第11話 ユニットバスで暴れる男

 やがて、奥からマスターキーを持っておばさんが戻って来た。

「彼に付き添いさせますので、確認手短にお願いします」

 最初フロントにいた若い男が、先に立って晶子らを誘導するようだ。

「さぁ一緒に行きますよ」ようやく三人は事件現場の部屋に入れることになった。

 エレベーターに乗ると晶子がフロント係に質問した。「こういう事件があった場合、お客さんに前もって事件の説明をしたり、特別に割引とかするんですか」

 若いフロント係の男は露骨に困り顔をした。

「……こういうことは初めてですが、宿泊のお客様に事前説明はしなくていいことになってます」

「うぁ、そうなんですね。幽霊とか気を付けなきゃ」

「どうやって、気をつけるんだよ」タバコを吸えなかった舟橋がイライラしている。

 その会話にフロント係はさらに困った顔になった。

「こちらです」

 十一階に着くとフロント係の誘導で、両側に部屋が並ぶ長い廊下を進んだ。途中でフロント係が心配そうに振り向いた。

「刑事さん先日のお客さんが亡くなられたのは、病死なんですよね? だったら恨みはないし、幽霊にもならないんじゃないんですか」

「確かにそうですね。その場合自業自得の恨みっこなしですね」鴇田が素朴に返事した。

 大人の会話とは思えないこのやり取りに、晶子はこの人も、事件当夜の頼りないフロント係同様アルバイトかもしれないと思った。

「その亡くなられた水曜の夜にフロントに居た人、今日いますか」晶子は何気なく聞いた。

 前を歩くフロント係が止まった。

「いません……辞めました」

「えーっ残念。話したかったんだけど」屈託なく反応する鴇田。この件はさっきのフロントではしてなかったようだ。 

「急ですよね」晶子の相槌に無言のフロント係。

 居心地悪そうな表情の変化を晶子は見逃さなかった。これは捜査資料に名前のあった『林明輝』と会う必要あるなと思った。

 『1121』と書かれた扉の前でフロント係は足を止め、「こちらになります」と部屋の鍵を開けた。先に中へ入ると照明を点け、内開きのドアをささえて三人を部屋に誘導した。

「申し訳ないんですが、この後団体のチェックインがありますので、仕事に戻らせていただきます。確認が終わりましたらそのまま部屋を出て下さい。部屋のドアはオートロックになっていますので、お気をつけ下さい」フロント係は部屋から去ろうとした。

「教えていただきたいことが、あるんですが」晶子は引き留めた。

「なんでしょう」

「この階に来るには、さっき使ったエレベーター以外、方法ないんですか?」

 フロント係は少し考えた。「他に、従業員が使う業務用のエレベーターがあります。それが何か」

「それを使ってこっそり出入り出来ますか? 」

「いえ、一階ではフロントの前を必ず通りますので、不審者の出入りは出来ません」

「そうですか、それは安心ですね」

 フロント係は不審な表情で、「では、なるべく手短にお願いします」と言い残して帰って行った。

 三人は、シングルルームの狭いスペースに並んで立った。

「露骨に迷惑そうでしたね」

「まぁ、従業員としては何もなかったことにしたいんだな」舟橋が言った。

 晶子は部屋を見渡した。「とりあえず気になるところ見ていきましょうか? 鴇田さんスマホでメモお願いできますか?」

「了解しました」

 鴇田はスマホを両手で持って構えた。素直にやる気も見せる感じも男子的で良い。

「ドアはさっきも言ってましたが、オートロックですね。一度閉まると外からは鍵がないと開けられない。鴇田さんが臨場した当時の様子覚えていますか?」

「もちろんです」

「一回やってみてもらっていいですか。ドアから鴇田さんは入ったとき部屋の照明はどうでした?」

「消えていたと思うんです。だからバタバタしてしまって、でも今思うとスタンドライト位はついていたかもしれません。ベッドの上には荷物が置かれていたのが見えましたから。そして、そう、入ってすぐの床のこのあたりにメモが置かれていました」

「それがダイイングメッセージだな」

「どっかに、まだ落ちてないかなぁ」と鴇田は床にしゃがんでベッドの下をのぞき込んだ。

 晶子もカーペットを手で撫でた、かすかに湿っている。

「あっ、この部屋クリーニングされてます。さらに手がかり見つけにくくなりましたね。そんなに早く営業再開したかったんですかね」

 事件性なくても、せめて遺族が遺体を確認するまでは、現状保管するもんだろう。

「その後は鴇田さんどうしたんですか?」

「部屋の中に人物が見当たらないので、ここの浴室のドアが開いてたんで、そこに向かいました。浴室の照明はついてたと思います」

 鴇田は自分の立ち位置を再現した。

「一緒に来たホテルのフロント係の人は、その時どうしてたんですか?」

「何かとても怖がって部屋に入ってきませんでした。とにかく時々言葉が変で、動揺してました。さっきのフロント係の人と比べるとだいぶ若くて頼りなくて、多分学生アルバイトなんだと思います」

「さっきのフロント係より頼りないって、このホテル大丈夫かなぁ。それでその後は」

「はい、ユニットバスに入ると……」鴇田は浴室の中に入っていった。

「こんな感じで被害者が倒れるのが見えました」

 鴇田は大きな体をユニットバスにもたれかかって遺体の役をした。

「そこで私は遺体を発見して驚いて、こんな感じになりました」今度は鴇田役として驚く演技をした。

「その後足を滑らせて、姿勢を崩してドアに頭を打って、前のめりになった時にドアのサッシでアキレス腱を擦ってしまって……」

 浴室で一人鴇田はバタバタしながら説明を続けた。

「痛くて倒れそうになったので、危ないと思って手を突こうとしたら、間違って遺体の顔を掴んでしまって、ぐにゃっとなって、遺体の上に覆いかぶさるような感じになり、あわてて立ち上がろうとしたときに、蛇口を間違って握ってしまって、急に熱湯シャワーがジャーと僕の顔を直撃したので、もう目が見えなくなって、それでまずはシャワー閉めなきゃと思うのと同時に濡れたのでタオルで拭かなきゃと思って……」

「もういいわ、お前の説明」舟橋が鴇田を止めてくれた。

「お前の説明では、被害者の発見状況がさっぱり分からない」

「ではもう一度最初の状況を言いますと……」鴇田はまだ説明を続けようとした。


 晶子はベッドに腰を掛けながら考えていた。

 ホテルの部屋はクリーニング済みだとしても、まだ宿泊客は入れていない訳だから、被害者の痕跡がどこかに残っていないか? ベッドから疲れた足を前に延ばすとデスクに当たるくらい狭い部屋だ。そのデスクの上には、茶色い灰皿、テーブルライト、コンセント、白い湯沸かし器が端に置かれ、空いた中央のスペースにはメモ帳とボールペンだけが置かれていた。

 晶子はデスクをしばらく見ていた。ここに亡くなった森田さんが居たら、何をしたかを想像した。メモ帳を手に取って確かめると、一番上の一枚がちぎられているのが分かった。そのメモ帳を晶子は自分のカバンに入れた。

 空調が充分効いていないので、部屋は少し蒸した。デスクの下には小型の冷蔵庫がある。

 盲点としたらここなんだけどな。

 扉を開けると中にはペットボトルが一杯入っていた。他には何もない。晶子はその一本を取って眺めた。透明なボトルに馴染みのないラベルが貼られていた。『君津の名水』と印刷されていた。

 一本ぐらい貰っても誰も気にしないだろう。

 水の青いキャップをひねるとスルッと開いた。そのボトルは冷蔵庫に戻し、晶子は奥から別のものを引き出した。今度のふたは少し硬めだった。晶子はその水を一口飲んだ。

「ただのミネラルウォーターだな」

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