第4話 涙の理由

リチャードが予定通り、15時までには終了したマチネ公演の後にすぐ帰宅すると、家事手伝いのマチルダより先にヨハンが駆け寄ってきた。


「父さん!!音楽ギムナジウムに受かったんだよ!!特待生で受かったんだ!新学期から通って良いでしょ??」


「マチルダから電話で聞いたよ。おめでとう!ヨハン。よく頑張っていたものな。

、、でも本当に入るかはまだ時間もあるしよく考えよう。」


リチャードは微笑んでヨハンをハグして頭を撫でた。一方、ヨハンは父の反応が思ったより薄く、入学もすぐに許可しないので表情が曇る。


家事手伝いのリチャードより若干若いマチルダは、リチャードがヨハンから離れたのを見て、カバンやヴァイオリンケース、ジャケットを受け取る。


「、、やっぱり父さんから見たら音楽ギムナジウムに特待生で入るのは普通のこと、、だよね。父さんは僕の歳にはデビューしていたんだもんね。行くのもあまり意味はない?」


ヨハンは上目遣いでリチャードを不安げに見つめる。リチャードは首を振り、ヨハンが座ったリビングのソファーに自分も隣あって座る。


「そう言うつもりじゃないよ。私は3才から弾いていたからそもそも年数が違うし。

ヴァイオリンを初めてたった5年でプロを沢山出してる音楽ギムナジウムに特待生で受かるのは凄いことだ。


ただな、今通ってるギムナジウムは名門校だぞ。お前は勉強も得意だし、このまま頑張ればきっと良い大学に行き、色んな職業選択もできる。

編入試験に受かった音楽ギムナジウムは卒業生の8割以上が音楽大学に行く。進路の後戻りが難しくなるんだ。

勉強にも力を入れてるとこを選んだが、それでも今のギムナジウムよりはずっと勉強は簡単だ。入ったら、今の学校から目指せるような一般大学も目指せなくなる。


新学期は8月であと3か月ある。今の学校には退学届は7月くらいには出すけど、そこまではきちんと考えてみないか?」


リチャードはヨハンの目を見て話したが、ヨハンはリチャードを睨んでいる。


「僕はヴァイオリニストになりたいからヴァイオリンを始めたんだ。父さんみたいに弾けるようになりたいし、音楽が好きだから!

何度も話した!だから父さんは、僕が父さんからヴァイオリンを習ってる間はあんなに厳しくしたんだろ?それとも僕が下手だから腹が立っていただけなの?プロにする気もなく厳しくしたの?」


ヨハンは、リチャードの厳しい指導もあり、ヴァイオリンの弦を押さえる左手の指の何本かは指先が弦の跡で切れて、絆創膏やテーピングをしている。その手でボディーランゲージまでしながら言われてリチャードは無意識にヨハンの手から目を逸らす。


「そんな訳ない。言った筈だ。私は見込みがなければ真剣には教えない。」


リチャードは代わりにヨハンの瞳を見て話す。

こんなに指を痛めるまで練習させ、熱が出ても試験やコンクールが近ければ練習させたのは自分だ。何よりも大切なヨハンを痛めつける真似は自分も身を切るようだったが、ヨハンがこれからヴァイオリンをやる上で自分と比べられて苦しまないためにはこうする他に思いつかなかった。


時間さえ有れば弾かせ、他の時間は将来の選択肢を潰さないために勉強もさせ、他の子よりも少ないかもしれないが同じ年頃の友達との付き合いもさせた。

だが、ヨハンにしてみてもハードスケジュールだっただろう。


「じゃあ今更反対しないでよ!!

こんなに練習したのに無駄にしろって言うの!!」


「違う!!、、、ただお前は私と違って勉強が出来るし、勿体無いと思ったんだ。学校の先生と面談したときもとても褒めていたよ。最初からヴァイオリンだけに絞るべきじゃない。」


「やっぱり父さんは僕が見込みがないと思ってる。だからそんなに止めるんだ。僕が息子で頼み込むから仕方なく教えてくれた。でも、それなら最初からはっきり言ってよね!」


ヨハンは、もともとリチャードがヴァイオリンの指導で厳しくなってからは、このように勝手にネガティブな発想になり落ち込む様子もあったが、練習に必死になることで上手く切り替えてきた。しかし、リチャードの言葉を違う方向に取ったらしく、涙して口調を荒げる。


「違うって!!

、、、そもそもお前はまだ演奏年数も少ない。筋は良いと思うが才能なんてまだわかる段階じゃない。、、名門の音楽ギムナジウムに入れても一流の奏者になるのは一握りだからな。その辺のプロ楽団にならまあ、入れるだろうが。


、、そこまで言うならわかったよ。

7月に今の所は退学して、8月に音楽ギムナジウムに転入する方向でいこう。

ただ、私から今の学校の先生にもう一度お前の成績と合わせて意見を聞いてみるからな。

、、お前も、今は受かって嬉しいのはわかるけど、落ち着いたら念押しで考えてみて。」


ヨハンは引き続き俯いて泣いており、返事をしない。ヴァイオリンを5年前に指導し始めてから、ヴァイオリン以外の時もヨハンとスムーズに話せなくなっていた。


それ以外のときにヨハンに以前のように優しく接すると、自分自身がヴァイオリン指導時にも甘くなってしまう気もして怖かったのもある。また、ヨハンのほうで、彼にヴァイオリンを指導し始めた後と、ヴァイオリンを指導せずに「可愛い息子」として溺愛してきた自分の態度が違い、自分を怖がるようになってしまったのもある。


現に、今日合格を聞いて頭を撫でたときも、叩かれるとでも思ったのかヨハンの頭はびくついた。ヴァイオリン指導時にも、他の時もヨハンに手を上げたことは一度もなかったが、上げそうなくらいに厳しいことを言ったり、声を荒げたこともある。

こんなふうに傷つけて苦しめたいのではないのに、と悲しくなる。


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