第26話 パンツ

 オレは軽く振り返ると、鈴音がいなくなった辺りの路地裏からスマホが顔を覗かせていた。間違い無く鈴音が使っている機種である。


「マジで怖ぇーよ」


 オレは思わず声に出してしまった。かと言って問い質してもしらばっくれるだろうしな。風紀委員長の私がそんなことするはず無いだろうとか、尤もらしいことを言ってくるのは読めていた。


「はぁ……どうしたものかな」


 こういう時は自分の発言力の無さを悔やんで仕方がなく、もっと上手く立ち回れる人間になりたいと心底思う。


「とりあえず、無視しよう」


 ストーカーに付き纏われるのは正直に言って嫌だが、オレが何か行動を起こすことで事態が悪化する可能性もある。

 下手に動いて状況を悪化させたくない。

 オレが時折振り向くと、やはりと言ってはなんだが、鈴音の影がちらついてくる。


(逃走経路は確保したし、今度こそしくじりはせんぞ。それにしても夫の姿を写真に収めたいだけだというのに、神も残酷なものだな。せっかくのチャンスだというのに写真を撮ることさえできないとは)


 鈴音の好感度は140くらいあり、杏里たちと共に異常な領域に到達している。

 数値を計測しているオレの脳内ナビゲーターはいますぐここから立ち去るべきと警鐘を鳴らしている。そりゃ、しつこいストーカーが近くにいたら逃げるのが当たり前だよな。

 家に着くまで鈴音はずっとオレの後を付けてきた。

 自宅に到着した時、彼女の気配は無くなる。一応まだ隠れていないか辺りを探してみるも、その姿を確かめることは出来ずにいた。


「はぁ……」


 家に入り、制服を脱ぎ捨てて私服に着替えた。


「疲れた……」


 ベッドの上に倒れ込み、天井を見上げる。


「ん?」


 しばらく漫画を読みながらぼーっとしていると、下から玄関のドアが開く音が聞こえてくる。部活帰りの妹だと思ったオレが下へ駆け降りると、案の定テニスラケットを背負った妹の姿が見られるのであった。


「ただいま……兄貴」

(盗聴器によると美山鈴音にストーキングされていたようですね。あの女も危険人物として妹ちゃんブラックリストに登録です)


 オレに変態行為を仕掛けるこの妹も十分な危険人物だが、この妹はストーキングはしないだけまだましだ。


「兄貴ってハーレム願望でもあったりする? 学校だとよく女の子と話してんじゃん」

「オレを変態みたいに言うな。ハーレム願望なんて持ち合わせてない」

(お兄様は清純なのは分かっていたこと。やはり危険なのは周りに潜む売女といったところでしょうか。特にあののあはお兄様に色目を使っています。ああ、ムカつくムカつく。彼に触れていいのはお兄様から分身を賜った妹のあたしだけだというのに!)

「でも、最近なんか今まで以上に仲良さげじゃない?」

(兄妹仲良くして悪いことはないでしょう。むしろ兄妹は肉体的に繋がり合っているので、こうして一緒にいて当然なのです)

「まぁ、確かにそうなんだけどな」

「やっぱり、そういうことなん?」

「どういうことだよ」

「だから、そういうことなのかって聞いてんのよ!」

「だから、何の話だって」

「ごめん……ちょっと暑くなり過ぎた。でも兄貴も兄貴だよ。あんまりあんたの元に集まってきた人たちを信じ過ぎて、いざ裏切られてみなさいよ。後悔するのはあんたなんだから」

(お兄様の周りにいる女たちはあたし以外全員信用なりません。きっとあの中に裏切者が混じっているはず。そうなった場合、この世で一番大切な存在は妹である私になるのです。その時は私がお兄様をお守りします)


 妹は元々引っ込み思案だったのもあってか、よく虐められていた。彼女は抵抗もせず、やられると泣き喚くことから、加害者にとっては格好の標的だったのだろう。

 

『お兄ちゃん! また虐められた! うわぁぁぁぁん』

『よしよし、どいつが虐めたんだ?』


 オレは彼女を虐めた連中を片っ端から叱りに行き、少しずつ虐めを減らしていった。

 妹が中学に上がる頃から虐めは無くなり、彼女が泣くことは無くなった。中学生になった彼女は以前の過ちを繰り返さないように、強くあろうと頑張っていたのを覚えている。


「何ぼけっとしてんの」


 高校生の妹はご覧の通り、一見強気でオレに対しても当たりはかなり強い。


(お兄様と今夜もたくさんお話ししたいです!)


 しかしながら実際の精神状態は小学生のまま止まっており、オレに甘え、依存しまくっている。技能や見た目は大人になっていても、肝心要の心の進化を杏里は放棄していたのだろう。

 両親が作った夕飯を食べた後、妹はデザートにパフェを作り、オレに振る舞ってきた。


「これ食べて」

「おう、ありがとうな」

(お兄様はあたしの作ったものを美味しそうに食べるから、作っていてとても楽しいです。もっと喜んで欲しい)


 彼女の作ったパフェはチョコレートパフェで、市販のアイスと生クリームを混ぜ、チョコソースを掛けただけの簡単なもの。上にはフルーツやパッキーが乗っている。

 しかし、味はなかなかのもので、オレ好みのほろ苦いながらも甘い味付けになっている。


「どう?」

「うまいぞ」

「そっか、良かった。じゃ、あたしはもう寝るね。明日も早いし」

「お休み」

「うん……お休み……」

(ああ、なんて幸せな時間なんでしょうか。こうやって一緒に居れるだけで幸せ。でも、いつかは夫婦になって暮らしたいです)


 妹は自室に戻り、オレは再びベッドの上に倒れ込む。

 今日一日、本当に色々なことがあった。好感度が見え、心が読めるようになっただけなのに、これだけの変化があるとは思ってもいなかった。


「はぁ……疲れた……」


 オレも二階に上がると、妹の部屋のドアが半開きになっていることに気付く。オレはその事実に生唾を飲んだ。これは心の声を聞く以外で彼女の本性を知るチャンスだ。

 しかしながら、その考えと同時にオレの歩みを止める良心があった。

 たとえ血の繋がった妹とはいえ、女子の部屋を覗き見るという禁忌を侵すことには変わりない。

 ただ、もしかしたら心の声が出鱈目かつ、実際の妹がまともであるという可能性も無くはないので、確認する意味でも部屋の中を見る価値はあるかもしれない。

 着替えはもうしているし、とりあえずは大丈夫だろうと部屋の中を見てみる。


「んぁ、おにいしゃまぁ……」

(パンツ、パンツ、お兄様のパンツ)

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