第21話 失敗は許されない

「内務総局は作戦実行を承認する」


 ワタナベ委員の承諾を得て、私とジュラ委員は静かに目を見合わせた。午前七時過ぎ、私は1人鏡張りの洗面所で、ジュラ委員、リント委員、ラトル委員、そしてこの場を支配するワタナベ委員の虚像と向かい合っていた。他の2名の右手が挙がるのを待つ間、アダマス・スクエア中央を吹き抜けるエントランスホールでの喧騒が、清潔な密空間で反響する。


「よかろう、全会一致だ。ただし我々の協定に基づいて幾つか条件を付させていただくよ、ジュラ君」


「承知しております」


「内務総局は情報総局に対し優先的捜査権を認定する。当該警部補引渡しについての次長命令は引き続き無視して構わない。そして、ラフカ課長の要請に応えて、保安局対テロ部門をアンチオカルト部門、並びにジュラ委員の直接の指揮下に置く」


「ありがとうございます」


 ワタナベの耳からぶら下がる真鍮のイヤリングが視界の隅で怪しく光った。


「作戦の第一段階の成功報告と同時に、我々4名は中央委員会に対して、司法総局及び文化地区警察に対する部門間特命調査の緊急動議を提出する。ただし、この作戦を有効に実行するにあたり、5課の存在が委員会の議事録に残ることになる。よって本作戦に際して、ヘパイストスは5課に対して法的制約を超えた支援を行うことはない。また作戦結果のいかんを問わず、関連する責任は全て情報総局に帰属することとなる。失敗は許されないと思いなさい」


「元よりそのつもりです」


 ワタナベ委員の色眼鏡の向こうで、皺だらけの瞼が一瞬動き、ウインクをしたように見えた。彼女が片手を上げると、3人の委員が無言で姿を消した。


「ではラフカ博士。私たちは、今まで以上の働きを期待している」




 濡れたハンカチ片手に回廊に出る。眼下のエントランスホールでは、徹夜組への配慮のかけらもなく、警官とオフィスの防衛班とが怒鳴り合っていた。中間フロアに位置する監査部門の会議室を囲むように、他部門によるギャラリーができている。監査部門の局員たちも、ワタナベ委員から通達があったのか、会議室の扉の前で腕を組んで背後から静観を続けていた。罵り合いの最前線では、シャニーアが私の方を見上げて何やら手信号を送っていた。私は階段を駆け下りながら返事をした。


「手に入れた」


「了解」


 課長級の制服を羽織った私に気づいて、首都警察庁の幹部らしき男が一枚の紙をひらひらとさせながら抗議の声をあげた。


「通しなさい。通せ、なんなんだ君たちは!」


「アンチ・オカルト部門です」


「オカルト?」


 男は怪訝な顔をして動きを止めた。


「特捜班か。話を聞いていないようだが、取り敢えず局長を出してくれ」


「話は承知しています。申し訳ありませんが、当該警備員の引渡し要請に応じることはできません」


「局長を。組織には階層性があるのだよ」


「どなたの指示ですか」


「警察局次長通達だ。なんだ、それは?」


 男は先ほどから目障りだった紙切れを私の鼻先に突きつけてきた。お返しにと、私は今さっき受信したばかりの、ワタナベ委員のサインが入った文書データを相手に転送した。正確に届いたようだ。男は一目見るなり苦虫を噛み潰したような顔をして、私の目を凝視した。しかし、彼の部下がそっと耳打ちをすると、先ほどまでの騒がしさが嘘だというように、男は地団駄をやめて穏やかな笑みを浮かべた。


「なるほど、情報担当委員直属の......」


 男は失礼、と一言だけ残して警察式に回れ右をすると、数人の部下を引き連れ早足で立ち去ろうとした。私はそれを引き止める。シャニーアが保安局防衛班の人員を引き連れて、私の視線の先でバリケードを作った。


「もう帰られるのですか?」


「ああ。いや、そちらの手続きが間に合ったようで。よかったですな。さあ、そうなれば話は終わりだ。失礼する」


「そうなのですか。せっかく交渉の席を用意したというのに」


 男の肩越しにシャニーアが目配せをしてきた。私はそれに小さく頷いた。


 付き人たちが反応するよりも早く、彼らの首筋に高濃度の理性緩和剤が撃ち込まれた。数秒も経たずに、アルコールに酔ったような表情をした大男3人が目の前でだらしなく立ち尽くしていた。防衛班がそれを引き摺るようにしてロビーフロアの接待室に連れ込む。


「交渉の、じかんは?」


「じきに。局長が伺いますから」


 大男たちの姿が木目調の扉の奥に隠れるのを見届ける暇もなく、無口なペグが私の足元から青色の矢印を伸ばした。


 私はシャニーアにその場を任せると、不服そうな顔で私の動きを追い続けていた監査部門の横を通って、階下へと向かった。ロビーフロアよりも下層に配置されているのは、対テロ部門の連絡部だ。


 重厚感のあるセンサーゲートを潜ると、私の動きに合わせて壁にうっすらと映されていた矢印が自動で消滅し、ペグの通信ログが途絶える。ゲートを入ってすぐのところには、暗号解析班や装備支援班など、私がこれまで何度か見かけたことのある部局名が貼り付けられた扉が並んでいた。その奥の開けた場所からは、螺旋状の回廊が二重になって伸びていた。確かにここから先で迷うことはなさそうだ。私は歩みを進めた。


 誰ともすれ違うことなく辿り着いた潜入班の事務室は、他の班と比較して特に異質な、ラボのような見た目のガラス張りの事務室だった。黒でも青でもなく白い制服を規則通りに着た保安局員が入り口で私を待っていた。


「対面では初めまして。ストレンジ隊長」


「はじめまして。ラフカ課長」


 私が確認事項を述べながら右手を差し出すと、彼は一瞬だけ戸惑った。


「内通者の件ですが」


「ええ......」


 彼は何事もなかったかのように柔らかく手を握り返すと、表情を隠し私の質問を補った。


「そういえば、対テロ課に煽動犯の共犯者がいる可能性もあるのでしたね」


 私は、保安局内の内通者問題と、煽動犯との共犯者をそれぞれ定義する言葉の使い分けの必要性を強く感じながら、話を修正する。


「ええ。ただ、よく考えれば対テロ課の局員はFW非装着特権の対象ですし、行動監視の厳しい組織で自動的に煽動犯と接触することは困難でしょうから、今はそれほど警戒していません。それよりも」


「なるほど、では保安局内の対抗勢力のことですね。それなら、私の独断ですが、最もリスクの低い人間を選抜いたしました」


「ストレンジ隊長の人事を疑っているわけではありません。ただ、煽動犯と対峙することになったとして、隊員のうちプランに予定のない動きを見せる人物がいた場合は」


「指揮系統は理解しています」


 ストレンジは私の謝罪の言葉を遮った。


「ラフカ課長。我々は指令通りに」


 表情のないその人物が両踵を合わせると、楕円形のガラス壁が一部回転するように開く。促されるまま部屋に足を踏み入れると、文化地区警備隊の制服に身を包み、同化識別子を胸元に留めた局員が数十名、列を成して並んでいた。さらに背後からはPEGシリーズよりも少し角ばった牽制ドローンが姿を現した。試しに彼らの顔と経歴を確認しようと視線を向けるも、その輪郭までは明瞭に認識できるものの目眩のような感覚に襲われる。どこか後ろめたさを感じ、慌ててストレンジ隊長の方に敬礼をした。防弾布が擦れる音と共にミリ秒違わず全員が敬礼を返した。


 失礼だとは分かっていながら、私は思わず頬が緩むのを感じた。保安局随一の特殊捜査の専門家たちだ。気の抜けた警備隊の真似事など、やれと言われれば完璧にこなすのだろうが、使い古されたような制服に着替えてなお滲み出る威圧感を一体どこに隠すつもりなのだろうかと首を傾げる。


 私の気の利かない冗談は、感情のなさそうな人間たちを目の前に、なんとか口の中に留められた。ストレンジが無言のまま私に説明を促した。私は咳払いをして、訓練プログラムで埋め込まれた記憶を頼りに休めの体勢をとった。見えない顔から強い視線を感じる。大きく息を吸った。


「我々行動部隊の最優先目的は、文化地区警備隊内に潜在する犯罪者の特定、煽動犯への接触手段の特定だ。ここで得られるあらゆる情報が、保安局、ひいては精神場理論の未来に関わる重要事件解決に向けた、大きな一歩となることを自覚して、職務に忠実な働きを期待する」


 ブーツの底が一斉に鳴り、部屋を震わせた。不慣れであることを押し隠すため、私は思い切り背筋を伸ばす。ガラス壁に手を触れると、補助AIによってフロー図が組み上げられていく。技能総局とケベデ氏による遅延工作、ピカとロビンによるエドメへの尋問、潜入班、護衛部門、委員たち。誰の脳も信用できない中で、最も信頼に足ると判断したあらゆる人間へとフロー図の枝先が別れて、そして再び重なってゆく。


 いよいよだ。


 ゾフィー、あなたと同じ世界を見た奴は、もう手の届くところにいる。失敗などあり得ない。私の無意識がそう告げている。


「これより、情報総局連絡部、オカルト部門、護衛部門、対テロ部門による合同作戦を開始する」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る