第10話 みちるの子宮

 麻衣子は3ヵ月半入院して、状態もだいぶ落ち着き退院した。

病棟のオートロックされる出入口から一人で荷物を抱えて、

『やっと閉鎖病棟から出れるんだぁ』

と深呼吸した。


 入院中に仲良くなった患者友達ともお別れだ。

みんな出入口に集まって来てくれていた。

『麻衣子ちゃん、元気でね』

『手紙書いてくれる?』

『麻衣子ちゃん、今までありがとう』

1人のずっと年下の男性患者はしゃがみ込んで、泣いている。いろいろ相談に乗ってあげていたからだろう。

仲の良かった認知症のおばあちゃんまで泣いてくれた。

『みんなも早く退院してきてね、待ってるから』

麻衣子はそう言って扉の外へ出た。

季節はもう秋になっていて風が冷たく感じた。でも外の空気は澄んでいて美味しい。


 家に帰れば子供たちが待ってる。

わんこも元気かな⁈早く会いたい......いつも電話で甘えたような声で話す息子とやっと会える!

自宅に着くと息子が走って私の腰につかまって

『お母さん、おかえり~』

と満面の笑みを浮かべた。

入院前はあんなに死にたかったのに、この笑顔を見ると

『生きてて良かった』

と、思えた。入院は無駄じゃなかった。


 ひと月ほど経つと、仕事にも行けるようになった。

友達や飲み仲間ともご飯に行ったり、遊びに行ったりも出来た。

でも時々ふと、みちるはどうしているだろう......と思い出す時があった。

退院しても4週間に一度、精神科の外来でカウンセリングに行くが、外来ではめったに入院患者と会うこともない。

だんだんとみちるの事を考えなくなっていった。


 ところがたまに麻衣子も飲みに行くスナックで、みちるの話が出た。

カウンターに座っていた70歳は過ぎたかというような男性が、何でもついこの間までみちるが一緒に住んでいたと言うのだ。

見た目は単に田舎臭いおじいさんだけど、声が大きく女好き、家も古い一軒家で一人暮らしだそうだ。


 みちるが

『赤ちゃん産むまで、ここに住まわせて』

と、言ってきて大喜びで同居を始めたという。

赤ちゃんの父親は入院患者の若い男らしかった。


 麻衣子は驚いた。一人目の娘も虐待して施設に入っているのに......

二人目を出産するなんて。しかも相手は育てられない男性。

いつの間に退院して、自分の体売ってじいさんと同居して、育てられない赤ちゃんをまた産んで......本当に呆れた。


 その同居していた老人がまた話を続けた。

『みちるは最高だったぞぉ、でも料理も掃除も洗濯も出来ないけどな』

産気づいて出て行ってからは会ってないようだった。

みちるは常にお腹だけ出っ張っていたので、患者のおばさんたちも

『あんた、妊娠してるの?』

と聞かれていた。

『違うよ~、失礼な!』

とみちるも怒っていたけど、実際も妊娠しているのか分からないお腹だった。


 あとから患者友達に、赤ちゃんの父親の名前を聞いたが、麻衣子の知らない男性患者だった。それにしても、どれにしても、誰もみちるの子宮から出てきてくれた子供たちを育てない、育てられない。

みちるは何を考えているのだろう。

どうしようと思っていたのだろう。


 麻衣子がみちるを許せないことで何となくイラついていると、そこへ患者友達の琥珀こはくからlineがきた。

『麻衣子ちゃん、元気~?』

琥珀は若くて可愛い今どきの女の子だ。

麻衣子を姉のように慕ってくれる。でもみちるとも仲がいい子だ。

lineでやり取りしていると、みちるが同居していた老人に口説かれたことがあるという。みちると琥珀とその老人と3人でご飯に行って、みちるがトイレに立つと

『琥珀ちゃん、お小遣いあげるから一緒に寝るだけ、頼むよ~』

と言われ怖くなって泣きながら帰って来たそうだ。


 『みちるに目覚めさせられて勘違いしてるんだよ、キモっ!』

と返して琥珀を慰めた。

みちるは、本当にどこでも荒らしに来るので困ってしまう。

周りをどんどん巻き込んでいくだけ行って去っていく。

まさにハリケーン女子。

あとに残されるのは、どうにも使えない残骸だけ。


 でも赤ちゃんは残骸なんかじゃない。

みちる、育てないなら作らないで!

みちるを知る人なら、そう思うはずだ。


 そしてまた数か月後、閉鎖病棟に戻っていた。

赤ちゃんはどこにやったの?

またお菓子やカップラーメンをねだるだけの人間に戻ってしまったようだった。

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みちるの口 久遠怜央奈 @reona3901

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