第32話 拷問ではなく尋問ですわ


 使える品物を探しながら妖精の帰りを待っておりましたが、一向に戻りません。

 やはり荷が重かったのですわ。

 探索も終わりましたし、自分で報告にゆきましょう。 

 

 木漏れ日の溢れる古い街道の帰り道、いまだに巨大雀が無警戒に草をんいるそばを通り過ぎます。

 雀の丸焼きというお料理がありますが、この魔物をそうすれば食いでがありそうですわ。骨も硬そうですが……。


 わたくしの不穏な思考が漏れたのか、雀たちはばたばたと飛んで逃げました。

 野生の生き物はときどきこちらの思考を読んだような行動をしますわ。


 お酒をいただきつつ古い街道を歩いてゆきますと、いつのまにか崩壊した休憩所の手前までやってきました。

 道の真ん中に、加工した木の皮のような色合いの帯が落ちております。


「なにかしら?」


 遠目にはゴミに見えたのですが、近づくにつれ、手紙をお頼みした妖精が倒れているだとわかりました。

 うつ伏せに倒れ、封を解かれた羊皮紙が上に乗っております。


 魔物に襲われたのでしょうか?

 いえ、この道路は魔よけ石で作られておりますので、危険な魔物は近寄りません。ではお昼寝? とにかく確認いたしましょう。


「あなた何をしていますの?」


 妖精のそばにかがんだ時、近くの茂みが音を立てました。

 地面を蹴る足音に振り返りますと、


「オラァ!」


 鼓膜を震わせる喊声かんせいをあげて、斧を振りかぶった男性が斬りかかってきました。

 素早いですわ。

 とっさに腕をかざしましたが、瞬間、斧の動きがさらに加速しました。

 

 スキルですわ。騎士さまが斬りかかっていらしたとき、ときどきおつかいになっていた速度上昇のスキルです。


 防ぎきれないと理解しましたが、肩に衝撃──痛いですわ!


 そのまま地面を転がりました。

 革の鎧でうけるには少々荷が勝ちました。

 命中の瞬間、身を躍らせましたが、それでもすべては避けきれずに、じんじんと痛みます。


「避けるんじゃねえ」


 片腕の男のかたが、身体をぐらつかせながら斧を再び振り上げました。

 長く伸びた無精ひげによだれを垂らし、血走った目でわたくしを見て、倒れこむように斧を振りおろしてきました。

 殺す気満々のお顔です。怖いですわ! 怖いですわ!


 ただやられて差し上げるほど優しくはありませんの。

 わたくしは両手を使って地面を弾き、男のかたに身体をぶつけました。

 背中に斧のやいばがあたった感触があります。

 伐採用の長柄の斧は、間近くにいるとうまく振り下ろせません。多少の痛みなら致命傷になりませんわ。


 もみ合いになりながら、身体を押したおします。男のかたは片腕のバランスに慣れていらっしゃらないのか、容易にあおむけに倒れました。

 まだ斧をつかんでおります。

 わたくしは腰の短剣を抜きました。


「くそっ、ちきしょう!」


 喉に刃を突き付けても、肘から先がなくなった右腕をてこにして、斧をつかんだまま地面でのたうっておいでです。

 動きがちぐはぐですわ。


「あなたはもしかして、街で強盗をして腕を切り落とされたかたでして?」

「そうだ! てんめぇのせいで、腕がなくなっちまった!」

「わたくしは何も存じませんが、ご同情差し上げますわ。それはそれとして、次は腕ではすみませんわ」

「おれぁ悪くねえ! てめえが全部悪いんだ! ぶっ殺してやる!」


 会話になりませんわ。切り取られた右腕は、雑に縫われて血がにじんでおりますし、痛みで怒りを我慢できないのかもしれません。

 おかわいそうです。


 このまま始末してしまいたい衝動にかられましたが、なぜわたくしを待ち伏せていたのか、詳しい事情をお話しいただく必要があります。


土の手ソイルハンド


 地面にあった男のかたの片足を、土砂でできた腕で捕まえます。これで起き上がれませんわ。

 振りほどく膂力があれば別ですが、斧に振り回されているお体では、叶わぬ願いでしょう。


「何だこりゃ!」

「ただの精霊魔法ですわ」


 地面に触れた斧のやいばも捕まえて、危険を排除します。

 ぐいぐいと引きはがそうともがいておりましたので、胸を蹴って地面に押し付け、首を土の手ソイルハンドで捕まえました。


「がえっ」

「動けなくなるだけですので、ご心配なく」


 ひとまず男のかたは捨て置いて、伏せったままの妖精を調べましょう。

 両手をあげてあおむけに突っ伏した身体を、そっとすくい上げます。

 羽のように軽いですわ。ひっくり返して調べてみますが、外傷は見当たりません。ただ目を回して気絶しているだけに見えます。

 

 ひとまず無事で安心いたしました。


「この妖精に何をしましたの?」

「がっ、がっ……!」

「少しだけ緩めて差し上げますが、余計なお話はなさらないでください」

「殺してやるぅ!」

「……」


 駄目ですわね。

 非礼なふるまいとは存じますが、ため息をついてしまいました。

 この手のかたはどうして素直にお答えくださらないのでしょうか? 


 素直にお話くだされば、お互いに時間の無駄を省けると存じますが……もしかしてわたくしの時間を奪うためにわざと反論されているとか?

 それともわたくしの問いなど応える価値がないと判断なさっているのか──とにかく不快ですの。


 妖精をそっと敷石の上に置きますと、木のそばにあった頭部サイズの丸い石を持ち上げました。

 無意味にわめくのでしたら、石のように黙っているほうがましと教えて差し上げましょう。


 男のかたの無事な左腕に向けて、石を落としました。

 ペチン、と少々間の抜けた音が経ちました。


「ごあがっ、ぎゃあぁぁぁぁ!」

「まあ、大きな声ですこと」

「てめえっ……! ふざけるな!」


 お話になる言葉に唾液が混ざって不確かになっております。聞き取りずらいですわ。


「ぶっ殺してやる! があああああ!」

「お静かにしてくださいませ。わたくしは、余計なお話をなさらないよう申しました。ですが、あなたさまがお守りになる気がありませんのでしたら、わたくしも別の方法を取らざるを得ません。次からは、よくお考えになってからお話しください」

「黙りやがれ! おれの腕をかえしやがれ!」


 わたくしは深く長いため息をつきました。



  ###



「あら、目覚めたのですね。無事でよかったですわ」

「ん……ん……眠っちゃってたの? よくわかんない」


 わたくしの横に妖精が飛んできました。

 きらきらひかる鱗粉をこぼしながら、首をかしげて興味深そうに地面を眺めております。


「わぁー、なにしてるの?」

「聞き分けのないかたに折檻しているだけですわ」

「んぐぅー! ぐ、ぐ、ぐ、ぐ……!」


 土の手に口をふさがれた男のかたが、目を一杯に見開いて、涙を流していらっしゃいます。

 頭を前後にがくがくと揺さぶっておりますが、魔法の拘束に抗えずに小刻みに動くだけですの。


「うえが変になってるよ!」

「このかたは片腕が不自由ですので、もう片方を器用に動かせるよう、改造して差し上げたのです。ごらんなさい、関節が増えで自由度が上がっております」

「すごーい! いっぱい動くの?」

「さあ? すくなくとも愉快な見た目になりましたわ」


 強情なおとこのかた──お名前はヤーリーさまと自己紹介さったかたは、左腕の関節が3つも増えて、長さも1.3倍ほどのになっておいでです。

 内出血で体積も同じくらいにふくらんで、肩から先が別の猛獣の腕を移植したような見た目になっております。


 このままうまく治れば、フレキシブルに動く大きな腕となって、失われた右腕のかわりになるかもしれません。頑張っていただきたいですわね。


「ねえ、どうやったの? みたいみたい!」

「あら? 簡単ですの。こうして──」


 もう一度石を拾い上げ、手首と肘のあいだを狙って落とします。まだ無事だった手首付近で、ニチリともグチリとも言えない肉音をたてて潰れました。


「むがぁぁぁ……!」

「あはははは、おもしろーい」


 妖精は身体を折り曲げて、文字通りお腹を抱えて中空で笑い声をあげます。

 わたくしがやっておいて何ですが、その曇りのない歓喜が恐ろしいですわ。


「……あなた、残酷な光景に何も感じませんの?」

「うん、たのしい遊びでしょ。わたしもよくやるよ!」

「もう少々思いやりを持ったほうが、可愛げがありますわ」

「思いやり?」

「ええ。共感性とも言います。困った人を助けてあげたいとか、あいての感情をくんであげるとか、やさしさや道徳にかかわる感情です」

「よくわかんない……」


 妖精はあからさまに落ち込んで、羽もしおれた花のように下に垂れさがります。

 わたくしのせいで危ない目にあわせてしまったのに、余計な言葉まで言ってしまいました。


「わかんないけど、あなたも同じでしょ?」

「くっ」


 まさか妖精ごときが正論を言うなんて想定していませんでしたの。


 わたくしは仕方なくしているだけで、面白がってなどおりません! 

 ただわたくしが耐えられる痛みならば、お相手も耐えられますので、強情なかたと円滑な会話を行うために面倒のない方法を選んでいるだけですの。

 ほんとうならばお紅茶でもいただきながらお話し合いをしたいですわ。


「だって楽しそうだもん! もう一回やって? ねっいいでしょ! もう一回しよ?」


 わたくしが人倫を説くなど、水桶に飛び込む暖炉の火花の如き無意味さですわ。


 お顔の前で跳びまわる妖精を手で避けて、ヤーリーさまのおそばにかがみました。

 濁った眼で小刻みに震えておいでです。

 大きな石でつぶされた程度では、何度体験しても痛みがマヒするほどお慣れになりません。


 手首の近くをつぶした石を転がしますと、潰れた肉から血がにじんで、ありえないほど手首が内側に曲がっておりました。


「がー……がー……」


 くぐもった悲鳴が、塞いだ口から漏れ出ます。

 ヤーリーさまは石を落とすたびに悲鳴をお上げになり、紫色に濁った皮膚の下で関節が増えるたびに、余計なお話をなさらなくなりました。

 

「ヤーリーさま、そろそろお話しいただけませんか? どうしてわたくしを襲いましたの? どなたかに頼まれまして?」

「むぐぅぅぅ」

「まだお話しくださいませんか……強情なかたですわ。わたくしも時間のある身ではありませんので、これ以上は命に係わる痛みを与えなければなりません。そうなる前に、どうかお話しください」

「ぐぅぅ! むぐぅぅぅぅぅ!」

「お嫌ですか……残念ですわ」

「むぐぐ! むぐぅぅぅぅ!」

「ねー、口がふさがってるから、答えられないよ?」


 妖精が極めて常識的な意見を伝えてきます。

 そんなことは言われるまでもなくわかっております。

 心を折るために拷問しているのですから、わざと聞いていないふりをしているだけですわ。

 もう少々心を折るため、お返事は待ちます。


 そういえば妖精を巻き込んだ謝罪をしておりませんでした。先に謝っておきましょう。  


「わたくしが手紙を頼んだばかりに、あなたに迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい」

「えっ、急にどうしたの?」

「巻き込んだ謝罪をしております。迷惑をおかけしました」

「へんなニンゲン。でもあやまりたいなら、魔力をくれたら許してあげる」


 魔力? 気軽に魔力をやり取りする方法なんてあるのかしら? まさか果実を絞るような方法ではないと存じますが……。


「どのような方法で渡せますの?」

「ゆびを出して」

「ええ」

「はずして!」


 手甲ガントレットを外して人差し指を出しますと、妖精が先端を両手で持ちました。くすぐったい小さな手が人差し指を上に持ち上げられ、唇が触れました。


 そのまま妖精に任せておりますと、身体のなかから、何かが吸い上げられる感覚ががあります。

 瀉血に似たような、身体が軽くなる感覚ですわ。

 1分ほどそのままの姿勢でおりますと、妖精が指から離れました。


 妖精がちいさく息を吐きました。

 頬を赤らめ、どこかうっとりとした表情でわたくしを見ました。


「すごい……わたしのなかが夜と昼になっちゃった。すごくおいしい。すごく幸せで、もういらないのに、またほしくなっちゃった。ねえ、どうしてなの?」

「わたくしにはわかりませんわ」

「そっかー」

「あなたぼんやりしすぎですの。気をしっかりお持ちなさい。油断していたらまた襲われますわ……聞き忘れておりましたが、あなたを襲った相手は、このかたでして?」

「んーん、ちがうよ。お昼にかみなりがビリビリって当たって、さっきあなたに起こされたの。ニンゲンは見たけど、これじゃないよ。魔法を使うニンゲンだったもん」

「まあ」


 単独行動ではありませんでした。

 言われてみればこの妖精がわたくしと関係があると、ヤーリーさまが見抜いていたのは妙ですわ。

 今から暗殺に向かおうとするときに、街道を飛んでいる妖精などに注意を払いませんし、ヤーリーさまを見る限り文字を読めそうなかたにも見受けられません。


「このかたの他に別のかたがいらっしゃって、あなたを攻撃しましたの?」

「いきなりしびれたんだもん。そのあとはしらなーい」

「そうですか。ご苦労をおかけしました」

「うん」


 ですがお仲間の魔法使いさまがいらっしゃるならば、尋問しているあいだに助けにいらっしゃらないのでしょうか……よくわかりませんわ。

 当事者に質問してみましょう。お口をふさいだ土の拘束をほどきます。


「がはっ。ひっ……ひぃ……」

「ヤーリーさまお教えください。あなたさまはどなたと、ここにいらしたのですか? 正直にお答えください」

「……わ、わがっだ。もう勘弁じでぐれぇ。もうやべでぐれぇ」

「素直なかたは嫌いではありませんわ」


 あまりにお言葉が濁っていらしたので、ポーションを少々飲んでいただきました。

はじめからお話しいただきます。


「おれぁ腕を斬られた後、テントで寝てたら知らねえ奴に起こされたんだ。おれの腕を取る命令をしたやつが、ひとりで森にいるから復讐できるって言われたんだ」

「お知り合いのかたですの?」

「しらねぇ、若い男だった」

「それでそのおかたはどちらにいらっしゃいまして?」

「どっかに行っちまったよ! そこのちびを撃ち落としたあと、待ち伏せしてれば、てめえがやってくるって教えられたんだ!」


 ますます妙ですわ。

 わたくしのあとをつけて背後から襲うのならば理解できますが、囮を使って、しかもわたくしが直近で知り合った相手を使うなんて、監視していなければできない芸当です。


「万全を期すのでしたら、協力して襲い掛かるべきですが、何か理由がありますの?」

「知らねえよ! 俺に聞くな! なぁ、助けてくれよ。痛くてたまんねぇよ」

「構いませんが……あなたさまが町で強盗をしたとき、お相手が嫌がったら許しましたの?」

「ちょっと盗んだだけじゃねえか! 頼むよ!」

「ちょっとではありません。ですがあなたさま村の一員ですのでお助けします。処分はベルナールさまにお任せします。あなたが裁判にかけられるすがたを見れば、村人たちは罪を犯すとどうなるのか、理解してくださいますわ」

「こっ殺されるのか?」

「さあ? わたくし、フィリーエリ教徒の戒律には詳しくありません。もしかすれば、無罪放免の可能性もありますわ」

「へっ? 無罪だぁ? へっへへへへ、そりゃあいいや。へへへいてぇへへへへへへ!」

「ねー、何がおもしろいの?」

「素敵な希望を感じていらっしゃいますの」

「へーそうなんだ。あはははおもしろーい! あははははっはは」

「ふふふ、そうですわうふふふふ」

「あはははは!」


 逆に厳罰に処されて、股の下からノコギリで切断される可能性もありますが、それはそれで愉快ですわ。ふふふふ。想像するだけで愉快ですの。

 うふふ。まあ。いったいどうしたのかしら。ふふふふふふ。

 笑いが止まりませんわ。


 そばに浮かんでいる妖精を見るだけで笑いがこみ上げてきますし、地面で笑っているヤーリーさまの膨らんだ腕を見ると、なおさら笑えてきます。


 わらいすぎて苦しいですわ。喉が痛くてめまいがしてきましたわ。


「ふふふ、うふふふふふふ!」

「あははは! あははは!」

「げほっ、げえっ! げへへへへへ!」


 普通ではありません。笑いが痛みに変わってきました。

 喉が焼けただれたように、息を吸うだけで激痛が走ります。そのうえ咳が止まらなくなりました。


「ふふふ、ごほっ、どうなっでいますの! ごふっ」

「へぇーんなぁーこぉーえーぇぇ」


 わたくしの声はがらがらで、妖精のお声は間延びして聞こえます。

 これは明らかに異常です。赤いカーテンのかかった視界で周囲を見回します。においはありません。目にも見えません。

 ですが、誰かが不可視の毒で攻撃してきているはずです。


 土をかぶった街道、木漏れ日を通す青々とした森、青い空に浮かんだ月、ああ、視界がわるすぎて確かめられません。

 深い霧の日に出歩いたように何も見えません。

 この場にとどまっては危険ですわ。

 土の手ソイルハンドを解きます。


「ヤーリーざま。けほっ。お立ちになってください。ここはっ、危険っ、ですわっ」

「ごっ、ごっ」


 大量の空気を吸い込む音でお返事して、ヤーリーさまは立ち上がりました。

 真っ赤に充血したお顔、飛び出しそうな瞳、そして奇妙に膨らんだ腕──腕はわたくしがしたのでした。


「あなた、平気ですか?」

「へぇー、いき、よぉー」

「ではついで来なさい。ヤーリーさまも、ゆきますわ」

「ごおお」


 言葉ではないお返事が返ってきました。同意らしいです。

 妖精が空に飛び立ち、わたくしたちは村に向けてよろよろと歩き出しました。


 致命的な追撃は来ません。

 今が絶好の機会と存じますが、追加の暗殺者も、攻撃魔法も、矢弾でさえ飛んできません。

 わたくしが襲う側でしたら、ここぞとばかりにとどめを刺しにゆきますが、どなたもいらっしゃいませんわ。


 不可思議な襲撃に首をかしげつつ、村に向けて歩きます。

 ヤーリーさまの脚を折らなくてよかったですわ。

 成人男性を引きずって歩くのは大変ですもの。


 空気を吸い込むたびに、お胸と喉とお口のなかが苦痛製造機となっております。

 棘の塊を飲み込んでいるような痛みですわ。

 ただ、苦しいだけならば我慢できます。

 脚が折れて動けなくなったり、食事不足で身体が動かなくなったりしたときよりもましです。


 徐々に苦しさが引いてまいりました。

 触れて気が付きましたが、ほほが濡れております。

 わたくしおそらく泣いておりました。

 自覚はありませんでしたが、わたくしの身体が苦痛を感じて涙を流しておりました。


 泣きながら歩くなんて。まるで敗者です。まだ負けておりませんのに、身体が勝手に弱さを表現しております。

 精霊さま、惰弱だじゃくなわたくしを叱咤しったしてくださいませ。


(闇深き暗がりがそなたを包み込むとき、至高の腐敗が精神を開放しよう)

(光に向けて進まないならもっと痛くしてやる!)


 また幻聴ですわ。


「……?」


 幻聴のなかで歩みを止めたとき、信じられない苦痛を足の裏から感じました。

 むき出しの神経に冷たい針を刺したような痛みが足の裏に走りました。


「ぴ!」 


 思わず妙な声が出ました。

 飛び上がってしまいましたが、その時は痛みが引きました。 


「ぱっ!」


 地面に足が触れると痛いですわ!

 溶岩を踏んだような熱さと痛みが地面からやってきます。


「はぁ、はぁ……急ぎますわ!」


 歩く速度を高めます。

 ヤーリーさまもごぼごぼと喉を鳴らしながら、よくついていらっしゃいます。

 暗殺者の分際でなかなか体力がありますわ。

 縛り首になられるときは、事前に苦痛を和らげるお薬を差し上げてもよいかもしれません。

 

 苦痛で思考が攻撃的になっております。

 苦痛の怨嗟と、神経をノミで削られるような忍耐の約3時間後、森の切れ目にたどり着きました。

 

 わたくしの苦痛はようやく緩和されて、ヤーリーさまは口から血を流して、無言でお歩きになるだけの肉塊になりました。


 木のそばで休憩して、体力回復のお酒をいただきます。

 花蜜を入れたお酒は疲労に効き目がありそうな甘さをしております。


 今度は花粉が混ざっておりませんので、おいしくいただけますわ。

 木のコップにお酒を注いで、でヤーリーさまにもお裾分けをしました。

 唇でコップを持ち上げ、盛大にこぼしながら「ごぶっ、ごぶっ」と小鬼ゴブリンの鳴き声に似たお声を発して飲まれました。 


 コップはそのまま差し上げました。

 人間の尊厳が感じられない仕草でしたが、苦痛が度を越して、自閉的な空間に閉じこもられたのかもしれません。

 死霊術士ネクロマンサーさまが使役するゾンビに行動が似ておりましたが、口に出すのははばかられました。


「あなたは良くなりまして?」

「うん」


 わたくしの肩に身体をそわせた妖精が、羽をゆるゆると動かしております。

 頬を撫でる微風がくすぐったいですわ。 


 お酒を飲み終わったわたくしたちは、再び出発しました。

 村の屋根が見えておりますので、あとひと頑張りです。


 20分も経った頃でしょうか。突然、あらゆる痛みが引きました。

 消滅したといってもいいでしょう。

 息を吸うだけで痛んだお胸が、聖水で浄化されたように本来の機能を取り戻し、赤く染まった視界は血をぬぐわれたように本来の色を取り戻しました。


「ぴぢぃ!」


 切羽詰まったお声が村のそばから聞こえました。


 中型犬ほどの大きさの鳥が、ばさばさと翼をはためかせて飛んで行きました。

 あれは、朝方に道路で見かけた巨大太尾雀ファットテイルスパローですわ。


 森にいる無害な魔物のはずですがどうして村のそばにいるのかしら?

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