赤壁の戦い・連環の計・苦肉の策・鳳雛

 その夜、呉陣第一の老将黄蓋が、先手の陣からそっと本営を訪ねて来て、周瑜と密談していた。

 黄蓋は孫堅以来、三代呉に仕えてきた功臣である。白雪の眉、烱々たる眸、なお壮者をしのぐものがあった。

「深夜、お訪ねしたのは、余の儀でもないが、かく対陣の長びくうちに、曹操はいよいよ北岸の要寨をかため、その船手の勢は、日々調練を積んで、いよいよ彼の精鋭は強化されるばかりとなろう。しかのみならず、彼は大軍、味方は寡兵、これを以て、彼を討つには火計のほかに兵術はないと思う。……周都督、火攻めはどうじゃ、火術の計は」

「しっッ」と周瑜は、老将の激しこむ声音を制して、

「おしずかに、ご老台。あなたは一体、誰からそんなことを教えられましたか」

「誰から? ……馬鹿をいわっしゃい。わしの本心から出た信念じゃ」

「ああ、ではやはり、ご老台の工夫とも一致したか。――ではお打明けするが、実は、降人の蔡仲、蔡和の両名は、詐って呉へ投じてきたが、それを承知で、味方のうちに留めてあります。敵の謀略の裏をかいて、こちらの謀略を行わんためにです」

「ふむ。それは妙だ。してその降人を、都督には、どう用いて、曹操の裏をかくおつもりか? ……」


(中略)


 孔明も来て、陣座のかたわらに床几をおく。周瑜は、命を下して、

「近く、敵に向って、わが呉はいよいよ大行動に移るであろう。諸部隊、諸将は、よろしくその心得あって、各兵船に、約三ヵ月間の兵糧を積みこんでおけ」と命じた。

 すると、先手の部隊から、大将黄蓋がすすみ出ていった。

「無用なご命令。いま、幾月の兵糧を用意せよと仰せられたか」

「三月分と申したのだが、それがどうした」

「三月はおろか、たとえ三十ヵ月の兵糧を積んだところで無駄な業、いかでか、曹操の大軍を破り得よう」

 周瑜は、勃然と怒って、

「やあ、まだ一戦も交じえぬに、味方の行動に先だって不吉なことばを! 武士ども、その老いぼれを引っくくれ」

 黄蓋も眦を裂いて、

「だまれ周瑜。汝、日頃より君寵をかさに着て、しかも今日まで、碌々と無策にありながら、われら三代の宿将にも議を諮らず、必勝の的もなき命をにわかに発したとて、何で唯々諾々と服従できようか。――いたずらに兵を損ずるのみだわ」

「ええ、いわしておけば、みだりに舌をうごかして、兵の心を惑わす痴れ者め。誓って、その首を刎ね落さずんば、何を以て、軍律を正し得ようか。――これっ、なぜその老いぼれに物をいわしておくか」

「ひかえろ、周瑜、汝ごときは、せいぜい、先代以来の臣ではないか。国祖以来三代の功臣たる此方に、縄を打てるものなら打ってみよ」

「斬れっ。――彼奴を!」

 面に朱をそそいで、周瑜の指は、閻王が亡者を指さすように、左右へ叱咤した。

「あっ、お待ち下さい」

 一方の大将甘寧が、それへ転び出て、黄蓋に代って罪を詫びた。

 しかし黄蓋も黙らないし、周瑜の怒りもしずまらなかった。果ては、甘寧まで、その間から刎ね飛ばされてしまう。

「すわ、一大事」と諸大将も、今はみな色を失って、こもごもに仲裁に立った。いやともかく大都督周瑜に対して抗弁はよろしくないと、諸人地に額をすりつけて、

「国の功臣、それに年も年、なにとぞ憐みを垂れたまえ」と、哀願した。

 周瑜はなお肩で大息をついていたが、

「人々がそれほどまでに申すなれば、一時、命はあずけておく。しかし軍の大法は正さずにはおけん。百杖の刑を加えて、陣中に謹慎を申しつける」と、云い放った。

 即ち、獄卒に命じて杖百打を加えることになった。黄蓋はたちまち衣裳甲冑をはぎとられ、仮借もなく、棍棒を振りあげてのぞむ獄卒の眼の下に、無残、老い細った肉体を、しかも衆人監視の中に曝された。


「打て、打てっ、仮借いたすなっ。ためらう奴は同罪に処すぞ!」

 怒りにふるえ、猛りに猛って、周瑜の耳は、詫び入る諸将のことばなど、まるで受けつけなかった。

「一打! 二打 三打!」

 杖を持った獄卒は、黄蓋の左右から、打ちすえた。黄蓋は地にうッ伏して、五つ六つまでは、歯をくいしばっていたが、たちまち、悲鳴をあげて跳び上がった。

 そこをまた、

「十っ……。十一っ……」

 杖は唸って、この老将を打ちつづけた。血はながれて白髯に染み、肉はやぶれて骨髄も挫けたろうと思われた。

「九十っ。九十一っ……」

 百近くなった時は、打ちすえる獄卒のほうも、へとへとに疲れていた。もちろん黄蓋ははや虫の息となって、昏絶してしまった。周瑜もさすがに、顔面蒼白になって、睨めつけていたが、唾するように指して、

「思い知ったか!」

 云い捨てると、そのまま、営中へ休息に入ってしまった。

 諸将はその後で、黄蓋を抱きかかえ、彼の陣中へ運んで行ったが、その間にも、血は流れてやまず、蘇生してはまたすぐ絶え入ること幾度か知れないほどだったので、日頃、彼と親しい者や、また呉の建国以来、治乱のあいだに苦楽を共にしてきた老大将たちは、みな涙をながして傷ましがった。


(中略)


 ※「門がまえに敢」沢(かんたく)が、いま本陣で、気にくわぬことがあったから、無聊をなぐさめに来たというと、甘寧は信じないような顔して、

「ふーム……?」と、薄ら笑いをもらした。

 そこへ偶然、蔡和、蔡仲のふたりが入ってきた。甘寧が、※「門がまえに敢」沢へ眼くばせしたので、※「門がまえに敢」沢も甘寧のこころを覚った。

 ――で、わざと不興げに、

「近ごろは、事ごとに、愉快な日は一日もない。周都督の才智は、われわれだって充分に尊敬しているが、それに驕って、人をみな塵か芥のように見るのは実によくない」

 と、独り鬱憤をつぶやきだすと、甘寧もうまく相槌を打って、

「また何かあったのか、どうも軍の中枢で、そう毎日紛争があっちゃ困るな」

「ただ議論の争いならいいが、周都督ときては、口汚なく、衆人稠坐の中で、人を辱めるから怪しからん。……不愉快だ。実に、我慢がならぬ」

 と、唇を噛んで憤りをもらしかけたが、ふと一方にたたずんでいる蔡和、蔡仲のふたりを、じろと眼の隅から見て、急に口をつぐみ、

「……甘寧。ちょっと、顔をかしてくれないか」

 と、彼の耳へささやき、わざと隣室へ伴って行った。

 蔡和と蔡仲は、黙って、眼と眼を見合わせていた。


 その後も、※「門がまえに敢」沢と甘寧は、たびたび人のない所で密会していた。

 或る夕、囲いの中で、また二人がひそひそささやいていた。かねて注目していた蔡和と蔡仲は、陣幕の外に耳を寄せて、じっと、聞きすましていたが、さっと、夕風に陣幕の一端が払われたので、蔡和の半身がちらと、中の二人に見つけられたようだった。

「あっ、誰かいる」

「しまった」と、いう声が聞えた。

 ――と思うと、甘寧と※「門がまえに敢」沢は、大股に、しかも血相変えて、蔡和、蔡仲のそばへ寄ってきた。

「聞いたろう! われわれの密談を」

 ※「門がまえに敢」沢がつめ寄ると、甘寧はまた一方で、剣を地に投げて、

「われわれの大事は未然に破れた。すでに人の耳に立ち聞きされたからには、もう一刻もここには留まり難い」と、足ずりしながら慨嘆した。蔡和、蔡仲の兄弟は、何か、うなずき合っていたが、急にあたりを見廻して、

「ご両所、決して決して絶望なさる必要はありませぬ。何を隠そう、われわれ兄弟こそ、実は、曹丞相の密命をうけ、詐って呉に降伏して来た者。――今こそ実を打ち明けるが、本心からの降人ではない」と、いった。

 甘寧と※「門がまえに敢」沢は穴のあく程、兄弟の顔を見つめて、

「えっ、それは……真実なのか」

「何でかような大事を嘘いつわりにいえましょう」

「ああ! ……それを聞いて安堵いたした。貴公らの投降が、曹丞相の深遠な謀計の一役をもつものとは、夢にも知らなかった。思えばそれもこれも、ひとつの機運。魏いよいよ興り、呉ここに亡ぶ自然のめぐり合わせだろう」


(中略)


 いまの世の孫子呉子は我をおいてはなし――とひそかに自負している曹操である。一片の書簡を見るにも実に緻密冷静だった。蔡和、蔡仲はもとより自分の腹心の者だし、自分の息をかけて呉へ密偵に入れておいたものであるが、疑いないその二人から来た書面に対してすら慎重な検討を怠らず、群臣をあつめて、内容の是非を評議にかけた。

「……蔡兄弟からも、さきに呉へ帰った※「門がまえに敢」沢からも、かように申し越してきたが、ちと、はなしが巧過ぎるきらいもある。さて、これへの対策は、どうしたものか」

 彼の諮問に答えて、諸大将からもそれぞれ意見が出たが、その中で、例の蒋幹がすすんで云った。

「面を冒して、もう一度おねがい申します。不肖、さきに御命をうけて、呉へ使いし、周瑜を説いて降さんと、種々肝胆をくだきましたが、ことごとく、失敗に終り、なんの功もなく立ち帰り、内心、甚だ羞じておる次第でありますが――いまふたたび一命をなげうつ気で、呉へ渡り、蔡兄弟や※「門がまえに敢」沢の申し越しが、真実か否かを、たしかめて参るならば、いささか前の罪を償うことができるように存じられます。もしまた、今度も何の功も立てずに戻ったら、軍法のお示しを受けるとも決してお恨みには思いません」

 曹操はいずれにせよ、にわかに決定できない大事と、深く要心していたので、

「それも一策だ」と、蒋幹の乞いを容れた。

 蒋幹は、小舟に乗って、以前のごとく、飄々たる一道士を装い、呉へ上陸った。

 そのとき呉の中軍には、彼より先に、ひとりの賓客が来て、都督周瑜と話しこんでいた。

 襄陽の名士※「广+龍」徳(ほうとく)公の甥で、※「广+龍」統(ほうとう)という人物である。

 ※「广+龍」徳公といえば荊州で知らないものはない名望家であり、かの水鏡先生司馬徽ですら、その門には師礼をとっていた。

 また、その司馬徽が、常に自分の門人や友人たちに、臥龍・鳳雛ということをよくいっていたが、その臥龍とは、孔明をさし、鳳雛とは、※「广+龍」徳公の甥の――※「广+龍」統をさすものであることは、知る人ぞ知る、一部人士のあいだでは隠れもないことだった。

 それほどに、司馬徽が人物を見こんでいた者であるのに、

(臥龍は世に出たが、鳳雛はまだ出ないのは何故か?)

 と、一部では、疑問に思われていた。

 きょう、呉の中軍に、ぶらりと来ていた客は、その※「广+龍」統だった。※「广+龍」統は、孔明より二つ年上に過ぎないから、その高名にくらべては、年も存外若かった。

「先生には近頃、つい、この近くの山にお住いだそうですな」

「荊州、襄陽の滅びて後、しばし山林に一庵をむすんでいます」

「呉にお力をかし賜わらんか、幕賓として、粗略にはしませんが」

「もとより曹軍は荊州の故国を蹂躙した敵。あなたからお頼みなくとも呉を助けずにおられません」

「百万のお味方と感謝します。――が、いかにせん味方は寡兵、どうしたら彼の大軍を撃破できましょうか」

「火計一策です」

「えっ、火攻め。先生もそうお考えになられますか」

「ただし渺々たる大江の上、一艘の船に火がかからば、残余の船はたちまち四方に散開する。――ゆえに、火攻めの計を用うるには、まずその前に方術をめぐらし、曹軍の兵船をのこらず一つ所にあつめて、鎖をもってこれを封縛せしめる必要がある」

「ははあ、そんな方術がありましょうか」

「連環の計といいます」


(中略)


「蒋幹。また貴公は、おれを騙そうと思ってきたな」

「えっ……騙そうとして? ……あははは、冗談じゃない。旧交の深い君に対してなんで僕がそんな悪辣なことをやるもんか。……それどころではない。吾輩は、実は先日の好誼にむくいるため、ふたたび来て、君のために一大事を教えたいと思っておるのに」

「やめたがいい」

 周瑜は噛んで吐き出すように、

「――汝の肚の底は、見えすいている。この周瑜に、降参をすすめる気だろう」

「どうして君としたことが、今日はそんなに怒りッぽいのだ。激気大事を誤る。――まあ、昔がたりでもしながら、親しくまた一献酌み交わそう。そのうえでとっくり話したいこともある」

「厚顔なる哉。これほどいっておるのにまだ分らんか。汝、――いかほど、弁をふるい、智をもてあそぶとも、なんでこの周瑜を変心させることができよう。海に潮が枯れ、山に石が爛れきる日が来ろうとも断じて、曹操如きに降るこの方ではない。――先頃はつい、旧交の情にほだされ、思わず酒宴に心を寛うして、同じ寝床で夢を共にしたりなどしたが、不覚や、あとになって見れば、予の寝房から軍の機密が失われている。大事な書簡をぬすんで貴様は逃げ出したであろうが」

「なに、軍機の書簡を……冗談じゃない、戯れもほどほどにしてくれ。何でそんなものを吾輩が」

「やかましいっ」

 と、大喝をかぶせて、

「――そのため、折角、呉に内通していた張允、蔡瑁のふたりを、まだ内応の計を起さぬうちに、曹操の手で成敗されてしまった。明らかに、それは汝が曹操へ密報した結果にちがいない。――それさえあるに、又候、のめのめとこれへ来たのは、近頃、魏を脱陣して、この周瑜の麾下へ投降してきておる蔡和、蔡仲に対して、何か策を打とうという肚ぐみであろう。その手は喰わん」

「どうしてそう……一体このわしを頭から疑われるのか」

「まだいうか。蔡和、蔡仲は、まったく呉に降って、かたく予に忠節を誓いおるもの。豈、汝らの妨「だまれ、だまれっ。本来は一刀両断に斬って捨てるところだが、旧交の誼みに、生命だけは助けてくれる。わが呉の軍勢が、曹操を撃破するのも、ここわずか両三日のあいだだ。そのあいだ、この辺につないでおくのも足手まとい。誰かある! こやつを西山の山小舎へでもほうりこんでおけ。曹操を破って後、鞭の百打を喰らわせて、江北へ追っ放してくれるから」げに遭って、ふたたび魏の軍へかえろうか」

「そ、そんな」

 と、蒋幹を睨みつけ、左右の武将に向って、虎のごとく云いつけた。


(中略)


「はて? ……こんな山中に」

 柴の戸を排して、庵の中をうかがってみるに、まだ三十前後の一処士、ただひとり浄几の前に、燈火をかかげ、剣をかたわらにかけて、兵書に眼をさらしている様子である。

「……あ。襄陽の鳳雛、※「广+龍」統らしいが」

 思わず呟いていると、気配に耳をすましながら庵の中から、

「誰だ」と、その人物が咎めた。

 蒋幹は、駈け寄るなり、廂下に拝をして、

「先日、群英の会で、よそながらお姿を拝していました。大人は鳳雛先生ではありませんか」

「や。そういわるるなら、貴公はあの折の蒋幹か」

「そうです」

「あれ以来、まだ、呉の陣中に、滞留しておられたか」

「いやいやそれどころではありません。一度帰ってまた来たために、周都督からとんだ嫌疑をかけられて」

 と、山小舎に監禁された始末を物語ると、※「广+龍」統は笑って、

「その程度でおすみなら万々僥倖ではないか。拙者が周瑜なら、決して、生かしてはおかない」

「えっ……」

「ははは。冗談だ。まあお上がりなさい」

 ――と、※「广+龍」統は席を頒けて燭を剪った。

 だんだん話しこんでみると、※「广+龍」統はなかなか大志を抱いている。その人物はかねて世上に定評のあるものだし、今、この境遇を見れば、呉から扶持されている様子もないので、蒋幹はそっと捜りを入れてみた。

「あなた程の才略をもちながら、どうしてこんな山中に身を屈しているんですか。ここは呉の勢力下ですのに、呉に仕えているご様子もなし……。おそらく、魏の曹丞相のような、士を愛する名君が知ったら、決して捨ててはおかないでしょうに」

「曹操が士を愛する大将であるということは、夙に聞いておるが……」

「なぜ、それでは、呉を去って、曹操のところへ行かないので?」

「でも、何分、危険だからな。――かりそめにも、呉にいた者とあれば、いかに士を愛する曹操でも、無条件には用いまい」

「そんなことはありません」

「どうして」

「かくいう蒋幹が、ご案内申してゆけば」

「何。貴公が」

「されば、私は、曹操の命をうけて、周瑜に降伏をすすめに来たものです」

「ではやはり魏の廻し者か」

「廻し者ではありません。説客として参ったものです」

「同じことだ。……が偶然、わしが先にいった冗談はあたっていたな」

「ですから、ぎょっとしました」

「いや、それがしは何も、呉から禄も恩爵もうけている者ではない。安心なさるがいい」

「どうですか、ここを去って、魏へ奔りませんか」

「勃々と、志は燃えるが」

「曹丞相へのおとりなしは、かならず蒋幹が保証します。曹操にも活眼ありです、何で先生を疑いましょう」

「では、行くか」

「ご決意がつけば、こよいにも」

「もとより早いがいい」

 二人は、完全に、一致した。その夜のうち、庵を捨て、※「广+龍」統は彼と共に、呉を脱した。


(中略)


 有名なる襄陽の鳳雛――※「广+龍」統来れり、と聞いて、曹操のよろこび方は一通りではなかった。

 まず、賓主の座をわけて、

「珍客には、どうして急に、予の陣をお訪ね下されたか」

 と、曹操は下へも置かなかった。※「广+龍」統も、この対面を衷心から歓んで見せながら、

「私をして、ここに到らしめたものは、私の意志というよりは、丞相が私を引きつけ給うたものです。よく士を敬い、賢言を用い、稀代の名将と、多年ご高名を慕うのみでしたが、今日、幹兄のお導きによって、拝顔の栄を得たことは、生涯忘れ得ない歓びです」

 曹操は、すっかり打ち解けて、蒋幹のてがらを賞し、酒宴に明けた翌る日、共に馬をひかせて、一丘へ登って行った。


(中略)


「……ちょっと失礼します」

 ※「广+龍」統はその間に、ちょいちょい中座して室外に出ては、また帰って席につき、話しつづけていた。

「……ちと、お顔色がわるいようだが? どうかなされたか」

「何。大したことはありません」

「でも、どこやら勝れぬように見うけらるるが」

「舟旅の疲れです。それがしなど生来水に弱いので四、五日も江上をゆられてくると、いつも後で甚だしく疲労します。……いまも実はちと嘔吐を催してきましたので」

「それはいかん、医者を呼ぶから診せたがいい」

「ご陣中には、名医がたくさんおられるでしょう。おねがいします」

「医者が多くいるだろうとは、どうしてお察しになったか」

「丞相の将兵は、大半以上、北国の産。大江の水土や船上の生活に馴れないものばかりでしょう。それをあのようになすっておいては、この※「广+龍」統同様、奇病にかかって、身心ともにつかれ果て、いざ合戦の際にも、その全能力をふるい出すことができますまい」


 ※「广+龍」統の言は、たしかに曹操の胸中の秘を射たものであった。

 病人の続出は、いま曹操の悩みであった。その対策、原因について軍中やかましい問題となっている。

「どうしたらよいでしょう。また、何かよい方法はありませんか。願わくはご教示ありたいが」

 曹操は初め、驚きもし、狼狽気味でもあったが、ついに打ち割ってこういった。

 ※「广+龍」統は、さもあらんと、うなずき顔に、

「布陣兵法の妙は、水も洩らさぬご配備ですが、惜しいかな、ただ一つ欠けていることがある。原因はそれです」

「布陣と病人の続出とに、何か関聯がありますか」

「あります。大いにあります。その一短を除きさえすればおそらく一兵たりとも病人はなくなるでしょう」

「謹んでお教えに従おう。多くの医者も、薬は投じてもその原因に至っては、ただ風土の異なるためというのみで、とんと分らない」

「北兵中国の兵は、みな水に馴れず、いま大江に船を浮かべ、久しく土を踏まず、風浪雨荒のたびごとに、気を労い身を疲らす。ために食すすまず、血環ること遅、凝って病となる。――これを治すには、兵をことごとく上げて土になずますに如くはありませんが、軍船一日も人を欠くべからずです。ゆえに、一策をほどこし、布陣をあらためるの要ありというものです。まず大小の船をのこらず風浪少なき湾口のうちに集結させ、船体の巨きさに準じて、これを縦横に組み、大艦三十列、中船五十列、小船はその便に応じ、船と船との首尾には、鉄の鎖をもって、固くこれをつなぎ、環をもって連ね、また太綱をもって扶けなどして、交互に渡り橋を架けわたし、その上を自由に往来なせば、諸船の人々、馬をすら、平地を行くが如く意のままに歩けましょう。しかも大風搏浪の荒日でも、諸船の動揺は至って少なく、また軍務は平易に運び、兵気は軽快に働けますから、自然、病に臥すものはなくなりましょう」

「なるほど、先生の大説、思いあたることすくなくありません」

 と、曹操は、席を下って謝した。※「广+龍」統は、さり気なく、

「いや、それも私だけの浅見かもしれません。よく原因を探究し、さらに賢考なされたがよい。お味方に病者の多いなどは、まず以て、呉のほうではさとらぬこと。少しも早く適当なご処置をとりおかれたら、かならず他日呉を打ち敗ることができましょう」

「そうだ、このことが敵へもれては……」と、曹操も、急を要すと思ったか、たちまち彼の言を容れて、次の日、自身中軍から埠頭へ出ると、諸将を呼んで、多くの鍛冶をあつめ、連環の鎖、大釘など、夜を日についで無数につくらせた。

 ※「广+龍」統は、悠々客となりながら、その様子をうかがって、内心ほくそ笑んでいたが、一日、曹操と打ち解けて、また軍事を談じたとき、あらためてこういった。

「多年の宿志を達して、いまこそ私は名君にめぐり会ったここちがしています。粉骨砕身、この上にも不才を傾けて忠節を誓っております。ひそかに思うに、呉の諸将は、みな周瑜に心から服しているのは少ないかに考えられます。周都督をうらんで、機もあればと、反り忠をもくろむもの、主なる大将だけでも、五指に余ります。それがしが参って三寸不爛の舌をふるい、彼らを説かば、たちまち、旗を反して、丞相の下へ降って来ましょう。しかる後、周瑜を生け捕り、次いで玄徳を平げることが急務です。――呉も呉ですが、玄徳こそは侮れない敵とお考えにはなりませんか」

 そのことばは、大いに曹操の肯綮にあたったらしい。彼は、※「广+龍」統がそう云い出したのを幸いに、

「いちど呉へかえって、同志を語らい、ひそかに計をほどこして給わらぬか。もし成功なせば、貴下を三公に封ずるであろう」と、いった。


(中略)


 水軍の総大将毛※「王+介」(もうかい)、于禁のふたりが、曹操の前へ来て、謹んで告げた。

「江湾の兵船は、すべて五十艘六十艘とことごとく鎖をもって連ね、ご命令どおり連環の排列を成し終りましたれば、いつご戦端をおひらきあるとも、万端の手筈に狂いはございません」

「よし」

 すなわち曹操は、旗艦に上がって水軍を閲兵し、手分けを定めた。

 中央の船隊はすべて黄旗をひるがえし、毛※「王+介」、于禁のいる中軍の目印とする。

 前列の船団は、すべて紅旗を檣頭に掲げ、この一手の大将には、徐晃が選ばれる。

 黒旗の船列は、呂虔の陣。

 左備えには、翩々と青旗が並んで見える。これは楽進のひきいる一船隊である。

 反対の右側へは、すべて白旗を植え並べていた。その手の大将は夏侯淵。

 また。

 水陸の救応軍には、夏侯惇、曹洪の二陣がひかえ、交通守護軍、監戦使には、許※「ころもへん+睹のつくり」(きょちょ)、張遼などの宗徒の輩が、さながら岸々の岩を重ねて大山をなすがごとく、水上から高地へかけて、固めに固めていた。

 曹操は小手をかざして、

「今日まで、自分もずいぶん大戦に臨んだが、まだその規模の大、軍備の充溢、これほどまで入念にかかった例はない」

 われながら旺なる哉と思い、意中すでに呉を呑んでいた。

「時は来た」と、彼は、三軍に令した。

 即日、この大艦隊は、呉へ向って迫ることになった。

 三通の鼓を合図に、水寨の門は三面にひらかれ、船列は一糸みだれず大江の中流へ出た。

 この日、風浪天にしぶき、三江の船路は暴れ気味だったが、連環の船と船とは、鎖のために、動揺の度が少なかったので、士気は甚だふるい、曹操も、

「※「广+龍」統の献言はさすがであった」と、歓びをもらしていた。


(中略)


 ――孔明は、彼の枕辺へ寄って、小声に見舞った。

「いかがですか、ご気分は」

 すると周瑜は、瞼をひらいて、渇いた口からようやく答えた。

「オオ、亮先生か……」

「都督。しっかりして下さい」

「いかんせん、身をうごかすと、頭は昏乱し、薬を摂れば、嘔気がつきあげてくるし……」

「何がご不安なのです。わたくしの見るところでは、貴体に何の異状も見られませんが」

「不安。……不安などは、何もない」

「然らば、即時に、起てるわけです。起ってごらんなさい」

「いや、枕から頭を上げても、すぐ眼まいがする」

「それが心病というものです。ただ心理です。ごらんなさい天体を。日々曇り日々晴れ、朝夕不測の風雲をくりかえしているではありませんか。しかも風暴るるといえ、天体そのものが病み煩っているわけではない。現象です、気晴るるときはたちまち真を現すでしょう」

「……ウムム」

 病人は呻きながら襟を噛み、眼をふさいでいた。孔明はわざと打ち笑って、

「こころ平らに、気順なるときは、一呼一吸のうちに、病雲は貴体を去ってゆきましょう。それ、さらに病の根を抜こうとするには、やや涼剤を用いる必要もありますが」

「良き涼剤がありますか」

「あります。一ぷく用いれば、ただちに気を順にし、たちまち快適を得ましょう」

「――先生」

 病人は、起ち直った。

「ねがわくは、周瑜のため、いや、国家のために、良方を投じたまわれ」

「む、承知しました。……しかしこの秘方は人に漏れては効きません。左右のお人を払って下さい」

 すなわち、侍臣をみな退け、魯粛をのぞくほか、房中無人となると、孔明は紙筆をとって、それへ、


 欲破曹公宜用火攻一そうこうをやぶらんとほっすればよろしくひぜめをもちうべし

 万事倶備只欠東風一ばんじともにそなうただとうふうのかくを


 こう十六字を書いて、周瑜に示した。

「都督。――これがあなたの病の根源でありましょう」

 周瑜は愕然としたように、孔明の顔を見ていたが、やがてにっこと笑って、

「おそれ入った。神通のご眼力。……ああ、先生には何事も隠し立てはできない」

 と、いった。


 季節はいま北東の風ばかり吹く時である。北岸の魏軍へ対して、火攻めの計を行なおうとすれば、かえって味方の南岸に飛火し、船も陣地も自ら火をかぶるおそれがある。

 孔明は、周瑜の胸の憂悶が、そこにあるものと、図ぼしをさしたのである。周瑜としては、その秘策はまだ孔明に打ち明けないことなので、一時は驚倒せんばかり愕いたが、こういう達眼の士に隠しだてしても無益だとさとって、

「事は急なり、天象はままならず、一体、如何すべきでしょうか」

 と、かえって、彼の垂教を仰いだのであった。

 孔明は、それに対して、こういうことをいっている。

「むかし、若年の頃、異人に会うて、八門遁甲の天書で伝授されました。それには風伯雨師を祈る秘法が書いてある。もしいま都督が東南の風をおのぞみならば、わたくしが畢生の心血をそそいで、その天書に依って風を祈ってみますが――」と。


(中略)


「やっ? 風もようだが」

「吹いて来た」

 周瑜も魯粛も、思わず叫んで、轅門の外に出た。

 見まわせば、立て並べてある諸陣の千旗万旗は、ことごとく西北の方へ向ってひるがえっている。

「オオ、東南風だ」

「――東南風」

 待ちもうけていたことながら二人は唖然としてしまった。

 突然、周瑜は身ぶるいして、

「孔明とは、そも、人か魔か。天地造化の変を奪い、鬼神不測の不思議をなす。かかる者を生かしておけば、かならず国に害をなし、人民のうちに禍乱を起さん。かの黄巾の乱や諸地方の邪教の害に照らし見るもあきらかである。如かず、いまのうちに!」

 と、叫んで、急に丁奉、徐盛の二将をよび、これに水陸の兵五百をさずけて、南屏山へ急がせた。

 魯粛は、いぶかって、

「都督、今のは何です?」

「あとで話す」

「まさか孔明を殺しにやったのではありますまいね。この大戦機を前にして」

「…………」


(中略)


「逃がしては!」と、徐盛は、水夫や帆綱の番を励まして、

「追いつけ。孔明の舟をやるな」と、舷を叩いて励ました。

 先へ舟を早めていた孔明は、ふたたび後から追いついて来る呉の船を見た。孔明は、笑っていたが、彼と船中に対坐していた一人の大将が、やおら起って、

「執念ぶかい奴かな。いで、一睨みに」

 と、身を現して、舷端に突っ立ち、徐盛の舟へ向って呼ばわった。

「眼あらば見よ、耳あらば聞け。われは常山の子龍趙雲である。劉皇叔のおいいつけをうけて、今日、江辺に舟をつないで待ち、わが軍の軍師をお迎えして夏口に帰るに、汝ら、呉の武将が、何の理由あって阻むか。みだりに追い来って、わが軍師に、何を働かんといたすか」

 すると、徐盛も舳に立ち上がって、

「いやいや、何も諸葛亮を害さんためではない。周都督のお旨をうけ、いささか亮先生に告ぐる儀あり。しばらく待ち給えというに、なぜ待たぬか」

「笑止笑止。その物々しい武者どもを乗せて、害意なしなどとは子どもだましの虚言である。汝らこれが見えぬか」と、趙子龍は、手にたずさえている強弓に矢をつがえて示しながら、

「この一矢を以て、汝を射殺すはいとやすいが、わが夏口の勢と呉とは、決して、対曹操のごときものではない。故に、両国の好誼を傷つけんことをおそれて、敢て、最前から放たずにいるのだ。この上、要らざる舌の根をうごかし、みだりに追いかけて来ぬがよいぞ」

 と、大音を収めたかと思うと、とたんに、弓をぎりぎりとひきしぼって、徐盛のほうへ、びゅっと放った。

「――あっ」と、徐盛も首をすくめたが、もともとその首を狙って放った矢ではない。矢は、彼のうえを通り越して、うしろに張ってある帆の親綱をぷつんと射きった。

 帆は大きく、横になって、水中に浸った。そのため、船はぐると江上に廻り、立ち騒ぐ兵をのせたまま危うく顛覆しそうに見えた。

 趙雲は、からからと笑って、弓を捨て、何事もなかったような顔して、ふたたび孔明とむかい合って話していた。

 水びたしの帆を張って、徐盛がふたたび追いかけようとした時は、もう遠い煙波の彼方に、孔明の舟は、一鳥のように霞んでいた。

「徐盛。むだだ。やめろやめろ」

 江岸から大声して、彼をなだめる者があった。

 見れば、味方の丁奉である。

 丁奉は、馬にのって、陸地を江岸づたいに急ぎ、やはり孔明の舟を追って来たのであるが、いまの様子を陸から見ていたものと見え、

「とうてい、孔明の神機は、おれ達の及ぶところでない。おまけに、あの迎えの舟には、趙雲が乗っているではないか。常山の趙子龍といえば、万夫不当の勇将だ。長坂坡以来、彼の勇名は音に聞えている。この少ない追手の人数をもって、追いついたところで、犬死するだけのこと。いかに都督の命令でも、犬死しては何もならん。帰ろう、帰ろう、引っ返そう」

 手合図して、駒をめぐらし、とことこと岸をあとへ帰って行く。

 徐盛もぜひなく、舟をかえした。そして事の仔細を、周瑜へ報告すると、

「また孔明に出し抜かれたか」と、彼は急に、臍をかむように罵った。


(中略)


 東南風は吹く。東南風は吹く。

 生温い異様な風だ。

 きのうからの現象である。――さてこの前後、曹操の起居は如何に。魏の陣営は、どう動いていたろうか。

「これは不吉な天変だ。味方にとって歓ぶべきことではない」

 こういっていたのは、程※「日/立」(ていいく)であった。曹操に向ってである。

「丞相よろしく賢察し給え」と、あえて智を誇らなかった。

 すると曹操はいった。

「何でこの風が味方に不吉なものか。思え。時はいま冬至である。万物枯れて陰極まり、一陽生じて来復の時ではないか。この時、東南の風競きそう。何の怪しむことがあろうぞ」

 こんな所へ、江南の方から一舟が翔けて来た。波も風もすべて、南からこの北岸へと猛烈に吹きつけているので、その小舟の寄って来ることも飛ぶが如くであった。

「黄蓋の使いです」と、小舟は一封の密書をとどけて去った。

「なに、黄蓋から?」

 待ちかねていたらしい。曹操は手ずから封を切った。読み下すひとみも何か忙しない。


(中略)


「――やっ? 船が見える。たくさんな船隊が、南のほうからのぼって来る!」

 と、檣楼の上からどなった。

「なに、船隊が見える?」と、諸大将、旗本たちは、総立ちとなって、船櫓へ登るもあり、舳へ向って駈け出して行くものもあった。

 ――見れば、荒天の下、怒濤の中を続々と連なって来る船の帆が望まれる。月光はそれを照らして、鮮やかにするかと思えば、またたちまち、雲は月をおおうと、黒白もつかぬ闇としてしまう。

「旗は見えんか。――青龍の牙旗を立ててはいないか」

 下からいう曹操の声だった。

 船楼の上から、諸大将が、口をそろえて答えた。

「見えます、龍舌旗が」

「すべての船の帆檣に!」

「青旗のようですっ。――青龍の牙旗。まちがいはありません」

 曹操は、喜色満面に、

「そうかっ。よしっ」

 と、うなずいて、自身、舳のほうへ向って、希望的な大歩を移しかけた。

 するとまた、そこにいた番の大将が、

「遠く、後方から来る一船団のうちの大船には、『黄』の字を印した大旗が翩翻と立ててあるように見えまする」と、告げた。

 曹操は、膝を打って、

「それそれ。それこそ、黄蓋の乗っている親船だ。彼、果たして約束をたがえず、今これへ味方に来るは、まさしく、わが魏軍を天が助けるしるしである」と、いい、さらに自分の周囲へむらがって来た幕僚の諸将に向って、

「よろこべ一同。すでに呉は敗れたり。わが掌は、もはや呉を握り奪ったも同様であるぞ」と、語った。

 東南風をうけて来るので、彼方の機船隊が近づいて来る速度は驚くほど迅かった。すでに団々たる艨艟は眼のまえにあった。――と、ふいに異様な声を出したのは程※「日/立」で、

「や、や? ……いぶかしいぞ。油断はならん」と、味方の人々を戒めた。

 曹操は、聞き咎めて、むしろ不快そうに、

「程※「日/立」。何がいぶかしいというのか?」と、その姿を振向いた。


 程※「日/立」は、曹操の問に対して、言下にこう答えた。

「兵糧武具を満載した船ならば、かならず船脚が深く沈んでいなければならないのに、いま眼の前に来る船はすべて水深軽く、さして重量を積んでいるとは見えません。――これ詐りの証拠ではありませんか」

 聞くと、さすがは、曹操であった。一言を聞いて万事を覚ったものとみえる。

「ううむ! いかにも」と、大きく唸って、その眼を、風の中に、爛々と研いでいたが、くわっと口を開くやいな、「しまった! この大風、この急場、もし敵に火計のあるならば、防ぐ手だてはない。誰か行って、あの船隊を、水寨の内へ入れぬよう防いでおれ」

 後の策は、後の事として、取りあえずそう命令した。

「おうっ」と答えて、

「それがしが防ぎとめている間に、早々、大策をめぐらし給え」

 と、旗艦から小艇へと、乗り移って行ったのは、文聘であった。

 文聘は、近くの兵船七、八隻、快速の小艇十余艘をひきつれて、波間を驀進し、たちまち彼方なる大船団の進路へ漕ぎよせ、

「待ち給え。待たれよ」

 と、舳に立って大音に呼ばわった――

「曹丞相の命令である。来るところの諸船は、のこらず水寨の外に碇をおろし、舵を止め、帆綱をゆるめられい!」

 すると、答えもないばかりか、依然、波がしらを噛んで疾走して来た先頭の一船から、びゅんと、一本の矢が飛んできて文聘の左の臂にあたった。

 わっと、文聘は船底へころがった。同時に、

「すわや。降参とは詐りだぞ」

 と、船列と船列とのあいだには、まるで驟雨のような矢と矢が射交わされた。

 このとき、呉の奇襲艦隊の真中にあった黄蓋の船は、颯々と、水煙の中を進んで来て、はや水寨の内へ突入していた。

 黄蓋は、船楼にのぼって、指揮に声をからしていたが、腰なる刀を抜いて、味方の一船列をさしまねき、

「今ぞっ、今ぞっ、今ぞっ。曹操が自慢の巨艦大船は眼のまえに展列して、こよいの襲撃を待っている。あれ見よ、敵は混乱狼狽、なすことも知らぬ有様。――それっ、突込め! 突込んで、縦横無尽に暴れちらせ!」と、激励した。

 かねて、巧みに偽装して、先頭に立てて来た一団の爆火船隊――煙硝、油、柴などの危険物を腹いっぱい積んで油幕をもっておおい隠してきた快速艇や兵船は――いちどに巨大な火焔を盛って、どっと、魏の大艦巨船へぶつかって行った。

 ぐわうっと、焔の音とも、濤の音とも、風の声ともつかないものが、瞬間、三江の水陸をつつんだ。

 火の鳥の如く水を翔けて、敵船の巨体へ喰いついた小艇は、どうしても、離れなかった。後で分ったことであるが、それらの小艇の舳には、槍のような釘が植えならべてあり、敵船の横腹へ深く突きこんだと見ると、呉兵はすぐ木の葉のような小舟を降ろして逃げ散ったのであった。

 なんで堪ろう。いかに巨きくとても木造船や皮革船である。見るまに、山のような、紅蓮と化して、大波の底に沈没した。

 もっと困難を極めたのは、例の連環の計によって、大船と大船、大艦と大艦は、ほとんどみな連鎖交縛していたことである。そのために、一艦炎上すればまた一艦、一船燃え沈めばまた一船、ほとんど、交戦態勢を作るいとまもなく、焼けては没し、燃えては沈み、烏林湾うりんわんの水面はさながら発狂したように、炎々と真赤に逆巻く渦、渦、渦をえがいていた。


(中略)


 八十余万と称えていた曹操の軍勢は、この一敗戦で、一夜に、三分の一以下になったという。

 溺死した者、焼け死んだ者、矢にあたって斃れた者、また陸上でも、馬に踏まれ、槍に追われ、何しろ、山をなすばかりな死傷をおいて三江の要塞から潰乱した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る