる。そんな気がする。


わたしが通っている私立の高校には、芸能学科があるの。お父さんとお母さんに将来やりたいことを相談してこの学校に決めたんだけど、芸能事務所に入れば、普通科からも転科できるんだって。自分に何ができるか、何になれるか、まだぜんぜん分からないけれど、やってみる。もういいや、って、あきらめられるまで、やってみるよ。

つぐとももえにはまだ言ってない。今度二人にも話すつもり。どんな顔をするかな。

本当は、かのがいるうちに、ちゃんと目を見て、話したかった。今さらこんなこと遅すぎるし、ひきょうだっていうのも分かってる。

本当にごめんね。つらい思いをしている時に、そばにいてあげられなくて、ごめん。本当のことを今まで言えなくて、ごめん。でも、かのが言ってくれたこと、「時間はこれからいくらでもあるよ」っていうこと、わたしも信じてる。

だから、わたしも言うね。かの、わたしと出会ってくれてありがとう。

夏休みにはこっちに帰って来るんでしょ?みんなで楽しみに待ってるね。』



   §

 


 そよは手に持った二つの封筒を郵便ポストの口から中へと押し込んだ。

 一つは書類を入れるような縦長の茶封筒、もう一つは白地に赤のテントウムシの絵が可愛らしく描かれた分厚い封筒で、切手が何枚も貼ってあった。ポストの口の蓋がぱたりと揺れ、封筒が中に落ちた音を確かめると、そよは振り向いて歩き始めた。

 そよは背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を向いて歩いていた。

 長かった髪の毛を切って肩の上で揃え、薄く化粧をしたそよは、ひと月前よりもずっと大人びて見えた。ポストの前に立っていた時には少しだけ不安そうだった顔は、一歩、また一歩と前に進むたびに、晴れやかになっていった。

 そよは、街路で遊ぶ小さな子供たちの歓声を背中に感じながら、胸を張って歩いていた。



   §

 


 五月の連休明け。

 つぐとももえは二人で駅までの道を歩いていた。

 つぐは全体が紺色で幅広の襟のラインとスカーフが水色のセーラー服を着て、ショルダーバッグを肩にかけ、ももえは上品な深緑色のブレザーに鉛色を基調としたチェックのスカート、黒のソックスという姿で、リュックサックを背負っていた。

 狭い歩道の内側をももえが歩き、つぐはその左隣で自転車を押して、縁石の上に乗ったり、路側帯にはみ出したりしながら歩いていた。朝のバス通りは人も車も多く、時々前から自転車が走ってくると、二人は立ち止まって身をすくめるようにして歩道の端に寄った。

「そよちゃんから連絡があったの?今日、さくらベースに来て、って」

 ももえがつぐを見て言った。

「うん。何か話があるみたい。また何かやろうとしているのかな?」

「なんだろうね?でも、ちょっと久しぶりね、そよちゃんに会うのも」

 ももえは、目を細めながら呟いた。


 ちょうど一年前だったな。

 つぐは、ふと思い出していた。

 ちょうど一年前の今ごろ、ももえと二人で、初めてそよの家に行ったんだ。

 急に、つぐの脳裏にその時の光景がよみがえってきた。

 二人は、今はそれぞれ違う制服を着ていたし、もう手をつないで一緒に学校から帰ることはなかった。けれども、あの時始まったももえとの関係を、つぐは確かに信じることができるようになっていた。

 考えてみれば、この一年間でつぐが体験したことは、普通の中学三年生の少女が一年間で経験するたくさんのことと比べて、特別だったというわけではなかった。友達が悩んだり、新しい友達ができたり、友達と時間を忘れるほど遊んだり、みんなで力を合わせて何か一つのことをやり遂げたり、友達と別れたり…。

 それは決して特別なことではない、と、つぐは思った。

 しかしまた、つぐは、一年前と今では確かに何かが変わった、とも感じていた。

 何も理由がなくても遊びに行ける場所を見つけて、そこでできた友達とは、きっとこの先も緩やかな繋がりを続けていけるのだ。

 つぐはほとんど根拠なく、そう信じていた。

 何よりも、つぐにはももえがいた。

 たぶん、わたしたちは、これから頻繁に会ったりしばらく会わなくなったり、意気投合したり喧嘩をしたり、お互いのことがもっと好きになったり嫌いになったりもするだろう。だけど、いつだってわたしにはももえがいるし、ももえが困ったときにはわたしが助けてあげられる。

 つぐは、根拠なくそう信じていた。

 それはつぐの武器であり、鎧であり、自信であった。

 それは、つまり、つぐ自身が成長した、ってことなんじゃない?

 ももえに話したら、きっと、したり顔でそんな風に言うのだろう、と、つぐは思った。少し恥ずかしい気がして、つぐは口に出しては何も言わなかった。


 駅前の通りと、線路を越える陸橋に繋がる道路との分かれ道で、いつものように二人は立ち止まった。ももえはそのまま駅へと向かい、つぐはその陸橋で駅の向こう側に渡り、自転車で高校へ通っていた。

「連休明けは、頭がぼうっとしてる」

 ももえが苦笑いしながら言った。

「ほんとだね。でもさ、天気もいいし、がんばろう」

 つぐは手で押してきた自転車の腰掛けに跨り、左足を地面に着け、右足をペダルに掛けながら言った。

 ももえはつぐを見ながら、顔をくしゃっとさせて笑った。

「うん。じゃあ、また、放課後。さくらベースで」

 ももえは、言った。

「うん。さくらベースで」

 つぐはペダルを踏み込んだ。










*この作品は2020年3月~2021年3月にかけてブログサイト「g.o.a.t」にて掲載したものに加筆・修正をして転載しました。

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放課後、桜の基地で POKA @POKA_syuuu

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