第8話 房総の超絶イケメン
「先輩、今日はわざわざ僕の為に君津まで、ありがとうございます」
テーブル横に立ったその男・鴇田は背筋をピンと伸ばして舟橋に礼をした。
その後、鴇田は晶子の方を見た。ヤバイ心臓止まる、と思いつつ晶子はさりげなさを装いペコリと頭を下げて挨拶した。
「先輩、こちらのナポリタン食べてる方は、娘さんですか?」
鴇田は晶子に微笑んだ。
おい、おい、おい、なんて爽やかなんだ。
「違う違う、県警で俺の仕事手伝ってもらってるただの市川だ」
その紹介は、雑だろ舟橋。それより今は口周りがヌルヌルだ。ナポリタン選んで正解だと思ったが、タイミング的に失敗だった。
「本部の方でしたか、はじめまして君津署生活安全課の鴇田巡査です」と鴇田はキッチリと一礼した。
晶子もあわてて立ち立ち上がった。
「私は、県警本部で舟橋さんのお手伝いさせていただいてます市川晶子と申します。階級とはありませんが、よろしくお願いします。鴇田さん」精一杯の薄い微笑みを浮かべた。
「どうぞナポリタン食べててください。ここの美味しいですよね」
鴇田は晶子に優しい言葉をかけて、なんと隣に座った。食べながら、隣で横顔チラ見するとやっぱり鼻が高い。晶子の心拍数は上がっりっぱなし、ナポリタンが喉を通らなくなった。
舟橋が何か鴇田と話しているが、全く頭に入らない。
「……そうだ、あれ持ってきてくれた?」何かを鴇田に聞いている。
「はい、ホテルの枕の下にあったみたいですよ」鴇田はポケットから黒い小さなものを渡した。それは見たことのある舟橋の古いガラケーだった。
「やっぱりこれだよ、手に馴染むよ」舟橋は二つ折りのガラケーを開いて表示を確認していた。
「異常なしだ」
どうも舟橋が、ガラケーを宿泊先に忘れ、鴇田さんに届けてもらったようだ。数日経過しても、舟橋には着信もメールも来ていないということか、舟橋の寂しい生活を晶子は想像した。
「まぁ俺スマホとの二台持ちだ。いざと言うときはこっちで代用できるからね」
舟橋は自慢気にポケットから娘に併せ買いされたスマホを鴇田に見せた。晶子のエンパシーは舟橋に全く感じられていないようだ。
「先輩、すごいですね」
「ふつうだよ。お前も持ったほうがいいよ」
舟橋のスマホはまだ表面のシールをつけっぱなしで、使い慣れてない感は満載なのだが、鴇田は特に突っ込まない。後輩として出来過ぎだ。
「すまんね。じゃあこれで帰るわ」突然そう言うと舟橋は席から腰を浮かしかけた。
「えー、そんな、僕の捜査の応援してくれるんじゃないんですか?」情けない声を出して鴇田はうろたえた。
「冗談だよ、冗談。ハハハハ」舟橋が鴇田の肩を押す。
「先輩、マジ頼んますよ、ハハハハ」
県警でもしょっちゅう見かけるこの小芝居。年上が年下を困らせる、面白くもなんともないパワハラ絡みのやりとり。体育会男子部活のノリの延長なのか、若い署員もよくやってる。部外者の晶子には全く意味不明だった。
「ハハハ、でもな、来る電車の中でよく考えたんだが、現場検証も検視も終わって、刑事課も署長も事件性なしで、この件は決着してるんだろ、それを県警本部の俺が首を突っ込んで捜査をひっくり返したとなったら、それこそお前の立場を悪くするんじゃないか? 」
車内で爆睡していたはずの舟橋は、そんなことを考えていたのか。
鴇田は寂しそうな顔で黙って舟橋を見ていた。舟橋はその視線をさけるようにタバコを探す仕草をした。
「そんな、先輩らしくないこと言わないで下さい。刑事課研修中に『困ったら後先考えずにまず行動しろ』と力強く教えてくれたのは先輩ですよ」
言ってることはちょっと変だが、鴇田の子犬のように純粋な瞳に晶子は『キュン』とした。
「格好つけるだけが、刑事じゃないんだよ。俺も色々考えた結果、お前の将来を考えても、やっぱりここは大人しくしていたほうが、いいじゃないのかと思うんだよ」
いかにも親身な顔をして舟橋は言っているが、付き合いの長い晶子には分かる。関係ない事件に刑事でもない自分が、首を突っ込むことのリスクを、舟橋はここに来てようやく悟ったのだ、正に今。愚直に先輩の言葉を信じた鴇田と、ついてきた晶子の事は全く考慮されていない。
この舟橋の冷たく心無い言葉に、鴇田は傷ついたようだった。そりゃそうだよ。
「待ち合わせに遅れたのも、少しでも先輩の再捜査のお力になりたいという思いから、君津署に寄って、こっそり捜査資料をコピーしていたからなんです」鴇田は背負っていたリュックを、いきなりテーブルに置いた。「これだってバレたら、僕は懲戒もんです。もう後には引けません」
いつもの晶子なら、今の鴇田の言動は「バカなことするもんだ」と思うところだが、鴇田の真剣な表情で更に増したハンサムぶりを、たっぷり摂取した今は気持ちが違う。
晶子はこの先の方針を決めた、「この千葉の天然イケメン記念物・鴇田の事をもっと知りたい、出来ればもっと一緒に居たい」そんな推し願望が、どうしようもないくらい高まってきた。
晶子はナポリタンで汚れていた口を拭いて、おもむろにスマホで確認すると舟橋に向き直った。
「ちょっと舟橋さん、さっきからお話を聞いていると無責任すぎますよ! ここで放り出すのは鴇田さんが可哀そうです。まずは、資料をじっくり読んで、現場を再び訪れて、じっくり夕食でも食べながら方法を考えたって遅くはないでしょ」と一気にまくし立てた。
舟橋はアイスコーヒーから口を離して意外そうな顔をした。
「えっ、お前そこまで乗り気だったの? じっくり夕食とか考えてなかったよ」
「もうしらばっくれて舟橋さん。さっきも『若い鴇田の熱い思いに刑事魂揺さぶられた』とか言ってたじゃないですか」
「えっ、俺言った? そんなこと」
思いつきで話すプライドの高い上司を気分良く乗せるには、この『言いそうで言ってない名セリフ』方法が効果的だと、晶子は経験的に知っていた。
「あっ、分かりましたよ、先輩。うぁー騙されるところだった。ホント市川さんありがとうございます。ですよね」
なんか分からないが鴇田も急に表情が明るくなった。
「なにが?」舟橋は話の流れの変化に戸惑った。
「先輩、僕を試してたんですね?」鴇田が座ったまま背をピシッと伸ばす。
「さすが、千葉県警察官一万人の憧れ舟橋先輩! 現場一筋三〇年、捜査の神様の深い思い。自分の浅はかさに赤面の思い出あります」突然喫茶店のテーブルに頭が付くぐらい下げた。
「警察官として、『お前にそれだけの覚悟があるのか』と試していたんですね? あります、僕は大いにあります」鴇田は情熱と狂気を帯びたような目で舟橋を見つめた。
なんだこの感じ、このオーラ。
一方の舟橋は状況を理解出来ない様子で、唖然としていた。
「いや、そうじゃなくて。俺の長年の現場経験からしても、お前から初めにこの話を聞いた時から、これは他殺の可能性は限りなく低いなぁと」
「うぁ先輩、まだ試してんですね僕のこと。先輩の弟子が最初に臨場したんすよ。その直感です。それを否定するのは、先輩を否定することと一緒ですよ。ねぇ市川さん」
「その通りです、鴇田さん」
即答しながら、晶子はこのあたりの一連の会話を聞きつつ、ある事を徐々に感じ始めた。
どうやら鴇田さんは少々おバカちゃんなのかもしれない。
だが、しかし。
それを補って、さらに余りが山ほどあるのが、鴇田の顔。一喜一憂するその表情の変化から目を離せなくなる。出来れば鴇田の姿をじっくり二時間くらいスマホで撮影して、家に帰ってから落ち着いて鑑賞したいくらいだ。
「鴇田さんは、一切間違ってませんよ」
ありあわせのフォローをする晶子の言葉にも、鴇田は顔中で喜び表現した。
おバカちゃんでもかわいいのぉ。晶子は顔面鑑賞をしっかりした。
「市川、お前も調子いい事ばっか言って、純朴な青年を乗せるんじゃないよ。第一お前はただの素人だ、プロの捜査に口出すんじゃないよ」舟橋は面白くなさそうに語気を強めにパワハラってきた。
そっちがそう来るなら、晶子にも言いたいことはある。
「鴇田さん、先月あった『流山市中華系覚せい剤ルート』の摘発事件を知ってますよね。あれ捜査したの実は私なんです……舟橋さんは容疑者の熟年小悪魔に騙されてましてね……」
そこまで晶子が言うと、慌てて舟橋が止めに入った。
「あぁ、分かった俺が悪かった。再捜査するよ、もちろんだよ、鴇田くん。最初からそのつもりだから、君津くんだりまで来たんだよ」
「やっぱりそうですよね。もしかして、前来た時にガラケーを忘れたのも、また来るための伏線ですか」
「もちろん伏線、伏線、わざとわざと、お前と会って心根を確認するためだよ。反対されても、俺は一人でこっそり現場を訪れるつもりだったけどね」
舟橋はヤケのように、出まかせをふかし始めた。
「先輩、一体どこから芝居始まってんですか」
「人生は芝居だよって、梅沢富美男もいってるだろ。ハハハハハ」
いいそうだけど、それ言ってたのは、多分福沢諭吉だ。
「まぁ、とぼけたのは一種の親心。謹慎中のお前が再捜査するのは、いろいろ問題あんだろ、お前を巻き込まないために一芝居打ったわけだよ。ごめんなぁ」
「ですよね、だと思ってました。では、早速事件の概要をおさらいしますね」
そういうと鴇田はテーブルに置いたリュックから、いきなりコピーの束を取り出した。
「えっ、ここでやんのか? もっと静かな場所、捜査資料のこともあるし、署の会議室にでも行った方がいいんじゃないのか?」
これは舟橋の言うことが正しい。でも、鴇田は寂しそうな顔になった。
「僕は謹慎中の身なんで、警察署内で会議すると言うわけにはいかないんですよ。だから、ここでお願いします。『事件捜査はどこだってできる』、これも先輩の教えですよね」
前のめりすぎる鴇田に、舟橋は戸惑いながらも、「そうだな。言ったような気もするな」と一応やる気になったように見えた。
無造作に喫茶店のテーブルに広げられたコピー。それらは、現場検証報告書、遺体検案書など、『絶対持ち出し厳禁』のはずの資料だった。
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