第2話 目標への第一歩
あのニュースを見てから俺の世界は一変した。
今まで無関心だった例の穴について、俺は貪るように情報を集めた。
穴が出現してから既に2年ほどが経過している。
穴は飛行機が墜落した山中にポッカリと空いた半径3メートルほどのもので、飛行機の残骸を撤去した際に機体の下から出てきたとのこと。
どんなに強力な照明で照らしても穴の中は見えないということ。また穴の中ではあらゆる電子機器が機能しないということ。
動物を紐に繋いで下ろしても死なず、ワイヤーは続く限り無限に伸びるが、同じ実験を人間で行った場合ある深さを超えた時点でワイヤーは止まり、引き上げると絶命すること。
今ある情報としてはこの程度。
よくこの短期間で人体実験まで行ったものだとは思ったが、恐らく動物が死ななかったことで人間も死なないと考えたのだろう。
現物を見ようとも考えたが、報道で見る限り、もう今は穴のある場所を覆うように施設が建られており、国の研究機関が実験を重ねているようだった。つまり一般人が立ち入れるような場所ではない。
逆に言えば、マスコミや、国の機関の人間であれば立ち入ることが可能だということだ。
「俺、公務員になります」
ある日俺は礼亜の父親に告げた。
「穴の調査員になるんだな?」
「はい」
礼亜の父親は礼亜が死ぬ前のような鋭い目つきで俺に確認した。俺が穴に希望を見出したのと同様に、礼亜の父親もあの日から精気を取り戻した。
そして俺がそう言い出すのも予想していたのだろう。
彼は俺に通帳を差し出した。
「3000万ある。この金は自由に使って良い。だから頼む。俺に礼亜と、もう一度会わせてくれ」
正直俺は少し以外だった。
てっきり礼亜の父親も穴の調査をする気だと思っていたからだ。
「俺は紳弥から穴の向こう側の話を聞いたときから、お前に全てを託すつもりでいた。俺が今から転職というのも無理がある。だったら、俺は稼いで、お前に希望を繋いだほうが良いと考えた」
一瞬、躊躇した。
だが今の俺には確実に必要なものだった。
「ありがとうございます。必ず連れてきます」
俺は礼亜の父親の目をしっかりと見つめて、頷いたのだった。
§
それからの日々はまさに一瞬だったと言える。
高校は2年のときに退学になっていたので、知識がない。
生活習慣が最悪だったので、体力がない。
単に公務員になるだけであれば学力だけで良いのかもしれないが、穴の調査員をするとなれば話は別だ。
何が起こるか分からないし、そもそも採用が何を基準に行われるかも分からない。
であれば、どうなっても良いように全てに取り組むことにした。
通信教育を申し込んで高校レベルの知識を得て、勉強以外の時間は筋トレに勤しむ。
間違いなくハードな日々だったが、礼亜の父親のサポートもあり、生きる目標ができた今、自分を鍛え続けるのは難しくなかった。
そうして2年が経過した。
俺は20歳になり、高校卒業程度の学力は身につけた。
身体はだいぶ引き締まり、無駄のない肉体をしている…と思う。
穴については、現在では、各国と協力しながら研究が進められている。研究内容について報道されることも心なしか減ってきている気がするが、ある意味それは研究が進んでいる成果なのかもしれないと思うことにする。
2年前の、有人調査は調査員が死んだことで、だいぶ世論に叩かれていたようなので、今も有人調査が行われていたとしても報道はされないだろう。
全てが順調に見えたが、一つだけ誤算があった。
なんと、穴の管理を国は民間企業に全て委託してしまったのだ。しかも委託先は非公表。
今は国の職員は数人しかおらず、あとは研究を委託されている企業と、各国の研究機関の職員だらけだという。
そうなると、困った。
公務員になればいいと思っていたが、今更公務員になったとしても穴の担当にはなれないだろう。さらに委託先に勤めようにも非公表だというのであれば最早どうしょうもない。
公的機関がそんな秘密主義でいいのか。文句を言っても仕方ない。
となると、方法は1つしか思いつかなかった。
強行突破だ。
警備をすり抜け、穴に飛び込む…それしかない。
そう考えて、施設の情報を集めながら更に2年。
情報は徹底的に秘匿されており、一般人に収集できるものではなかった。焦りを抱えつつも、勉強とトレーニングは続けていた。
そんなときに俺にとっては神の救いとも思えるメールを受信した。
『このメールは熱心に穴のことを調べている方にお送りしています。穴の調査員、やってみませんか。給与待遇応相談』
普通に考えれば俺がどの程度の熱量で穴のことを調べているかなど、メールの送り主には分かるはずもないので、当然これは迷惑メールだ。
だが、万が一ということもある。
第一、迷惑メールだったとして、俺に失うものなんて大してない。
迷うこともなく、即座に俺は快諾する旨を返信した。
そのわずか数秒後だった。
ピンポーンと家のインターホンがなる。
「はーい」
俺が玄関の扉を開けると、サングラスにスーツ姿の男が1人いた。
後ろにはガラスが加工されて中が一切見えない車が停めてある。
「上島紳弥さん。メールのお返事確認いたしました。どうぞこちらへ」
感情の読み取れない声で、無表情で男は車を指した。いつの間にか後部座席のドアが開いている。
半信半疑で、藁にも縋る思いで返信したメールだったが、これは当たりだったかもしれない。
とすれば、俺には断る選択肢はない。
俺は興奮した気持ちを抑えながら、努めて冷静に話す。
「すみません、少し準備してきてもいいですか?服装もジャージですし」
「申し訳ありませんがそれはできかねます。では、お乗りください」
「うぉっ」
男は有無を言わさず俺を後部座席に押し込み、鍵をかけた。
なんとこの車、中から扉が開けられないようになっているらしい。ドアにとっかかりがなにもない。
「どういうつもりですか!」
俺は思わず大きな声で運転席に乗り込んだ男に訊ねる。
「貴方は失踪し、行方不明になったこととなります。あらかじめご了承ください」
「そんなことが許されるんですか?」
「許されます。我々にはその権限があります」
権限があるとまで言うということは、恐らく公的機関の人間なのだろう。
なるほど納得がいった。民間企業に委託したと言いつつも秘密裏に国も研究を続けていたというわけだ。こっそりと俺のような人材を集めて…。
しかし、少し嫌らしい手口な気もした。メールには給与応相談とも書かれていたが、アレは金を求めて返信しても誘拐されるわけだろう。そんななりふり構わない方法で集められる人員が好待遇なはずもない。
「これから俺はどうなるんですか?」
「穴に入っていただきます」
予想通りの回答。そして、穴に入ってしまえば、生きて帰れる可能性は低い。現に一度、死人が出ている。いや、恐らく一度ではないのだろう。無事に調査できるのであれば公募すれば良いだけなのだから。
「そうですか…」
俺にとっては願ったり叶ったりの展開だった。
まぁどんな装備で落とされるのか、俺1人なのか、など気になる点は沢山あったが、どうせこれから分かることを問いただしても仕方ない。
もともとこの世に未練など殆どなかった。4年前から俺は礼亜を連れ帰るためだけに生きている。
ただ、唯一の心残りは、礼亜の父親のことだろう。
急に俺がいなくなって、心配しないだろうか。また礼亜が死んだときのように抜け殻のようになってはしまわないだろうか。
いや、きっと察してくれるだろう。俺たちがどれだけ穴の調査に情熱を注いでいたかは、当事者の1人である彼が知らない筈ないのだから。
必ず礼亜を連れて帰ります。
俺は心の中で誓って、目的地に向かう車に身を委ねたのであった。
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