隻眼の勇将 夏侯惇

 曹操は、直ちに相府へ諸大将をあつめて、小沛の急変を伝え、同時に、

「劉備を見ごろしにしては、予の信義に反く。今、袁紹は北平の討伐に向い、それに憂いはないが、なお予の背後には張繍、劉表の勢力が、常に都の虚をうかがっている。――とはいえ、呂布を放置しておかんか、これまた、いよいよ勢いを強大にし、将来の患となるのは目に見えておる。――如かず、一部の者に、許都の留守をあずけ、予は劉備を援けて、共にこの際、呂布の息の根をとめてこようと思う。汝らは、如何に思うか」

 と、評議に諮った。


 堂中の諸大将を代表して、荀攸が起立して答えた。

「出師のご発議、われらに於てもしかるべく存じます。劉表、張繍とても、先ごろ手痛く攻撃された後のこと、軽々しく兵をおこして参ろうとは思われません。――それをはばかって、もしこの際、呂布のなすままに委せておいたら、袁術と合流して、泗水淮南に縦横し、遂には将来の大患となりましょう。彼の勢いのまだ小なるうちに、よろしく禍いの根を断つこそ急務と思われます」

 曹操は左の手を胸に当て、右手を高く伸ばして、

「いしくも申したり。――満座、異議はないか」

 といった。

 異口同音に、

「ありません」

 諸大将、すべて起立して、賛意を表した。

「さらば征いて、小沛の危急を救え」とばかり、まず夏侯惇、呂虔、李典の三名を先鋒に、五万の精兵をさずけ、徐州の境へ馳せ向かわした。

 呂布の麾下、高順の陣は、突破をうけて潰乱した。

「なに。曹操の先手が、はや着いたとか」

 呂布は狼狽した。もう曹操との正面衝突は、避け難い勢いに立到ったものと観念した。

「侯成、はや参れ。※「赤+おおざと」萌(かくほう)、曹性も馳け向かえ。――そして高順を助けて、遠路につかれた敵兵を一挙に平げてしまえ」

 呂布の命令に、呂布の軍は直ちに軍の移動を起した。

 それまで、小沛を遠巻きにしていた彼の大兵が、一部、それに向ったので、全軍三十里ほど、小沛から退いたのであった。

 城中の玄徳は、

「さてこそ、許都の援軍が徐州の境まで着いたと見ゆる」と察して、孫乾、糜竺、糜芳らを城内にのこし、自身は関羽、張飛の両翼を従えて今までの消極的な守勢から攻勢に転じ、俄然、凸形に陣容をそなえ直した。

 ――が、なおそこは、静かなること林の如く、動かざること山のようであったが、すでに呂布軍の一角と、曹操軍の尖端とは激突して、戦塵をあげ始めていた。

 その日の戦に。

 曹操麾下の夏侯惇は、呂布の大将高順と名乗りあって、五十余合戦ったが、そのうち高順が逃げだしたので、

「きたなし、返せ返せ」と、呼ばわりながらあくまで追い馳けまわして行った。

 すると、高順の味方曹性が、「すわ、高順の危急」と見たので、馬上、弓をつがえて、近々と走り寄り、夏侯惇の面をねらって、ひょうと射た。

 矢は、夏侯惇の左の眼に突き刺さった。彼の半面は鮮血に染み、思わず、

「あッ」

 と、鞍の上でのけ反ったが、鐙に確と踏みこたえて、片手でわが眼に立っている矢を引き抜いたので、鏃と共に眼球も出てしまった。

 夏侯惇は、どろどろな眼の球のからみついている鏃を面上高くかざしながら、

「これは父の精、母の血液。どこも捨てる場所がない。――あら、もったいなや」

 と、大音で独り言をいったと思うと、鏃を口に入れて、自分の眼の球を喰べてしまった。

 そして、真っ赤な口を、くわっと開いて、片眼に曹性のすがたを睨み、

「貴様かッ」

 と、馬を向け跳びかかってくるや否、ただ一槍の下に、片眼の讐を突き殺してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る