第26話 AO5の解体

「博士、今いいか?」


 アダマスの事務室でホールの立体地図を展開し、デュー・プロセスの一環として貰った記憶解剖の摘出物のコピー片手に証拠物の映像コードを打ち込んでいると、やつれた様子のロビンが監査部門から帰ってきた。


「審問会議なら、ジュラ・ホーンが私は出なくていいって」


「何してるんだ?」


 部屋に浮かぶ巨大建築物の骨組みと共に、ロビンの目に僅かな好奇心が映り込んだ。しかし彼は前髪を掻き上げて意図的にそれを振り払うと、読み取り機の上に翳してある私の手の方に視線をやった。


「博士、今頭の回転を途切れさせたくないのはよく分かる。お互い嫌なものを見たばかりだ、休めとは言いたくない。だがな......」


「私が嫌なことを忘れるためにこんなことしてると思う?」


 私は気が立っていた。会見の強行、禿男の遺体、ストレンジと局員の寝返り、ケベデの殺害、これらの証拠に適切と思われる時系列を与えることすら叶わない。なにより生の大脳皮質にこびりついて剥がれないのがストレンジの言葉だ。犯行に一貫性がないことの説明に一見役立ちそうで、一層問題を複雑化させる証言。思考がうまくまとまらない。


「煽動犯が複数いる。とすればエレベーターの死体について動機の説明はつくわね」


「博士、悪いが手を止めてくれ」


 ロビンが投影機のカバーの上に手を置いて映像を掻き乱す。私はそれを非難しようとして、彼の指の間に挟まった赤茶色のフィルムに目が留まった。


「なによ。それは、何かの証拠かしら?」


「違う、いやそうだが、待て。先に伝言を聞いてくれないか」


 私は彼の言葉を完全に無視することに決めた。彼の手からフィルムを奪い取り、瞬きを2度してそれを読み込む。既に民間のデータベースからは削除されたらしい、ケベデ暗殺の瞬間を捉えた報道映像だった。投影と同時に再現されたのは、ケベデを守ろうと壁を作る無印の地域警備隊員、それを掻き分け腕を振り上げる蒼紀章の警備隊員。その騒然とした輪は突如ホール後方から光線が放たれたのと同時に動きを止めた。ローブに身を包んだ情報総局職員が小銃片手に通路を占拠する。会場のざわめきが止み、退避しようと立ち上がった人々が抵抗の意思を示しながら再び腰を下ろす。薄々予想はついていたが、ただ1人を除いて。


「博士、映像を閉じろ。捜査はもう終わりなんだ」


 私は彼の言葉には耳を貸さずに映像の投影範囲を拡大した。ロビンが手を退けて、ホール全体が狭い事務室を圧迫するように映し出される。


 A-25番の座席から、ロビンの警告を気にも留めない様子で記者が声をあげた。映像がコンマ5秒途切れるも、公営放送第一番組の立体ニュースは何事もなかったかのようにその音声を垂れ流し続ける。


--OBJECTIVE 3、その最後の1人であるあなたに問おう--


 ベクトルを回転させると、記者の戸惑いの混ざった顔面が正面から映り込み、その手に握られた何かしらの通信装置が鈍く反射した。記者を包囲し銃口を向けた黒シャツたちを、ロビンが制止した。包囲していた職員の半数がテーザー銃に持ち替えると、座席の合間に入り込んでいく。記者は身を庇う仕草すらも見せない。


--......おや、どうやら、我々が謝罪しなければならないようです。セイフー・ケベデ、あなたは本当に何も知らないようだ。ならばご自身の運命を恨むだけ恨めばいい。しかし同時にいい思いもしてきたことでしょう。何も知らずに亡くなったご子息と思い出語りをするのは、楽しかったですか?--


 ケベデがあっと声をあげて、記者の口元がにやりと歪んだ。


--認めましたね。さあセレストの市民よ、犯罪者たちよ、そして回帰主義者たちよ、あなた方は--


 記者が手を振り上げた瞬間、放電音がその声を遮った。客席が大きくどよめき人々が一斉に立ち上がる。瞬間、舞台によじ登ったローブ姿の職員たちが警備隊員のストラップを掴んで客席に引き摺り落とす。ケベデの周りを綺麗にしてから、4人の職員が彼を舞台裏へと誘導しようとする。舞台の反対側には、私が横たわっている。


「博士、今すぐ止めろ!」


 ケベデが私の方を指差し、職員に立ち止まるよう指示する。私は彼の唇の動きを確認しようと、震える手で映像をさらに拡大する。ホログラム転換装置に映し出された彼の胸像が、舞台の上で拡大された動きを繰り返す。そして、その追尾針の振動幅が激しさを増し、機械の内部で閃光が走り、ストレンジと思しき人影がゆらめき、15トンを越える金属とセラミックの集合体が柔らかに形を崩しながら高度を失った。その瞬間、映像は途絶えた。


「観なくていい、博士。必要ないんだ」


 ロビンが操作盤の電源を引き抜いて立ち尽くしていた。その涙の浮かんだむかつく顔が目に入り、投影機を薙ぎ倒す。気づけば、彼の襟元に爪を立てて壁に押し付けていた。


「捜査をする必要が、どうして無いの?」


「冷静になってくれ、博士」


 私の血の通っていない掌をロビンは力強く握りしめた。私は彼に対する怒りが増していくのを感じた。


「ワタナベは、本気で私がケベデを見捨てたと?」


「そうだろう。俺もそうだ。敵の主観と、真実に囚われすぎた。俺たちは、昨日までだが、市民を守る保安局員だったんだ。二兎を追うべきじゃなかった」


 左手のチタンの骨格が擦れ合い嫌な音を立てる。ロビンは乱暴に私の手を引き離し、言い放った。


「だがもう事件は解決した。最悪の形でだがな」


「いいやまだ終わっていない。すべて私が見届ける。ゾフィーにそう誓った!」


「解決したんだ。これ以上、博士をここに居させる訳にはいかない」


 ロビンが先ほどのフィルムを私から奪い返し、皺と傷が付いた裏側を広げて見せた。


「ひとつ、ストレンジは殉職したが、奴の記憶装置は残っている。ひとつ、ソト教授がデータを入手した。ひとつ、司法総局は今回の件でしばらく動かん。ひとつ、エドメは生きている。犯人は遂に痕跡の残る犯罪を犯した。もはやただの思想犯に過ぎん。俺たちならすぐに辿り着く」


「なら私もそれに加わる。情報総局で雇って」


「俺もそう思ったさ、だがジュラ・ホーンが拒否した。従うしか無い」


 ロビンは腕時計を見て、ポケットから機械的に裁判所の紙切れを取り出した。私はそれを受け取らなかった。彼は私の胸ポケットの中にそれを突っ込んで、足早に事務室の出口を潜った。私が呼び止めようとすると、彼は何度も練習したような別れ言葉を口にした。


「更生プログラムは終了だ、ラフカ博士。シャニーアが回復すれば、ケベデの葬式には呼ぶ。ピカと穏やかに暮らせよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る