第7話 今日はお別れで魂を貢いじゃう

 夕日が沈みゆく中、彼女は人気のない公園で一人ブランコに揺られる。


「はぁ、これであたしの人生…じゃなくて悪魔生もおしまいか…。今回もつまんない一生だったなぁ。でも、心残りは一つ…いや二つ消せたからいっか。半分が私の努力じゃないってのが、なんとも私らしいけど、はは」


 乾いた笑いだけが風の中へ溶けていく。


「しっかし、私ったらなんでこんなところを最期の場所に選んじゃうかな。ある意味思い出の場所だけど、あんまりいい意味じゃないからなぁ。…いや、私が変われた場所だからいい場所と捉えるべきか。命がその代償だったのは笑えないけど」


「おい、お前!」


 その声が辺りに響き渡り、サキュバスは少しだけ嬉しくて、でも切なさがその表情ににじむ。本当は一人でこの世を去りたかった。誰が来たのかは見るまでもない。


「その声……よくここを見つけ出したわね。まあ、あなたにとっても思い出の場所だから、少しだけ来ちゃうかもって思ってたわ……ってことは、私がなんであなたのところに来たかも、わかってるんでしょう?」


「………お前は…俺の魂を…」


 その問いかけとも取れない彼の言葉にサキュバスは優しい笑みを見せる。これまで彼に振りまいていた陽気な笑みではない、本心からの笑みを。


「ええ、そうよ。あなたの魂なんて最初からいらなかった。あなたときたら酷いわ。どうやったら私の魂を貢げるようにするか、いろいろな段取りを考えてたのに。あなた想像以上に疲弊していたんだもの。…おかげでその部分での苦労はなかったけどね」


「やっぱり、そうだったのか…」


「はぁ……それで? 今度は何? ハンマー? 包丁? それとも前と同じくナイフかしら?」


 彼は全力でこの言葉を否定してくる。その表情は、以前ここで会った時と同じく、苦渋に満ちた顔だ。けれども、その意味合いが違うことくらいはわかる。


「…そっか、あなたは私に気付いていたんだ。てっきりバレてないと思ってたのに」


 静かにはにかみながら、サキュバスは胸へと手を当てる。


「ふふ、そんなにわかりやすかった? ちょっとだけ嬉しいな。生前は自分を偽ることでしか生きてこられなかったのに、サキュバスになってそこが変われたんなら」


 祈るように彼女は言葉を紡ぐ。


「だって顔も声も全然違うでしょ。なのに、殺したくなるくらいに憎んだ相手は一緒にいるだけでわかっちゃうものなのね。……だからか。だから、あたしが魂取っちゃうぞって言っても全然動じなかったんだ。むしろ、あなたは取ってほしかったんだ。ふふ、笑えるわね。人間は魂を差し出したがり、逆にサキュバスが魂を貢ぎたがりにくるなんて」


「違う…俺は…そうじゃないんだ…俺は……」


「ねぇ、いつだったか、私の話をしたことあったでしょ? あのあとあなた、私を張っ倒した謝罪と称して、あなたにしてはだいぶ私に優しくしてくれたじゃない。あのときのカレーとっても美味しかったわ。…あれってもしかして、せめてもの私に対してできる償いだったの?」


 彼はいつものごとくこの言葉を無視し続ける。いや、いつもとは違う。意味があるからこそこれに答えることができない。


「ふふ、そっか。ありがとう。でも、もういいのよ。私は、もういいの」


「俺の魂を…」


「いらないわ。あなたの魂はいらない。だって、一度奪ってしまっているんだもの。だからもういらない」


 私たちはお互い罪を重ね続けてきたんだ。もう、これ以上は必要ない。


「そういえば、あの子、今年でいくつになるのかしら。母子家庭だったし身寄りがなかったから私も心残りだったのよ。親友ですら蹴落とすことしかしてこなかった私が、唯一大切に愛した自分の子ども。でも、あなたがかなりの額を送金してくれたんでしょ? おかげで、たぶん苦しい生活を送ることはなかったと思う。手紙でも感謝されていたし」


『もういいんです』


 彼女の息子からの手紙にはそう伝えるための言葉がいっぱい並んでいた。息子がどこまで彼のことに気付いていたかはわからないが、そう思えるくらいに彼は贖罪を果たしたのだろう。


 彼が送金していた相手……それは、生前の彼女の一人息子だった。


「あなたの気持ちもわかるわ。本当は過労死してもいいって思っていたんでしょ。どんなに憎い相手であっても殺人は殺人よ。それを自分が一番わかってしまうからこそ、誰もさばいてくれないことがあなたは苦痛でならなかった。自殺する踏ん切りもつけられず、自分の体を酷使することで死ねればいいと思っていた。死んだ相手に罪滅ぼしはできないものね。だから、私の子どもにせめてできることをしてきたんでしょ?」


 いつもの彼であれば彼女の方を一切見ようとしないのだが、今はその立場が逆となっている。


「…あたしもね、たくさんの人を蹴落としてきたことが、死に際にフラッシュバックしたの。自分が幸せになるためにしたことなのに、どうして私はこんなに喉が詰まったような想いで死んでいかなきゃいけないんだろうって」


 彼女は今もその想いを胸の中にある鍵付きの箱に大切にしまっている。


「サキュバスになってあなたを見つけた時、できる罪滅ぼしをしようって思ったの。不思議とあなたのことは憎くはなかったわ。あなたに…いえ、私が蹴落としてきたすべての人たちに、少しでも罪滅ぼしをして、その後、この世から消えたいって私は思っていた。だから、今はまさに望んだ状況って言えるかな。…ううん、本当は嘘。本当は、それが終わったあともサキュバスとして第二の人生を送りたいかもって思ってた。人を騙すこのサキュバスという職業で、ずーっとずーっと罪に苛まれながら生きていくの。そうやって苦しみながら生きるのが私の第二の贖罪の人生なんだろうって。……あなたもそうだったんでしょう? 自分の体に鞭を打って、裁かれない罪に苛まれながら生き続ける。だからあなたは、本当は魂を捧げたかったのね」


 そう言いながら彼女は切ない笑顔を浮かべる。


「でもね、もういいの。あなたの罪は私の罪だから、私が消えるわ。あなたはまだ人として生きている。命があるのよ。私とは違う。なら生きなさい。生きて生きて生き抜いて、どんなに後悔があっても、死ぬときにちゃんと『いい人生だった』って笑いながら死ぬのよ。もし閻魔様と対面しても、堂々と胸を張れるように。私のようならないために…!」


 夕日が消えていくのに合わせて彼女の体も半透明になっていく。


「ふふ。あたしと一緒にいたときはどんな言葉にも反応してくれなかったのに、こんなときは泣いちゃうんだ」


 彼の方を向きながら笑いかける。


「……さ、よしよし、元気出して。もう…時間だわ。………それじゃあ、元気でね。もうあんな働き方はしちゃダメよ」


 これまで見せた中での一番の笑顔を彼に向ける。


「今度こそ…バイバイ、ありがとう」

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