第24話 敵味方

「ええ。ミスター・ケベデ。私も同感です。暴徒らの人間性こそ非難されて然るべし」




 潜入班の隊員に撃ち込まれたダーツ弾を、爪に掛けて思い切り引き抜く。痛覚探知が切れた左掌から火花が散った。指を開いたり閉じたりしながら、私は反響板を挟んで立っている別の隊員の気配を伺う。呼吸が浅い。監視カメラの目が無音でこちらを向く。相手もこちらに気づいている。張り詰めた空気を、異質さを増して行くホールでの討論が鋭く震わせる。




「何をおっしゃっているのですか。私は技術者として理解しうる最大のことを述べるためにここに立っているのです。それが、社会に混乱をもたらしたCMFの果たすべきこと。信頼を問う市民の怒りを非難するつもりは毛頭無い」


「ですが、あなたはFWの不機能が暴徒化傾向に影響したと述べましたね。誤作動ではなく、文字通り不機能のせいであると」


「システムの欠陥を視野から外すことはできない。それだけのこと。ただ、誤作動であればフィードバックにそれが現れるはずです。我々は政府と共同で凡ゆるリスクを探っていますが、やはり今のところ不機能の可能性が高い」


「ええ、ええ。つまり、FWによる制御がなければ、我々はクレプトマニアや破壊衝動に規律付けられた、いわば理性のないただのオートマンに成り下がると」




 私は身をかがめ、足元で横たわる解析官の手からコードを拝借した。相手の鼻息が静まったのを合図に、張りつめたそれを突き上げる。相手の手首を捻りあげると、スタンナイフが音を立てて床に突き刺さった。そのままコードを首にまわし、壁に押し付けてヘルムを剥ぎ取った。錯乱や洗脳によるものでは無い、明確な殺意に満ちた顔が露わになる。


 「一致」とペグが報告する。


 シャニーアが気付いた通りだ。エドメのリストに記されていた隊員の殆どが、潜入班のマークから外されていた。


 ストレンジは、煽動犯の共犯者が誰であるかを既に知っていた。彼が選抜した潜入班のメンバーは私に銃口を向けた。ホールの中に配置された人員の半数が煽動犯の共犯者だったわけだ。そうであれば、ストレンジを5課の協力者として引き入れ、今回の共同作戦に指名したワタナベはどうか。他の協力者たちは、情報総局とジュラ・ホーンはこのあまりにも正々堂々たる二重スパイに気づくことはできなかったのか。


 隊員の通信機を奪って接続する。ストレンジの座標を検索しようとして、不意に肩に激痛が走る。




「私の言葉選びに問題があったことを謝罪します。そして言葉を補う機会をいただき感謝する。FWの不機能を仮定するとして、それが暴徒達の正当化としての文脈で用いられることは断固としてあってはならない。人工的に創出された自由不意思が弱まった状態で人々が逸脱行動に走ったからと言って、その人間性を即座に定義できるわけでは......」


「遮ってしまいますがミスター・ケベデ、今セレストでは、監視機関の能力を超えて暴力的な混乱が生じているのです。FWの不機能を認めるだけで、ご自身の説明責任が果たされると本当にお思いなのでしょうか。或いは、FWと今日の混乱の関係について何か隠しているのであれば、それを証言することをぜひお勧めします」


「私は技術者であり、心理学者であり、CWF社の経営者であります。そのような議論について、社会学的な知見の無い私が根拠なく口を挟むことは差し控えたい。ご理解いただけますかな」


「では、次に。3階席A-36のオービタル・ポスト。館外放送への同期をお願いします」


「失礼。ミスター・ケベデ、では経営者の資質という観点から、あなたの立場をはっきりさせましょうか。FW、ひいては自由意志の否定のその真の意義を、ここで証言してください。選ばれたあなたであれば、容易に答えられるはずです」


「......25番に警備班を」




 警告音が聴覚器を叩き、自衛モジュールが展開する。私が狙いを定める間もなく、背後で警棒を振り上げていた男の脚を滑走弾が貫いた。左腕が熱を帯び、高さ数十メートルはある空洞の中で破裂音が共鳴する。振り返ると、深く抉れた木質床の表面に、ペグが裏切り者の居る方位と距離を映し出した。呻きながら寄りかかってきた警備隊員を突き飛ばし、舞台装置に取り付けられた整備リフトに飛び乗った。




「真の意義?」


「CWF社長ともあろう方が、知らないということはないでしょう。記憶が蘇るかもしれません。私から言いましょうか」




 照明越しに舞台を見下ろす。ケベデの隣で補佐をしていた技能総局の職員が、何やら慌てて立ち上がり舞台裏に回った。警備隊員は一通り片付けたが、急いだほうが良さそうだと直感が告げる。改めてペグの矢印の先に目をやると、鉄柵に囲まれて、映像統合装置が宙に設置されていた。そのさらに上部には、オルガンや球状シアター殻が格納されている。対義体弾を装填した銃を胸の前に構えて、慎重にレールの上を渡る。




「太陽系文明を繁栄させた自由意志の否定、その人類史上最大のパラダイムシフトは、過去の過剰評価と、未来への無責任をもたらした。そして宇宙漂流の時代を経て物質主義化したセレスト社会は、その病原菌の温床であったわけです」




 シャニーアは統合装置の操作盤の真下でぐったりとしていた。駆け寄ると、かろうじて意識はある。虚な瞳を私の背後に向けて、何か喋ろうと掠れた息を吐いているが、腫れ上がった唇は微かに震えるだけで何も読み取れなかった。見上げると、放映映像のシミュレーションを囲った柵に、彼女のゴーグルがぶら下がっていた。私はその少し上を狙って引き金を引いた。軍靴の重たい足音が、それに呼応するようにゆっくりと響いた。




「自由な意思力の神話は揉み消され、人間の創造力は淘汰されたのです。情動の制止力の技術で安寧を得た今や、同調者が作り出す伝統をだれも疑おうとはしない。人工的で安定的な人間性に依存し、セレストで培養されてきた我々は、いつのまにか、無知だった頃の人間の言うロボットと成り果てたのだ。そしてミスター・ケベデ」


「奴の音声を切れ、何をしている?」


「あなたはFWによって魂を奪われた人々を騙し、人々の未来を誘導する悪人だ」


「何の話だ、私が何をした?」




 予想に反して、ストレンジは武器を手にしていなかった。まるでこれも私たちの作戦の一部であるとでも言いたげな様子で、無防備に柵から身を乗り出している。私はシャニーアを庇うように立ち、今度は彼の頭部を狙った。彼は微動だにせず、私を見下ろし続けた。


「素晴らしい演説だ。ラフカ課長、あなたはどう思いますか」


「気が狂ってるのね。私には何が言いたいのかわからない。それに、学術的にも間違えている。フロイトはとうの昔に否定された」


「そうですか、残念です。セイフー・ケベデ、彼は意図を分かっているようですよ」


 ストレンジの背後で、立方体の6面を覆う無数の樹脂針が微細な伸縮を繰り返し、照明の中で客席を睨みつけるケベデの胸像を浮かび上がらせていた。歯茎を剥き出しにして引き攣らせたその頬には、純粋な憎しみが刻まれている。私はストレンジとの距離を縮めながら訊いた。


「あの記者は誰?」


「あれを捕まえても無駄ですよ。エドメと同じ、煽動犯に操られたオートマンだ」


 私は引き金から指を離し、彼の瞳を直接見た。


「なら捕まえる価値はあるわね。あなたには残念な知らせだけれど、エドメは煽動犯を裏切った」


「なるほど、それでそこの女は私を狙ったのか」


 ストレンジはシャニーアのゴーグルを爪で弾いた。それは私の足元でバウンドし、液晶が砕ける。


「どうしてケベデの暗殺を試みた?」


「そうですね、あなたの立場であれば、こう言えば伝わりやすいでしょうか」


 ストレンジはゆっくりと梯子階段を降りてくる。私はシャニーアの位置を確認しながら、彼に向き合うように足をずらす。


「セイフー・ケベデ、彼もまた煽動犯の駒に過ぎないのです。我々と対立する、もう1人の煽動犯に操られたオートマン」


 次の問いを口にしようとすると、ストレンジは素早く私の唇に指を当てた。私はその腕を掴んで引き倒そうとしたが、彼の身体は鋼のように重く硬かった。手は簡単に払い除けられ、詰め寄ってきた彼の、静かに闘志を滲ませた吐息が髪を掠める。


「貴女はまだ知らなくていい。我々に手出ししなければ、あなたの安全は保証する。今はまだ、裏舞台に引っ込んでいてください。それでは」


 ストレンジは突然私の肩に手を置くと、私がその意図を読めないでいるうちに強く後ろに押した。銃を彼に向けようとしてバランスが崩れる。左手が索を掴むが、その留め具は嘘のように簡単に折れ曲がり、私の身体はずるずると20メートル下まで落下した。眩暈がするまま起き上がろうとすると、誰かが額に銃口を突きつける。


「侵入者だ」


 上空からストレンジが叫んだ。数秒して、技能総局の職員が私をうつ伏せにし、客席から悲鳴が沸き起こる。


「違う!」


 ケベデに助けを求め、彼の影を探す。しかしストレンジの指令に従う局員が彼の周りに壁を作ってしまっていた。私は識別子を取り出そうともがいたが、腕はあえなく捻りあげられてしまう。次の瞬間、誰かが私の腰からナイフを引き抜いたのを感じた。


「ケベデ、逃げて!」


 私の声は怒号にかき消される。首筋に針が押し当てられ、冷たい液体が脳を侵していく。


「ケベデ!」


 視覚がぼやけていく。手足からの信号が途絶え、私を囲っていた人影が大きく揺らぎ始める。そして一筋の光が目の前を横切り、意識が飛ぶ寸前、聞き慣れた声を聞いた。


「全隊伏せろ、情報総局だ。立っているものは撃つ」

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