第22話 別れ道

「この私を殺したいとは」


 保険の防弾布が裏地に誂えられたローブを羽織りながら、ケベデは、はははと豪快な笑い声をあげた。


「もう現れないんじゃないか」


「それは困りますね」


「いやはや、その犯人も哀れだ。なんだか知らないが標的を絞っているうちに、辿り着いたのは長生きし過ぎたおいぼれだったのですから」


「ミスター・ケベデ、ご自身が死を恐れないからと言って勝手に居なくなられては困りますよ。我々にはまだ聞きたいことがたくさん」


「いやまったく、その通りだラフカ博士。その通りだ」


 ケベデは大人しくなると、一切外部モジュールの形跡のない綺麗な首を前に傾ける。私はその襟の中に通信器を挟み込んだ。


「もう一度確認しますが、何か思い当たる節はありませんか?」


「何も無いといえば嘘になりますが。そういえば最近は息子を夢に見るようになった。そろそろ迎えが近いのですよ、悪いことはもう暫くしていない」


「犯人の動機とは関係なくです。何か、あなただけの特別なこととか」


「そうすると、私の全てですかな」


 ケベデの背の埃をとっていると、鏡越しにストレンジ隊長と目が合った。左腕を叩いている。セレスト時間午後1時まで20分を切ったようだ。私は手を止めて、一歩身を引いた。


「護衛は信頼できる人物に任せています。安心して、本来の務めを果たしてください。市民の不安を収めることも喫緊の課題の一つですから」


「囮とはいえ、原稿を読むだけの仕事ですよ。さあ、要らぬ懸念は捨てて、貴女の手で真相を突き止めてください。必ずうまく行く」


 骨に巻きついた血管の感触を手に感じながら、私たちは固い握手を交わした。手が離れると間髪を入れず、シャニーアがケベデと拳を突き合わせた。


「社長」


「シャニーア、君も今やセレスト随一の技師だ。全て終わったら、また私の水槽庭園でチェスでもしよう。もちろん、まだ私が居ればだが」


「もちろん。寿命で死ぬ間もないくらい早く」


「まだ始まったばかりよ、シャニーア。ミスター・ケベデも、すべての謎を解きたいのなら、もう少し長い目で待ってください」


 薄い唇がにっと捲れ上がると、ケベデの白い歯が剥き出しになった。勝ちを確信した交渉人の悪い顔だった。




 コンサートホール客席の照明が再び灯ると、記者や映像技師で埋め尽くされた2階席からざわめきが広がる。扇状のホールの防音内扉が弧の両側から順に閉じられ始めていた。会見が始まらんとする、まさにそのタイミングだ。私はドアマンの横に立って、最後列からホール全体を見渡す。立ち上がる人影はいくつか捉えることができたが、特にホール内外の移動をする者はいないようだった。一方で、研究推進室本部での会合中に保安局が絡んだ騒動があったことを知る何人かの人間を発端に、伝言ゲームが始まった。


「また中止か?」


「前回は、発砲騒ぎがあったと聞くが」


 これは、想定内だ。


 通路の交差点付近に配置された警備隊員たちが退出を試みる記者たちを宥め座らせる。同時に、すでに壇上で記録機との同期を済ませていた技能総局の報告官がわざとらしく舞台袖の方を気にするそぶりを見せながら会見開始時刻を遅らせると案内をした。私は入れ違うように入って来た、徽章に青い隠し文字が入った警備隊員に合図をし、ホールの外に出た。アナログ時計の針はセレスト時間午後1時を少し過ぎていた。




「あたりだ。それも、クリティカルに」


 ロビンから早くも通信が届いていた。私は再度彼に音声通信を繋ぎ、エドメへの追加尋問のレポートを待つ。第6の指を動かす要領で、左脳に埋め込まれた自動言語化デバイスを起動しペグに接続する。いらぬ筋肉を使うが、囁き声の響き渡るこの荘厳な空間で無警戒に声を出さなくて済む。それに、ピカに盗聴を仕掛けられてからというものの、私はこうした所謂スパイグッズの有用性に目覚め始めていた。


 ロビンの応答には少しの時間を要した。私は周囲の人間の観察を注意深く続けながら、ホテルのロビーと一体化したある種の屋内広場へと向かった。


 太陽系を模した機械仕掛けのシャンデリアがラウンジを薄暗く色付けている。床に座り込んだ解析官の隙間を縫って、アーチ型の大窓からホテル正面の通りを見下ろす。


 式典の日もそうだったように、水平角度を維持し停止したトラベレーターの上で、万を超える市民が行進していた。唐突に社会安定と当たり前を奪われた彼らにとってもまた、この会見は特別だ。権力に「疑うことを抑圧されていた」という的を外した憎悪感情をここ数日間で十分に蓄積し、そして今日その表出の正当化としてこれ以上ない言質を取ることになるのだ。暴徒化傾向が理性制御システムの欠陥となればCMF社とあらゆる学問が、さらにその犯罪利用となれば保安局や司法総局が、いつでもその怒りの矛先となる。ただし今、規律された足音や怒声が聞こえることはない。彼らはまだデモ隊ではない。むしろその多くは、自己認識に生じた混乱を治めんと、ひとつの明確な答えを求めて集まった健全な完全秩序主義者たちだ。


「博士、遅くなった」


「エドメはなんて?」


「まずは、一歩。俺の仮説を認めたよ。PEGを利用して司法総局から情報を盗み出していた。それから技能総局本部で博士を襲った時だが、そのときにケベデ殺害を実行するはずだったと」


「30時間後の意味は?」


「煽動犯がヒルベルトホテルに現れる。標的がケベデであることに加えて、今回の殺人には演出が伴うはずだと。残念ながらこれはエドメの予想に過ぎない。だが、唯一の根拠ある予想だ」


「分かった。作戦を次の段階に進めるわ」


「賛成だ」


 ストレンジ隊長はホール5階の制御室に待機している。私は人気の少ない大理石の回廊を進み、楽器運送に使用されるエレベータールームへと足を進めた。


「あとそれから、どうして私たちにヒントを与えたのかはもう聞いた?」


「ああ。エドメが匿って欲しいと言ったのは、司法部門からでは無く、煽動犯からという意味だった」


「つまり?」


「つまり、ミケルの件で殺人の実行犯として手を汚した時に、エドメにかけられていた洗脳は解けていたんだ。彼はずっと、ボスの仲間ではないと確証が持てるような誰かに捕まえてもらえるよう、敢えてヒントを残していた。少し待てよ。ピカ、それをこっちにくれないか。どうも。ずれなく見られるといいが。これが、エドメが今回の実行犯の可能性ありと印をつけた、文化地区警備隊員のリストだ。全員辿れるか?」


「了解。シャニーアに送る」


「そのリストはこちらでも精査する。そっちは大丈夫か、警備配置の変更はバレてないだろうな」


「ええ、その気配はないわ。ただ外が想定より集まっているかも。あからさまな鎮圧部隊の介入がないのはかえって不自然だったかもね」


「まあ、その時はこっちに増援を要請してくれ。博士は今どこだ?」


「上階に上がるとこ。搬入口よ」


「了解、ドローンにリストを読み込ませ、通信追跡コマンドを発する。その角に一機待機しているから、一緒に乗せていってやってくれ。それから、煽動犯はエドメの逮捕を受けて、我々の介入をある程度想定しているはずだ。エドメの予想が外れる確率はもちろん、煽動犯が姿を現す確率はかなり下がっている。慎重にな、博士」


「確率?」


 私は彼の臆病を笑い飛ばした。


「すべては既に決まっていることよ。観測者には分からないけれど、事件はもう始まっている」


「そう、その通り。今は既に確定している」


「あら分かりがいいじゃない。ロビン、あなたも......」


「......」


 気配はなかった。影も伸びていない。私は腰から拘束銃を抜き、エレベーターの扉に背をつけて背後を振り返った。誰もいない。


 壁ではないところに張り付いたのは大きな過ちだった。風鈴のような音と共に背中に感じていた小さな溝が渦巻状に広がると、身体の支えが失われた。狭く黒く染まった空間に吸い込まれていく。腐った果物のように柔らかい何かの上に、私は仰向けになって倒れ込んだ。


 起きあがろうとして、靴の踵が滑る。横に転がるようにして、私は体を捻りあげる。そこにいるのが誰であるかさえ分かれば、引き金はいつでも引ける。扉が完全に開放されて、星屑を模した照明がエレベーターの中を点々と映し出した。目線と同じ高さにある丸い物体に、私は銃のライトを向ける。


「嫌」


 銀緑色と黒ずんだ赤の混ざった人工体液の流れを遡った先には、生気のない禿男。


 声の主を探すことも忘れて後退りする。ライトが左右に振れると、それは小汚い金属壁に描かれた血文字に反射した。


YOU CAN BE SAFE


 エレベーターの扉は中から誰も吐き出すことなく、誰にも気づかれることなく再び閉まりきった。


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