第9話 捜査とオムライス

 すでに、ここ『大使館』という名の喫茶店風食堂に入って三十分近く経っているが、新しい客は入ってこない。普段から暇な店らしい。さっきからの事件絡みの会話にも、店員のおばちゃん二人は、全く気にしていない様子で世間話をしている。


「では、始めます」鴇田は張り切って事件概要の説明を始めた。

 舟橋から一回聞いているが、真面目な鴇田の顔も良い。

「亡くなったのは森田直道さん。昭和六十二年、一九八七年生まれの三十四才です。現住所は、宮城県仙台市青葉区と遺留品の免許証から分かっています」

「ちょっと待った」いきなり舟橋が説明を止めた。

「被害者って千葉の人じゃないの? 現住所仙台って、何しに来たんだ」

「ホテルの宿泊台帳にも、本人記入で同住所の記述が有りましたので間違いないと思います。会社にも確認取れていますね、出張で来ていたようなんです」

「それで身元確認には、家族が来たのか?」

 いつの間にか老眼鏡をかけた舟橋は、コピー資料を見ながら、何かが気になっている様子だった。

「いいえ。会社の上司が翌日早朝に来たようです」

「どうして、家族じゃないんだ」真面目な目つきで鴇田に説明を促した。

「被害者は独身、両親は既に亡くなられています。兄弟は兄が一人いますが、その人も現在海外在住で、すぐには戻って来られないということです。その他、親戚などもいないようです」

「弟が死んだのに兄が戻れなくて、会社の上司が確認って普通じゃないな」

 舟橋の疑問はもっともだ。

「なんか、お兄さんの住んでいるのが、ずいぶん遠い国らしくて、飛行機がないみたいなんです」

 おそらく、『直行便がないとか、便数が少ない』とかの理由なんだろうと晶子は脳内補完し、「それって、どの辺の国なんですか」と興味本位で聞いた。

 鴇田は資料の束をバタバタとめくり、「確かアフリカだったと思います。何か地下資源の研究者だとか、なんか会社名書いてあった気がするんですが……」と頭をかいた。

「あらかじめ、聞かれそうなことは、コピーしながらちゃんと下読みしとけよ」

 もっともな指摘をする舟橋。被害者の人物像が見えないことに、もどかしそうだった。

「もしかして被害者、外国人ですか」今どき、そんな事件も山程ある。

「多分、違うと思います。名前は日本人みたいな感じです」

「それだけじゃ、確証は……」

「あっ、免許証の本籍も日本ですね。市川さんみたいな専門家からすると、外国人の事件だと、やっぱり捜査のプロファイリングも変わって来るもんですか?」

「いえ私は、そういう専門家じゃないですから」

 やはり鴇田は晶子の事を誤解している、どう説明しようか。

「そらそうだよ、俺なんかも、やっぱり千葉全域から事件の情報が入って来るから、被害者の過去や、背景と照らし合わせて考える癖、どうしても抜けないよね」

 分かったような、分からないような受け答えをするベテラン警察官。

「さすがです。先輩」

 そして、そんな先輩ツボを心得た良く出来た後輩。

 舟橋は捜査資料をパラパラめくり、「それ以外はおかしな点はないようだな」と断言した。

「舟橋さん、もう面倒くさくなって来たんじゃないですか」

「そんなことない」舟橋は、また資料を見直した。晶子の指摘は図星だったようだ。

「そうだなぁ……事件当日の被害者の足取りは、どうなってるんだ! 調べはついてるのか?」舟橋はいい質問を見つけたと喜んでいる様子。

「はい、もちろんですよ先輩。会社の出張予定記録によると、その日、朝七時三十四分発の東北新幹線はやぶさ四号で仙台を出発し、午後に君津市内の取引先を三か所回っています。ホテルにチェックインしたのが、夜七時一〇分。そして、ホテルの従業員からの通報が夜二〇時二十五分。僕が、現着したのが同五〇分です」

 目をキラキラ輝かして鴇田が答えた。

「なんか、西村京太郎みたいになってきたな。これは仙台出張しないと行けないかもな、ついでに牛タン食べたくなるねぇ」腕組みした舟橋が、どうでもいいことを言う。

「先輩の言うように、なんか本当に刑事ドラマっぽくなって来ましたね」

「だろ」

 舟橋と鴇田は二人でニヤニヤしている。

「はい、集中、集中ね」晶子が仕切る。「まぁ、亡くなったのが君津だから、新幹線乗る必要はないですね」晶子が話の軌道修正を入れた。「それで亡くなった森田さんは、これまでに君津には来たことあったんでしょうか? 土地勘とか、知り合いとかいたのかなぁ」

「いえ、初めてみたいです。なんか、森田さんは開発の人らしくて、普段はこういう取引先へ出向くことはないそうです。今回は、本人の強い希望だったみたいですね」

「曖昧だな、もっとその辺ちゃんと聞いとかないとな、鴇田」と舟橋はかますが、内容的には何も言っていないに等しい。鴇田も小さく頷いていたが。本人が謹慎中で、情報は捜査資料と刑事課捜査の又聞きでしかないのでこれは致し方ない。

 晶子は鴇田を助けなきゃと思った。

「被害者は初めて君津を訪れて、宿泊先のホテルで変死体となって発見された。出張が本人の強い希望って言うのも気になりますね」

 残された事実に基づいて捜査した君津署刑事課が『事件性なし』と判断した以上は、やはり見えてこなかった真実を見つけて、そこから捜査するしかない。

 最初は、鴇田の顔面目的でついてきた晶子だったが、仙台から来て、不幸にも出張先で急死した男の最後の一日が、どんなものだったのか? 知りたいと思うようになって来た。舟橋が主張する、『食べたラーメンが死ぬほど辛かったので死んだ』とかではない、納得できる答えを見つけたい。たとえ他殺じゃなかったにしても、それが死んだ森田に対する礼儀のように晶子には思えてきた。

「森田さん本来の予定では、翌日木曜の予定はどうだったんですか?」

「それも書いてありますね。会社には木曜日有給休暇の申請が出ています」

 鴇田はわりと的確に答えた。舟橋が変な顔をした。

「んっ、仕事は夕方に終わっている。疲れていると思うが、まだ仙台に帰れる時間だ。なのに、わざわざ君津に泊ったのか怪しいな」

「そうですね、翌日観光でもするつもりだったんでしょうか?」

「大人の男が、観光でわざわざ君津に泊まる? 近くにはマザー牧場とか、いちご狩りとか、潮干狩りぐらいしかないぞ」そこまで言って舟橋は店員を呼んだ。

「ちょっと、かかりそうだから、何か食べよう。皆オムライスとかどう?」

 先輩は食べることを考えていた。


 結局、舟橋の提案に乗って、それぞれが飲み物の追加と、オムライスを一人前だけ注文した。

「ここは、調理師が昔銀座の煉瓦亭にいた人で、何でもおいしいんですよ」鴇田がマメ知識を披露した。

 しばらくして出てきたオムライスは、確かに予想を大きく上回ってきた。チキンライスの上に乗ったフワフワのオムレツを鴇田がスプーンで割ると、中から半熟のソースが溢れ出した。その周りをデミグラスソースが囲む。おいしいだけのプールに浮かんだ黄色い島が完成した。

 晶子が一口食べると、とろりとしたクリーム状の卵の美味しさだけでなく、チキンライスのクオリティも高い、高すぎる。このお店、改装して上手く宣伝したら、とんでもなく流行るだろう。それなのに、他に客は奥でコーヒー飲んでるお爺さんと、ジョジョ読んでる暇そうなヤンキーしかいない。

 イケメン鴇田の野良状態にしても、ここ君津はいろいろ宝の持ち腐れが多い気がする。


 舟橋と鴇田は、交互にスプーンでオムライスを食べながら、捜査の話を再開した。

「被害者は、翌日どこかへ行くつもりだったのかな、遺留品や所持品から、何かヒントは無かったのか? (はふはふ)」

「所持品は仕事の資料と、着ていたスーツと革靴と、一泊分の下着くらいです。あと財布の中に死ぬ前に食べたラーメン屋の領収書がありました。木更津の『暴走激辛ラーメン』という店で確認もとれています。(はふはふは)」

「鴇田さん、舟橋さんは辛いラーメンが犯人説って言ってるんです。(はふ)」

「確かに、あそこのラーメンは死ぬほど辛いって噂です。(はふはもぐ)」

「なぁ、俺の言った通りだろ。(もぐもぐ)」

「そんな訳ないでしょ。(もぐ)」

「あっ、救急隊員の記録はこれです、到着時、既に心肺停止、生体反応無し。外傷はなく、死斑から吐瀉物による気道閉鎖による窒息死。死後一時間程度と書かれています。(はふはふ)」

「目新しい事はないね、絞殺の可能性は無かったのか? 本当にこのオムライス旨いね。(はふもぐ)」

「ですね。(もぐもぐ) やっぱりここのオムライス美味しいですよね。検視報告では、遺体は圧迫痕、線状痕なし、顔の鬱血なども無かった、と書いてありますね。(はふはふもぐ)」

 いつもなら、真面目にやってくださいと言いたくなるシチュエーションだが、晶子も食べているからそれは言えない。この極上オムライスが悪い。

「状況報告からすると、突然死、病死という判断が出てもしょうがないですね。(はふ)」

「やっぱり市川さんもそう思いますか」

 鴇田は神妙な顔をしてスプーンを置いた。このくるくる変わる表情も見逃せない。

「そうだ、こういうのはどうだ」舟橋が何か思いついた。「生き別れの母親が、この町で暮らしていて、被害者は会いに行こうとしたのに、過去を知られたくない母親から待ち合わせ場所で返り討ちにあったっていうのは? どう」と言って二人の反応を伺った。

 鴇田は真面目に考えている様子だった。

「どうも、こうも、森村誠一人間の証明のパクリ推理ですね」晶子が突っ込んであげた。こういうオヤジの悪ノリは早めの消火に限る。

「被害者はホテルで吐血して死んでるんですよ、外傷も無かったんでしょう?」

「そうなんだが、被害者が無理なく安らかに死ねるように、何者かが何かに密かに毒物をしこませていたとかなら、あるかなぁ?」

「ないと思いますよ。『何者かが何かに密かに』って、ほぼ可能性無限ですよ。死因は窒息ですから、相当苦しかったはずです。全然安らかじゃないです、鬼の所業です。あとついでに忘れてませんか? 被害者のお母さん亡くなってます。鴇田さんの話を聞いてました?」

「そうだった」

 オムライスも無くなり、捜査のネタも無くなってきた。


 晶子はテーブルの上の資料を見ながら、「家族の遺体確認前ということは、葬儀はできませんよね」と何気なくつぶやいた。

「はい、まだ署の遺体安置室にあります。親族や親戚じゃないと引き取りできないですからね。お兄さんが来るまでそのままだと思います」

 晶子と舟橋の目があった。今の話何か引っかかる。

「解剖はしたのか? 胃の内容物から何か出てないか」コーヒーを手に舟橋が聞いた。

「探したんですが、解剖報告書は無いので、司法解剖はしてないと思います。検家族の希望が無い限り、このまま解剖しないかもしれませんね」

「あれ? 検案書見ると、『到着した巡査が懸命に心肺蘇生を試みた痕跡あり』って書かれてるな。お前そんなことしたの、倒れ込んだとか言ってなかった」資料を見ながら舟橋が聞いた。

 鴇田は急に表情を曇らせた。

「遺体の胸に圧迫痕があったのは、僕が慌ててて踏んづけたからなんです。それを正直に報告したんですが、刑事課の方で書き換えたんです。『お前の将来の為に、ここは書き換えるから、聞かれたら緊急対応したと話せ』と刑事課長きつく言われました」

「最悪だな」舟橋は険しい表情になった。

「悔しいっす先輩」鴇田は涙目になって声を詰まらせた。「俺がもっと、もっとしっかりしていれば、こんなことにならなかったんです、被害者に申し訳ないです」

「お前の為とかいいながら、課長や署長の自己保身だよ。だから事件性なしの判断を急いだんだな」

 鴇田の憂いのある表情を見て、このことが鴇田の心に深い傷を残していると感じた。

 あまり見せない表情で舟橋は、本気で憤っていた。

「警察はどんなに間抜けでも、嘘をついちゃお終いだ。しかも未来ある若者にそれを押し付けるなんて許せないな」

 捜査はユルユルだが、正義感は強い舟橋。それが捜査権を託された刑事に一番必要なの資質のように思えた。

「だから、僕はどうしてもこの事件は諦められないんです」鴇田は舟橋と晶子を交互に見つめた。

 こんな時に不謹慎だが、やっぱり実にいい顔をしている。

「ただなぁ、事件性を証明するには、具体的な取っ掛かりが欲しいんだよな」舟橋は再捜査の方針を考えあぐねていた。


「やっぱりラーメン屋かな……」

 舟橋の話がズレそうになったので、晶子はすかさず阻止に入った。

「あっそうだ鴇田さん、被害者のそばにダイイングメッセージがあったんですよね。そこから何かヒントが出てくるんじゃないですか、ねぇ舟橋さん」

 ダイイングメッセージという徹底的な証拠があれば、他殺説を大きく後押し出来る。

「あぁ、それはだな……」と言葉を濁すと、舟橋は立ち上がって本棚の新聞をあさり出した。

「ダイイングメッセージって、まさか舟橋さんその話、県警でもしたんですか」

 なぜか鴇田が慌て出した。

「困ったなぁ、確実な話じゃないのに」

 スポーツ新聞を読みながら舟橋は、「まぁいいじゃないか、ちょっとだけ面白いとこ盛っただけだよ」と軽い感じで言った。

「盛ったってどのくらいですか、まずいですよそれ」鴇田がさらに慌てている。

 ダイイングメッセージの前提大崩れの予感に晶子は不安になった。

「鴇田さん、本当のところはどうなんですか」

 困ったような顔で鴇田は、「僕が最初臨場した時に、部屋の中をまず確認したんですが、その時カーペットの上にメモ帖に走り書きみたいなものが、あったような気がすると言っただけなんですが」と気弱に答えた。

「気がするですか……」かなり頼りない話だ。

「いや、でもさ、お前言ったよな、メモに『二十人ぶっ殺す』って書いてあったって」ムキになって舟橋は鴇田に圧をかけた。

「そんな事言ってませんよ。漢数字みたいな文字と、カタカナで『コロス』という字が書いてあったような気がしますと言っただけです」鴇田は冷静に事実を主張した。

「いやでも、ホテルのメモ帳に殺すって普通書くか? しかも、その後本人が死んでるんだよ。無関係なわけないよな」

 話を盛った張本人だからか、舟橋は急にこだわりを見せ始めた。

「それはそうなんですが、落書きみたいなことが決め手になりますかね」鴇田が一番自信なさそうだった。

 晶子は鴇田を助けたいと思った。

「落書きかどうかは、そのメモを確認すればいいじゃないですか、遺留品として警察に残ってるでしょう?」

「それがないんです」鴇田が真顔で答えた。

「ない?」

「後で鑑識係に聞きに行ったんですが、現場遺留品で特に不審な物は見当たらず、事件性なしの刑事課の判断に沿って、早めに現場撤収したそうです」

 鴇田の声がさらに自信なさそうになっていく。また晶子は応援したくなった。

「ずさんですね。そのメモまだホテルの部屋のどこかに残されているかもしれませんね。さすがに人が亡くなった部屋を、すぐは使わないでしょうから、ね」

「あっ、そうですね。そうかも知れません。皆でこの後行きましょう」

 素直な鴇田は明るく提案した。

「どこへだよ」舟橋が面倒くさそうに言った。

「事件のあったホテルですよ。まだ事件から四日です。他に、いろいろ証拠を取り残しているかもしれません。さっそく車を回してきますので、先輩よろしくお願いします。市川さん色々助けてくれてありがとうございます」

 鴇田は嬉しそうな顔をして席を立つと、資料をリュックにがさつに入れて店を飛び出していった。

「おい、鴇田……」舟橋は何か言いたげな表情のままだ。

「どうせヒマなんだから行きましょう」

「そうだけどさ」気の無い返事。

「舟橋さん、面倒くさくなってるんでしょ。ここで後輩を助けたら、そのうち君津でいい再就職先紹介してくれますよ」

「お前が前のめりすぎるのが、何かおかしいんだよ……」

 晶子の態度を疑う舟橋を何とかなだめて、ついでに支払いしてもらい君津の名店『大使館』を出た。

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