曹操と関羽

二虎競食の計・駆虎呑狼の計 (吉川英治三国志より)

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※この後、徐州の太守劉備は小沛へ、小沛の食客呂布は徐州へ。主と客が入れ代わります。(反客為主の計)更に劉備は小沛の小城も追われ、流浪の将となります。



「匹夫、玄徳め。――いつのまにか曹操と諜しあわせて、この呂布を亡ぼさんと謀っておったな」

 直ちに、陳宮、臧覇の二大将に兵を授け、

「小沛の城を一揉みにもみ潰し、玄徳を生捕って来れ」と、命じた。

 陳宮は謀士である。小沛は小城と見ても無謀には立ち向わない。

 彼は、附近の泰山にいる強盗群を語らって、強盗の領袖、孫観、呉敦、昌※「豬のへん+希」(しょうき)、尹礼などという輩に、

「山東の州軍を荒し廻れ。今なら、伐取り勝手次第」と、けしかけた。

 宋憲、魏続の二将はいちはやく汝頴地方へ軍を突き出して、小沛のうしろを扼し、本軍は徐州を発して正面に小沛へ迫り、三方から封鎖しておめきよせた。

 玄徳は、驚愕した。

「さては、返書を持たせて帰した使いが、途中召捕られて、曹操の意思が、呂布へ洩れたか」

 と、胆を寒うした。

 先頃、曹操から、密書をもって云いよこしたことばには、呂布を討つ機会は、実に今をおいてはない。北方の袁紹も、北平と事を構えて、黄河からこっちを顧みている遑はなし、呂布、袁術のあいだも、国交の誼みなく、予と其許とが呼応して起てば、呂布は孤立の地にある。まことに、易々たる事業というべきではないか。

 要するに、戦備の催促である。もちろん劉玄徳は、敢然、協力のむねを返簡した。――呂布が見て怒ったのも当然であった。

「関羽は西門を守れ、張飛は東門に備えろ、孫乾は北門へ。また、南門の防ぎには、この玄徳が当る」

 取りあえず部署をさだめた。

 なにしろ急場だ。城内鼎の沸くような騒ぎである。――その混乱というのに、関羽と張飛のふたりは、何事か西門の下で口論していた。


 なにを口喧嘩しているのか。

 この戦の中に。

 また、義兄弟仲のくせして。――と兵卒たちが、守備をすてて、関羽、張飛のまわりへ立って聞いていると、

「なぜ、敵将を追うなと止めるか。敵の勇将を見て、追わぬほどなら、戦などやめたがいい」

 といっているのが張飛。

 それに対して、関羽は、

「いや、張遼という人物は、敵ながら武芸に秀で、しかも恥を知り、従順な色が見える。――だから生かしておきたいのだ。そこが武将のふくみというものではないか」

 と、諭したり、説破したり、論争に努めている。

 玄徳の耳にはいったとみえ、

「この際、何事か」と、叱りがきた。

「関羽、どっちが理か非か。家兄の前へ出て埓を明けよう」

 張飛は、関羽を引っぱって、遂に、玄徳の前まで議論を持ちだした。

 で、双方の云い分を玄徳が聞いてみると、こういう次第であった。

 その日、早朝の戦に。

 呂布の一方の大将張遼が、関羽の守っている西門へ押しよせて来た。

 関羽は、城門の上から、

「敵ながらよい武者振りと思ったら、貴公は張遼ではないか。君ほどな人物も、呂布の如き粗暴で浅薄な人間を主君に持ったため、いつも無名の戦や、反逆の戦場に出て、武人か強盗か疑われるような働きをせねばならぬとは、同情にたえないことだ。――武将と生れたからには戦わば正義の為、死なば君国の為といわれるような生涯をしたいものだが、可惜、忠義のこころざしも、貴公としては、向け場がござるまい」

 と、大音ながら、話しかけるような口調で呼びかけた。

 すると――

 寄手をひいて、猛然、攻めかけてきた張遼が、なに思ったか、急に馬をめぐらして、今度は張飛の守っている東の門へ攻めに廻った様子である。

 そこで関羽は、馬を馳せて、張飛の守っている部署へ行き、

「討って出るな」と、極力止めた。

「――張遼は惜しい漢だ。彼には正義の軍につきたい心と、恥を知る良心がある」

 と、敵とはいえ、助けておきたい心もちと理由とを、張飛に力説した。

「おれの部署へ来て、よけいな指揮はしてもらいたくない」

 張飛は、肯かない。

 そこで口論となり、時を移してしまったので、寄手の張遼も、余りに無反応な城門に、不審を起したものか、やがて、退いてしまったというわけであった。


(中略)



隻眼の勇将 夏侯惇 (吉川英治三国志より)

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※この後、劉備軍を助けるために曹操の援軍が来ますが、呂布軍に打ち破られて退きます。その際、曹操配下の夏侯惇は左目を失います。



(中略)


 なんといっても、玄徳の小沛勢は小勢である。張飛、関羽がいかに勇なりといえど、呂布の大軍には抗し得なかった。

 当然、敗退した。

 城中へ城中へと先を争って逃げてゆく、その小勢のなかに、玄徳のうしろ姿を見つけた呂布は、

「大耳児。待て」と、呼びかけた。

 玄徳は生れつき耳が大きかった。兎耳と綽名されていた。それゆえに呂布はそう叫んだのである。

 玄徳は、その声に、

「追いつかれては――」と、戦慄した。

 きょうの呂布の血相では、所詮、口さきで彼の戟を避けることはできそうもない。

「逃げるに如くなし」

 玄徳は、うしろも見ず、馬に鞭打った。


(中略)


 今は施すすべもない。なにをかえりみているいとまもない。業火と叫喚と。

 そして味方の混乱が、否応もなく、玄徳を城の西門から押し出していた。

 火の粉と共に、われがちに、逃げ散る兵の眼には、主君の姿も見えないらしい。

 玄徳も逃げた。

 けれど、いつのまにか、彼はただ一騎となっていた。

 小沛から遠く落ちて、ただの一騎となった身に、気がついた時、玄徳は、

「ああ、恥かしい」と思った。

 もう一度、城へ戻って戦おうかと考えた。小沛の城には老母がいる、妻子が残してある。

「――何で、われ一人、このまま長らえて落ちのびられよう」

 慚愧にとらわれて、しばし後ろの黒煙をふり向いていたが、

「いや待て。――ここで死ぬのが孝の最善か。妻子への大愛か。――呂布もみだりに老母や妻子を殺しもしまい。今もどって、いたずらに呂布を怒らすよりはむしろ呂布に完全な勝利を与えて、彼の心に寛大な情のわくのを祈っていたほうがよいかもしれぬ」

 玄徳は、そう思慮して、悄然とひとり落ちて行った。


(中略)


 玄徳は次の日、そこを立って梁城の附近に到ると、彼方から馬けむりをあげてくる大軍があった。

 これなん、曹操自身が、許都の精猛を率いて、急ぎに急いできた本軍であった。

 地獄で仏に。

 玄徳は、計らずも曹操にめぐり会って、まったくそんな心地であった。


(中略)


「捕ったっ」

「呂布を縛めた!」

 諸声あげて、反軍の将士が、そこでどよめきをあげた頃――城頭のやぐらでは、一味の者が、白旗を振って、

「東門は開けり」と、寄手へ向って、かねての合図を送っていた。

 それっ――と曹操の大軍は、いちどに東の関門から城中へなだれ入ったが、用心深い夏侯淵は、

「もしや敵の詭計ではないか」

 と、疑って、容易に軍をうごかさなかった。

 宋憲は、それと見て、

「ご疑念あるな」と、城壁から彼の陣へ、大きな戟を投げてきた。

 見るとそれは呂布が多年戦場で用いていた画桿の大戟だった。

「城中の分裂、今はまぎれもなし」

 と、夏侯惇も、つづいて関内へ駸入し、その余の大将も、続々入城する。

 城内はまだ鼎のわくがごとき混乱を呈していた。

「呂将軍が捕われた」と伝わったので、城兵の狼狽は無理もなかった。去就に迷って殲滅の憂き目に会う者や、いち早く、武器を捨て、投降する者や、右往左往一瞬はさながら地獄の底だった。

 中にも。

 高順、張遼の二将は、変を知るとすぐ、部隊をまとめて、西の門から脱出を試みたが、洪水の泥流深く、進退極まって、ことごとく生虜られた。

 また。――南門にいた陳宮は、「南門を、死場所に」と、防戦に努めていたが、曹操麾下の勇将徐晃に出会って、彼もまた、捕虜の一人となってしまった。

 こうして、さしもの下※「丕+おおざと」城(かひじょう)も、日没と共に、まったく曹操の掌中に収められ、一夜明けると、城頭楼門の東西には、曹軍の旗が満々と、曙光の空にひるがえっていた。


(中略)


 張遼にも、当然、斬られる番が迫ってきたが、玄徳は、突如立って、

「張遼は、下※「丕+おおざと」城中(かひじょうちゅう)、ただ一人の心正しき者です。願わくは、ゆるしたまえ」

 と曹操を拝した。

 曹操は、玄徳の乞いをいれて、彼を助命したが、張遼は辱じて、自ら剣を奪って死のうとした。

「大丈夫たる者が、こんな穢らわしい場所で、犬死する奴があるか」

 と、彼の剣を奪って止めたのは、かねて彼を知る関羽だった。


(中略)


 曹操は、例によって、功ある武士に恩賞をわかち、都民には三日の祝祭を行わせた。朝門街角ともその数日は、挙げてよろこびの声に賑わった。

 玄徳の旅舎は丞相府のひだりに定められた。特に一館を彼のために与えて、曹操は礼遇の意を示した。

 のみならず、翌日、朝服に改めて参内するにも、玄徳を誘って、ひとつ車に乗って出かけた。

 市民は軒ごとに、香を焚いて道を浄め、ふたりの車を拝跪した。

 そして、ひそかに、

「これはまた、異例なことだ」と、眼をみはった。

 禁中へ伺候すると、帝は、階下遠く地に拝伏している玄徳に対し、特に昇殿をゆるされて、何かと、勅問のあって後、さらに、こう訊ねられた。

「其方の先祖は、そも、何地の如何なるものであるか」

「……はい」

 玄徳は、感泣のあまり、しばしは胸がつまって、うつ向いていた。――故郷楼桑村の茅屋に、蓆を織って、老母と共に、貧しい日をしのいでいた一家の姿が、ふと熱い瞼のうちに憶い出されたのであろう。

 帝は、彼の涙をながめて、怪しまれながら、ふたたび下問された。

「先祖のことを問うに、何故そちは涙ぐむのか」

「――さればにござります」

 玄徳は襟を正し、謹んでそれに答えた。

「いま、御勅問に接し、おぼえず感傷のこころをうごかしました。――という仔細は、臣が祖先は中山靖王の後胤、景帝の玄孫にあたり、劉雄が孫、劉弘の子こそ、不肖玄徳でありまする。中興の祖劉貞は、ひとたびは、※「さんずい+ (冢ー冖)」県(たくけん)の陸城亭侯に封ぜられましたが、家運つたなく、以後流落して、臣の代にいたりましては、さらに、祖先の名を辱めるのみであります。……それ故、身のふがいなさと、勅問のかたじけなさに思わず落涙を催した次第でありまする。みぐるしき態をおゆるし下しおかれますように」

 帝は、驚きの眼をみはって、

「では、わが漢室の一族ではないか」

 と、急に朝廷の系譜を取りよせられ、宗正卿をして、それを読み上げさせた。


(中略)


 漢家代々の系譜に照らしてみると、玄徳が、景帝の第七子の裔であることは明らかになった。

 つまり景帝の第七子中山靖王の裔は、地方官として朝廷を出、以後数代は地方の豪族として栄えていたが、諸国の治乱興亡のあいだに、いつか家門を失い、土民に流落して、劉玄徳の両親の代には、とうとう沓売りや蓆織りを生業としてからくも露命をつなぐまでに落ちぶれ果てていたのであった。

「世譜に依れば、正しく、朕の皇叔こうしゅくにあたることになる。――知らなかった。実に今日まで、夢にも知らなかった。朕に、玄徳のごとき皇叔があろうとは」

 と、帝のおよろこびは一通りでない。御涙さえ流して、邂逅の情を繰返された。

 改めて、叔甥の名乗りをなし、帝は慇懃礼をとって、玄徳を便殿へ請じられた。そして曹操もまじえて酒宴を賜わった。

 帝はいつになく杯を重ねられ、龍顔は華やかに染められた。こういう御気色はめずらしいことと侍側の人々も思った。――知らず、玄徳を見て、帝のお胸に、どんな灯が点ったであろうか。


(中略)


「皇叔よ。今日の猟を、朕のなぐさみと思うな。朕は、皇叔が楽しんでくれれば共にうれしかろう」

 玄徳は、恐懼して、

「おそれ多いことを」

 と、馬上ながら、鞍の前輪に顔のつくばかり、拝伏した。

 ところへ、勢子の喊声におわれて、一匹の兎が、草の波を跳び越えてきた。

 帝は、眼ばやく、

「獲物ぞ。あれ射てとれ」

 と、早口にいわれた。

「はっ」

 と、玄徳は馬をとばして、逃げる兎と、併行しながら、弓に矢をつがえてぴゅっんと放した。

 白兎は、矢を負って、草の根にころがった。帝は、その日、朝門を出御ある折から、始終、ふさぎがちであった御眉を、初めてひらいて、

「見事」

 と、玄徳の手ぎわを賞し、

「彼方の丘を巡ろうか。皇叔、朕がそばを離れないでくれよ」

 と堤のほうへ、先に駒をすすめて行かれた。

 すると、一叢の荊棘の中から、不意にまた、一頭の鹿が躍りだした。帝は手の彫弓に金※箭(きんひせん)をつがえて、はッしと射られたが、矢は鹿の角をかすめて外それた。

「あな惜しや」

 二度、三度まで、矢をつづけられたが、あたらなかった。

 鹿は、堤から下へ逃げて行ったが、勢子の声におどろいて、また跳ね上がってきた。

「曹操、曹操っ。それ射止めてよ」

 帝が急きこんで叫ばれると、曹操はつと馳け寄って、帝の御手から弓矢を取り、それをつがえながら爪黄馬を走らすかと見る間に、ぶんと弦鳴させて射放った。

 金※箭は飛んで鹿の背に深く刺さり、鹿は箭を負ったまま百間ばかり奔って倒れた。

 公卿百官を始め、下、将校歩卒にいたるまで、金※箭の立った獲物を見て、いずれも、帝の射給うたものとばかり思いこんで、異口同音に万歳を唱えた。

 万歳万歳の声は、山野を圧して、しばし鳴りも止まないでいると、そこへ曹操が馬を飛ばしてきて、

「射たるは、我なり!」

 と、帝の御前に立ちふさがった。

 そして彫弓金※箭を諸手にさしあげ、群臣の万歳を、あたかも自身に受けるような態度を取った。

 はっと、諸人みな色を失い興をさましてしまったが、特に、玄徳のうしろにいた関羽の如きは、眼を張り、眉をあげて、曹操のほうをくわっとにらめつけていた。


 その時、関羽は、

「人もなげな曹操の振舞い。帝をないがしろにするにも程がある!」

 と、口にこそ発しなかったが、怒りは心頭に燃えて、胸中の激血はやみようもなかったのである。

 無意識に、彼の手は、剣へかかっていた。玄徳ははっとしたように、身を移して、関羽の前に立ちふさがった。そして手をうしろに動かし、眼をもって、関羽の怒りをなだめた。

 ふと、曹操の眸が、玄徳のほうへうごいた。玄徳は咄嗟に、ニコと笑みをふくんでその眼に応えながら、

「いや、お見事でした。丞相の神射には、おそらく及ぶ者はありますまい」

「はははは」

 曹操は高く打笑って、

「お褒めにあずかって面はゆい。予は武人だが、弓矢の技などは元来得手としないところだ。予の長技は、むしろ三軍を手足の如くうごかし、治にあっては億民を生に安からしめるにある。――さるを奔る鹿をもただ一矢で斃したのは、これ、天子の洪福というべきか」

 と、功を天子の威徳に帰しながら、暗に自己の大なることを自分の口から演舌した。

 それのみか、曹操は、忘れたように、帝の彫弓金※箭を手挟たばさんだまま、天子に返し奉ろうともしなかった。


(中略)


 禁苑の禽は啼いても、帝はお笑いにならない。

 簾前に花は咲いても、帝のお唇は憂いをとじて語ろうともせぬ。

 きょうも終日、帝は、禁中のご座所に、物思わしく暮しておわした。

 三名の侍女が夕べの燭しょくを点じて去る。

 なお、御眉の陰のみは暗い。

 伏皇后は、そっと問われた。

「陛下。何をそのようにご宸念を傷めておいで遊ばしますか」

「朕の行く末は案じぬが、世の末を思うと、夜も安からず思う。……哀しい哉、朕はそも、いかなれば、不徳に生れついたのであろう」

 はらはらと、落涙されて、

「――朕が位に即いてから一日の平和もなく、逆臣のあとに逆臣が出て、董卓の大乱、李※「にんべん+確のつくり」(りかく)、郭※「さんずい+巳」(かくし)の変と打ちつづき、ようやく都をさだめたと思えば、またも曹操が専横に遭い、事ごとに、廟威の失墜を見ようとは……」

 共にすすり哭く伏皇后の白い御頸に、燭は暗くまたたいた。


(中略)


 次の日、帝は、ひそかに勅し給うて、国舅の董承を召された。

 董承は、長安このかた、終始かたわらに仕えてあの大乱から流離のあいだも、よく朝廷を護り支えてきた御林の元老である。

「何ごとのお召しにや?」と、彼は急いで参内した。

 帝は、彼に仰せられた。

「国舅。いつも体は健やかにあるか」

「聖恩に浴して、かくの如く、何事もなく老いを養っております」

「それは何よりもめでたい。実は昨夜、伏皇后と共に、長安を落ちて、李※ (「にんべん+確のつくり」、第4水準2-1-76)、郭※ (「さんずい+巳」、第3水準1-86-50)などに追われた当時の苦しみを語りあい、そちの功労をも思い出して涙したが、考えてみると、今日まで、御身にはさしたる恩賞も酬わで過ぎた。――国舅、この後とも、朕が左右を離れてくれるなよ」

「もったいない御意を……」

 董承は、恐懼して、身のおくところも知らなかった。


(中略)


 帝は、突然、身をかがめて董承の手をおとりになった。はっと、董承が、恐懼して、うろたえを感じていると、低いお声に熱をこめて、

「国舅。御身も今からはつねに、朕がかたわらに立って、張良、蕭何の如く勤めてくれよ」

「畏れ多い御意を」

「否とか」

「滅相もない。ただ、臣の駑才、何の功もなく、いたずらに侍側の栄を汚すのみに終らんことをおそれまする」

「いやいや、往年長安の大乱に、朕が逆境に浮沈していた頃から卿のつくしてくれた大功は片時も忘れてはいない。何を以て、その功にむくいてよいか」

 帝は、そう宣いながら、みずから上の御衣を脱いで、玉帯をそれに添え、御手ずから董承に下賜された。

 董承は、あまりの冥加に、ややしばし感泣していた。そして拝受した御衣玉帯の二品をたずさえ、間もなく宮中から退出した。


(中略)


董承はわが邸へいそいだ。

 帰るとすぐ、彼は一室に閉じこもって、御衣と玉帯をあらためてみた。

「はてな。何物もないが?」

 なお、御衣を振い、玉帯の裏表を調べてみた。しかし一葉の紙片だに現れなかった。

「……自分の思い過しか」

 畳み直して、恩賜の二品を、卓の上においたが、何となく、その夜は、眠れなかった。

 二品を賜わる時、帝は意味ありげに、御眼をもって、何事か、暗示された気がする。――その時の帝のお顔が瞼から消えやらぬのであった。

 それから四、五日後のことである。董承はその夜も卓に向って物思わしく頬杖ついていた。――と、いつのまにか、疲れが出て、うとうとと居眠っていた。

 折ふし、かたわらの燈火が、ぽっと仄暗くなった。洩れくる風にまたたいて丁子頭がポトリと落ちた。

「…………」

 董承はなお居眠っていたが、そのうちに、ぷーんと焦げくさい匂いが鼻をついた。愕いて眼をさまし、ふと、見まわすと、燈心の丁子が、そこに重ねてあった玉帯のうえに落ちて、いぶりかけていたのであった。

「あ……」

 彼の手は、あわててもみ消したが、龍の丸の紫金襴に、拇指の頭ぐらいな焦げの穴がもうあいていた。

「畏れ多いことをした」

 穴は小さいが、大きな罪でも犯したように、董承は、すっかり睡気もさめて、凝視していたが、――見る見るうちに、彼のひとみはその焦穴へさらにふたたび火をこぼしそうな耀きを帯びてきた。

 玉帯の中の白絖の芯が微かにうかがえたのである。それだけならよいが、白絖には、血らしいものがにじんでいる。

 そう気がついて、つぶさに見直すと、そこ一尺ほどは縫い目の糸も新しい。――さては、と董承の胸は大きく波うった。

 彼は小刀を取出して、玉帯の縫い目を切りひらいた。果たして、白絖に血をもって認めた密詔があらわれた。

 董承は、火をきって、敬礼をほどこし、わななく手に読み下した。


朕聞ク。

人倫ノ大ナルハ、父子ヲ先トシ、尊卑ノコトナルハ、君臣ヲ重シトスト。

近者。――曹賊出テヨリ閣門濫叨シ、輔佐ノ実ナク、私党結連、朝綱タチマチ敗壊ス。

勅賞封罰ミナ朕ガ胸ニアラズ。

夙夜、憂思シテ恐ル、将ニ天下危ウカラントスルヲ。

卿ハスナワチ国ノ元老、朕ガ至親タリ。高祖ガ建業ノ艱ヲオモイ、忠義ノ烈士ヲ糾合シ、姦党ヲ滅シ、社稷ノ暴ヲ未萌ニ除キ、以テ祖宗ノ治業大仁ヲ万世ニ完カラシメヨ。

愴惶、指ヲ破ッテ詔ヲ書キ、卿ニ付ス。再四慎ンデコレニ負クコトアルナカレ。

  建安四年春三月詔


「…………」

 涙は滂沱と血書にこぼれ落ちた。董承は俯し拝んだまましばし面もあげ得なかった。

「かほどまでに。……何たる、おいたわしいお気づかいぞ」

 同時に、彼はかたく誓った。この老骨を、さほどまでたのみに思し召すからには、何で怯もうと、何で、余命を惜しもうと。

 しかし、事は容易でない。

 彼は血の密詔を、そっと袂に入れて、書院のほうへ歩いて行った。


(中略)


 昼は人目につく。

 董承は或る夜ひそかに、密詔をふところに秘めて頭巾に面をかくして、

「風雅の友が秦代の名硯を手に入れたので、詩会を催すというから、こよいは一人で行ってくる」

 と、家人にさえ打明けず、ただ一人驢にまたがって、玄徳の客館へ出向いて行った。

 それも、ふと曹操の密偵にでも見つかって、あとを尾行られてはならぬと、日頃、詩文だけの交わりをしている風雅の老友を先に訪ね、わざと深更まではなしこんで、夜も三更のころ気がついたように、

「やあ、思わず今夜は、はなしに実がいって、長座いたした。どうも詩や画のはなしに興じていると、つい時も忘れ果てて」

 などと云いながら、あわててその家を辞した。

 そこは郊外なので、玄徳の客舎へ来たのは、もう四更に近かった。

 深夜。しかも、時ならぬ人の訪れに、

「何ごとか」と、玄徳もあやしみながら彼を迎え入れた。

 が、――彼は、およそ客の用向きを察していたらしく、家僕が客院に燭をともしかけると、

「いや、奥の小閣にしよう」と、自ら董承をみちびいて、庭づたいに、西園の一閣へ案内した。

 許都へ来た当座は、曹操の好意で、相府のすぐ隣の官邸を住居としてあてがわれていたが、

「ここは帝都の中心で、田舎漢の住居には、あまり晴れがましゅうござれば」

 と、今のところへ引移っていたのだった。

「何もありませんが」

 と、すぐ青燈の下に、小酒宴の食器や杯がならべられた。それらの陶器といい室の飾りといい、清楚閑雅な主の好みがうかがわれて、董承はもう、この人ならではと思いこんでいた。

 四方のはなしの末に、

「時ならぬご来駕は、何事でございますか」と、玄徳から訊ねだした。

 董承はあらたまって、

「余の儀でもありませんが、許田の御猟の折、義弟関羽どのが、すでに曹操を斬ろうとしかけたのを、あなたが、そっと眼や手をもって、押し止めておいでになったが、その仔細を伺いたいと思って参上したわけです」

 玄徳は、色を失った。自分の予感とちがって、さては曹操の代りに、詰問に来たのかと思われたからである。

 ――が、隠すべきことでもなく、隠しようもない破目と、玄徳は心をきめた。

「舎弟の関羽は、まことに一徹者ですから、あの日、丞相のなされ方が、帝威をおかすものと見て、一時に憤激したものでしょう。……や、や? ……国舅、あなたは何故、わたくしの言を聞いて泣かれるのですか」

「いや、おはずかしい。実は今のおことばを伺って、今もし、関羽どののような心根の人が幾人かいたならば……と、つい愚痴を思うたのでござる」

「府に、曹丞相あり、朝にあなたのような輔佐があって、世は泰平に治まっているではありませんか。なにを憂いとなされるか」

「皇叔――」

 董承は濡れた瞼をあげて、屹といった。

「御身は、わしが曹操にたのまれて、肚でも探りにきたものと、ひそかに要心しておられようが。……疑うをやめ給え。ご辺は天子の皇叔、此方もまた外戚の端にあるもの、なんで二人のあいだに詐りをさし挟もう。今、明らかに、実を告げる。これを見てください」

 董承は、席を改め、口を嗽いして、密詔を示した。

 燈火をきって、それへ眸をじっと落していた玄徳は、やがてとめどもなくながれる涙を両手でおおってしまった。悲憤のあまり彼の鬢髪はそそけ立って燈影におののき慄えていた。


「おしまい下さい」

 涙をふき、密詔を拝して、玄徳はそれを、董承の手へ返した。

「国舅のご胸中、およそわかりました」

「ご辺も、この密詔を拝して、世のために涙をふるって下さるか」

「もとよりです」

「かたじけない」と、董承は、狂喜して、幾たびか彼のすがたを拝した後、

「では、さらにもう一通、これをごらん願いたい」と、巻をひらいた。

 同志の名と血判をつらねた義状である。


 本頭、車騎将軍董承。

 第二筆に、長水校尉※「禾+中」輯(ちゅうしゅう)。

 第三には、昭信将軍呉子蘭。第四、工部郎中王子服。第五、議郎呉碩などとあって、その第六人目には、西涼之太守、馬騰。


 と、ひときわ筆太に署名されてある。

「おう、もはやこれまでの人々をお語らいになりましたか」

「世はまだ滅びません。たのもしき哉、濁世のうちにも、まだ清隠の下、求めれば、かくの如き忠烈な人々も住む」

「この地上は、それ故に、どんなに乱れ腐えても、見限ってはいけません。わたくしはいつもそれを信じている。ですから、どんなに悪魔的世相があらわれても、決して悲観しません。人間はもう駄目だとは思いません。むしろ、見えないところに、同じ思いを抱いている草間がくれの清冽をさがし、人間の狂気した濁流をいつかは清々淙々たる永遠の流れに化さんことの願望をふるい起すのが常であります」

「皇叔。おことばを伺って、この老骨は、実にほっとしました。この年して初めてほんとの人間と天地の不朽を知ったここちがします。ただいかにせん、自分には乏しい力と才しかありません。お力をかして賜わるか」

「仰せまでもない儀。――ここに名を連ねる諸公がすでに立つからには、玄徳もなんで犬馬の労を惜しみましょうや」

 彼は起って、自身、筆硯を取りに行った。

 その時。

 小閣の外、廊や窓のあたりは、かすかに微光がさし始めていた。

 夜は明けかけていたのである。外廊の廂からぽとぽと霧の降る音がしていた。そこで何者か、声を出して泣いている人影があった。

 玄徳は見向きもしない。けれど董承は、ぎょっとして、廊をさしのぞいた。

 見れば、玄徳の護衛のため、夜どおし外に佇立していた臣下であった。いや義弟の関羽と張飛の二名だった。抱き合って、うれし泣きに、泣いている様子なのである。

「……あ、二人も、ここの密談を洩れ聞いて」

 董承は、羨ましいものさえ覚えた。義状に名をつらねた人々のちかいも、もし玄徳と義弟たちの間のように、濃くふかく結ばれたら、必ず大事は成就するが――と思った。

 硯を持って、玄徳は静かに、彼の前へもどってきた。

 そして、義状の第七筆に、

 左将軍劉備。

 と、謹厳に書いた。


(中略)


 時ならぬ深夜、相府の門をたたいて、

「天下の大変をお訴えに出ました。丞相を殺そうとしている謀叛人があります」

 と、駈け込んで来た一美童に、役人たちは寝耳に水の愕きをうけた。

 いやもっと愕いたのは、慶童の口から、董承一味の企てを、直接聞きとった曹操自身であった。

「どうして其方は、そんな主人の大事を、つぶさに知っておるのか。そちも一味の端くれであろうが」

 とわざと脅しをかけてみると、慶童はあわてて顔を横に振って、

「滅相もないことを仰っしゃいませ。私は何も存じませんが、正月十五日の夜、いつもくる典医の吉平と主人が、妙に湿ッぽく話しこんでいたり、慨嘆して哭いたりしていますので、次の間の垂帳のかげでぬすみ聞きしていましたところ、いま申しあげたように、丞相様に毒を盛って、他日きっと殺してみせると約束しているではございませんか……。怖ろしさのあまり身がふるえ、それからというもの、私は主人の顔を仰ぐのも何だか恐くなっておりました」

 曹操は動じない面目を保とうとしていたが、明らかに、内心は静かとも見えなかった。

 階下の家臣に向って、

「事の明白となるまでその童僕は府内のどこかへ匿っておけ。なお、この事件については、一切口外はまかりならぬぞ」と、云い渡し、また慶童に対しては、

「他日、事実が明らかになったならば、其方にも恩賞をつかわすであろう」といって退けた。


(中略)


 曹操は一計を按じて、近ごろ微恙であったが、快癒したと表へ触れさせた。そして、招宴の賀箋を知己に配った。

 その一夕、相府の宴には、踵をついでくる客の車馬が迎えられた。相府の群臣も陪席し、大堂の欄や歩廊の廂には、華燈のきらめきと龕の明りがかけ連ねられた。

 こよいの曹操はひどく機嫌よく、自身、酒間をあるいて賓客をもてなしなどしている風なので、客もみな心をゆるし、相府直属の楽士が奏する勇壮な音楽などに陶酔して、

「宮中の古楽もよいが、さすがに相府の楽士の譜は新味があるし、哀調がありませんな。なんだか、心が濶くなって、酒をのむにも、大杯でいただきたくなる」

「譜は、相府の楽士の手になったものでしょうが、今の詩は丞相が作られたものだそうです」

「ほう。丞相は詩もお作りになられますか」

「迂遠なことを仰っしゃるものではない。曹丞相の詩は夙に有名なものですよ。丞相はあれでなかなか詩人なんです」

 そんな雑話なども賑わって酒雲吟虹しゅうんぎんこう、宴の空気も今がたけなわと見えた折ふし、主人曹操はつと立って、

「われわれ武骨者の武楽ばかりでも、興がありますまいから、各位のご一笑までに、ちょっと、変ったものをご覧に入れる。どうか、酒をお醒ましならぬように」

 と、断りつきの挨拶をして、傍らの侍臣へ、何か小声でいいつけた。


 なにか余興でもあるのかと、来賓は曹操のあいさつに拍手を送り、いよいよ興じ合って待っていた。

 ところが。――やがてそこへ現れたのは、十名の獄卒と、荒縄でくくられた一名の罪人だった。

「……?」

 宴楽の堂は、一瞬に、墓場の坑みたいになった。曹操は声高らかに、

「諸卿は、このあわれな人間をご承知であろう。医官たる身でありながら、悪人どもとむすんで、不逞な謀をしたため、自業自得ともいおうか、予の手に捕われて、このような醜態を、各々のご酒興にそなえられる破目となりおったものである。……天網恢々、なんと小癪な、そして滑稽なる動物ではないか」

「…………」

 もう誰も拍手もしなかった。

 いや、咳一つする者さえない。


(中略)


 彼は直ちに、獄吏に命じて、そこで拷問をひらき始めた。

 肉をやぶる鞭の音。

 骨を打つ棒のひびき。

 吉平のからだは見るまに塩辛のように赤くくたくたになった。

「…………」

 満座、酒をさまさぬ顔はひとつとしてなかった。

 わけてもがくがくと、ふるえおののいていたのは、王子服、呉子蘭、※「禾+中」輯、呉碩の四人だった。


(中略)


 酒宴の客はみなこそこそと堂の四方から逃げだしていた。

 王子服達の四人も、すきを見てぱっと扉のそばまで逃げかけたが、

「あ、君達四人は、しばらく待ちたまえ」

 と、曹操の指が、するどく指して、その眼は、人の肺腑をさした。

 王子服達のうしろには、すでに大勢の武士が墻をつくっていた。曹操は冷ややかに笑いながら四人の前へ近づいてきた。

「各々には、そう急ぐにもあたるまい。これから席をかえて、ごく小人数で夜宴を催そう。……おいっ、特別の賓客をあちらの閣へご案内しろ」

「はっ。……歩け!」

 一隊の兵は、四人の前後を、矛や槍でうずめたまま、一閣の口へながれこんだ。呉子蘭の足も王子服の足も明らかにふるえていた。四人の魂はもうどこかへ飛んでしまっている。


(中略)


 呼びだした慶童を突きあわせて、董承の吟味にかかる段となると、彼の姿は、火か人か、猛言辛辣、彼の部下すら、正視していられないほどだった。

 董承も初めのうちは、

「知らぬ、存ぜぬ。いっこう覚えもないことじゃ。何とてわしを、さように嫌疑したもうか」と、あくまで彼の厳問を拒否していたが、なにしろ召使いの慶童が、傍からいろいろな事実をあげて、曹操の調べにうごかぬ証拠を提供するので、にわかに、云いぬけることばを失って、がばと床にうっ伏してしまった。

「恐れ入ったかっ」

 勝ちほこるが如く曹操が雷声を浴びせると、とたんに董承は身を走らせて、

「ここな人非人めが」と、慶童の襟がみをつかんで引き仆し、手ずから成敗しようとした。

「国舅に縄を与えい!」

 曹操の部下は、その峻命にこたえて、一斉におどりかかり、たちまち、董承に縛をかけて、欄階にくくりつけてしまった。

 そして客堂をはじめ、書院、主人の居室、家族の後房、祖堂、宝庫、傭人たちの住む邸内の各舎まで、千余の兵でことごとく家探しをさせ、ついに、血詔の御衣玉帯と共に、一味の名を書きつらねた血判の義状をも発見して、ひとまず相府へひきあげた。

 もちろん董一家の男女は一名もあまさず捕われ、府内の獄に押しこめられたので、哀号悲泣の声は憐れというもおろかであった。


(中略)


 粛正の嵐、血の清掃もひとまず済んだ。腥風都下を払って、ほっとしたのは、曹操よりも、民衆であったろう。

 曹操は、何事もなかったような顔をしている。かれの胸には、もう昨日の苦味も酸味もない。明日への百計にふけるばかりだった。

「荀※「或」の「丿」に代えて「彡」(じゅんいく)。――まだ片づかんものが残っておるな。しかも大物だ」

「西涼の馬騰と、徐州の玄徳でしょう」

「それだ。両名とも、董承の義盟に連判し、予に対して、叛心歴々たるものども。何とかせねばなるまい」

「もとより捨ておかれません」

「まず、そちの賢策を聞こう」


(中略)


 小沛の城は、いまや風前の燈火にも似ている。

 そこに在る玄徳は、痛心を抱いて、対策に迫られている。


(中略)


 さしもの張飛も鐙に無念を踏んで、

「南無三」

 右に突き、左をはらい、一生の勇をここにふるったがとうてい無理な戦いだった。

 味方は討たれ、或いは敵へ降参をさけんで、武器を捨て、彼自身も数箇所の手傷に、満身朱にまみれてしまった。

 徐晃に追われ、楽進に斬ってかかられ、炎のような息をついてようやく一方に血路をひらき、つづく味方をかえりみると、何たる情けなさ、わずかに二十騎ほどもいなかった。

「者ども! もう止せ、馬鹿げた戦だ。死んでたまるか、こんな所で、――さあ、おれについて来い」

 遂に、帰路をも遮断されてしまい、むなしく彼は※蕩山(ぼうとうざん)[#「山+芒」方面へ落ちのびて行った。

 玄徳もまた、いうまでもない運命に陥ちていた。

 大軍にうしろを巻かれ、夏侯惇、夏侯淵に挟撃され、支離滅裂に討ち減らされて、わずか三、四十騎と共に、小沛の城へさして逃げてくると、もう河をへだてた彼方に、火の手がまッ赤に空を焦がしていた。――根城のそこも、すでに曹操に占領されていたのである。


 玄徳は道を変えて、夜の明けるまで馳けつづけた。すでに小沛の城は敵手に陥されてしまったので、

「このうえは徐州へ」と、急いだのである。

 ところがその徐州城へ近づいてみると、暁天にひるがえっている楼頭の旗はすべて曹操軍の旗だったので、

「――これは?」と、玄徳はしばし行く道も失ったように、茫然自失していた。

 陽ののぼるにつれて、四顧に入る山河を見まわすと、濛々と、どこも彼処も煙がたちこめていた。そしてそこには必ず曹操の人馬がはびこっていた。


(中略)


「そうだ、ひとまず冀州へ行って、袁紹に計ろう」

 いつぞや使いした孫乾に言伝して――もし曹操に敗れたら冀州へ来給え、悪いようにはせぬから――といっていたという袁紹の好意をふといま玄徳は思い出していた。

 途中、ゆうべからつけまわしている楽進や夏侯惇の軍勢に、さんざん追いまわされて、彼も馬も、土にのめるばかりな苦しみにあえぎつつも、ようやく死地から脱れたのは、翌日、青州の地を踏んでからであった。

 それからも、野に臥し、山に寝ね、野鼠の肉をくらい、草の根をかみ、あらゆる危険と辛酸に試されたあげく、やっと青州府の城下にたどりついた。

 城主袁譚は、袁紹の嫡男であったから、

「かねて父から聞いています。もうご心配には及ばぬ」

 と、旅舎を与えられ、一方、彼の手から駅伝の使いは飛んで、父の袁紹のところへ、

徐州、小沛は、はや陥落す。

玄徳、妻子にもはなれ、身をもって、青州まで落ちまいる。いかが処置いたすべきや。

 と、さしずを仰いでいた。

「かねての約束、たごうべからず――」

 と袁紹はただちに一軍を迎えに差向けて、玄徳の身を引取った。


(中略)


「下※「丕+おおざと」(かひ)の城は丞相もご承知の関羽雲長が、守り固めております。――かねて玄徳はかかる場合を案じてか、二夫人と老幼のものを、関羽にあずけ、丞相の軍が発向する前に、疾く下※「丕+おおざと」のほうへ移していたものであります」

 陳登はなお云い足して、

「なぜ玄徳が妻子を下※「丕+おおざと」へうつしたかといえば、申すまでもなく、かつては猛将呂布がたて籠って、さんざんに丞相の軍をなやましたことのある難攻不落な地ですから、それでこのたびも、特に、関羽をえらんで大事な家族を託したものと思われます」と、語った。


(中略)


「実をいうと、予は遠い以前から、関羽の男ぶりに恋しておる。沈剛内勇、まことに寛濶な男で、しかも武芸は三軍に冠たるものがある。……こんどの戦こそ、日頃の恋をとげるにはまたとない好機。なんとかして彼を麾下に加えたいものである。怪我なく生け捕って、許都のみやげに連れもどりたい。――各々、予が意を酌んで、充分に策をねってくれよ」

 むずかしい注文である。諸将は顔を見あわせていた。

 郭嘉は、曹操の前へすすんで、そのむずかしさを正直にいった。

「関羽の勇は、万夫不当と、天下にかくれもないものです。討ち殺すさえ、容易ではありません。しかるにそれを手捕りにせよとのご命令では、どれほどの兵を犠牲にするやも計られず、また下手をすれば、却って彼に乗じられるおそれがないとも限りませんが」

 すると、張遼が、右列を出て、

「お案じあるな。拙者が関羽を説いてお味方へ降らせましょう」と、いった。

 程※「日/立」(ていいく)、郭嘉、荀※「或」の「丿」に代えて「彡」などの諸将はみな、なかば疑って、

「君はその自信があるのか」と、口をそろえて反問した。

「ある!」

 張遼は、ひるみなく答えた。

「諸氏は関羽の勇だけをおもんぱかっておられるようだが、拙者のもっとも至難と考えるところは、彼が人いちばい、忠節と信義にあつい点である。しかし幸いにも、拙者と彼とは、――形の交わりはないが、つねに戦場の好敵手として、相見るたび、心契の誼に似たものを感じ合っている。おそらく彼も拙者のことを記憶しておるにちがいないと思う」

「よかろう。張遼にひとつ、説かせようではないか」

 曹操は、かれの乞いを容れようとした。英雄、英雄を知る。張遼と関羽のあいだに心契があるということは、いかにもあり得べきことと同感をもったからである。


(中略)


「計られたり、計られたり。このうえは、なんの面目あって主君にまみえようぞ。そうだ……夜明けと共に」

 彼は、討死を決心した。

 そして、明日をさいごの働きに、せめては少し身を休めておこう。馬にも草を喰わせておこう――そう心しずかに用意して、あわてもせず、夜の白むのを待っていた。

 ――朝露がしっとりと降りる。東雲は紅をみなぎらしてきた。手をかざして小山のふもとを見れば、長蛇が山を巻いたように、無数の陣地陣地をつないで霞も黒いばかりな大軍。

「ものものしや……」

 関羽は苦笑した。

 山上の一石に、ゆったり腰をすえ、甲よろいの革紐などを締め、草の葉露をなめてやおら立ちかけた。

 すると、そこへ。

 麓のほうから誰か登ってきた。

 関羽はひとみを向けた。

 自分の名を呼びかけてくるのである。

「……何者?」と、疑わしげに待ちかまえていると、やがて近く寄ってきたのは口に鞭をくわえ頬に微笑をたたえた張遼であった。


 ふたりは旧知の仲である。

 平常の交わりはないが、戦場往来のあいだに、敵ながら何となくお互いに敬慕していた。

 士は士を知るというものであろう。

「おう、張遼か」

「やあ、関羽どの」

 ふたりは、胸と胸を接するばかり相寄って、ひとみに万感をこめた。

「ご辺はこれへ、何しに参られたか。――察するに曹操から、この関羽の首を携えてこいと命ぜられ、やむなくこれへ参られたか」

「いや、ちがう。平常の情を思い、貴公の最期を惜しむのあまり……」

「しからば、この関羽に、降伏をすすめにこられた次第か」

「さにもあらず。以前、それがしが貴公に救われたこともある。なんで今日、君の悲運をよそにながめておられようか」

 張遼は石を指して、

「まず、それへかけ給え。拙者も腰をおろそう」と、ゆったり構え、「……すでにお覚りであろうが、玄徳も張飛も、共に敗れ去って行方もしれない。ただ玄徳の妻子は、下※「丕+おおざと」城の奥にいるが、そこも昨夜わが軍の手に陥ちてしまったから、二夫人以下の生殺与奪は、まったく曹丞相のお手にあるものといわねばならぬ」

「……無念だ。……この関羽をお見込みあって、ご主君よりお預け給わったご家族をむなしく敵の手にまかすとは」

 関羽は、首をたれて、長大息した。――自分の死は、眼前の朝露を見るごとくだったが無力な女性方や、幼い主君の遺子などを思うと、さしもの英豪も、涙なきを得なかった。

「……が、関羽どの。そのことについてなら、いささかご安心あるがよい。曹丞相は、下※「丕+おおざと」の陥落とともに、ご入城になったが、第一に玄徳の妻子を、べつな閣に移して、門外には番兵を立たせ、一歩でもみだりに入る者はたちどころに誅殺せよとまで――きびしく保護なされておる」

「おう、そうか」

「実は、その儀をお伝えしたいと思って、曹丞相のおゆるしのもとにこれへ参ったわけでござる」

 聞くと関羽は、屹と眼光をあらためて、

「さてはやはり、恩を売りつけて、われに降参をすすめんとする意中であろう。笑うべし、笑うべし。曹操もまた、英雄の心を知らぬとみえる。……たとい今、この絶地に孤命を抱くとも、死は帰するにひとし、露ほども、生命の惜しい心地はせぬ。――この関羽に降伏をすすめにくるなど、ご辺もちとどうかしておる。はやはや山を降り給え。後刻、快く戦おう」

 苦々しげに云い反く関羽の横顔をながめて張遼は、わざと大きくあざ笑った。

「それを英雄の心事と、自負されるに至っては、貴公もちと小さいな。……あはははは、貴公のいう通りに終ったら、千載のもの笑いだ」

「忠義をまっとうして討死いたすのが、なんで笑いぐさになるか」

「されば、ここで貴公が討死いたせば、三つの罪があとで、数えられよう。忠義も潔いも、その罪と相殺になる」

「こころみに訊こう。三つの罪とは何か」

「死後、玄徳がまだ生きておられたら如何? 孤主にそむき、桃園のちかいを破ることに相なろう。――第二には、主君の妻子一族を託されながら、その先途をも見とどけず、ひとり勇潔にはやること、これ短慮不信なりといわれても、ぜひあるまい。もう一条は、天子を思い奉り、天下の将来を憂えぬことである。一身の処決を急ぎ、生きて祖宗のあやうきを扶翼し奉らんとはせず、みだりに血気の勇を示そうとするは――けだし真の忠節とは申されまい。……貴公は、武勇のみでなく学識もある士とうけたまわっておるが、このへんの儀は、どう解いておられるか。関羽どの、あらためてそちらへ伺いたいものだが」


 関羽は頭をたれたまま、やや久しく、考えこんでいた。

 張遼の言には、友を思う真情がこもっていた。また、道理がつくされている。

 理と情の両面から責められては、関羽も悶えずにいられなかったとみえる。

 張遼は、ことばを重ねて、

「ここで捨てるお命を、しばし長らえる気で、劉玄徳の消息をさぐり、ふたつには、玄徳から託された妻子の安全をまもり、義を完うなされたらどうですか。……もしそのお心ならば、不肖悪いようには計らいませんが」と、説いた。

 関羽は、好意を謝して、

「かたじけない。もしご辺の注意がなければ、関羽はこの一丘の草むらに、匹夫の墓をのこしたでござろう。思えば浅慮な至りであった。――しかし、なにを申すも敗軍の孤将、ほかに善処する道も思案もなかったが、いまご辺の申されたように、義に生きられるものならば、どんな苦衷や恥を忍ぼうとも、それに越したことはないが」

「そのためには、一時、曹丞相へ降服の礼をとり給え。そして堂々貴公からも条件を願い出られては如何?」

「望みを申そうなら三つある。――そのむかし桃園の義会に、劉皇叔と盟をむすんだ初めから、漢の中興を第一義と約したことゆえ、たとい剣甲を解いて、この山をくだるとしても、断じて曹操に降服はせん。漢朝に降服はいたすが、――曹操には降らん! これが第一」

「して、あとの二つの条件は」

「劉皇叔の二夫人、御嫡子、そのほか奴婢どもにいたるまで、かならずその生命と生活の安全を確約していただきたいことでござる。しかも鄭重なる礼と俸禄とをもって」

「その儀も、承りおきます。次に、さいごの一条は」

「いまは劉皇叔の消息も知れぬが、一朝お行方の知れた時は、関羽は一日とて、曹操のもとに晏如と留まっておるものではござらん。千里万里もおろか、お暇も告げず、直ちに、故主のもとへ立ち帰り申すであろう。……以上、三つの事、しかとお約束くださるならば、おことばに任せて山を降ろう。――さもなければ、百世末代、愚鈍の名をのこすとも、斬り死にして、今日を最期といたすのみでござる」

「心得ました。即刻、丞相にお旨をつたえて、ふたたびこれへ参るとします。――暫時のご猶予を」

 張遼は、山を駆け下りて行った。至情な友の後ろすがたに、関羽は瞼を熱くした。

 馬にとびのると、張遼は一鞭あてて、下※「丕+おおざと」へ急いだ。――そしてすぐ曹操の面前にありのままな次第を虚飾なく復命した。

 もちろん関羽の希望する三条件も、そのまま告げた。剛腹な曹操も、この条件の重さに、おどろいた顔色であったが、

「さすがは関羽、果たして、予の眼鑑にたがわぬ義人である。――漢に降るとも、曹操には降らぬというのも気に入った。――われも漢の丞相、漢すなわち我だ。――また二夫人の扶養などはいと易いこと。……ただ、玄徳の消息が分り次第、いつでも立ち去るというのは困るが」

 と、その一箇条には、初め難色があったが、張遼がここぞと熱意をもって、

「いや、関羽が、ふかく玄徳を慕うのも、玄徳がよく関羽の心をつかんだので、もし丞相が親しく彼をそばへ置いて、玄徳以上に、目をおかけになれば、――長いうちには必ず彼も遂に丞相の恩義に服するようになりましょう。士はおのれを知るものの為に死す――そこは丞相がいかに良将をお用いになるかの腕次第ではございませぬか」

 と、説いたので、曹操も遂に、三つの乞いをゆるし、すぐ関羽を迎えてこいと、恋人を待つように彼を待ちぬいたのであった。


 一羽の猛鷲が、翼をおさめて、山上の岩石からじっと、大地の雲霧をながめている。――

 遠方から望むと、孤将、関羽のすがたはそんなふうに見えた。

「お待たせいたしました」

 張遼はふたたびそこへ息をきって登ってきた。そして自分の歓びをそのまま、

「関羽どの、歓ばれよ。貴公の申し出られた三つの条件は、ことごとく丞相のご快諾を得るところとなった。さあ、拙者と同道して、山を降りたまえ」と、告げた。

 すると、関羽は、

「あいや、なお少々、ご猶予を乞いたい。さきに申した条件は、関羽一個の意にすぎない。この関羽としては、ついに、そうするしか道はないと覚悟したが、なお二夫人のお心のほどははかられぬ……」

「それまでご斟酌にはおよぶまいに」

「いやいやそうでない。お力のない女性方とはいえ、ご主君に代るご主筋――一応はおふた方の御意をも仰がずには、曹操の陣門へ駒をつなぐわけには参らぬ。それがし、これより城中に入って、親しく二夫人の御前にまみえ、事の次第をお告げして、ご承諾をうけて参るほどに、まず曹操から下知をくだして、麓の軍勢を、この上より三十里外に退かせ給え」

「では、その後で、かならず丞相の陣門へ、降服して参られるか」

「きっと、出向く」

「しからば、後刻」と、武士と武士のことばをつがえて、張遼は速やかに立ち去った。

 曹操は、やがて張遼から、その要求を聞いて、実にもとうなずき、すぐ、

「諸軍、囲みを解いて、速やかに三十里外に退くべし」と、発令した。

 謀将荀※「或」の「丿」に代えて「彡」はおどろいて、

「まだ関羽の心底はよくわかりません。もし、変を生じたらどうしますか」

 と、伝令をとめて、曹操に諫言した。

 曹操は、快然一笑して、

「関羽がもし約束を詐るような人物ならば、なんで予がこれほど寛大な条件を容れよう。――またそんな人間ならば、逃げ去っても惜しくない」

 といって、ためらいなく全軍を遠く開かせた。


(中略)


 関羽はやがて、残兵十騎ばかりを従えて、悠々と、曹操の陣門を訪れた。

 曹操は、自身轅門まで出て、彼を迎えた。

 あまりの破格に、関羽があわてて地に拝伏すると、曹操もまた、礼を施した。

 関羽は、いつまでも地から起たず、

「それではご挨拶のいたしようがありません」と、いった。

「将軍、なにを窮するのか」

 曹操が、気色うるわしく訊ねると、

「すでに、この関羽は、あなたから不殺の恩をうけました。なんで慇懃なご答礼をうけられましょう」

「将軍に害を加えなかったのは将軍の純忠によることです。また相互の礼は予は漢の臣、おん身も漢の臣、官位はちがってもその志操に対する礼である。ご謙譲には及ばんことだ。いざ予の帷幕へ来給え」

 曹操は、先に大歩して、案内に立つ。

 通ってみるとすでに一堂には花卓玉盞をととのえて盛宴の支度ができている。

 そして中堂をめぐって整列していた曹操の親衛軍は、関羽のすがたを見ると一斉に迎賓の礼をとった。


(中略)


「羽将軍、君が会わんと願っているひとは、おそらく乱軍のなかでもう屍になっているかも知れんな。むしろ霊を祭って、ひそかに弔ってあげたほうがよいだろう」と、ささやいた。

 関羽は、酔うとよけい、酒の脂で真っ黒な艶をみせる長髯を撫しながら、

「それと分った時でも、それがしはきっと、丞相の側に居なくなるでしょう」

 と、髯の中で笑った。

「どうしてか。玄徳が討死にしてしまったら、もう君の行く先はあるまい」

「いや、丞相」と、幅のひろい胸を向け直して、「――この髯が、鴉になって故主の屍を探しに飛んで行きましょう」と、いった。

 冗談などいうまいと思っていた関羽が、計らずも、戯れたので、曹操は手をたたいて、

「そうか。あははは、なるほど、その髯が、みんな翼になったら、十羽ぐらいな鴉になろうな」と、哄笑した。

 かくてまず、徐州地方に対する曹操の一事業はすみ、次の日、かれの中軍は早くも凱旋の途についた。

 関羽は、主君の二夫人を車に奉じ、特に、前から自分の部下であった士卒二十余人と共に、車をまもって、寸時も離れることなく、――

 やがて許都へのぼった。


(中略)


「そうだ――時に例の関羽は、都へきてから、なにして暮しておるか」と侍臣にたずねた。

 それに答えて近衆が、

「相府へはもちろんのこと、街へも出た様子はありません。二夫人の御寮を護って、番犬のように、門側の小屋に起居し、時々院の外を通る者が、のぞいて見るとよく読書している姿を見うけるそうで」と、彼の近況を語ると、曹操は打ちうなずいて心から同情を寄せるように、

「さもあらん、さもあらん。――英雄の心情、悶々たるものがあろう」と、独りつぶやいていた。

 その同情のあらわれた数日の後、曹操は急に関羽を参内の車に誘った。

 そして朝廷に伴って、天子にまみえさせた。もとより陪臣なので、殿上にはのぼれない。階下に立って拝謁したにとどまるが、帝も関羽の名は疾くご存じであるし、わけて御心のうちにある劉皇叔の義弟と聞かれて、特に御目をそそがれ、

「たのもしき武人である。しかるべき官位を与えたがよい」と、勅せられた。

 曹操のはからいで、即座に、偏将軍に任じられた。関羽は終始黙々と、勅恩を謝して退がってきた。

 まもなく曹操は、また、関羽のために、勅任の披露宴をかねて、祝賀の一夕を催し、諸大将や百官をよんで馳走した。

 席上、関羽は、上賓の座にすえられ、

「羽将軍のために」と、曹操が、音頭をとって乾杯したが、その晩も、関羽は黙々と飲んでいるだけで、うれしいのか迷惑なのか分らない顔していた。

 宴が終ると、曹操はわざわざ近臣数名に、

「羽将軍をお送りしてゆけ」

 と、いいつけ、綾羅百匹、錦繍五十匹、金銀の器物、珠玉の什宝など、馬につけて贈らせた。

 だが、関羽の眼には、珠玉も金銀も、瓦のようなものらしい。そのひとつすら身には持たず、すべて二夫人の内院へ運ばせて、

「曹操がこんなものをよこしました」と、みな献じてしまった。

 曹操は、後に、それと聞いて、

「いよいよゆかしい漢だ」と、かえって尊敬をいだいた。同時に、彼が関羽に対する士愛と敬愛は、異常なほど高まるばかりだった。

 三日に小宴、五日に大宴、といったふうに饗応の機会をつくって、関羽を見ることを楽しみとしていた。

 武将が良士を熱愛する度を云い現わすことばとしてこの国の古くからの――馬にのれば金を与え、馬を降れば銀を贈る――というたとえがあるが、曹操の態度は、それどころでなかった。

 都の内でも、選りすぐった美女十人に、

「羽将軍を口説き落したら、おまえたちの望みは、なんでもかなえてやる」

 と、云いふくませて、嬌艶な媚をきそわせたりした。関羽も美人は嫌いでないとみえ、めずらしく大酔して十名の美姫にとり巻かれながら、

「これは、これは、花園の中にでもいるようだぞ。きれいきれい。目がまわる――」

 と、呵々大笑したが、帰るとすぐ、その十美人もみな二夫人の内院へ、侍女として献じてしまった。


 或る日、ぶらりと、関羽のすがたが相府に見えた。

 二夫人の内院が、建築も古いせいか、雨漏りして困るので修築してもらいたいと、役人へ頼みにきたのである。

「かしこまりました。さっそく丞相に伺って、ご修理しましょう」

 役人から満足な返事を聞いて、ゆたりゆたり帰りかけてゆく彼のすがたを、ちらと曹操が楼台から見かけて、「あれは、羽将軍ではないか」と、侍臣をやって、呼びもどした。

「なにか御用ですかな」

 関羽は、うららかな面をもってやがてそれへ来た。

 曹操は手ずから秘蔵の瑠璃杯をとって、簡単に一杯すすめ、

「将軍の着ておられる緑の袍は緑錦の地色も見えないほど古びておるな。陽もうららかになるとあまりに襤褸が目につく。これを着たまえ。――君の身丈にあわせて仕立てさせておいたから」

 と、見事な一領の錦袍をとって彼に与えた。

「ほ。……これは豪奢な」

 関羽はもらい受けると、それを片手に抱えて帰って行った。ところが、その後、何かの折に、曹操がふと関羽の襟元を見ると、さきに自分の与えた錦の袍は下に着て上には依然として虱の住んでいそうな緑色のボロ袍をかさね着して澄ましこんでいた。

「羽将軍、君は武人のくせに、えらい倹約家だな。なぜそんなに物惜しみするのかね」

「え。どうしてです? 特に贅沢したくもないが、また特に倹約している覚えもありませんが」

「いや、やはりどこか、遠慮があるのだろう。曹操が賄うている以上は、何不自由もさせないつもりでおるのに――なにも、新しい衣裳を惜しんで古袍をわざわざ上に重ね着しているにもあたるまい」

「あ。このことですか」

 関羽は自分の袖を顧みて、

「これはかつて、劉皇叔から拝領した恩衣です。どんなにボロになっても、朝夕、これを着、これを脱ぐたび、皇叔と親しく会うようで、うれしい気もちを覚えます。故に、いま丞相から新たに、錦繍の栄衣をいただいたものの、にわかに、この旧衣を捨てる気にはなれません」と、答えた。

 聞くと、曹操は感に打たれたものの如く、心のうちで、(ああ麗しい人だ。さても、忠義な人もあるものだ……)と、しみじみ、彼のすがたに見惚れていたが、折ふしそこへ、寮の二夫人に仕えている者が迎えにきて、

「すぐお帰りください。おふた方が今、何事か嘆いて、羽将軍を呼んでいらっしゃいます」

 と、関羽へ告げると、

「え。何か起ったのか」

 と、関羽は、それまで話していた曹操へ、あいさつもせず馳け去ってしまった。

 本来、こんな無礼をうけて、黙っている曹操ではないが、曹操は置き捨てられたまま茫然と彼のあとを見送って、

「……実に、純忠の士だ。衒いもない。飾りもない。ただ忠義の念それしかない。……ああなんとか、彼のような人物から、心服されたいものだが」と、独りつぶやいていた。

 曹操は、心ひそかに、自分と玄徳を比較してみた。そしてどの点でも、玄徳に劣る自分とは思われなかったが――ただひとつ、自分の麾下に、関羽ほどな忠臣がいるかいないか――と、みずから問うてみると、

(それだけは劣る)と、肯定せずにいられなかった。


(中略)


「やあ、御用はもうおすみか」

「中座して、失礼しました」

「きょうはひとつ、将軍と飲み明かしたいと思っていたのでな」

「冥加のいたりです」

 さりげなく杯に向ったが、曹操は、関羽の瞼に泣いたあとがあるのを見て意地わるくたずねた。

「将軍には、何故か、泣いてきたとみえるな。君も泣くことを初めて知った」

「あははは。見つかりましたか。それがしは実はまことに泣き虫なのです。二夫人が日夜、劉皇叔をしたわれてお嘆きあるため、実はいまも、貰い泣きをしてきたわけでござる」

 つつまずにそういった関羽の大人的な態度に、曹操はまた、惚々見入っていたが、やがて酒も半ばたけなわの頃、戯れにまたこんなことを訊ねだした。

「君の髯は、実に長やかで美しいが、どれほどあるかね、長さは」


 関羽の髯は有名だった。

 長やかで美しい顎髯というので、この許都でも評判になっていた。

「おそらく都門随一の見事な髯だろう」と、いわれていた。

 いま曹操から、その髯のことを訊かれると、関羽は、胸をおおうばかり垂れているその漆黒を握って悵然と、うそぶくように答えた。

「立てば髯のさきが半身を超えましょう。秋になると、万象と共に、数百根の古毛が自然にぬけ落ち、冬になると草木と共に毛艶が枯れるように覚えます。ですから極寒の時は、凍らさぬよう嚢でつつんでいますが、客に会う時は、嚢を解いて出ます」

「それほど大切にしておられるか。君が酔うと髯もみな酒で洗ったように麗しく見える」

「いやお恥かしい。髯ばかり美しくても、五体は碌々と徒食して、国家に奉じることもなく、故主兄弟の約にそむいて、むなしく敵国の酒に酔う。……こんな浅ましい身はあろうと思えませぬ」

 なんの話が出ても、関羽はすぐ自身を責め、また玄徳を思慕してやまないのであった。そのたび曹操はすぐ話をそらすに努めながら、心のうちで、関羽の忠義に感じたり、反対に、ほろ苦い男の嫉妬や不快を味わいなどして、すこぶる複雑な心理に陥るのが常であった。

 つぎの日。

 朝に参内することがあって、曹操は関羽を誘い、そのついでに、錦の髯嚢を彼に贈った。

 帝は、関羽が、錦のふくろを胸にかけているので、怪しまれて、

「それは何か」と、ご下問された。

 関羽は嚢を解いて、

「臣の髯があまりに長いので、丞相が嚢を賜うたのでござる」と、答えた。

 人なみすぐれた大丈夫の腹をも過ぎる漆黒の長髯をながめられて、帝は、微笑しながら、

「なるほど、美髯公よ」と、仰っしゃった。

 それ以来、殿上から聞きつたえて、諸人もみな、関羽のことを、

「美髯公。美髯公」と、呼び慣わした。

 朝門を辞して帰る折、曹操はまた、彼がみすぼらしい痩馬を用いているのを見て、

「なぜもっと良い飼糧をやって、充分に馬を肥やさせないのか」と、武人のたしなみを咎めた。

「いや、何せい此方のからだが、かくの如く、長大なので、たいがいな馬では痩せおとろえてしまうのです」

「なるほど、凡馬では、乗りつぶされてしまうわけか」

 曹操は急に、侍臣をどこかへ走らせて、一頭の馬を、そこへ曳かせた。

 見ると、全身の毛は、炎のように赤く、眼は、二つの鑾鈴をはめこんだようだった。

「――美髯公、君はこの馬に見おぼえはないかね」

「うウーム……これは」

 関羽は眼を奪われて、恍惚としていたが、やがて膝を打って、

「そうだ。呂布が乗っていた赤兎馬ではありませんか」

「そうだ。せっかく分捕った駿壮だが、くせ馬なので、誰ものりこなす者がない。――君の用い料には向かんかね?」

「えっ、これを下さるか」

 関羽は再拝して、喜色をみなぎらした。彼がこんなに歓ぶのを見たのは曹操も初めてなので、

「十人の美人を贈っても、かつてうれしそうな顔ひとつしない君が、どうして、一匹の畜生をえて、そんなに歓喜するのかね」と、たずねた。

 すると関羽は、

「こういう千里の駿足が手にあれば、一朝、故主玄徳のお行方が知れた場合、一日のあいだに飛んで行けますからそれを独り祝福しているのです」と、言下に答えた。


(中略)


「あなたを丞相に薦めたのはかくいう張遼であるが、もう近頃は都にも落着かれたであろうな」

 すると関羽は答えて、

「君の友情、丞相の芳恩、共にふかく心に銘じてはおるが、心はつねに劉皇叔の上にあって、都にはない。ここにいる関羽は、空蝉のようなものでござる」

「ははあ、……」と、張遼は、そういう関羽をしげしげ眺めて、

「大丈夫たる者は、およそ事の些末にとらわれず、大乗的に身を処さねばなりますまい。いま丞相は朝廷の第一臣、敗亡の故主を恋々とお慕いあるなど愚かではありませんか」

「丞相の高恩は、よく分っているが、それはみな、物を賜うかたちでしか現わされておらぬ。この関羽と、劉皇叔との誓いは、物ではなく、心と心のちぎりでござった」

「いや、それはあなたの曲解。曹丞相にも心情はある。いや士を愛するの心は、決して玄徳にも劣るものではない」

「しかし、劉皇叔とこなたとは、まだ一兵一槍もない貧窮のうちに結ばれ、百難を共にし、生死を誓ったあいだでござる。さりとて、丞相の恩義を無に思うも武人の心操がゆるさぬ。何がな、一朝の事でもある場合は身相応の働きをいたして、日ごろのご恩にこたえ、しかる後に、立ち去る考えでおりまする」

「では。……もし玄徳が、この世においでなき時は、どう召さる気か」

「――地の底までも、お慕い申してゆく所存でござる」

 張遼はもうそれ以上、武人の鉄石心に対して、みだりな追及もできなかった。


(中略)


「――行って参りました。四方山ばなしの末、いろいろ探ってみましたが、あくまで留まる容子は見えません。丞相の高恩はふかくわきまえていますが、さりとて、心をひるがえし、二君に仕えんなどとは、思いもよらぬ態に見えます」

 歯に衣着せず、張遼はありのままを復命した。曹操もさすがに曹操であった。あえて怒る色もない。ただ長嘆していった。

「君ニ事エテソノ本ヲ忘レズ。関羽はまことに天下の義士だ。いつか去ろう! いつか回り去るであろう! ああ、ぜひもない」

「けれどまた、関羽はこうもいっておりました。何がな一朝の場合には、ひと働きしてご恩を報じ、そのうえで立ち去らんと……」

 張遼がいうのを聞いて、かたわらから荀※「或」の「丿」に代えて「彡」が、つぶやくように献言した。

「さもあろう、さもあろう。忠節の士はかならずまた仁者である。だからこの上は、関羽に功を立てさせないに限ります。功を立てないうちは、関羽もやむなく、許都に留まっておりましょう」


(中略)


 国境方面から次々と入る注進やら、にわかに兵糧軍馬の動員で、洛中の騒動たるや、いまにも天地が覆えるような混雑だった。

 その中を。

 例の長髯を春風になびかせて、のそのそと、相府の門へいま入ってゆくのは関羽の長躯であった。

 曹操に会って、関羽は、

「日頃のご恩報じ、こんどの大会戦には、ぜひ此方を、先手に加えてもらいたい」と、志願して出た。

 曹操は、うれしそうな顔したが、すぐ何か、はっと思い当ったように、

「いやいや何のこの度ぐらいな戦には、君の出馬をわずらわすにはあたらん。またの折に働いてもらおう。もっと重大な時でもきたら」と、あわてて断った。

 余りにもはっきりした断り方なので、関羽は返すことばもなく、すごすごと帰って行った。

 日ならずして、曹軍十五万は、白馬の野をひかえた西方の山に沿うて布陣し、曹操自身、指揮にあたっていた。

 見わたすと、渺々の野に、顔良の精兵十万余騎が凸形にかたまって、味方の右翼を突きくずし、野火が草を焼くように押しつめてくる。

「宋憲宋憲。宋憲はいるか」

 曹操の呼ぶ声に、

「はっ、宋憲はこれに」とかけ寄ると、曹操は何を見たか、いとも由々しく命じた。

「そちは以前、呂布の下にいた猛将。いま敵の先鋒を見るに、冀州第一の名ある顔良がわが物顔に、ひとり戦場を暴れまわっておる。討ち取ってこい、すぐに」

 宋憲は欣然と、武者ぶるいして、馬を飛ばして行ったが、敵の顔良に近づくと、問答にも及ばずその影は、一抹まつの赤い霧となってしまった。


 顔良の疾駆するところ、草木もみな朱に伏した。

 曹軍数万騎、猛者も多いが、ひとりとして当り得る者がない。

「見よ、見よ。すでに顔良一人のために、あのさまぞ。――だれか討ち取るものはいないか」

 曹操は、本陣の高所に立って声をしぼった。

「てまえに仰せつけ下さい。親友宋憲の仇、報いずにおきません」

「オオ、魏続か、行けっ」

 魏続は、長桿の矛をとって、まっしぐらに駆けだし、敢然顔良へ馬首をぶつけて挑いどんだが、黄塵煙るところ、刀影わずか七、八合、顔良の一喝に人馬もろとも、斬り仆された。

 つづいて、名乗りかける者、取囲む者、ことごとく顔良の好餌となるばかりである。さすがの曹操も胆を冷やし、

「あわれ、敵ながら、すさまじき大将かな」と、舌打ちしておののいた。

 彼ひとりのため、右翼は潰滅され、余波はもう中軍にまで及んできた。丞相旗をめぐる諸軍すべて翩翻とただおののき恐れて見えたが、その時、

「オオ、徐晃が出た。――徐晃が出て行った」

 と、口々に期待して、どっと生気をよみがえらせた。

 見れば、いま、中軍の一端から、霜毛馬にまたがって、白炎の如き一斧をひっさげ、顔良目がけて喚きかかった勇士がある。これなん曹操の寵士で、また許都随一の勇名ある弱冠の徐晃だった。

 両雄の刀斧は、烈々、火を降らして戦ったが、二十合、五十合、七十合、得物も砕けるかと見えながらなお、勝負はつかない。

 しかし、顔良の猛悍とねばりは、ついに弱冠徐晃を次第次第に疲らせて行った。いまは敵せずと思ったか、さしもの徐晃も、斧を敵へなげうって、乱軍のうちへ逃げこんでしまった。

 時すでに、薄暮に迫っていた。

 やむなく曹操は、一時、陣を十里ばかり退いて、その日の難はからくもまぬがれたが、魏続、宋憲の二大将以下おびただしい損害と不名誉をもって、ひとりの顔良に名をなさしめたことは、何としても無念でならなかった。

 すると翌朝、程※「日/立」が、彼に献言した。

「顔良を討つだろうと思える人は、まず関羽よりありません。こんな時こそ、関羽を陣へ召されてはどうです」――と。

 それは、曹操も考えていないことではない。けれど関羽に功を立てさせたら、それを機会に、自分から去ってしまうであろう――という取越し苦労を抱いていた。

「日ごろ、恩をおかけ遊ばすのは、かかる時の役に立てようためではありませんか。もし関羽が顔良を討ったら、いよいよ恩をかけてご寵用なさればいいことです。もしまた顔良にも負けるくらいだったら、それこそ、思いきりがいいではありませんか」

「おお、いかにも」

 曹操は、すぐ使いを飛ばし関羽に直書を送って、すぐ戦場へ馳せつけよ、と伝えた。

 歓んだのは関羽である。

「時こそ来れり」

 とすぐ物具に身をかため内院へすすみ、二夫人に仔細を語って、しばしの別れを告げた。


(中略)


「ただ今、羽将軍が着陣されました」

 うしろのほうで、卒の一名が高く告げた。

「なに、関羽が見えたか」

 よほどうれしかったとみえる。曹操は諸将を打捨てて、自身、大股に迎えに出て行った。

 関羽はいま営外に着いて、赤兎馬をつないでいた。曹操の出迎えに恐縮して、

「召しのお使いをうけたので、すぐ拝領のこれに乗って、快足を試してきました」

 馬の鞍を叩きながら云った。

 曹操はここ数日の惨敗を、ことばも飾らず彼に告げて、

「ともかく、戦場を一望してくれ給え」

 と、卒に酒を持たせ、自身、先に立って山へ登った。

「なるほど」

 関羽は、髯のうえに、腕をくんで、十方の野を見まわした。

 野に満ち満ちている両軍の精兵は、まるで蕎麦殻をきれいに置いて、大地に陣形図を描いたように見える。

 河北軍のほうは、易の算木をおいたような象。魚鱗の正攻陣を布いている。曹操の陣はずっと散らかって、鳥雲の陣をもって迎えていた。

 その一角と一角とが、いまや入り乱れて、揉み合っていた。折々、喊声は天をふるわし、鎗刀の光は日にかがやいて白い。どよめく度に、白紅の旗や黄緑の旆は嵐のように揺れに揺れている。

 物見を連れたひとりの将が馳けあがってきた。そして、曹操の遠くにひざまずき、

「またも、敵の顔良が、陣頭へ働きに出ました。――あの通りです。顔良と聞くや、味方の士卒も怯気づいて、いかに励ましても崩れ立つばかりで」

 息をあえぎながら叫んだ。

 曹操はうめくように、

「さすがは強大国、いままで曹操が敵として見た諸国の軍とは、質も装備も段ちがいだ。旺なるかな、河北の人馬は」と、驚嘆した。

 関羽は笑って、

「丞相、あなたのお眼には、そう映りますか。それがしの眼には、墳墓に並べて埋葬する犬鶏の木偶や泥人形のようにしか見えませんが」

「いや、いや、敵の士気の旺なことは、味方の比ではない。馬は龍の如く、人は虎のようだ、あの一旒の大将旗の鮮やかさが見えんか」

「ははは。あのような虚勢に向って、金の弓を張り、玉の矢をつがえるのは、むしろもったいないようなものでしょう」

「見ずや、羽将軍」

 曹操は指さして、

「あのひらめく錦旛の下に、いま馬を休めて、静かに、わが陣を睨めまわしておる物々しい男こそ、つねにわが軍を悩ましぬく顔良である。なんと見るからに、万夫不当な猛将らしいではないか」

「そうですな。顔良は、背に標を立てて、自分の首を売り物に出している恰好ではありませんか」

「はて。きょうのご辺は、ちと広言が多過ぎて、いつもの謙譲な羽将軍とはちがうようだが」

「その筈です。ここは戦場ですから」

「それにしても、あまりに敵を軽んじ過ぎはしまいか」

「否……」と、身ぶるいして、関羽は凛と断言した。

「決して、広言でない証拠をいますぐお見せしましょう」

「顔良の首を予のまえに引ッさげてくるといわれるか」

「――軍中に戯言なしです」

 関羽は、士卒を走らせて、赤兎馬をそこへひかせ、※「灰/皿」(かぶと)をぬいで鞍に結びつけると、青龍の偃月刀を大きく抱えて、たちまち山道を馳け降りて行った。


(中略)


 関羽が通るところ、見るまに、累々の死屍が積みあげられてゆく。

 その姿を「演義三国志」の原書は、こう書いている。

 ――香象の海をわたりて、波を開けるがごとく、大軍わかれて、当る者とてなき中を、薙ぎ払いてぞ通りける……。

 顔良は、それを眺めて、

「ややや、面妖な奴かな。玄徳が義弟の関羽だと。――よしッ」

 さっと、大将幡の下を離れ、電馳して駒を向けた。

 ――より早く、関羽も、幡を目あてに近づいていた。それと、彼のすがたを見つけていたのである。

 赤兎馬の尾が高く躍った。

 一閃の赤電が、物を目がけて、雷撃してゆくような勢いだった。

「顔良は、汝かっ」

 それに対して、

「おっ、われこそは」

 と、だけで、次を云いつづける間はなかった。

 偃月の青龍刀は、ぶうっん、顔良へ落ちてきた。

 その迅さと、異様な圧力の下から、身をかわすこともできなかった。

 顔良は、一刀も酬いず、偃月刀のただ一揮に斬り下げられていたのである。

 ジャン! とすさまじい金属的な音がした。鎧も甲も真二つに斬れて、噴血一丈、宙へ虹を残して、空骸はばさと地にたたきつけられていた。

 関羽はその首を取って悠々駒の鞍に結びつけた。

 そして忽ち、敵味方のなかを馳けてどこかへ行ってしまったが、その間、まるで戦場に人間はいないようであった。


(中略)


 関羽はたちまち、以前の山へ帰ってきていた。顔良の首は、曹操の前にさし置かれてある。曹操はただもう舌を巻いて、

「羽将軍の勇はまことに人勇ではない。神威ともいうべきか」と、嘆賞してやまなかった。

「何の、それがし如きはまだいうに足りません。それがしの義弟に燕人張飛という者があります。これなどは大軍の中へはいって、大将軍の首を持ってくることまるで木に登って桃をとるよりたやすくいたします。顔良の首など、張飛に拾わせれば嚢の中の物を取りだすようなものでしょう」

 と、答えた。

 曹操は、胆を冷やした。そして左右の者へ、冗談半分にいった。

「貴様たちも覚えておけ。燕人張飛という名を、帯の端、襟の裏にも書いておけ。そういう超人的な猛者に逢ったら、ゆめゆめ軽々しく戦うなよ」


(中略)


「兄顔良に代る次の先鋒は、弟のそれがしに仰せつけ下されたい」と、呶鳴った。

 見れば、面は蟹の如く、犬牙は白く唇をかみ、髪髯赤く巻きちぢれて、見るから怖ろしい相貌をしているが、平常はむッつりとあまりものをいわない質の文醜であった。

 文醜は、顔良の弟で、また河北の名将のひとりであった。

「おお、先陣を望みでたは文醜か。健気健気、そちならで誰か顔良の怨みをそそごう。すみやかに行け」

 袁紹は激励して、十万の精兵をさずけた。


(中略)


 関羽が、顔良を討ってから、曹操が彼を重んじることも、また昨日の比ではない。

「何としても、関羽の身をわが帷幕から離すことはできない」

 いよいよ誓って、彼の勲功を帝に奏し、わざわざ朝廷の鋳工に封侯の印を鋳させた。

 それが出来上ると、彼は張遼を使いとして、特に、関羽の手許へ持たせてやった。

「……これを、それがしに賜わるのですか」

 関羽は一応、恩誼を謝したが、受けるともなく、印面の文を見ていた。

 寿亭侯之印

 と、ある。

 すなわち寿亭侯に封ずという辞令である。

「お返しいたそう。お持ち帰りください」

「お受けにならんのか」

「芳誼はかたじけのうござるが」

「どうして?」

「ともあれ、これは……」

 なんと説いても、関羽は受け取らない。張遼はぜひなく持ち帰って、ありのまま復命した。

 曹操は、考えこんでいたが、

「印を見ぬうちに断ったか。印文を見てから辞退したのか」

「見ておりました。印の五文字をじっと……」

「では、予のあやまりであった」

 曹操は、何か気づいたらしく、早速、鋳工を呼んで、印を改鋳させた。

 改めてできてきた印面には、漢の一字がふえていた。

 ――漢寿亭侯之印――と六文字になっていた。

 ふたたびそれを張遼に持たせてやると、関羽は見て、呵々と笑った。

「丞相は実によくそれがしの心事を知っておられる。もしそれがし風情の如く、ともに臣道の実を践む人だったら、われらとも、よい義兄弟になれたろうに」

 そういって、こんどは快く、印綬を受けた。

 かかる折に、戦場から早馬が到来して、「袁紹の大将にして、顔良の弟にあたる文醜が、黄河を渡って、延津まで攻め入ってきました」と、急を報じてきた。


(中略)


「文醜を生捕れ、文醜も河北の名将、それを生捕らば、顔良を討った功に匹敵しようぞ!」

 と、励ました。

 麾下の張遼やら徐晃やら、先を争って追いかけ、遂に文醜のすがたを乱軍の中にとらえた。

「きたなし文醜。口ほどもなく何処へ逃げる」

 うしろの声に、文醜は、

「なにをッ」と、振向きざま、馬上から鉄の半弓に太矢をつがえて放った。

 矢は、張遼の面へきた。

 はッと、首を下げたので、鏃は※「灰/皿」(かぶと)の紐を射切ってはずれた。

「おのれ」

 怒り立って、張遼が、うしろへ迫ろうとした刹那、二の矢がきた。こんどはかわすひまなく、矢は彼の顔に突き立った。

 どうっと、張遼が馬から落ちたので、文醜は引っ返してきた。首を掻いて持ってゆこうとしたのである。

「胆太い曲者め」

 徐晃が、躍り寄って、張遼をうしろへ逃がした。徐晃が得意の得物といえば、つねに持ち馴れた大鉞であった。みずから称して白焔斧といっている。それをふりかぶって文醜に当って行った。

 文醜は、一躍さがって鉄弓を鞍にはさみ、大剣を横に払って、苦々と笑った。

「小僧っ、少しは戦に馴れたか」

「大言はあとでいえ」

 若い徐晃は、血気にまかせた。しかし弱冠ながら彼も曹幕の一驍将だ。そうむざむざとはあしらえない。

 大剣と白焔斧は、三十余合の火華をまじえた。徐晃もつかれ果て、文醜もみだれだした。四方に敵の嵩まるのを感じだしたからである。

 一隊の悍馬が、近くを横切った。文醜はそれを機しおに、黄河のほうへ逸走した。――すると一すじの白い旗さし物を背にして、十騎ほどの郎党を連れた騎馬の将が彼方から歩いてきた。

「敵か? 味方か?」

 と、疑いながら、彼のさしている白い旗を間近まで進んで見ると、何ぞはからん、墨黒々、

 漢寿亭侯雲長関羽

 と、書いてある。


 謎の敵将関羽?

 兄の顔良を討った疑問の人物?

 ――文醜はぎょっとしながら駒をとめて、なお河べりの水明りを凝視した。

 すると、肩に小旗をさした彼方の大将は、早くも、文醜の影を認めて、

「敗将文醜。何をさまようているか。いさぎよく、関羽に首を授けよ」

 と、一鞭して馳け寄ってきた。

 馬は、逸足の赤兎馬。騎り人は、まぎれもない赤面長髯の人、関羽だった。

「おおっ、汝であったか。さきごろわが兄の顔良を討った曲者は」

 喚きあわせて、文醜も、ただちに大剣を舞わして迫った。

 閃々、偃月の青龍刀。

 晃々、文醜の大剣。

 たがいに命を賭して、渡りあうこと幾十合、その声、その火華は黄河の波をよび、河南の山野にこだまして、あたかも天魔と地神が乾坤を戦場と化して組み合っているようだった。

 そのうち、かなわじと思ったか、文醜は急に馬首をめぐらして逃げだした。これは彼の奥の手で、相手が図に乗って追いかけてくると、その間に剣をおさめ、鉄の半弓を持ちかえて、振向きざまひょうっと鉄箭を射てくる策であった。

 だが、関羽には、その作戦も効果はなかった。二の矢、三の矢もみな払い落され、ついに、追いつめられて後ろから青龍刀の横なぎを首の根へ一撃喰ってしまった。文醜の馬は、首のない彼の胴体を乗せたまま、なお、果てもなく黄河の下流へ駈けて行った。

「敵将文醜の首、雲長関羽の手に挙げたり」

 と呼ばわると、百里の闇をさまよっていた河北勢は、拍車をかけて、さらに逃げ惑った。


(中略)


 玄徳はややしばらく眸をこらしていた。小旗の文字がかすかに読まれた。「漢寿亭侯雲長関羽」――陽にひるがえるとき明らかにそう見えた。

「ああ! ……義弟の関羽にちがいない」

 玄徳は瞑目して、心中ひそかに彼の武運を天地に祈念していた。

 すると、後方の湖を渡って、曹操の軍が退路を断つと聞えたので、あわてて後陣へ退き、その後陣も危なくなったので、またも十数里ほど退却した。

 その頃、袁紹の救いがようやく河を渡って来た。で、合流して一時、官渡の地へひき移った。


(中略)


「こう敗軍をかさねたのも、ご辺の義弟たる関羽が敵の中にあるため。……なんとか、そこにご辺として、思慮はあるまいか」と、諮った。

 玄徳は、頭を垂れて、

「そう仰せられると、自分も責任を感ぜずにはおられません」

「ひとつ、ご辺の力で、関羽をこっちへ招くことはできまいか」

「私が、今ここに来ていることを、関羽に知らせてやりさえすれば、夜を日についでも、これへ参ろうと思いますが」

「なぜ早くそういう良計を、わしに献策してくれなかったのか」

「義弟とそれがしの間に、まったく消息がなくてさえ、常に、お疑いをうけ勝ちなのに、もしひそかに、関羽と書簡を通じたりなどといわれたら、たちまち禍いのたねになりましょう」

「いや、悪かった。もう疑わん。さっそく消息を通じ給え。もし関羽が味方にきてくれれば、顔良、文醜が生きかえってくるにもまさる歓びであろう」

 玄徳は拝諾して、黙々、自分の陣所へ帰った。


(中略)


 汝南には前から劉辟、※「龍/共」都(きょうと)という二匪賊がいた。もと黄巾の残党である。

 かねて曹洪を討伐にやってあったが、匪賊の勢いは猛烈で洪軍は大痛手をうけ、いまなお、退却中という報告であった。

「ぜひ有力な援軍を下し給わぬと、汝南地方は黄匪の猖獗にまかせ、後々大事にいたるかも知れません」と、早打ちの使者はつけ加えた。

 ちょうど、宴の最中、人々騒然と議にわいたが、関羽が、

「願わくは、それがしをお遣りください」と、申し出た。

 曹操は、歓びながら、

「おお、羽将軍が行けば、たちどころに平定しようが、先頃からご辺の勲功はおびただしいのに、まだ予は、君に恩賞も与えてない。――しかるにまたすぐ戦野に出たいとは、どういうご意志か」

 と、すこし疑って訊ねた。

 関羽は、答えていう。

「匹夫は玉殿に耐えずとか、生来少し無事でいると、身に病が生じていけません。百姓は鍬と別れると弱くなるそうですが、こなたにも無事安閑は、身の毒ですから」

 曹操は、呵々と大笑しながら、膝をたたいて、――壮なるかな、さらば参られよと、五万の軍勢を与え、于禁、楽進のふたりを副将として添えてやった。

 あとで、荀※「或」の「丿」に代えて「彡」は、曹操に意見した。

「よほどお気をつけにならんと、関羽は行ったまま、遂に帰ってこないかも知れません。始終容子を見ているに、まだ玄徳を深く慕っておるようです」

 曹操も、反省して、

「そうだ、こんど汝南から帰ってきたら、もうあまり用いないことにしよう」と、うなずいた。

 汝南に迫った関羽は、古刹の一院に本陣をおいて、あしたの戦に備えていたが、その夜、哨兵の小隊が、敵の間諜らしい怪しげな男を二名捕まえてきた。

 関羽が前に引きすえて、二名の覆面をとらせてみると、そのひとりは、なんぞ計らん、共に玄徳の麾下にいた旧友の孫乾なので、

「やあ、どうしたわけだ」と、びっくりして、自身彼の縛めを解き、左右の兵を退けてから、二人きりで旧情を温め合った。

 関羽はなによりも先ずたずねた。

「其許は、家兄玄徳のお行方を知っているだろう。いま何処におられるか」

「されば、徐州離散の後、自分もこの汝南へ落ちのびてきて、諸所流浪していたが、ふとした縁から劉辟、※「龍/共」都の二頭目と親しくなり、匪軍のなかに身を寄せていた」

「や。では敵方か」

「ま、待ちたまえ。――ところがその後、河北の袁紹からだいぶ物資や金が匪軍へまわった。曹操の側面を衝けという交換条件で――。そんなわけで折々河北の消息も聞えてくるが、先頃、ある確かな筋から、ご主君玄徳が、袁紹を頼まれて、河北の陣中におられるということを耳にした。それは確実らしいのだ。安んじ給え。いずれにせよ、ご健在は確実だからな」


(中略)


 関羽は苦もなく州郡を収めて、やがて軍をひいて都へ還った。

 兵馬の損傷は当然すくない。

 しかも、功は大きかった。曹操の歓待はいうまでもない。于禁、楽進はひそかに曹操に訴える機を狙っていたが、曹操の関羽にたいする信頼と敬愛の頂点なのを見てはへたに横から告げ口もだせなかった。


(中略)


 玄徳が河北にいるという事実は、やがて曹操の耳にも知れてきた。

 曹操は、張遼をよんで、

「ちか頃、関羽の容子は、どんなふうか」と、たずねた。張遼は、答えて、

「何か、思い事に沈んでおるらしく、酒もたしなまず、無口になって、例の内院の番兵小屋で、日々読書しております」と、はなした。

 曹操の胸にはいま、気が気でないものがある。もちろん張遼もそれを察して、ひどく気を傷めているところなので、

「近いうちに、一度てまえが、関羽をたずねて、彼の心境をそれとなく探ってみましょう」

 と、いって退がった。

 数日の後。

 張遼はぶらりと、内院の番兵小屋を訪れた。

「やあ、よくお出で下すった」

 関羽は、書物をおいて、彼を迎え入れた。――といっても、門番小屋なので、ふたりの膝を入れると、いっぱいになるほどの狭さである。

「何を読んでおられるのか」

「いや、春秋です」

「君は、春秋を愛読されるか。春秋のうちには、例の有名な管仲と鮑叔との美しい古人の交わりが書いてある条くだりがあるが、――君は、あそこを読んでどう思う」

「べつに、どうも」

「うらやましいとはお思いにならぬか」

「……さして」

「なぜですか。たれも春秋を読んで、管仲と鮑叔の交わりを羨望しないものはない。――我ヲ生ムモノハ父母、我ヲ知ルモノハ鮑叔ナリ――と管仲がいっているのを見て、ふたりの信をうらやまぬものはないが」

「自分には、玄徳という実在のお人があるから、古人の交わりも、うらやむに足りません」

「ははあ。……では貴公と玄徳とのあいだは、いにしえの管仲、鮑叔以上だというのですか」

「もちろんです。死なば死もともに。生きなば生をともに。管仲、鮑叔ごとき類とひとつに語れませぬ」

 奔流のなかの磐石は、何百年激流に洗われていても、やはり磐石である。張遼はかれの鉄石心にきょうも心を打たれるばかりだったが、自分の立場に励まされて、

「――では、この張遼と貴公との交わりは、どうお考えですか」

 と、斬りこむように、一試問を出してみた。すると、関羽は、はっきりと答えた。

「たまたま、御身を知って、浅からぬ友情を契り、ともに吉凶を相救け、ともに患難をしのぎあって参ったが、ひとたび君臣の大義にもとるようなことにでも立ちいたれば、それがしの力も及びません」

「では、君と玄徳との、君臣の交わりとは、較べものにならぬ――というわけですな」

「訊くも愚かでしょう」

「しからばなぜ君は、玄徳が徐州で敗れた折、命をすてて戦わなかったか」

「それを止めたのは、貴公ではなかったか」

「……むむむ。……だが、さまで一心同体の仲ならば」

「もし、劉皇叔死し給えりと知らば、関羽はきょうにも死にましょう」

「すでにご存じであろうが、いま玄徳は河北にいます。――ご辺もやがて尋ねてゆくお考えでござろうな」

「いみじくも仰せ下さった。昔日の約束もあれば、かならず約を果たさんものと誓っています。――ちょうどよい折、どうかあなたから丞相に告げてそれがしのためにお暇をもらってください。このとおりお願いいたす」と関羽は莚に坐り直して張遼を再拝した。

(――さてはこの人、近いうちに都を去って故主の許へかえる決心であるな)

 と、張遼も、いまは明らかに観ぬいて心に愕きながらその足ですぐ曹操の居館へいそいだ。


 関羽の心底は、すでに決まっている。彼の心はもう河北の空へ飛んでいます。――

 張遼が、そうありのままに復命することばを、曹操は黙然と聞いていたが、

「ああ、実に忠義なものだ。しかし、予の真でもなお、彼をつなぎ止めるに足らんか」

 と、大きく嘆息して、苦悶を眉にただよわせたが、

「よしよし。このうえは、予に彼を留める一計がある」

 と、つぶやいて、その日から府門の柱に、一面の聯をかけて、みだりに出入を禁じてしまった。

 ――いまに何か沙汰があろう。張遼がなにかいってくるだろう。関羽はその後、心待ちにしていたが、幾日たっても、相府からは何の使いもない。

 そのうちに、ある夜、番兵小屋をひきあげて、家にもどろうとすると、途中、物陰からひとりの男が近づいてきて、

「羽将軍。羽将軍……。これをあとでご覧ください」

 と、何やら書簡らしい物を、そっと手に握らせて、風のように立ち去ってしまった。

 関羽はあとで愕いた。

 彼は幾たびか独房の燈火をきって、さんさんと落涙しながらその書面をくり返し読んだ。

 なつかしくも、それは玄徳の筆蹟であった。しかも、玄徳は縷々綿々、旧情をのべた末に、

君ト我トハ、カツテ一度ハ、桃園ニ義ヲ結ンダ仲デアルガ、身ハ不肖ニシテ、時マタ利アラズ、イタズラニ君ノ義胆ヲ苦シマセルノミ。モシ君ガソノ地ニ於テ、ソノママ、富貴ヲ望ムナラバ、セメテ今日マデ、酬イルコト薄キ自分トシテ、備 (自分のこと)ガ首級ヲ贈ッテ、君ノ全功ヲ陰ナガラ祷リタイト思ウ。

書中言ヲツクサズ、旦暮河南ノ空ヲ望ンデ、来命ヲ待ツ。

 と、してあった。

 関羽は、劉備の切々な情言を、むしろ恨めしくさえ思った。富貴、栄達――そんなものに義を変えるくらいなら、なんでこんな苦衷に忍ぼう。

「いやもったいない。自分の義は自分のむねだけでしていること。遠いお方が何も知ろうはずはない」

 その夜、関羽はよく眠らなかった。そして翌る日も、番兵小屋に独坐して、書物を手にしていたが、なんとなく心も書物にはいらなかった。

 すると、ひとりの行商人がどこから紛れこんできたか、彼の小屋の窓へ立ち寄って、

「お返辞は書けていますか」と、小声でいった。

 よく見ると、ゆうべの男だった。

「おまえは、何者か」と、ただすと、さらに四辺をうかがいながら、

「袁紹の臣で陳震と申すものです。一日もはやくこの地をのがれて、河北へ来給えとお言伝でございます」

「こころは無性にはやるが、二夫人のお身を守護して参らねばならん……身ひとつなれば、今でもゆくが」

「いかがなさいますか。その脱出の計は」

「計も策もない。さきに許都へまいる折、曹操とは三つの約束をしてある。先頃から幾つかの功をたてて、よそながら彼への恩返しもしてあることだから、あとはお暇を乞うのみだ。――来るときも明白に、また、去るときも明白に、かならず善処してまいる」

「……けれど、もし曹操が、将軍のお暇をゆるさなかったらどうしますか」

 関羽は、微笑して、

「そのときは、肉体を捨て、魂魄と化して、故主のもとにまかり帰るであろう」と、いった。

 関羽の返事を得ると、陳震は、すばやく都から姿を消した。

 関羽は次の日、曹操に会って、自身暇を乞おうと考えて出て行ったが、彼のいる府門の柱を仰ぐと、

 謹謝訪客叩門

 と書いた「避客牌」がかかっていた。


 主がすべての客を謝して門を閉じている時は、門にこういう聯をかけておくのが慣いであった。

 また客も門にこの避客牌がかかっているときは、どんな用事があっても、黙々、帰ってゆくのが礼儀なのである。

 曹操は、やがて関羽が、自身で暇を乞いにくるのを察していたので、あらかじめ牌をかけておいたのだった。

「……?」

 関羽はややしばらく、その前にたたずんでいたが、ぜひなく踵をめぐらして、その日は帰った。

 次の日も早朝に、また来てみたが依然として避客牌は彼を拒んでいた。

 あくる日は夕方をえらんで、府門へ来てみた。

 門扉は、夕べの中に、唖のごとく、盲のごとく、閉じられてある。

 関羽はむなしく立ち帰ると、下※「丕+おおざと」このかた随身している手飼いの従者二十人ばかりを集めて、

「不日、二夫人の御車を推して、この内院を立ち去るであろう。物静かに、打立つ用意に取りかかれ」

 と、いいつけた。

 甘夫人は、狂喜のいろをつつんで、関羽にたずねた。

「将軍、ここを去るのは、いつの日ですか」

 関羽は、口すくなく、

「朝夕のあいだにあります」と、漠然答えた。


(中略)


 彼はまた、出発の準備をするについて、二夫人にも云いふくめ、召使いたちにも、かたく云い渡した。

「この院に備えてある調度の品はもちろんのこと、日頃、曹操からそれがしへ贈ってきた金銀緞匹、すべて封じのこして、ひとつも持ち去ってはならない」

 なお彼は、その間も、毎日、日課のように、府門へ出向いてみた。そしては、むなしく帰ることが七、八日に及んだ。

「ぜひもない。……そうだ、張遼の私邸をたずねて、訴えてみよう」

 ところがその張遼も、病気と称して、面会を避けた。何と訴えても、家士は主人に取次いでくれないのである。

「このうえはぜひもない!」

 関羽は、長嘆して、ひそかに意を決するものがあった。真っ正直な彼は、どうかして曹操と会い、そして大丈夫と大丈夫とが約したことの履行によって、快く訣別したいものだと日夜苦しんでいたのであるが、いまはもう百年開かぬ門を待つものと考えた。

「何とて、この期に、意をひるがえさんや」

 その夜、立ち帰ると、一封の書状をしたためて、寿亭侯の印と共に、庫の内にかけておき、なお庫内いっぱいにある珠玉金銀の筥、襴綾種々、緞匹の梱、山をなす名什宝器など、すべての品々には、いちいち目録を添えてのこし、あとをかたく閉めてから、

「一同、院内くまなく、大掃除をせよ」と、命じた。

 掃除は夜半すぎまでかかった。その代りに、仄白い残月の下には、塵一つなく浄められた。

「いざ、お供いたしましょう」

 一輛の車は、内院の門へ引きよせられた。二夫人は簾のうちにかくれた。

 二十名の従者は、車に添ってあるいた。関羽はみずから赤兎馬をひきよせて打ちまたがり、手に偃月の青龍刀をかかえていた。そして、車の露ばらいして北の城門から府外へ出ようとそこへさしかかった。

 城門の番兵たちは、すわや車のうちこそ二夫人に相違なしと、立ちふさがって留めようとしたが、関羽が眼をいからして、

「指など御車に触れてみよ、汝らの細首は、あの月辺まで飛んでゆくぞ」

 そして、からからと笑ったのみで、番兵たちはことごとく震い怖れ、暁闇のそこここへ逃げ散ってしまった。

「さだめし、夜明けとともに、追手の勢がかかるであろう、そち達は、ひたすら御車を守護して先へ参れ。かならず二夫人を驚かし奉るなよ」

 云いふくめて、関羽はあとに残った。そして北大街の官道を悠々、ただひとり後からすすんでいた。


(中略)


 ――その朝、曹操は、虫が知らせたか、常より早目に起きて、諸将を閣へ招き、何事か凝議していた。

 そこへ、巡邏からの注進が聞えたのである。

「――寿亭侯の印をはじめ、金銀緞匹の類、すべてを庫内に封じて留めおき、内室には十美人をのこし、その余の召使い二十余人、すべて関羽と共に、二夫人を車へのせて、夜明け前に、北門より立退いた由でございます」

 こう聞いて、満座、早朝から興をさました。猿臂将軍蔡陽はいった。

「追手の役、それがしが承らん。関羽とて、何ほどのことやあろう。兵三千を賜らば、即刻、召捕えて参りまする」

 曹操は、侍臣のさし出した関羽の遺書をひらいて、黙然と読んでいたが、

「いや待て。――われにこそ無情いが、やはり関羽は真の大丈夫である。来ること明白、去ることも明白。まことに天下の義士らしい進退だ。――其方どもも、良い手本にせよ」

 蔡陽は、赤面して、列後に沈黙した。

 すると程※「日/立」は、彼に代って、

「関羽には三つの罪があります。丞相のご寛大は、却って味方の諸将に不平をいだかせましょう」

 と、面を冒して云った。

「程※「日/立」。なぜ、関羽の罪とは何をさすか」

「一、忘恩の罪。二、無断退去の罪。三、河北の使いとひそかに密書を交わせる罪――」

「いやいや、関羽は初めから予に、三ヵ条の約束を求めておる。それを約しながら強いて履行を避けたのは、かくいう曹操であって、彼ではない」

「でも今――みすみす彼が河北へ走るのを見のがしては、後日の大患、虎を野へ放つも同様ではありませぬか」

「さりとて、追討ちかけて、彼を殺せば、天下の人みな曹操の不信を鳴らすであろう。――如かず! 如かず! 人おのおのその主ありだ。このうえは彼の心のおもむくまま故主のもとへ帰らせてやろう……。追うな、追うな。追討ちかけてはならんぞ」

 最後のことばは、曹操が曹操自身へ戒めているように聞えた。彼のひとみは、そういうあいだも、北面したままじっと北の空を見つめていた。


 ついに関羽は去った!

 自分をすてて玄徳のもとへ帰った!

 辛いかな大丈夫の恋。――恋ならぬ男と男との義恋。

「……ああ、生涯もう二度と、ああいう真の義士と語れないかもしれない」

 憎悪。そんなものは今、曹操の胸には、みじんもなかった。

 来るも明白、去ることも明白な関羽のきれいな行動にたいして、そんな小人の怒りは抱こうとしても抱けなかったのである。

「…………」

 けれど彼の淋しげな眸は、北の空を見まもったまま、如何ともなし難かった。涙々、頬に白いすじを描いた。睫毛は、胸中の苦悶をしばだたいた。

 諸臣みな、彼の面を仰ぎ得なかった。しかし程※「日/立」、蔡陽の輩は、

「いま関羽を無事に国外へ出しては、後日、かならず悔い悩むことが起るに相違ない。殺すのは今のうちだ。今の一刻を逸しては……」

 と、ひそかに腕を扼し、足ずりして、曹操の寛大をもどかしがっていた。

 曹操はやがて立ち上がった。

 そして、あたりの諸大将に云った。

「関羽の出奔は、あくまで義にそむいてはいない。彼は七度も暇を乞いに府門を訪れているが、予が避客牌をかけて門を閉じていたため、ついに書をのこして立ち去ったのだ。大方の非礼はかえって曹操にある。生涯、彼の心底に、曹操は気心の小さいものよと嗤われているのは心苦しい。……まだ、途も遠くへはへだたるまい。追いついて、彼にも我にも、後々までの思い出のよい信義の別れを告げよう。――張遼供をせい!」

 やにわに彼は閣を降り、駒をよび寄せて、府門から馳けだした。

 張遼は、曹操から早口にいいつけられて路用の金銀と、一襲の袍衣とを、あわただしく持って、すぐ後から鞭を打った。


(中略)


「……はて。呼ぶものは誰か?」

 関羽は、駒をとめた。

「……おおういっ」

 という声――。秋風のあいだに。

「さては! 追手の勢」

 関羽は、かねて期したることと、あわてもせず、すぐ二夫人の車のそばへ行った。

「扈従の人々。おのおのは御車をおして先へ落ちよ。関羽一人はここにあって路傍の妨げを取り除いたうえ、悠々と、後から参れば――」

 と、二夫人を愕かさぬように、わざとことば柔らかにいって駒を返した。

 遠くから彼を呼びながら馳けてきたのは、張遼であった。張遼はひっ返してくる関羽の姿を見ると、

「雲長。待ちたまえ」と、さらに駒を寄せた。

 関羽はにこと笑って、

「わが字を呼ぶ人は、其許のほかにないと思っていたが、やはり其許であった。待つことかくの如く神妙であるが、いかにご辺を向けられても、関羽はまだご辺の手にかかって生捕られるわけには参らん。さてさてつらき御命をうけて来られたもの哉――」

 と、はや小脇の偃月刀を持ち直して身がまえた。

「否、否、疑うをやめ給え」と、張遼はあわてて弁明した。

「身に甲を着ず、手に武具をたずさえず――拙者のこれへ参ったのは、決して、あなたを召捕らんがためではない。やがて後より丞相がご自身でこれに来られるゆえ、その前触れにきたのでござる。曹丞相の見えられるまで、しばしこれにてお待ちねがいたい」


「なに。曹丞相みずからこれへ参るといわれるか」

「いかにも、追ッつけこれへお見えになろう」

「はて、大仰な」

 関羽は、何思ったか、駒をひっ返して覇陵橋の中ほどに突っ立った。

 張遼は、それを見て、関羽が自分のことばを信じないのを知った。

 彼が、狭い橋上のまン中に立ちふさがったのは、大勢を防ごうとする構えである。――道路では四面から囲まれるおそれがあるからだ。

「いや。やがて分ろう」

 張遼は、あえて、彼の誤解に弁明をつとめなかった。まもなく、すぐあとから曹操はわずか六、七騎の腹心のみを従えて馳けてきた。

 それは、許※「ころもへん+睹のつくり」(きょちょ)、徐晃、于禁、李典なんどの錚々たる将星ばかりだったが、すべて甲冑をつけず、佩剣のほかは、ものものしい武器をたずさえず、きわめて、平和な装いを揃えていた。

 関羽は、覇陵橋のうえからそれをながめて、

「――さては、われを召捕らんためではなかったか。張遼の言は、真実だったか」

 と、やや面の色をやわらげたが、それにしても、曹操自身が、何故にこれへ来たのか、なお怪しみは解けない容子であった。

 ――と、曹操は。

 はやくも駒を橋畔まで馳け寄せてきて、しずかに声をかけた。

「オオ羽将軍。――あわただしい、ご出立ではないか。さりとは余りに名残り惜しい。何とてそう路を急ぎ給うのか」

 関羽は、聞くと、馬上のまま慇懃に一礼して、

「その以前、それがしと丞相との間には三つのご誓約を交わしてある。いま、故主玄徳こと、河北にありと伝え聞く。――幸いに許容し給わらんことを」

「惜しいかな。君と予との交わりの日の余りにも短かりしことよ。――予も、天下の宰相たり、決して昔日の約束を違えんなどとは考えていない。……しかし、しかし、余りにもご滞留が短かかったような心地がする」

「鴻恩、いつの日か忘れましょう。さりながら今、故主の所在を知りつつ、安閑と無為の日を過して、丞相の温情にあまえているのも心ぐるしく……ついに去らんの意を決して、七度まで府門をお訪ねしましたが、つねに門は各※ (二の字点、1-2-22)とざされていて、むなしく立ち帰るしかありませんでした。お暇も乞わずに、早々旅へ急いだ罪はどうかご寛容ねがいたい」

「いやいや、あらかじめ君の訪れを知って、牌をかけおいたのは予の科である。――否、自分の小心のなせる業と明らかに告白する。いま自身でこれへ追ってきたのは、その小心をみずから恥じたからである」

「なんの、なんの、丞相の寛濶な度量は、何ものにも、較べるものはありません。誰よりも、それがしが深く知っておるつもりです」

「本望である。将軍がそう感じてくれれば、それで本望というもの。別れたあとの心地も潔い。……おお、張遼、あれを」

 と、彼はうしろを顧みて、かねて用意させてきた路用の金銀を、餞別として、関羽に贈った。が関羽は、容易にうけとらなかった。

「滞府中には、あなたから充分な、お賄いをいただいておるし、この後といえども、流寓落魄貧しきには馴れています。どうかそれは諸軍の兵にわけてやってください」

 しかし曹操も、また、

「それでは、折角の予の志もすべて空しい気がされる。今さら、わずかな路銀などが、君の節操を傷つけもしまい。君自身はどんな困窮にも耐えられようが、君の仕える二夫人に衣食の困苦をかけるのはいたましい。曹操の情として忍びがたいところである。君が受けるのを潔しとしないならば、二夫人へ路用の餞別として、献じてもらいたい」と強って云った。


 関羽は、ふと、眼をしばだたいた。二夫人の境遇に考え及ぶと、すぐ断腸の思いがわくらしいのである。

「ご芳志のもの、二夫人へと仰せあるなら、ありがたく収めて、お取次ぎいたそう。――長々お世話にあずかった上、些少の功労をのこして、いま流別の日に会う。……他日、萍水ふたたび巡りあう日くれば、べつにかならず、余恩をお報い申すでござろう」

 彼のことばに、曹操も満足を面にあらわして、

「いや、いや、君のような純忠の士を、幾月か都へ留めておいただけでも、都の士風はたしかに良化された。また曹操も、どれほど君から学ぶところが多かったか知れぬ。――ただ君と予との因縁薄うして、いま人生の中道に袂をわかつ。――これは淋しいことにちがいないが、考え方によっては、人生のおもしろさもまたこの不如意のうちにある」

 と、まず張遼の手から路銀を贈らせ、なお後の一将を顧みて、持たせてきた一領の錦の袍衣を取寄せ、それを関羽に餞別せん――とこういった。

「秋も深いし、これからの山道や渡河の旅も、いとど寒く相成ろう。……これは曹操が、君の芳魂をつつんでもらいたいため、わざわざ携えてきた粗衣に過ぎんが、どうか旅衣として、雨露のしのぎに着てもらいたい。これくらいのことは君がうけても誰も君の節操を疑いもいたすまい」

 錦の抱を持った大将は、直ちに馬を下りて、つかつかと覇陵橋の中ほどへすすみ、関羽の駒のまえにひざまずいて、うやうやしく錦袍を捧げた。

「かたじけない」

 関羽はそこから目礼を送ったが、その眼ざしには、もし何かの謀略でもありはしまいかとなお充分警戒しているふうが見えた。

「――せっかくのご餞別、さらば賜袍の恩をこうむるでござろう」

 そういうと、関羽は、小脇にしていた偃月の青龍刀をさしのべてその薙刀形の刃さきに、錦の袍を引っかけ、ひらりと肩に打ちかけると、

「おさらば」と、ただ一声のこして、たちまち北の方へ駿足赤兎馬を早めて立ち去ってしまった。

「見よ。あの武者ぶりの良さを――」

 と、曹操は、ほれぼれと見送っていたが、つき従う李典、于禁、許※「ころもへん+睹のつくり」などは、口を極めて、怒りながら、

「なんたる傲慢」

「恩賜の袍を刀のさきで受けるとは」

「丞相のご恩につけあがって、すきな真似をしちらしておる」

「今だっ。――あれあれ、まだ彼方に姿は見える。追いかけて! ……」

 と、あわや駒首をそろえて、馳けだそうとした。

 曹操は、一同をなだめて、

「むりもない事だ。関羽の身になってみれば、――いかに武装はしていなくとも、こちらはわが麾下の錚々たる者のみ二十人もいるのに、彼は単騎、ただひとりではないか。あれくらいな要心はゆるしてやるべきである」

 そしてすぐ許都へ帰って行ったが、その途々も左右の諸大将にむかって、

「敵たると味方たるとをとわず、武人の薫しい心操に接するほど、予は、楽しいことはない。その一瞬は、天地も人間も、すべてこの世が美しいものに満ちているような心地がするのだ。――そういう一箇の人格が他を薫化することは、後世千年、二千年にも及ぶであろう。其方たちも、この世でよき人物に会ったことを徳として、彼の心根に見ならい、おのおの末代にいたるまで芳き名をのこせよ」と、訓戒したということである。


(中略)


 三日目の夕方、車につき添うた一行は、疎林の中をすすんでいた。

 片々と落葉の舞う彼方に、一すじの炊煙がたちのぼっている。隠士の住居でもあるらしい。

 訪うて宿をからんためであった。関羽が訪うと、ひとりの老翁が、草堂の門へ出てきてたずねた。

「あんたは、何処の誰じゃ」

「劉玄徳の義弟、関羽というものですが」

「えっ……関羽どのじゃと。あの顔良や文醜を討ったるお人か」

「そうです」

 老翁は、かぎりなく驚いている。そして重ねて、

「あのお車は」と、たずねた。

 関羽はありのまま正直に告げた。老翁はますます驚き、そして敬い請じて門のうちに迎えた。

 二夫人は車を降りた。翁は、娘や孫娘をよんで、夫人の世話をさせた。

「たいへんな貴賓じゃ」

 翁は清服に着かえて、改めて二夫人のいる一室へあいさつに出た。

 関羽は、二夫人のかたわらに、叉手したまま侍立していた。

 老翁は、いぶかって、

「将軍と、玄徳様とは、義兄弟のあいだがら、二夫人は嫂にあたるわけでしょう。……旅のお疲れもあろうに、くつろぎもせず、なぜそのような礼儀を守っておいでかの?」

 関羽は、微笑をたたえて、

「玄徳、張飛、それがしの三名は、兄弟の約をむすんでおるが、義と礼においては君臣のあいだにあらんと、固く、乱れざることを誓っていました。故に、ふたりの嫂の君とともに、かかる流寓艱苦の中にはあっても、かつて君臣の礼を欠いたことがありません。家翁のお目には、それがおかしく見えますか」

「いや、いや、滅相もない。いぶかったわしこそ浅慮でおざった。さても今どきにめずらしいご忠節」

 それから老翁はことごとく関羽に心服して自分の小斎に招き、身の上などうちあけた。この老翁は胡華といって、桓帝のころ議郎まで勤めたことのある隠士だった。

「わしの愚息は、胡班といって、いま※「螢」の「虫」に代えて「水」陽(けいよう)の太守王植の従事官をしています。やがてその道もお通りになるでしょうから、ぜひ訪ねてやってください」と、自分の息子へ、紹介状をしたためて、あくる朝、二夫人の車が立つ折、関羽の手にそれを渡していた。


 胡華の家を立ってから、破蓋の簾車は、日々、秋風の旅をつづけていた。

 やがて洛陽へかかる途中に、一つの関所がある。

 曹操の与党、孔秀というものが、部下五百余騎をもって、関門をかためていた。

「ここは三州第一の要害。まず、事なく通りたいものだが」

 関羽は、車をとどめて、ただ一騎、先に馳けだして呶鳴った。

「これは河北へ下る旅人でござる。ねがわくは、関門の通過をゆるされい」

 すると、孔秀自身、剣を扼して立ちあらわれ、

「将軍は雲長関羽にあらざるか」

「しかり。それがしは、関羽でござる」

「二夫人の車を擁して、いずれへ行かれるか」

「申すまでもなく、河北におわすと聞く故主玄徳のもとへ立ち帰る途中であるが」

「さらば、曹丞相の告文をお持ちか」

「事火急に出で、告文はつい持ち忘れてござるが」

「ただの旅人ならば、関所の割符を要し、公の通行には告文なくば関門を通さぬことぐらいは、将軍もご承知であろう」

「帰る日がくればかならず帰るべしとは、かねて丞相とそれがしとのあいだに交わしてある約束です。なんぞ、掟によろうや」

「いやいや、河北の袁紹は、曹丞相の大敵である。敵地へゆく者を、無断、通すわけにはまいらぬ。……しばらく門外に逗留したまえ。その間に、都へ使いを立て、相府の命を伺ってみるから」

「一日も心のいそぐ旅。いたずらに使いの往還を待ってはおられん」

「たとい、なんと仰せあろうと、丞相の御命に接せぬうちは、ここを通すこと相ならん。しかも今、辺境すべて、戦乱の時、なんで国法をゆるがせにできようか」

「曹操の国法は、曹操の領民と、敵人に掟されたもの。それがしは、丞相の客にして、領下の臣でもない。敵人でもない。――強って、通さぬとあれば、身をもって、踏みやぶるしかないが、それは却って足下の災いとなろう。快く通したまえ」

「ならんというに、しつこいやつだ。もっとも、其方の連れている車のものや、扈従のものすべてを、人質としてここに留めておくならば、汝一人だけ、通ることをゆるしてやろう」

「左様なことは、此方としてゆるされん」

「しからば、立ち帰れ」

「何としても?」

「くどい!」

 言い放して、孔秀は、関門を閉じろと、左右の兵に下知した。

 関羽は、憤然と眉をあげて、

「盲夫っ、これが見えぬか」

 と、青龍刀をのばして、彼の胸板へ擬した。

 孔秀は、その柄を握った。あまりにも相手を知らず、おのれを知らないものだった。

「猪口才な」と、罵りながら、部下の関兵へ大呼して、狼藉者を召捕れとわめいた。

「これまで」と、関羽は青龍刀を引いた。

 うかと、柄を握っていた孔秀は、あっと、鞍から身を浮かして、佩剣へ片手をかけたが、とたんに、関羽が一吼すると、彼の体躯は真二つになって、血しぶきとともに斬り落されていた。

 あとの番卒などは、ものの数ではない。

 関羽は、縦横になぎちらして、そのまま二夫人の車を通し、さて、大音にいって去った。

「覇陵橋上、曹丞相と、暇をつげて、白日ここを通るものである。なんで汝らの科となろう。あとにて、関羽今日、東嶺関をこえたり、と都へ沙汰をいたせばよい」

 その日、車の蓋には、ばらばらと白い霰が降った。――次の日、また次の日と、車のわだちは一路、官道を急ぎぬいて行く。

 洛陽――洛陽の城門ははや遠く見えてきた。

 そこも勿論、曹操の勢力圏内であり、彼の諸侯のひとり韓福が守備していた。


 市外の函門は、ゆうべから物々しく固められていた。

 常備の番兵に、屈強な兵が、千騎も増されて付近の高地や低地にも、伏勢がひそんでいた。

 関羽が、東嶺関を破って、孔秀を斬り、これへかかってくるという飛報が、はやくも伝えられていたからである。

 ――とも知らず、やがて関羽は尋常に、その前に立って呼ばわった。

「それがしは漢の寿亭侯関羽である。北地へ参るもの、門をひらいて通されい」

 聞くやいなや、

「すわ、来たぞ」と、鉄扉と鉄甲はひしめいた。

 洛陽の太守韓福は、見るからにものものしい扮装ちで諸卒のあいだからさっと馬をすすめ、

「告文を見せよ」とのっけから挑戦的にいった。

 関羽が、持たないというと、告文がなければ、私に都を逃げてきたものにちがいない。立ち去らねば搦め捕るのみと――豪語した。

 彼の態度は、関羽を怒らせるに充分だった。関羽は、さきに孔秀を斬ってきたことを公言した。

「汝も首を惜しまざる人間か」と、いった。

 そのことばも終らぬまに、四面に銅鑼が鳴った。山地低地には金鼓がとどろいた。

「さてはすでに、計をもうけて、われを陥さんと待っていたか」

 関羽はいったん駒を退いた。

 逃げると見たか、

「生擒れ。やるなっ」

 とばかり、諸兵はやにわに追いかけた。

 関羽はふり向いた。

 碧血紅漿、かれの一颯一刃に、あたりはたちまち彩られた。

 孟坦という韓福の一部将はすこぶる猛気の高い勇者だったが、これも関羽のまえに立っては、斧にむかう蟷螂のようなものにしか見えなかった。

「孟坦が討たれた!」

 ひるみ立った兵は、口々にいいながら、函門のなかへ逃げこんだ。

 太守韓福は門のわきに馬を立てて、唇を噛んでいたが、群雀を追う鷲のように馳けてくる関羽を目がけて、ひょうっと弓につがえていた一矢を放った。

 矢は関羽の左の臂にあたった。

「おのれ」と、関羽の眼は矢のきた途をたどって、韓福のすがたを見つけた。

 赤兎馬は、口をあいて馳け向ってきた。韓福は怖れをなして、にわかに門のうちへ駒をひるがえそうとしたがその鞍尻へ、赤兎馬が噛みつくように重なった。

 どすっ――と、磚のうえに、首がころげ落ちた。韓福の顔だった。あたりの部下は胆をひやして、われがちに赤兎馬の蹄から逃げ散った。

「いでや、このひまに!」

 関羽は、血ぶるいしながら、遠くにいる車を呼んだ。くるまは、血のなかを、ぐわらぐわらと顫きめぐって、洛陽へはいってしまった。

 どこからともなく、車をめがけて、矢の飛んでくることは、一時は頻りだったが、太守韓福の死と、勇将孟坦の落命が伝わると、全市恐怖にみち、行く手をさえぎる兵もなかった。

 市城を突破して、ふたたび山野へ出るまでは、夜もやすまずに車を護って急いだ。簾中の二夫人も、この一昼夜は繭の中の蛾のように、抱きあったまま、恐怖の目をふさぎ通していた。

 それから数日、昼は深林や、沢のかげに眠って、夜となると、車をいそがせた。

 沂水関へかかったのも、宵の頃であった。

 ここには、もと黄巾の賊将で、のちに曹操へ降参した弁喜というものが固めていた。

 山には、漢の明帝が建立した鎮国寺という古刹がある。弁喜は、部下の大勢をここに集めて、

「――関羽、来らば」と、何事か謀議した。


 夜あらしの声は、一山の松に更けて、星は青く冴えていた。

 折ふし、いんいんたる鐘の音が、鎮国寺の内から鳴りだした。

「来たっ」

「来ましたぞっ」

 山門のほうから飛んできた二人の山兵が廻廊の下から大声で告げた。

 謀議の堂からどやどやと人影があふれ出てきた。大将弁喜以下十人ばかりの猛者や策士が赤い燈火の光をうしろに、

「静かにしろ」と、たしなめながら欄に立ちならんで山門の空を見つめた。

「来たとは、関羽と二夫人の車の一行だろう」

「そうです」

「山麓の関門では、何もとがめずに通したのだな」

「そうしろという大将のご命令でしたから、その通りにいたしました」

「関羽に充分油断を与えるためだ。洛陽でも東嶺関でも、彼を函門で拒もうとしたゆえ、かえって多くの殺傷をこうむっておる。ここでは計をもって、かならず彼奴を生捕ってくれねばならん。……そうだ、迎えに出よう。坊主どもにも、一同出迎えに出ろといえ」

「いま、鐘がなりましたから、もうみな出揃っているはずです」

「じゃあ、各々」

 弁喜は左右の者に眼くばせをして、階を降りた。

 この夜、関羽は、麓の関所も難なく通されたのみか、この鎮国寺の山門に着いて、宿を借ろうと訪れたところ、たちまち一山の鐘がなり渡るとともに、僧衆こぞって出迎えに立つという歓待ぶりなので、意外な思いに打たれていた。

 長老の普浄和尚は車の下にぬかずいて、

「長途の御旅、さだめし、おつかれにおわそう。山寺のことゆえ、雨露のおしのぎをつかまつるのみですが、お心やすくお憩いを」と、さっそく、簾中の二夫人へ、茶を献じた。

 その好意に、関羽はわがことのように歓んで、慇懃、礼をのべると、長老の普浄はなつかしげに、

「将軍。あなたは郷里の蒲東を出てから、幾歳になりますか」と、たずねた。

「はや、二十年にちかい」

 関羽が答えると、また、

「では、わたくしをお忘れでしょうな。わたくしも将軍と同郷の蒲東で、あなたの故郷の家と、わたくしの生家とは、河ひとつ隔てているきりですが……」

「ほ。長老も蒲東のお生れか」

 そこへ、ずかずかと、弁喜が佩剣を鳴らして歩いてきた。そして普浄和尚へ、

「まだ堂中へ、お迎えもせぬうちから、何を親しげに話しておるか。賓客にたいして失礼であろう」

 と、疑わしげに、眼をひからしながら、関羽を導いて、講堂へ招じた。

 その折、長老の普浄が、意味ありげに、関羽へ何か眼をもって告げるらしい容子をしたので、関羽は、さてはと、はやくも胸のうちでうなずいていた。

 果たして。

 弁喜の巧言は、いかにも関羽の人格に服し、酒宴の燭は歓待をつくしているかのようであったが、廻廊の外や祭壇の陰などには、身に迫る殺気が感じられた。

「ああ。こんな愉快な夜はない。将軍の忠節と風貌をお慕いすることや実に久しいものでしたよ。どうか、お杯をください」

 弁喜の眼の底にも、爛々たる兇悪の気がみちている。この佞獣め、と関羽は心中すこしの油断もせずにいたが、

「一杯の酒では飲み足るまい。汝にはこれを与えよう」

 と、壁に立てておいた青龍刀をとるよりはやく、どすっと、弁喜を真二つに斬ってしまった。

 満座の燭は、血けむりに暗くなった。関羽は、扉を蹴って、廻廊へおどり立ち、

「死を急ぐ人々は、即座に名乗り出でよ。雲長関羽が引導せん」

 と、大鐘の唸るが如き声でどなった。


(中略)


 ※「螢」の「虫」に代えて「水」陽(けいよう)の太守王植は、すでに早打ちをうけとっていたが、門をひらいて、自身一行を出迎え、すこぶる鄭重に客舎へ案内した。

 夕刻、使いがあって、

「いささか、小宴を設けて、将軍の旅愁をおなぐさめいたしたいと、主人王植が申されますが」

 と、迎えがきたが、関羽は、二夫人のお側を一刻も離れるわけにはゆかないと、断って、士卒とともに、馬に秣糧を飼っていた。

 王植は、むしろよろこんで、従事胡班をよんで、ひそかに、謀計をさずけた。

「心得て候」とばかり、胡班はただちに、千余騎をうながして、夜も二更の頃おい、関羽の客舎をひそやかに遠巻きにした。

 そして寝しずまる頃を待ち、客舎のまわりに投げ炬火をたくさんに用意し、乾いた柴に焔硝を抱きあわせて、柵門の内外へはこびあつめた。

「――時分は良し」と、あとは合図をあげるばかりに備えていたが、まだ客舎の一房に燈火の影が見えるので、何となく気にかかっていた。

「いつまでも寝ない奴だな。何をしておるのか?」

 と、胡班は、忍びやかに近づいて房中をうかがった。

 すると、紅蝋燭の如く赤い面に漆黒の髯をふさふさとたくわえている一高士が、机案に肱をついて書を読んでいた。

「あっ? ……この人が関羽であろう。さてさてうわさに違わず、これは世のつねの将軍ではない。天上の武神でも見るような」

 思わず、それへ膝を落すと、関羽はふと面を向けて、

「何者だ」と、しずかに咎めた。

 逃げる気にも隠す気にもなれなかった。彼は敬礼して、

「王太守の従事、胡班と申すものです」と、云ってしまった。

「なに、従事胡班とな?」

 関羽は、書物のあいだから一通の書簡をとり出して、これを知っているかと、胡班へ示した。

「ああこれは、父の胡華よりわたくしへの書状」

 驚いて、読み入っていたが、やがて大きく嘆息して、

「もしこよい、父の書面を見なかったら、わたくしは天下の忠臣を殺したかもしれません」

 と王植の謀計を打ち明けて、一刻もはやくここを落ち給えとうながした。

 関羽も一驚して、取るものも取りあえず、二夫人を車に乗せて、客舎の裏門から脱出した。


(中略)


「止れっ。――来れるものは何奴であるか」

「秦※「王+其」(しんき)は、足下か」

「そうだ」

「われは漢の寿亭侯関羽」

「どこへ参る」

「河北へ」

「告文を見せろ」

「なし」

「丞相の告文がなくば、通過はゆるさん」

「曹丞相も、漢の朝臣、それがしも漢の一臣たり、なんで曹操の下知を待とうぞ」

「翼があるなら飛んで渡れ。さような大言を吐くからには、なおもって、一歩もここを通すことはまかりならぬ」

「知らずや、秦※「王+其」!」

「なんだと」

「途々、此方をさえぎったものは、ことごとく首と胴とを異にしておる事実を。名もなき下将の分際をもって、顔良、文醜にも立ち勝れりと思いあがっておるこそ不愍なれ。むだな死は避けよ。そこを退け」

「だまれ。おのれ手なみを見てから吐ほざけ」

 秦※「王+其」は、そう吠えると、やにわに刀を舞わして躍りかかり、彼の従兵も、関羽の前後から喚きかかった。

「ああ、小人、救うべからず!」

 偃月の青龍刀は、またしても風を呼び、血を降らせた。


(中略)


 顧みれば――都を出てから、五ヵ所の関門を突破し、六人の守将を斬っている。

 許都を発してからは、踏破してきたその地は。

 襄陽 (漢口より漢水上流へ二百八十粁)

 覇陵橋 (河南省・許州)

 東嶺関 (河南省許州より洛陽への途中)

 沂水関 (洛陽郊外)

 滑州 (黄河渡口)

「よくも、ここまで」

 われながら関羽はそう思った。


(中略)


 彼方からひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたきりの孫乾ではないか。

 互いに奇遇を祝して、まず関羽からたずねた。

「かねての約束、どこかでお迎えがあろうと、ここへ参るまでも案じていたが、さてかく手間どったのはどうしたわけです」

「実は、袁紹の帷幕にいろいろ内紛が起って、そのために、汝南の劉辟、※「龍/共」都のむねをおびて河北へ使いしたてまえの計画が、みな喰いちがってしまったのです。――さもなければ、袁紹を説き伏せて劉皇叔を汝南に派遣するように仕向け、てまえは途中にご一行を待って、ご対面のことを計るつもりでしたが」

「では、劉皇叔には、ともあれご無事に、いまも袁紹の許においで遊ばすか」

「いや、いや。つい二、三日ほど前、てまえが行って、ひそかに諜しあわせ、河北を脱出あそばして汝南へさして落ちて行かれた」


(中略)


 すると、行くことまだ遠くもないうちであった。うしろのほうから馬煙あげて追っかけてくる三百騎ほどな軍隊があった。たちまち追いつかれたので、関羽は、孫乾に車を守らせ、一騎引っ返して待ちかまえた。

 まっ先に躍ってくる馬上の大将を見ると、片眼がつぶれている。さてこそ、曹操の第一の大将夏侯惇よなと、関羽も満身を総毛だてて青龍刀を構え直していた。

「やあ、いるは関羽か」

 夏侯惇から呼ばわると、

「見るが如し」

 と、関羽はうそぶいた。

 虎をみれば龍は怒り、龍を見れば虎はただちに吠える。双方とも間髪をいれない殺気と殺気であった。

「汝みだりに、五関を破り、六将を殺し、しかもわが部下の秦※「王+其」まで斬ったと聞く。つつしんで首をわたすか、しからずんば、おれの与える縛をうけよ」

 聞くと、関羽は大笑して、それに答えた。

「その以前、座談のなかではあったが、われ帰らんとする日、もしさえぎるものあれば、一々殺戮して、屍山血河を渉わたっても帰るであろうと――曹丞相と語ってゆるされたことがある――いまそを履行してあるくのみ。貴公もまた、関羽のために、血の餞別にやってきたか」


「あな、面憎。天下、人もなげなる大言を、吐ざきおる奴」

 夏侯惇は、片眼をむいて、すばらしく怒った。

 はやくも彼のくりのばした魚骨鎗は、ひらりと関羽の長髯をかすめた。

 戛然――。関羽の偃月の柄と交叉して、いずれかが折れたかと思われた。逸駿赤兎馬は、主人とともに戦うように、わっと、口をあいて悍気をふるい立てる。

 十合、二十合、彼の鎗と、彼の薙刀とは閃々烈々、火のにおいがするばかり戦った。

 ところへ、彼方から、

「待たれよ! 双方戦いは止めたまえ」

 と、声をからして叫びながらかけてくる一騎の人があった。曹操の急使だったのである。

 来るやいな、馬上のまま、丞相直筆の告文を出して、

「羽将軍の忠義をあわれみ、関所渡口すべてつつがなく通してやれとのおことばでござる。御直書かくの如し」と、早口にいって制したが、夏侯惇はそれを見ようともせず、

「丞相は、関羽が六将を殺し、五関を破った狼藉を知ってのことか」

 と、かえって詰問した。

 告文はそれより前に、相府から下げられたものであると、使者が答えると、

「それ見ろ。ご存じならば、告文など発せられるわけはない。いでこの上は、彼奴を生擒って都へさし立て、そのうえで丞相のお沙汰をうけよう」

 豪気無双な大将だけに、あくまで関羽をこのまま見のがそうとはしなかった。

 なお、人まぜもせず、両雄は闘っていた。すると二度目の早馬が馳けてきて、

「両将軍、武器をおひきなされ。丞相のお旨でござるぞ」

 と、さけんだ。

 夏侯惇は、すこしも鎗の手を休めずに、

「待てとは、生擒れという仰せだろう。分ってる分ってる」と、どなった。

 近づき難いので、早馬の使者は遠くをめぐりながら、

「さにあらず、道中の関々にて、割符を持たねば、通さぬは必定、かならず所々にて、難儀やしつらんと、後にて思い出され、次々と三度までの告文を発せられました」

 大声でいったが、夏侯惇は耳もかさない。関羽も強いて彼の諒解を乞おうとはしない。

 馬もつかれ、さすがに、人もつかれかけた頃である。また一騎、ここへ来るやいな、

「夏侯惇! 強情もいいかげんにしろ、丞相のご命令にそむく気か」

 と、叱咤した人がある。

 それも許都からいそぎ下ってきた早馬の一名、張遼であった。

 夏侯惇は、初めて、駒を退き、満面に大汗を、ぽとぽとこぼしながら、

「やあ、君まで来たのか」

「丞相には一方ならぬご心配だ……貴公のごとき強情者もおるから」

「なにが心配?」

「東嶺関の孔秀が関羽を阻めて斬られた由を聞かれ、さて、わが失念の罪、もし行く行く同様な事件が起きたら、諸所の太守をあだに死なすであろうと――にわかに告文を発しられ、二度まで早打ちを立てられたが、なおご心配のあまり、それがしを派遣された次第である」

「どうしてさようにご愍情をかけられるのやら」

「君も、関羽のごとく、忠節を励みたまえ」

「やわか、彼ごときに、劣るものか」

 と、負けず嫌いに、唾をはきちらして、なお憤々と云いやまなかった。

「関羽に殺された秦※「王+其」は、猿臂将軍蔡陽の甥で、特に蔡陽が、おれを見込んで、頼むといってあずけられた部下だ。その部下を討たれて、なんでおれが……」

「まあ待て。その蔡陽へは、それがしから充分にはなしておく。ともあれ、丞相の命を奉じたまえ」

 なだめられて、夏侯惇もついに渋々、軍兵を収めて帰った。


 張遼はあとに残って、関羽へ、

「にわかに道をかえられ、いったいどこへ行くおつもりか」と、解せぬ顔できいた。

 関羽は、あからさまに、

「玄徳の君には、袁紹のもとを脱し、もうそこには居給わぬと途中で聞いたもので」

「おう、そうですか。もしかの君の所在が、どうしても知れなかったら、ふたたび都へかえって、丞相の恩遇をうけられたがいい」

「武人一歩を踏む。なんでまた一歩をかえしましょうや。舌をうごかすのさえ、一言金鉄の如しというではありませんか。――もしご所在の知れぬときは、天下をあまねく巡ってもお会いするつもりでござる」

 張遼は黙々と都へ帰った。別れる折、関羽は言伝に、曹操の信義を謝し、また大切な部下を殺めたことを詫びた。


(中略)



※この後、関羽は途中で義弟張飛と合流し、共に劉備の下へ。兄弟三人揃ったところに趙雲子龍も迎え、新野の城に入ります。そして「三顧の礼」をもって軍師・諸葛亮孔明を仲間にします。


三顧の礼 (吉川英治三国志より)

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水魚の交わり (吉川英治三国志より)

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※北方の袁紹を滅ぼした曹操は、いよいよ中原から南へ兵を進めます。劉備はこれに抗しえず、数万の非戦闘員を守りながら敗走。追って来る曹操軍を長坂で迎え撃ち、趙雲は戦場の中を駆け回って獅子奮迅の働きをします。


長坂の戦い (吉川英治三国志より)

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※劉備は劉キ (劉表の息子)を頼って江夏の城へ入ると、諸葛亮を使者として孫権と手を組み、南下する曹操軍を赤壁にて迎え撃ちます。


赤壁の戦い・連環の計・苦肉の策・鳳雛 (吉川英治三国志より)

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(月岡芳年 南屏山昇月)

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※赤壁にて曹操軍百万を打ち破った劉備・孫権連合軍。数名の供の者だけとなった曹操は、許昌の都を目指して逃げ落ちて行きますが・・・。



(中略)


「ただ今、樊口のほうから、一艘の小舟が、帆を張ってこれへ参る様子。舳にひるがえるは、趙子龍の小旗らしく見えまする」と、大声で告げた。

「さては、帰りつるか」

 と、玄徳は劉※「王+奇」(りゅうき)と共に、急いで楼を降り、埠桟にたたずんで待ちかまえていた。

 果たして、孔明を乗せた趙雲の舟であった。

 玄徳のよろこび方はいうまでもない。互いに無事を祝し、袂をつらねて、夏口城の一閣に登った。

 そして、呉魏両軍の模様を質すと、孔明は、

「事すでに急です。一別以来のおはなしも、いまはつまびらかに申しあげているいとまもありません。君には、味方の者の用意万端、抜かりなく調えておいでになられますか」

「もとより、出動とあらば、いつでも打ち立てるように、水陸の諸軍勢を揃えて、軍師の帰りを待つこと久しいのじゃ」

「然らば、直ちに、部署をさだめ、要地へ向け、指令を下さねばなりません。君にご異議がなければ、孔明はそれから先に済ましたいと思います」

「指揮すべて、軍師の権と謀を以て、即刻にするがいい」

「僭越、おゆるし下さい」と、孔明は、壇に起って、まず趙雲を呼び、

「御身は、手勢二千をひきつれ、江を渡って、烏林の小路に深くかくれ、こよい四更の頃、曹操が逃げ走ってきたなら、前駆の人数はやりすごし、その半ばを中断して、存分に討ち取れ。――さは云え、残らず討ちとめんとしてはならん。また、逃げるは追うな。頃あいを計って、火を放ち、あくまで敵の中核に粉砕を下せ」

 と、命じた。

 趙雲は、畏まって、退がりかけたが、また踵をかえして、こう質問した。

「烏林には、二すじの道があります。一条は南郡に通じ、一条は荊州へ岐れている。曹操は、そのいずれへ走るでしょうか」

「かならず、荊州へ向い、転じて許都へ帰ろうとするだろう。そのつもりでおれば間違いはない」

 孔明はまるで掌の上をさすように云った。そして、次には張飛を呼んだ。


 張飛に向っては、

「ご辺は、三千騎をひきつれ、江を渡って、夷陵の道を切りふさがれよ」と、孔明は命じた。

 そして、なお、

「そこの葫蘆谷に、兵を伏せて相待たば、曹操はかならず南夷陵の道を避けて、北夷陵をさして逃げくるであろう。明日、雨晴れて後、曹操の敗軍、この辺りにて、腰兵糧を炊ぎ用いん。その炊煙をのぞんで一度に喚きかかり給え」と、つぶさに教えた。

 張飛は、孔明のあまりな予言を怪しみながらも、

「畏まった」と、心得て、直ちにその方面へ馳せ向う。

 次に、糜竺、糜芳、劉封の三名を呼び、

「ご辺三人は、船をあつめて、江岸をめぐって、魏軍営、潰乱に陥ちたと見たら、軍需兵糧の品々を、悉皆、船に移して奪いきたれ。また諸所の道にかかる落人どもの馬具、物具なども余すなく鹵獲せよ」と、いいつける。

 また、劉※「王+奇」に向っては、

「武昌は、緊要の地、君かならず守りを離れたもうなかれ。ただ江辺を固め、逃げくる敵あらば、捕虜として味方に加えられい」

 最後に、玄徳を誘って、

「いで、君と臣とは、樊口の高地へのぼって、こよい周瑜が指揮なすところの大江上戦を見物申さん。――はや、お支度遊ばされよ」と促すと、

「かくまでに、戦機は迫っていたか。儂もこうしてはおられまい」

 と、玄徳も取急いで、甲冑をまとい、孔明と共に、樊口の望台へ移ろうとした。

 すると、それまで、なお何事も命ぜられずに、悄然と、一方に佇立したひとりの大将がある。

「あいや、軍師」と、初めて、この時、ことばを発した。

 見れば、そこにただ一人取残されていたのは、関羽であった。

 知ってか、知らずか、孔明は、

「おう、羽将軍、何事か」と、振返って、しかも平然たる顔であった。

 関羽は、やや不満のいろを、眉宇にあらわして、

「先程から、いまに重命もあらんかと、これに控えていたが、なおそれがしに対して、一片のご示命もなきは、いかなるわけでござるか。不肖、家兄に従うて、数十度の軍に会し、いまだ先駈けを欠いたためしもないのに、この大戦に限って、関羽ひとりをお用いなきは、何か、おふくみのあることか」と、眦に涙をたたえて詰め寄った。

 孔明は、冷やかに、

「さなり。御身を用いたいにも、何分ひとつの障りがある。それが案じらるるまま、わざと御身には留守をたのんだ」

「何。障りあると。――明らかに理由を仰せられい。関羽の節義に曇りがあるといわるるか」

「否。ご辺の忠魂は、いささか疑う者はない。けれど、思い出し給え。その以前、御身は曹操に篤う遇せられて、都を去る折、彼の情誼にほだされて、他日かならずこの重恩に報ぜんと、誓ったことがおありであろうが――今、曹操は烏林に敗れ、その退路を華容道にとって、かならず奔亡して来るであろう。ゆえに、ご辺をもって、道に待たしめ、曹操の首を挙げることは、まことに嚢の物を取るようなものだが、ただ孔明の危ぶむところは、今いうた一点にある。ご辺の性情として、かならず、旧恩に動かされ、彼の窮地に同情して、放し免すにちがいない」

「何の! それは軍師の余りな思い過ぎである。以前の恩は恩として、すでに曹操には報じてある。かつて彼の陣を借り、顔良、文醜などを斬り白馬の重囲を蹴ちらして彼の頽勢たいせいを盛り返したなど――その報恩としてやったものでござる。なんで、今日ふたたび彼を見のがすべきや、ぜひ、関羽をお向け下さい。万一、私心に動かされたりなどしたらいさぎよく軍法に服しましょう」


 関羽の切なることばを傍らで聞いていた玄徳は、彼の立場を気の毒に思ったか、孔明に向って、

「いや、軍師の案じられるのも理由なきことではないが、この大戦に当って、関羽ともある者が、留守を命じられていたと聞えては、世上へも部内へも面目が立つまい。どうか、一手の軍勢をさずけ、関羽にも一戦場を与えられたい」と、取りなした。

 孔明は、是非ない顔して、

「然らば、万一にも、軍命を怠ることあらば、いかなる罪にも伏すべしという誓紙を差出されい」と、いった。

 関羽は、即座に、誓文を認めて軍師の手許へさし出したが、なお心外にたえない面持を眉に残して、

「仰せのまま、それがしはかく認めましたが、もし軍師のおことばと違い、曹操が華容道へ逃げてこなかったら、その場合、軍師ご自身は、何と召されるか」と、言質を求めた。

 孔明は、微笑して、

「曹操がもし華容道へ落ちずに、べつな道へ遁れたときは、自分も必ず罪をこうむるであろう」

 と、約した。

 そして、なお、

「足下は、華容山の裡にひそみ、峠のほうには、火をつけ、柴を焼かせ、わざと煙をあげて、曹操の退路に伏せておられよ。曹操が死命を制し得んこと必定であろう」と、命じた。

「おことばですが」と、関羽は、その言をさえぎって、

「峠に火煙をあげなば、せっかく、落ちのびて来た曹操も、道に敵あることを覚り、ほかへ方角を変えて逃げ失せはいたすまいか」

「否々」

 孔明は、わらって、

「兵法に、表裏と虚実あり、曹操は元来、虚実の論にくわしき者。彼、行くての山道に煙のあがるを見なば、これ、敵が人あるごとき態を見せかくるの偽計なりと観破し、あえて、冒し来るに相違ない。敵を謀るにはよろしく敵の智能の度を測るをもって先とす――とはこのこと。あやしむなかれ。羽将軍、疾くゆき給え」

「なるほど」

 関羽は、嘆服して、退くと、養子の関平、腹心の周倉などを伴って、手勢五百余騎をひきい、まっしぐらに華容道へ馳せ向った。

 そのあとで玄徳は、かえって、孔明よりも、心配顔していた。

「いったい、関羽という人間は、情けに篤く義に富むこと、人一倍な性質であるからは、ああはいって差向けたものの、その期に臨んで、曹操を助けるような処置に出ないとは限らない。……ああ、やはり軍師のお考え通り、留守を命じておいたほうが無事だったかもしれない」

 孔明は、その言を否定して、

「あながち、それが良策ともいえません。むしろ関羽を差向けたほうが、自然にかなっておりましょう」と、いった。

 玄徳が、不審顔をすると、理を説いて、こうつけ加えた。

「なぜならば――です。私が天文を観じ人命を相するに、この度の大戦に、曹操の隆運とその軍力の滅散するは必定でありますが、なおまだ、曹操個人の命数はここで絶息するとは思われません。彼にはなお天寿がある。――ゆえに、関羽の心根に、むかし受けた曹操の恩に対して、今もまだ報じたい情があるなら、その人情を尽くさせてやるもよいではありませんか」

「先生。……いや軍師。あなたはそこまで洞察して、関羽をつかわしたのですか」

「およそ、それくらいなことが分らなければ、兵を用いて、その要所に適材を配することはできません」

 云い終ると、孔明は、やがて下流のほうに、火焔が天を焦こがすのも間近であろうと、玄徳を促して、樊口の山頂へ登って行った。


(中略)


 夜はすでに、五更の頃おいであった。振りかえると、赤壁の火光もようやく遠く薄れている。曹操はややほっとした面持で、駈け遅れて来る部下を待ちながら、

「ここは、何処か」と、左右へたずねた。

 もと荊州の士だった一将が答えていう。

「――烏林の西。宜都の北のほうです」

「宜都の北とな。ああそんな方角へ来ていたか」

 と曹操は、馬上から、しきりに附近の山容や地形を見まわしていた。山川峨々として樹林深く、道はひどくけわしかった。

「あはははは。あははは」

 ――突然、曹操が声を放って笑い出したので、前後の大将たちは奇異な顔を見合わせて彼にたずねた。

「丞相。何をお笑いになるのですか」――と。

 曹操は、答えていう。

「いや、べつだんな事でもない。今このあたりの地相を見て、ひとえに周瑜の浅才や、孔明の未熟が分ったから、ついおかしくなったのだ。もしこの曹操が周瑜か孔明だったら、まずこの地形に伏兵をおいて、落ち行く敵に殲滅を加えるところだ。――思うに赤壁の一戦は、彼らの怪我勝ちというもので、こんな地の利を遊ばせておくようでは、まだまだ周瑜も孔明も成っておらぬ」

 敗軍の将は兵を語らずというが――曹操は馬上から四林四山を指さして、なお、幕将連に兵法の実際講義を一席弁じていた。

 ところが、その講義の終るか終らないうちに、たちまち左右の森林から一隊の軍馬が突出して来た。そして前後の道を囲むかと見えるうちに、

「常山の子龍趙雲これに待てりっ。曹操っ、待て」

 という声が聞えたので、曹操は驚きのあまり、危うく馬から転げ落ちそうになった。


(中略)


「さればです」と、幕将のひとりがいう。

「――一方は、南夷陵の大道。一方は北夷陵の山路です」

「いずれへ出たほうが、許都へ向うに近いのか」

「南夷陵です。途中、葫蘆谷をこえてゆくと、非常に距離がみじかくなります」

「さらば、南夷陵へ」と、すぐその道をとって急いだ。

 午すぎた頃、すでに同勢は葫蘆谷へかかった。肉体を酷使していた。馬も兵も飢えつかれて如何とも動けなくなってきた。――曹操自身も心身混沌たるものを覚える。

「やすめっ。――休もう」

 下知をくだすや否、彼は馬を降りた。そして、先に部落から掠奪して来た食糧を一ヵ所に集め、柴を積んで焚火とし、士卒たちは、※「灰/皿」(かぶと)の鉢や銅鑼を鍋に利用して穀類を炊いだり鶏を焼いたりし始めた。

「ああ、やっとこれで、すこし人心地がついた」と、将士はゆうべからの濡れ鼠な肌着や戦袍を火に乾している。曹操もまた暖を取って後、林の下へ行って坐っていた。

 憮然たる面持で、彼は、天を凝視していたが、何を感じたか、

「ははは。あははは」

 と、独りで笑いだした。

 諸将は、何か、ぎょッとしたように、彼へ向って云った。

「さきにも丞相は、大いにお笑いになって、まさか、そのためでもありますまいが、趙雲子龍の追手を引き出しました。今また、何をそうお笑いになるのですか」

 曹操は、なお、笑っていう。

「孔明、周瑜、共に大将の才はあるが、まだ智謀の足らぬのを予は嘲うのだ。もし曹操が敵ならば、ここに一手の勢を伏せ――逸ヲ以テ労ヲ待ツ――の計をほどこすであろうに、さてさて抜かったり」

 そのことばが、まだ終らぬうちに、たちまち、金鼓喊声、四山にこだまし、あたりの樹林みな兵馬と化したかの如く、四方八面に敵のすがたが見えてきた。

 中に、声あって、

「曹操、よくぞ来た。燕人張飛これに待ったり。そこを去るな」

 あなやと思うまに、丈八の蛇矛、黒鹿毛の逸足、燦々たる甲※「灰/皿」(こうがい)が、流星のごとく此方へ飛んできた。


(中略)


「また岐れ路へ出た。この二条の道は、どっちへ向ったがよいか」

 曹操の質問に、

「いずれも南郡へ通じていますが、道幅の広い大道のほうは五十里以上も遠道になります」

 と、地理にくわしい者が答えた。

 曹操は聞くと、うなずいて、山の上へ部下を走らせた。部下は立ち帰ってきてから復命した。

「山路のほうをうかがってみますと、彼方の峠や谷間の諸所から、ほのかに、人煙がたち昇っております。必定、敵の伏兵がおるに違いございません」

「そうか」と、曹操は、眉根をきっと落着けて、

「しからば、山路を経て行こう。者ども、山越えしてすすめ」と、先手の兵へ下知した。

 諸大将は驚きかつ怪しんで、

「山路の嶮を擁して、みすみす伏兵が待つを知りながら、この疲れた兵と御身をひっさげて、山越えなさんとは、如何なるご意志によるものですか」と、駒を抑えて質した。

 曹操は、苦笑を示して、

「我れ聞く。この華容道とは、近辺に隠れなき難所だということを。――それ故に、わざと、山越えを選ぶのだ」

「敵の火の手をご覧ありながら、しかもその嶮へ向われようとは、あまりな物好きではありませんか」

「そうでない。汝らも覚えておけ。兵書にいう。――虚ナル則ハ実トシ、実ナル則ハ虚トス、と。孔明は至って計の深いものであるから、思うに、峠や谷間へ、少しの兵をおいて煙をあげ、わざと物々しげな兵気を見せかけ、この曹操の選ぶ道を、大路の条へ誘いこみ、かえって、そこに伏兵をおいて我を討止めんとするものに相違ない。――見よ、あの煙の下には、真の殺気はみなぎっていない。かれが詐謀たること明瞭だ。それを避けて、人気なしなどと考えて大路を歩まば、たちまち、以前にもまさる四面の敵につつまれ、一人も生きるを得ぬことは必定である。あやうい哉あやうい哉、いざ疾く、山道へかかれ」と、いって駒をすすめたので、諸人みな、

「さすがは丞相のご深慮」と、感服しないものはなかった。


(中略)


「あとは、ただ一息だ。はやく荊州へ行き着いて、大いに身を休めよう。頑張れ、もう一息」

 と、励ました。

 そして、峠を越え、約五、六里ばかり急いで来ると、曹操はまた、鞍を叩いて独り哄笑していた。

 諸将は、曹操に向って、

「丞相。何をお笑いなさいますか」と、訊ねた。

 曹操は、天を仰いで、なお、大笑しながら、

「周瑜の愚、孔明の鈍、いまこの所へ来てさとった。彼、偶然にも、赤壁の一戦に、我を破って、勢い大いにふるうといえども、要するに弓下手にもまぐれあたりのあるのと同じだ。――もしこの曹操をして、赤壁より一気に、敗走の将を追撃せしめるならば、この辺りには必ず埋兵潜陣の計を設けて、一挙に敵のことごとくを生捕るであろう。――さはなくて、無益な煙を諸所にあげ、われをして平坦な大道のほうに誘い、この山越えを避けしめんなど、まるで児ども騙の浅い計といっていい」と、気焔を吐き、さらに、

「これがおかしくなくてどうするか。あははは、わははは」と、肩を揺すぶりぬいた。

 ところが、その笑い声のやまないうちに、一発の鉄砲が彼方の林にとどろいた。たちまちに見る前面、後方、ふた手に分れて来る雪か人馬かと見紛うばかりな鉄甲陣。そのまっ先に進んでくるのはまぎれもなし、青龍の偃月刀をひっさげ、駿足赤兎馬に踏みまたがって来る美髯将軍――関羽であった。


「最期だっ。もういかん!」

 一言、絶叫すると、曹操はもう観念してしまったように、茫然戦意も失っていた。

 彼ですらそうだから、従う将士もみな、

「関羽だ。関羽が襲せて来る――」とばかりおののき震えて、今は殲滅されるばかりと、生きた空もない顔を揃えていたのは無理もない。

――が、ひとり程※「日/立」は、

「いや何も、そう死を急ぐにはあたりません。どんな絶望の底にあろうと、最後の一瞬でも、一縷の望みをつないで、必死を賭してみるべきでしょう。――それがし、関羽が許都にありし頃、朝夕に、彼の心を見て、およそその人がらを知っている。彼は、仁侠の気に富み、傲る者には強く、弱き下の人々にはよく憐れむ。義のために身を捨て、ふかく恩を忘れず、その節義の士たることすでに天下に定評がある。――かつて玄徳の二夫人に侍して、久しく許都にとどまっていた当時、丞相には、敵人ながら深く関羽の為人を愛で給い、終始恩寵をおかけ遊ばされたことは、人もみな知り、関羽自身も忘れてはおりますまい」

「…………」

 曹操は、ふと瞑目した。追憶はよみがえってくる。そうだ! ……と思い当ったように、その眸をくわっと見ひらいた時――すでに雪中の喊声は四囲に迫り、真先に躍って来る関羽の姿が大きくその眼に映った。

「おうっ……羽将軍か」

 ふいに、曹操は、自身のほうからこう大きく呼びかけた。

 そして、われから馬をすすめ、関羽の前へ寄るや否、

「やれ、久しや、懐かしや。将軍、別れて以来、つつがなきか」と、いった。

 それまでの関羽は、さながら天魔の眷族を率いる阿修羅王のようだったが、はッと、偃月刀を後ろに引いて、駒の手綱を締めると、

「おう、丞相か」と、馬上に慇懃、礼をして、

「――まことに、思いがけない所で会うものかな。本来、久闊の情も叙ぶべきなれど、主君玄徳の命をうけて、今日、これにて丞相を待ちうけたる関羽は、私の関羽にあらず。――聞く、英雄の死は天地も哭くと。――いざ、いざ、いさぎよくそれがしにお首を授けたまえ」と、改めていった。

 曹操は、歯を噛み合わせて、複雑な微笑をたたえながら云った。

「やよ、関羽。――英雄も時に悲敗を喫すれば惨たる姿じゃ。いま、われ戦いに敗れて、この山嶮、この雪中に、わずかな負傷のみを率いて、まったく進退ここにきわまる。一死は惜しまねど、英雄の業、なおこれに思い止るは無念至極。――もしご辺にして記憶あらば、むかしの一言を思い起し、予の危難を見のがしてくれよ」

「あいや、おことば、ご卑怯に存ずる。いかにも、むかし許都に在りし日、丞相のご恩を厚くこうむりはしたものの、従って、白馬の戦いに、いささか献身の報恩をなし、丞相の危急を救うてそれに酬う。今日はさる私情にとらわれて、私に赦すことは相成らぬ」

「いや、いや。過去の事のみ語るようだが、将軍がその主玄徳の行方をなお知らず、主君の二夫人に仕えて、敵中にそれを守護されていたことは、私の勤めではあるまい。奉公というものであろう。曹操が乏しき仁義をかけたのは、ご辺の奉公心に感動したからだった。誰かそれを私情といおうや。――将軍は春秋の書にも明るしと聞く。かの※「广+諛のつくり」公(ゆこう)が子濯を追った故事もご存じであろう。大丈夫は信義をもって重しとなす。この人生にもし信なく義もなく美というものもなかったら、実に人間とは浅ましいものではあるまいか」

 諄々と説かれるうちに、関羽はいつか頭を垂れて、眼の前の曹操を斬らんか、助けんか、悶々、情念と知性とに、迷いぬいている姿だった。


 ――ふと見れば、曹操のうしろには、敗残の姿も傷ましい彼の部下が、みな馬を降り、大地にひざまずき、涙を流して関羽のほうを伏し拝んでいた。

「あわれや、主従の情。……どうしてこの者どもを討つに忍びよう」

 ついに、関羽は情に負けた。

 無言のまま、駒を取って返し、わざと味方の中へまじって、何か声高に命令していた。

 曹操は、はっと我にかえって、

「さては、この間に逃げよとのことか」

 と、士卒と共に、あわただしくここの峠から駈け降って行った。

 すでに曹操らの主従が、麓のほうへ逃げ去った頃になって関羽は、

「それ、道を塞ぎ取れ」と、ことさら遠い谷間から廻り道して追って行った。

 すると、途中、一軍のみじめなる軍隊に行き会った。

 見れば、曹操のあとを慕って行く張遼の一隊である。武器も持たず馬も少なく、負傷していない兵はまれだった。

「ああ惨たるかな」と、関羽は、敵のために涙を催し、長嘆一声、すべてを見遁がして通した。


(中略)


 夏口城の城楼には、戦捷の凱歌が沸いていた。

 張飛、趙雲、そのほかの士卒は、みな戦場から立帰って、敵の首級や鹵獲品を展じて、軍功帳に登録され、その勲功を競っていた。

 閣の庁上では、玄徳を中心に、孔明も立って、戦勝の賀をうけていたが、折ふしここへ、関羽もその手勢と共に戻って来て、悄然と拝礼した。

「おお、羽将軍か。君にも待ちかねておわしたぞ。曹操の首を引っさげて来たものはおそらくあなたであろう」

「…………」

「将軍。どうして、そのように不興気な顔をしてうつ向いておらるるか。いざ、功を述べて、勲功帳に記録を仰ぎたまえ」

「いや、……べつに何も……」

 関羽は益※ (二の字点、1-2-22)、うな垂れているのみで、そのことばさえ、女のように低かった。

 孔明は、眉をひそめながら、

「どうなされたのか。べつに何も……とは?」

「実は。……それがしのこれに来たのは、功を述べるためではなく、罪を請うためでござる。よろしく軍法に照らして罰せられたい」

「はて。……では、曹操はついに華容の道へは逃げ落ちて来なかったといわるるか」

「軍師のご先見にたがわず、華容道へかかっては来ましたが、それがしの無能なるため、討ち洩らしてござる」

「なに、討ち損じたと……あの赤壁から潰走した敗残困憊の兵でありながら、なお羽将軍の強馬精兵をも近づけぬほど、曹操はよく戦ったと申さるるか」

「……でも、ござらぬが。……つい、取り逃がしました」

「然らば、曹操は討たずとも、その手下の大将や士卒は、どれほど討ち取られたか」

「ひとりも生捕りません」

「挙げたる首級は」

「一箇もなし――でごさる」

「ウーム。……そうか」

 孔明は、口をつぐんで、あとはただその澄んだ眸をもって、彼をながめているだけだった。

「関羽どの」

「はい」

「さてはご辺には、むかし曹操よりうけた恩を思うて、故意に、曹操の危難を見のがされたな」

「今さら、何のことばもござりませぬ。ただご推量を仰ぐのほかは……」

「だまれっ」

 孔明は、その白皙な面に紅を呈して、一喝、叱るやいな、座後の武士を顧みて、命じた。

「王法は、国家の典形。私情をもって、軍令を無視した関羽の罪はゆるされん。諸君っ! 斬り捨ていッ、この柔弱漢を!」


 孔明がこれほど心から怒ったらしい容子を見たのは、玄徳も初めてであった。

 めったに怒らない優しい人が怒ったのは、ふつうの者の間でも恐ろしい気がするものである。いわんや軍師の座にあって、謹厳おのれを持していやしくもせず、日頃はあまり大きな声すら出さない孔明が、断乎、斬れ! と命じたのであるから、人々みな慄然とすくみ立って、どうなることかと思っていた。

「軍師――」と、急に彼のまえに迫って、膝を曲げないばかりに愍れみを仰いだのは、当の関羽ではなくて、玄徳であった。

「わしと、関羽とは、むかし桃園に義を結んで、生死を倶にせんと誓ってある。いわば関羽の死はわしの死を意味する。きょうの罪は赦しがたいものに違いないが、わしに免じて――いやわしにその罪科をしばし預けてくれい。後日、かならずこの罪を償うほどの大功を挙げさせるから。……軍師、大法を歪曲するのではなく、仮にしばらくその法断を待って欲しいのじゃ。たのむ」

 身、主君たる位置にありながら、玄徳は、臣下の一命のために、臣下に対して、ひれ伏さないばかりであった。

 何でそれまでを、孔明とて一蹴できよう。彼はわずかに面をそむけて、

「赦すことはできません。軍紀はあくまで厳然たる軍紀ですが、思し召のまま暫時、処断は猶予しましょう。関羽の罪は、おあずけしておきます」

 と遂にいった。


(中略)


※この後、劉備は江夏を足掛かりとし、荊州南郡を手中に収めます。更に軍師ホウ統を迎え、陣容は全きをえます。それから諸葛亮の教え「支那三分の計」に従い、益州の劉璋を攻めます。大事な荊州の守りには、腹心の関羽を残しました。そこへ手を組んだ曹操・孫権が襲い掛かります。


(中略)


 進まんか、前に荊州の呉軍がある。退かんか、後には魏の大軍がみちている。

 眇々、敗軍の落ちてゆく野には、ただ悲風のみ腸を断つ。


(中略)


 関羽のすがたは冷たい石像のように動かなかった。残る将士は四、五百に足らない有様だ。しかし関平と廖化とは、

「何とかして活路を見出したいもの」

 と、わずかな手勢をまとめては敵の囲みを奇襲し、ようやく一方の血路をひらいて、

「ひとまず、麦城まで落ちのびましょう」と、関羽を護って、麓へ走った。

 麦城はほど近い所にあった。けれどそこは今、地名だけに遺っている前秦時代の古城があるに過ぎない。もちろん久しく人も住まず壁石垣も荒れ崩れている。

「時にとって、五百の精霊が一体となって立てこもれば、これでも金城鉄壁といえないことはない」

 ここへ入って、廖化がそう士気を鼓舞すると、関平もまず自ら気を旺に示して、

「そうだとも。未練な弱兵はことごとく落ち失せて、ここに残った将士こそ篩にかけられた真の大丈夫ばかりである。一騎よく千騎に当る猛卒のみだ。兵力の寡少は問題でない」

 と、あえて豪語した。


(中略)


「おう、ここはこの世か、地獄か」

 関羽はしまったと呟きながら急に馬を戻しかけたが、呉の大将潘璋の伏勢が、松明を投げて、彼の前後を阻み、いよいよ関羽が孤立して、そこに進退きわまっていることを確かめると、一斉に鼓を打ち鉦を鳴らし、獣王を狩り立てている勢子のように、わあっと、友軍を呼び、またわあっと、友軍へこたえた。

「父上っ、父上っ……」

 どこかで関平の声がする。関羽は心がみだれた。子は何処? 趙累その他の味方は如何にと。

「羽将軍羽将軍。すでに趙累の首も打った。いつまで未練の苦戦をなし給うぞ。いさぎよく※「灰/皿」をぬいで天命を呉に託されい」

 呉将潘璋は、やがて馬をすすめて関羽へ云った。長髯に風を与えて、関羽は駈け寄るや否、

「匹夫っ。何ぞ真の武魂を知ろうや」

 と、ふりかぶる大青龍刀の下に彼を睨んだ。十合とも太刀打ちせずに潘璋は逃げ奔った。追いまくって密林の小道へ迫りかけた時、四方の巨木から乱離として鈎のついた投縄や分銅が降った。関羽の駒はまた何物かに脚をからまれていなないた。天命ここに終れるか、同時に関羽は鞍から落ちた。そこで潘璋の部下の馬忠というものが、熊手を伸べ、刺股を懸けて、遂に関羽を捻じ圧え、むらがり寄って高手小手に縛めてしまった。


(中略)


「自分はかねてより将軍を慕って、将軍の娘をわが子息へ迎えようとすらしたことがある。何で足下はあの時わが懇志をしりぞけたか」

 関羽は黙然たるのみであった。孫権は語をつづけて、

「また将軍は、常に天下無敵の人と思っていたが、なんで今日、わが軍の手に捕われたのか。われに降って、呉に仕えよと、天がご辺に諭しているものと思われる」

 関羽はしずかに眸を向けて、

「思いあがるを止めよ、碧眼の小児、紫髯の鼠輩。まず聞け、真の将のことばを」

 と、容を正した。

「劉皇叔とこの方とは、桃園に義をむすんで、天下の清掃を志し、以来百戦の中にも、百難のあいだにも、疑うとか反くなどということは、夢寐にも知らぬ仲である。今日、過って呉の計に墜ち、たとえ一命を失うとも、九泉の下、なお桃園の誓いあり、九天の上、なお関羽の霊はある。汝ら呉の逆賊どもを亡ぼさずにおくべきか。降伏せよなどとは笑止笑止。はや首を打て」

 それきり口をつぐんで再びものをいわない。さながら巌を前に置いているようだった。孫権は左右を顧みて、

「一代の英雄をわしは惜しむ。何とかならんか」

 と、ささやいた。

 主簿の左咸が意見した。

「おやめなさい。おやめなさい。むかし曹操もこの人を得て、三日に小宴、五日に大宴を催し、栄誉には寿亭侯の爵を与え、煩悩には十人の美女を贈り、日夜、機嫌をとって、引き留めたものでしたが、ついに曹操の下に留まらず、五関の大将を斬って、玄徳の側へ帰ってしまった例もあるではありませんか」

「…………」

「失礼ですが、あの曹操にしてすらそうでした。いわんや呉の国へどうして居着くものですか。苦杯をなめた曹操も後に大きな悔いを抱きました。今彼を殺さなければ後には呉の大害となるにきまっています」

「…………」

 孫権はなお唇をむすんでしばらく鼻腔で息をしていたが、やがて席を突っ立つや否や、われにも覚えぬような大声でいった。

「斬れっ。斬るのだっ。――それっ関羽を押し出せ」

 武士はかたまり合って関羽を陣庭広場までひき立てた。そして養子関平と並べてその首を打ち落した。時、建安二十四年の十月で、この日、晩秋の雲はひくく麦城の野をおおい、雨とも霧ともつかぬ濛気が冷やかにたちこめた。


(中略)


「関羽の葬いはその後いかがなさいましたか」

「斬に処したまま取り捨ててある。首は塩漬けにして保存してあるだろう」

「それは何とかしなければなりますまい」

「葬儀をか?」

「いや後日の備えをです。――彼と玄徳と張飛とは、生きるも死ぬもかならず倶にせんと桃園に誓いを結んできた仲です。その関羽が斬られたことを知れば、蜀は国をあげて、この仇を報いずにいないでしょう。孔明の智、張飛の勇、馬超、黄忠、趙雲などの精猛が命を惜しまず呉へ震いかかってきたら、呉はいかにしてそれを防ぎますか」

「…………」

 孫権は色を失った。孫権とてそれを考えていないではないが、張昭が心の底から将来の禍いを恐れているのを見ると、彼も改めて深刻にその必然を思わずにいられなかった。

 張昭はさらに云った。

「呉にとって、なお恐るべき問題は、もう一つあります。それは蜀が目的のためには一時の不利をかえりみず魏へ接近を計るに相違ないと思われることです。蜀が一部の地を割いて曹操に与え魏蜀提携して呉へ南下して来たら、呉は立ち所に、四分五裂の敗を喫し、ふたたび長江に覇を載せて遡ることはできないでしょう」

「……張昭。それを未然に防ぐにはどうしたらよいだろう」

「故にです。――死せりといえど関羽の処置はこれを重大に考えなければなりません。関羽の死は、もともと曹操のさしずであり、曹操の所業であると、この禍いの鍵を魏へ転嫁してしまうに限る。張昭はさように考えるのです。――で、関羽の首を使いに持たせて、それを曹操のほうへ送り届けるとしますか、曹操は、もとより先に呉へ書簡を送って、関羽を討てといってきたことですから、嘉賞してそれを受取るでしょう」

「なるほど」

「そして呉は盛んに、天下に向って、関羽を亡ぼしたものは魏であると、彼の功をたたえる如く吹聴する。――さすれば玄徳の怨みは当然、魏の曹操へ向けられて、呉は第三者の立場に立って、その先を処してゆかれます」

 こういう国際的な対策に微妙な計を按あんずるものは、さすがに張昭をおいてほかにはない。孫権はこの宿老の言を珍重してすぐ使者を選び、関羽の首を持たせて、魏へ派遣した。

 そのとき曹操はすでに凱旋して洛陽にかえっていたが、呉の使いが、関羽の首を献じてきたと聞き、

「ついに彼は首級となり、我は生きて、ここに会見する日が来たか」

 と、遠い以前の事どもを追想しかたがた、孫権の態度も神妙なりと嘉して、群臣と共に使者を引いて、関羽の首を実検した。

 すると、その席で、

「大王大王。ご喜悦の余りに、呉が送ってきた大きな禍いまでを、共に受け取ってはなりませんぞ」

 と、諸人の中から呶鳴った者がある。

 人々の眼はその顔を求めた。曹操が、何故かと、それへ向って訊ねると、彼は、

「これは呉が禍いを転じて、蜀のうらみを魏へ向けさせんとする恐ろしい謀計です。関羽の首をもって魏蜀の相剋を作り、二国戦い疲れるを待つ呉の奸智たることに間違いはありません」

 と、はばかりなく断言した。すなわち司馬懿、字は仲達であった。


 呉の深謀も、ついに魏を欺けなかった。魏にも活眼の士はある。司馬仲達の言は、まさに完膚なきまで、呉の詐術を暴露したものであった。

 曹操もおぞ毛を震って、仲達の言は、真に呉の意中を看破したものだとうなずいた。そして、関羽の首はそのまま呉へ返そうかとまで評議したが、

「いや、それでは、大王のご襟度が小さくなります。ひとまず収めて、何気なく使者をお帰しになった上でまたべつにお考えを施せばよろしいでしょう」

 と、それも仲達の意見だった。

 やがて呉使が引き揚げると、曹操は喪を発して、百日のあいだ洛陽の音楽を停止させた。そして沈香の木をもって関羽の骸を刻ませ、首とともにこれを洛陽南門外の一丘に葬らせた。その葬祭は王侯の礼をもって執行され、葬儀委員長には司馬懿仲達がみずから当った。大小の百官すべて見送りに立ち、儀杖数百騎、弔華放鳥、贄の羊、祀りの牛など、蜿蜒洛陽の街をつらぬいた。そしてなおこの盛大な国葬の式場へは、特に、魏王曹操から奏請した勅使が立って、地下の関羽へ、

「荊王の位を贈り給う」

 と、贈位の沙汰まであった。

 呉は、禍いを魏へうつし、魏は禍いを転じて、蜀へ恩を売った。



(関帝廟 横浜中華街)

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吉川英治三国志より 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro

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