第10話 スズキアルトと名水の町

 駅前ロータリーで待っていると、鴇田が車を回して来た。謹慎中だけあって警察車両ではなく千葉の主力軽自動車・スズキのアルトだった。

「すいません、ちょっと片付けますので」

 車内は完全プライベート仕様で荷物が散らばっていた。こういう生活感あるのも悪くないと晶子は思った。

 後部座席へ舟橋を押し込むと晶子は助手席へ座った。事件のあったホテルまでは五分程と近いが、ちょっとしたドライブ気分だ。

 晶子は昔からやたらの観察癖があり、街を走り出すといろいろ気になることが出てくる。後ろの舟橋は、景色には全く興味なさそうにガラケーを愛おしそうにいじっている。君津に来るまでは、てっきり漁港のあるさびれた田舎町だろう、と晶子は思っていたが、実際は結構栄えている印象。道はキレイで広く、沿道に新しいビルが建っている。

 来るときに、君津で下車する大勢の若者も見た。その時はイベントか大学でも近くにあるのかなと思っていたが、沿道にはそれらしい建物も学生の姿も見えない。そもそも人が歩いてない。一体あの人たちはどこに行ったんだろう。

 他に気になったのはロードサイドにある居酒屋やスナックの多さ。駅からだいぶ離れたところにも飲み屋街がある。飲食店も結構ある。観光客向けの海鮮料理の店とかはなく、焼肉、トンカツ、中華といったがっつり系の看板ばかり。唯一観光的なものとして『千葉の誇り君津の名水! 町おこし運動実施中』という看板があるくらいだ。

 水だけで町おこしって出来るのか、この町の特徴がつかめない。


 やがて、鴇田の運転する軽自動車は、被害者が泊まっていたグランドロイヤル君津ホテルに着いた。名前だけは立派だけど、きっと古ぼけた旅館だろう、と晶子はまた勝手にイメージしていたが、実際に見るとカフェのある南欧風高層おしゃれホテルだった。君津は先入観をいちいち外してくる。

「ちょっと待っていてください、僕が話してきますので」

 鴇田は先に車を降りると、ホテルのエントランスに向かった。シートの後ろからガンガン晶子の座席が押される。

「なんですか」

「ちょっとタバコ吸いたいから、降りさせてくれ」

 2ドアなので助手席の晶子が動かないと、後部席の舟橋は降りられない。

 晶子が降りると、「よっこらしょ」と背を曲げて舟橋が、車を出て大きく伸びをした。

「あーぁ、とうとう来ちまったなぁ」

 物憂げそうに舟橋はタバコを口にくわえた。

「舟橋さんも、そろそろやる気見せてください」

「だけどこの事件、再捜査するにもきっかけが何か足りないんだよな、さっきの資料見てお前もそう思ったはずだぞ」

「これからそれを探すんじゃないですか、はい鴇田さんの為にも頑張って」

 晶子はしぶる舟橋の背中を押してホテルエントランスを入った。

 中では鴇田がフロントで従業員と話をしていた。

 舟橋はカフェスペースを見つけて、「ねぇ、あそこの喫茶でお茶してきていい?」とダレた。「ちゃんと鴇田さんの様子見てあげてください」と晶子は舟橋をフロント前にあったソファーに座らせ、鴇田のやり取りを見守った。鴇田と話していた従業員が奥の部屋に消え、代わって制服を着た小太りのおばさんが出て来た。

「急にお越しになられても、私共何も聞かされてませんので、本当にどうしようも無いんですよ」張り気味の声で迷惑そうに答える制服のおばさんは、ここの責任者のようだ。

「そこを何とかお願いします」と鴇田はペコペコ頭を下げている。経験値もおばさんの方が上手のように見えた。

 晶子は舟橋の背中をたたいた。

「さぁ舟橋さん、伝説の刑事の出番ですよ」

「えーっ、タバコ吸わせてよ」

「先に仕事です」

 舟橋は渋々立ち上がり「分かったよ、俺の聞き込みのやり方見てろ」とフロントで鴇田と役目を代わった。落ち着いた感じでカウンターに両肘を置き前のめりになると、神経質そうな顔をしたおばさんに近づき、小さな声で何かを囁いた。

 さすがベテラン刑事、ここは無理押しせず、まずは相手を落ち着かせて、相手の心を開かせるわけね。マニュアル通りの回答を、止めさせる為に、個人としての気持ちを揺さぶる交渉は有効だ。晶子はそんな舟橋に感心した。

 やがて、笑顔で責任者のおばさんと別れた舟橋が、こちらに戻って来た。

「どうでした」

「ダメだって、『事件性が無いので通常営業に戻って良い』と君津署から言われたばかりだそうだ、残念」

 完全に手ぶらで戻って来たのか、さっきの格好つけた交渉スタイルは何だったの? 

「ここまでやったから、まぁ諦めもつくな」舟橋は暗い顔で憐れみをアピールしていた。

「はい、ありがとうございます」隣の鴇田も情けない表情になっている。

 肩を落として車に戻ろうとする二人を晶子は呼び止めた。

「ちょっと待ってください。もう一回、私が交渉してきます」晶子はフロントに向かった。

「おい、お前やめておけ」

 警察官二人も慌ててついてきた。


「すいません、ちょっと見るだけで良いんですけど、何でダメなんですか? 」

 晶子の雑な言い回しに、責任者のおばさんは、「本社の総務部に通していただけませんでしょうか?」と冷たく返して来た。

 そんな答えは、晶子の予想の範疇だ。

「あのですね。先日の事件でネット上に『初動捜査の際、警察官とホテルのフロント係のミスで、証拠の保存がされていなかった』という書き込みがありまして。こちらのホテルの従業員と警察がもみ消したって噂がありますが本当ですか?」

 晶子は捜査資料から思いついたネタを適当にぶつけた。

「えっあの、あなた記者さんですか」明らかに責任者は戸惑っている。

「まぁ、そう思ってもらっても構いません。今朝から、この二人の警察官に張り付いてるんですが、先ほども何かこっそり話されてましたね」

「いえ、それは……」おばさんはマニュアルに無い状況に混乱し始めた。 

 これはチャンスありだ、晶子はたたみかけた。

「もちろん根も葉も無いうわさ話だと思ってます。あちらの方は警察本部から念の為に確認にいらしたみたいです。ただこれ以上ホテル側が協力を拒んだとなると、ややこしいことになりますね。まぁ余計な火種を起こさない意味でも、こちらの方に協力してその上で、正々堂々営業していただいた方が、安心じゃないかと思っただけなんですよ。いかがでしょうか?」

 晶子の話を聞くと、責任者のおばさんはしばらく考え込んだ。

「本当に、そういう噂は困るんです。こちらも風評被害です。そうですね、お部屋見せるだけならできますけど、なるべく手短にお願いしますよ」

 利害関係を独自判断するとおばさんは、フロントの奥の部屋へ入っていった。

 晶子はどうだ、という感じで二人の警官の方を見た。

「市川さん、スゴイですね。いつの間にそんなネット調査を……」鴇田は心から感心した様子で言った。

「鴇田よ、信じるな。全部嘘だから。この娘のようなマネはお前しちゃだめだからね」

 すかさず舟橋は鴇田を諭した。晶子に対するひどい風評被害だ。

「それにしても一気に押し込んだな。お見事」舟橋は小さく拍手した。

「会社とか組織を盾にされると、私なんか腹立つんですよね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る