第12話 君津の名水

「お前のデカい背中が邪魔で、全然遺体の状況分からなかったよ」

 愚痴をこぼしながら、舟橋がバスルームから出て来た。

「すいません」続いて出て来た鴇田は、きまりわるそうだった。

 新人刑事が最初に叩き込まれるのが、現場保存、目撃者・参考人の確保、身元確認、そして死体を動かさないこと。これくらい晶子も知っている。この警察学校で徹底的に叩き込まれる捜査の基本を、現場に一番乗りした鴇田自らが破壊している。

 もしかしたら鴇田さんは、だいぶおバカちゃんなのかもしれない。だが、そのバカさを二倍にしても、引いて十分余りが残るくらい顔が良い。悲しそうな顔を見ると、何かしてあげたくなる。本当に顔で得している。

「鴇田さんだって、大変だったんですよね」晶子は庇った。

「そうなんです。市川さんありがとうございます。誰だって慌てることありますよね」

 出された助け舟には見境なく乗るタイプのようだ。

「お前の場合はひど過ぎる。それでよく刑事志望とか言えるな」舟橋は呆れていた。

「でも、子供の頃から刑事ドラマが好きで、良く両親と見ていたんです。私が刑事になるのが両親の夢でもあるんですよ」

「理由それかよ。戦隊ヒーローなりたいとかと変わんないじゃないか」

 舟橋の言うことも最もだが、こういう鴇田の親思いも悪くない。夢で仕事を選んだっていいじゃないか。

 晶子は鴇田に関して、かなりポジティブに考えるようになっていた。

 イライラし始めた舟橋は窓を開けると、「一本くらい吸ってもいいよな」とタバコに火をつけた。

「部屋の中に煙入れないで下さいね」晶子が言うと、十センチ位しか開かない窓に向かって舟橋は煙を細く吐いた。

「いくら事件性なくても、ここは何か嫌な感じだね」

 外を見ながら舟橋がこぼした。

 晶子も全く同感だ。ただ色んな理由で毎日、日本では大勢の人が死んでいるはずで、日常的にどのホテルでもマンションでも、こういうことは起こっているのかもしれない。そこは先入観のあるなしだけで、住む人、泊まる人さえ知らなければ何もなかったことになるのだろうか。

 晶子はまたペットボトルの水を飲んだ。

 鴇田が声をあげた。「それ『君津の名水』じゃないですか、まさか買ったんですか」

「いえ、その冷蔵庫に大量に入ってたので、喉乾いたんで一本頂きました」

「わざわざ買う人はいませんからね」と鴇田が変なことを言った。

「お前、勝手にホテルの備品飲むんじゃないよ」

「そういう舟橋さんも、タバコ吸って部屋汚してるじゃないですか」

「煙は出してるだけ、ペットボトルを盗んで飲むのは違う。俺も貰おう、一本ちょうだい」

「その頼み方、何ですか」

 晶子はまた冷蔵庫の奥から一本取り出し、舟橋に渡した。

 この水、なんでこんなに入ってるんだろう。値段も書かれていないし、ホテルのサービスなのか?

「鴇田さん、この君津の名水って地元では有名なんですか?」

 聞かれた鴇田は妙な笑みを浮かべた。

「まぁ、有名って言えば有名ですね……ただ、その水に関してはキナ臭い背景があるんです」

「ほぉ、それ今日初めて興味引く話だな」と舟橋が皮肉っぽく言った。

「鴇田さん、気にしないで続けて」

「はい、ことの発端は、君津の湧き水が日本の名水百選に選ばれたことなんです」

「こんな海沿いの町で、旨い地下水なんて出るの?」舟橋が口を挟んだ。

「君津は工場で有名なんですが、実は町の八割は山でして、名水に選ばれたのは山の方の久留里の湧き水です。そこに目を付けた前の市長が、地元の業者と『町おこし公共事業』として数億円かけて工場を建てて、大々的に宣伝し始めたんです」

「なるほどなぁ、市長肝いりの公共事業だから、道路際にあんな目立つ看板立っていたわけか」

「えぇ、でもやっぱり知名度がないのか全く売れなくて、工場は大量の在庫抱えて今も赤字垂れ流してます。それを議会で追求された市長は、余った『君津の名水』を地元の企業とか公共機関、観光業者に無理やり買い取らせたんです。だから君津市内の企業に行くと、この水が大抵山積みされてます。君津署でも来客用にストックしてます。だから市川さん遠慮はいりません、何本でも飲んでください」

「そうなんですね、これ賞味期限とか大丈夫なの」

 晶子は曖昧な笑みを浮かべてボトルを見回した。どこにも日付は入っていない。こんなの大丈夫なのか?

 南アルプスとか、富士山とかなら爽やかなブランド力はあるが、工業地帯で有名な町の君津の水ではそう売れるわけがない。役所は自分たちがやったことの失敗を絶対認めないから、結果弱い立場の誰かが迷惑をこうむることになる。

 どこも一緒だなと晶子は納得した。


 外を見ていた舟橋が水を一口飲んで振り返った

「それで捜査の話だが、この部屋からは、お前が手袋忘れてつけた指紋と、被害者の指紋以外は発見されなかったんだよな」

「はい、そうです」

 背筋を伸ばして鴇田が返事する。

「部屋のドアはオートロックで、外の窓はこんな感じ、換気程度にしか開かないようになっている。場所は十一階だし、出入口は一つしかない。被害者はそんな部屋で、風呂場で吐血窒息死体で見つかったわけだよな」

「そうですが」

「鴇田、これやっぱり、他殺っていうのはかなり難しくないか?」

 舟橋はボソリと言ったが、正論であるだけに鴇田には響いた。

「でも先輩、あきらかに被害者は無念の表情だったんですよ。僕にはそれが忘れられないんです」

 シリアスな顔で鴇田は感情をぶつけてきた。

「そりゃ、窒息死なわけだから、苦しい顔になるのは仕方ないよな」

 舟橋はもう熱意なく一般論を答える。

「市川さんもそう思いますか」ふいに鴇田が話を振った。

 晶子もここまでの調査からだと他殺性は感じられない。だからと言って舟橋のように『激辛ラーメンで死にました』と能天気にはなれない。それに鴇田の哀しそうな顔はあまり見たくない。何とか話を繋がなきゃいけないと考えた。

「例えばですね、事前に犯人は遅効性の毒を被害者に飲ませるとか、細い針で気づかれないように注射した場合、数時間後に部屋に帰ってから苦しんで死んだというパターンも成立すると思いますが、どうでしょうか?」

 とりあえず二時間ミステリーで、お馴染みトリックを晶子は口に出してみた。

 しかし、この程度の話では付き合いの長い舟橋は興味なさそうな顔をしていた。

「きっとそうですよ」素朴な房総の超絶イケメン鴇田は新鮮に驚いた。「舟橋さん凄い人を連れて来てくれましたね。部屋を見ただけで犯行の手口が即座にイメージ出来るなんてさすがです! きっと中途採用のプロファイラーさんか、お忍びキャリア様ではないですか?」

 顔の良いボケ男は、発言をする前に頭で一旦考える事をしないのか、自分の発言は皆聞いてくれると思っている傾向がある。千葉県警本部にいる坊ちゃん刑事・宇田川と似てると晶子は感じた。

「鴇田そうじゃないよ。市川はただの推理小説の読み過ぎだから、ただの戯言だと思って聞き流した方がいいぞ」

 舟橋は窓を閉めると、部屋の出口の方へ向かった。

「さて、もう行くか」

 ここで水をタダ飲みしていてもしょうがない。晶子も舟橋に続こうとベッドから立ち上がった。

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