長坂の戦い

 戦は暁になってやんだ。

 山は焼け、渓水は死屍で埋もれ、悽愴な余燼のなかに、関羽、張飛は軍をおさめて、意気揚々、ゆうべの戦果を見まわっていた。

「敵の死骸は、三万をこえている。この分では無事に逃げた兵は、半分もないだろう」

「まず、全滅に近い」

「幸先よしだ。兵糧その他、戦利品も莫大な数にのぼろう。かかる大捷を博したのも、日頃の鍛錬があればこそ――やはり平常が大事だな」

「それもあるが……」と、関羽は口をにごらしながら、駒を並べている張飛の顔を見て云った。

「この作戦は、一に孔明の指揮に出たものであるから、彼の功は否みがたい」

「むむ。……計は、図にあたった。彼奴も、ちょっぴり、味をやりおる」

 張飛はなお幾らかの負け惜しみを残していたが、内心では、孔明の智謀を認めないわけにはゆかなかった。


(中略)


「この土地が、敵の蹂躙から免れたのは、ひとえにわがご領主が、賢人を厚くお用いなされたからじゃ」と、玄徳の英明をたたえ、また孔明を徳として仰いだ。

 しかし孔明は誇らなかった。

 城中に入って、数日の後、玄徳が彼に向って、あらゆる歓びと称讃を呈しても、

「いやいや、まだ決して、安心はなりません」と、眉をひらく風もなかった。

「いま、夏侯惇の十万騎は、残り少なに討ちなされて、ここしばらくは急もありますまいが、必定、この次には、曹操自身が攻め下って来るでしょう。味方の安危如何はその時かと思われます」

「曹操がみずから攻めてくるようだったら、それは容易ならぬことになる。北方の袁紹ですら一敗地に滅び、冀北、遼東、遼西まで席巻したあの勢いで南へきたら?」

「かならず参ります。故に、備えておかなければなりますまい。それにはこの新野は領堺も狭く、しかも城の要害は薄弱で、たのむには足りません」

「でも、新野を退いては」

「新野を退いて拠るべき堅固は……」

 と、孔明は云いかけて、そっとあたりを見まわした。


「ここに一計がないでもありません」

 と、孔明は声をはばかって、ささやいた。

「国主の劉表は病重く、近頃の容態はどうやら危篤のようです。これは天が君に幸いするものでなくてなんでしょう。よろしく荊州を借りて、万策をお計りあれ。それに拠れば、地は広く、嶮は狭く、軍需財源、すべて充分でしょう」

 玄徳は顔を横に振った。

「それは良計には違いなかろうが、わしの今日あるは、劉表の恩である。恩人の危うきにつけこんで、その国を奪うようなことは忍び得ない」

「このさい小乗的なお考えは捨て、大義に生きねばなりますまい。いま荊州を取っておかなければ、後日になって悔ゆるとも及びませぬ」

「でも、情にもとり、義に欠けるようなことは」

「かくいううちにも、曹操の大軍が襲来いたしたなら、何となさいますか」

「いかなる禍いにあおうと、忘恩の徒と誹られるよりはましである」

「ああ。まことに君は仁者でいらせられる!」

 それ以上、強いることばも、諫める辞もなく、孔明は口をつぐんだ。


(中略)


 その年の七月下旬。

 曹操は八十余万の大軍を催し、先鋒を四軍団にわかち、中軍に五部門を備え、後続、遊軍、輜重など、物々しい大編制で、明日は許都を発せんと号令した。


(中略)


 曹操みずから、許都の大軍をひきいて南下すると、頻々、急を伝えてくる中を、荊州の劉表は、枕も上がらぬ重態をつづけていた。

「御身と予とは、漢室の同宗、親身の弟とも思うているのに……」

 病室に玄徳を招いて、彼は、きれぎれな呼吸の下から説いていた。

「予の亡い後、この国を、御身が譲りうけたとて、誰が怪しもう。奪ったなどといおう。……いや、いわせぬように、予が遺言状をしたためておく」

 玄徳は、強って辞した。

「せっかくの尊命ですが、あなたにはお子達がいらっしゃいます。なんで私がお国を継ぐ必要などありましょう」

「いや、その孤子の将来も、御身に託せば安心じゃ。どうかあの至らぬ子らを扶け、荊州の国は御身が受け継いでくれるように」

 遺言にひとしい切実な頼みであったが、玄徳はどうしても受けなかった。

 孔明は後にその由を聞いて、

「あなたの律義は、かえって、荊州の禍いを大にしましょう」と、痛嘆した。


(中略)


 百万の軍旅は、いま河南の宛城 (南陽)まで来て、近県の糧米や軍需品を徴発し、いよいよ進撃に移るべく、再整備をしていた。

 そこへ、荊州から降参の使いとして、宋忠の一行が着いた。

 宋忠は、宛城の中で、曹操に謁して、降参の書を奉呈した。

「劉※「王+宗」(りゅうそう)の輔佐には、賢明な臣がたくさんいるとみえる」

 曹操は大満足である。

 こう使いを賞めて、「劉※「王+宗」を忠烈侯に封じて、長く荊州の太守たる保証を与えてやろう。やがてわが軍は、荊州に入るであろうから、その時には、城を出て、曹操の迎えに見えるがいい。――劉※「王+宗」に会って、その折、なお親しく語ることもあろう」と、いった。

 宋忠は、衣服鞍馬を拝領して、首尾よく荊州へ帰って行った。

 その途中である。

 江を渡って、渡船場から上がってくると、一隊の人馬が馳けてきた。

「何者だっ、止れっ」

 と、誰何されて、馬上の将を見ると、この辺の守りをしていた関羽である。

「しまった」

 と思ったが、逃げるにも逃げきれない。宋忠は彼の訊問にありのままを答えるしかなかった。

「何。降参の書をたずさえて、曹操の陣へ使いした帰りだと申すか?」

 関羽は、初耳なので、驚きに打たれた。

「これは、自分だけが、聞き流しにしているわけには参らぬ」

 有無をいわせず、後は、宋忠を引ッさげて、新野へ馳けた。

 新野の内部でも、この政治的な事実は、いま初めて知ったことなので、驚愕はいうまでもない。

 わけて、玄徳は、

「何たることか!」

 と、悲涙にむせんで、昏絶せんばかりだった。

 激しやすい張飛のごときは、

「宋忠の首を刎ねて血祭りとなし、ただちに兵をもって荊州を攻め取ってしまえ。さすれば無言のうちに、曹操へやった降参の書は抹殺され、無効になってしまう」

 と、わめきちらして、いやが上にも、諸人を動揺させた。

 宋忠は生きた心地もなく、おどおどして、城中にみなぎる悲憤の光景をながめていたが、

「今となって、汝の首を刎ねたところで、何の役に立つわけもない。そちは逃げろ」

 と、玄徳は彼をゆるして、城外へ放ってやった。

 ところへ、荊州の幕賓、伊籍がたずねてきた。宋忠を放った後で、玄徳は、孔明そのほかを集めて評議中であったが、ほかならぬ人なのでその席へ招じ、日頃の疎遠を謝した。

 伊籍は、蔡夫人や蔡瑁が、劉※「王+奇」(りゅうき)をさしおいて、弟の劉※「王+宗」を国主に立てたことを痛憤して、その鬱懐を、玄徳へ訴えに来たのであった。

「その憂いを抱くものは、あなたばかりでありません」と、玄徳はなだめて後、

「――しかも、まだまだあなたの憂いはかろい。あなたのご存じなのは、それだけであろうが、もっと痛心に耐えないことが起っている」

「何です? これ以上、痛心にたえないこととは」

「故太守が亡くなられて、まだ墳墓の土も乾かないうち、この荊州九郡をそっくり挙げて、曹操へ降参の書を呈したという一事です」

「えっ、ほんとですか」

「偽りはありません」

「それが事実なら、なぜ貴君には、直ちに、喪を弔うと号して、襄陽に行き、あざむいて幼主劉※「王+宗」をこちらへ、奪い取り、蔡瑁、蔡夫人などの奸党閥族を一掃してしまわれないのですか」

 日頃、温厚な伊籍すら、色をなして、玄徳をそう詰問るのであった。


 孔明も共にすすめた。

「伊籍のことばに、私も同意します。今こそご決断の時でしょう」

 しかし玄徳は、ただ涙を垂るるのみで、やがてそれにこう答えた。

「いやいや臨終の折に、あのように孤子の将来を案じて、自分に後を託した劉表のことばを思えば、その信頼に背くようなことはできない」

 孔明は、舌打ちして、

「いまにして、荊州も取り給わず遅疑逡巡、曹操の来攻を、拱手してここに見ているおつもりですか」と、ほとんど、玄徳の戦意を疑うばかりな語気で詰問った。

「ぜひもない……」と、玄徳は独りでそこに考えをきめてしまっているもののように――

「この上は新野を捨てて、樊城へ避けるしかあるまい」と、いった。


(中略)


「趙雲やある!」

 孔明が、名を呼んだ。

 諸将のあいだから、趙雲は、おうっと答えながら、一歩前へ出た。

「ご辺には、兵三千を授ける」

 孔明はおごそかにいって、

「――乾燥した、柴、蘆、茅など充分に用意されよ。硫黄焔硝をつつみ、新野城の楼上へ積みおくがよい。明日の気象を考えるに、おそらく暮れ方から大風が吹くであろう。勝ちおごった曹操の軍は、風とともに、易々と、陣を城中にうつすは必然である。――時にご辺は、兵を三方にわけて、西門北門南門の三手から、火矢、鉄砲、油礫などを投げかけ、城頭一面火焔と化すとき、一斉に、兵なき東の門へ馳け迫れ。――城内の兵は周章狼狽、ことごとくこの門から逃げあふれて来るであろう。その混乱を存分に討って、よしと見たらすぐ兵を引っ返せ。白河の渡口へきて関羽、張飛の手勢と合すればよい。――そして樊城をさして急ぎに急げ」


(中略)


「どうだ、この街の態は。これで敵の手のうちは見えたろう」

 曹仁は、自分の達見を誇った。城下にも街にも敵影は見あたらない。のみならず百姓も商家もすべての家はガラ空きである。老幼男女はもとより嬰児の声一つしない死の街だった。

「いかさま、百計尽きて、玄徳と孔明は将士や領民を引きつれて、いち早く逃げのびてしまったものと思われる。――さてさて逃げ足のきれいさよ」と曹洪や許※(「ころもへん+睹のつくり」、第3水準1-91-82)も笑った。

「追いかけて、殲滅戦にかかろう」という者もあったが、人馬もつかれているし、宵の兵糧もまだつかっていない。こよいは一宿して、早暁、追撃にかかっても遅くはあるまいと、

「やすめ」の令を、全軍につたえた。

 その頃から風がつのりだして、暗黒の街中は沙塵がひどく舞った。曹仁、曹洪らの首脳は城に入って、帷幕のうちで酒など酌んでいた。

 すると、番の軍卒が、

「火事、火事」

 と、外で騒ぎ立ててきた。部将たちが、杯をおいて、あわてかけるのを、曹仁は押し止めて、

「兵卒どもが、飯を炊ぐ間に、あやまって火を出したのだろう。帷幕であわてなどすると、すぐ全軍に影響する。さわぐに及ばん」と、余裕を示していた。

 ところが、外の騒ぎは、いつまでもやまない。西、北、南の三門はすでにことごとく火の海だという。追々、炎の音、人馬の跫音など、ただならぬものが身近に迫ってきた。

「あっ、敵だっ」

「敵の火攻めだっ」

 部将のさけびに曹洪、曹仁も胆を冷やして、すわとばかり出て見たときは、もう遅かった。

 城中はもうもうと黒煙につつまれている。馬よ、甲よ、矛よ、とうろたえ廻る間にも、煙は眼をふさぎ鼻をつく。

 さらに、火は風をよび、風は火をよび、四方八面、炎と化したかと思うと、城頭にそびえている三層の殿楼やそれにつらなる高閣など、一度に轟然と自爆して、宙天には火の柱を噴き、大地へは火の簾を降らした。

 わあっと、声をあげて、西門へ逃げれば西門も火。南門へ走れば南門も火。こはたまらじと、北門へなだれを打ってゆけば、そこも大地まで燃えさかっている。

「東の門には、火がないぞ」

 誰いうとなく喚きあって、幾万という人馬がわれ勝ちに一方へ押し流れてきた。互いに手脚を踏み折られ、頭上からは火の雨を浴び、焼け死ぬ者、幾千人か知れなかった。

 曹仁、曹洪らは、辛くも火中を脱したが、道に待っていた趙雲にはばまれて、さんざんに打ちのめされ、あわてて後へ戻ると、劉封、糜芳が一軍をひきいて、前を立ちふさいだ。

「これは?」と仰天して、白河のあたりまで逃げ去り、ほっと一息つきながら、馬にも水を飼い、将士も争って、河の水を口へすくいかけていたが、――かねて上流に埋伏していた関羽の一隊は、その時、遠く兵馬のいななきを耳にして、

「今だ!」

 と、孔明の計を奉じて、土嚢の堰を一斉にきった。さながら洪水のような濁浪は、闇夜の底を吠えて、曹軍数万の兵を雑魚ざこのように呑み消した。


(中略)


「襄陽に避けましょう。この城よりは、まだ襄陽のほうが、防ぐに足ります」

 孔明のすすめに、もちろん、玄徳は異議もなかったが、

「自分を慕って、自分と共に、ここへ避難している無数の百姓たちをどうしよう」

 と、領民の処置を案じて、決しきれない容子だった。

「君をお慕い申し上げて、君の落ち行く先なら、何処までとついて来る可憐な百姓どもです。たとえ足手まといになろうと、引き具してお移りあるべきでございましょう」

 孔明のことばに、玄徳も、

「さらば――」と、関羽に渡江の準備を命じた。

 関羽は、江頭に舟をそろえ、さて数万の百姓をあつめて、

「われらと共に、ゆかんとする者は江を渡れ。あとに残ろうと思う者は、去って旧地の田を耕すがいい」と、云い渡した。

 すると、百姓老幼、みな声をそろえて、共に哭いて、

「これから先、たとえ山を拓いて喰い、石を鑿って水を汲むとも、劉皇叔さまに従って参りとうございます。ついに生命を失っても使君 (玄徳のこと)をお恨みはいたしません」と、いった。

 そこで関羽は、糜竺、簡雍などと協力して、この膨大なる大家族を、次々に舟へ盛り上げては対岸へ渡した。

 玄徳も、舟に移って、渡江しにかかったが、折もあれ、この方面へ襲よせてきた曹軍の一手――約五万の兵が、馬けむりをあげて樊城城外から追いかけてきた。

「すわや、敵が」と聞くなり岸に群れ惑う者、舟の中に哭きさけぶ者、あやまって河中に墜ちいる者など、男女老幼の悲鳴は、水に谺して、思わず耳をおおうばかりだった。

「あわれや、無辜の民ぐさ達、我あらばこそ、このような禍いをかける。――我さえなければ」

 と、玄徳はそれを眺めて、身悶えしていたが、突然、舷に立って、河中に身を投げようとした。


 左右の人々はおどろいて玄徳を抱きとめた。

「死は易く、生は難し。もともと、生きつらぬく道は艱苦の闘いです。多くの民を見すてて、あなた様のみ先へ遁れようと遊ばしますか」

 と、人々に嘆き諫められて、玄徳もようやく死を思い止まった。

 関羽は、逃げおくれた百姓の群れを扶け、老幼を守って後から渡ってきた。かくてようやく皆、北の岸へ渡りつくや、休むまもなく、玄徳は襄陽へ急いだ。

 襄陽の城には、先頃から幼国主劉※「王+宗」、その母蔡夫人以下が、荊州から移住している。玄徳は、城門の下に馬を立て、

「賢姪劉※「王+宗」、ここを開けたまえ、多くの百姓どもの生命を救われよ」と、大音をあげた。

 すると、答えはなくて、たちまち多くの射手が矢倉の上に現われて矢を酬いた。

 玄徳につき従う数万の百姓群の上に、その矢は雨の如く落ちてくる。悲鳴、慟哭、狂走、混乱、地獄のような悲しみに、地も空も晦くなるばかりだった。

 ところが、これを城中から見てあまりにもその無情なる処置に義憤を発した大将があった。姓は魏延、字は文長、突如味方のなかから激声をあげて、

「劉玄徳は、仁人である。故主の墳墓の土も乾かぬうちに、曹操へ降を乞い、国を売るの賊、汝らこそ怪しからん。――いで、魏延が城門をあけて、玄徳を通し申さん」と云い出した。

 蔡瑁は仰天して、張允に、

「裏切り者を討て」と命じた。

 時すでに、魏延は部下をひきいて、城門のほうへ殺到し、番兵を蹴ちらして、あわや吊橋をおろし、

「劉皇叔! 劉皇叔! はやここより入り給え」

 と、叫んでいる様子に、張允、文聘などが、争ってそれを妨げていた。

 城外にいた張飛、関羽たちは、すぐさま馬を打って駆け入ろうとしたが、城中の空気、鼎の沸く如く、ただ事とも思われないので、

「待て、しばし」と急に押し止め、

「孔明、孔明。ここの進退は、どうしたらいいか」と、訊ねた。

 孔明は、うしろから即答した。

「凶血が煙っています。おそらく同士打ちを起しているのでしょう。しかし、入るべからずです。道をかえて江陵 (湖北省・沙市、揚子江岸)へ行きましょう」

「えっ、江陵へ?」

「江陵の城は、荊州第一の要害、銭糧の蓄えも多い土地です。ちと遠くではありますが……」

「おお、急ごう」

 玄徳が引っ返して行くのを見ると、日頃、玄徳を慕っていた城中の将士は、争って、蔡瑁の麾下から脱走した。折ふし城門の混乱に乗じて、彼のあとを追って行く者、引きも切らないほどだった。


(中略)


 落ちて行く敗残の境遇である。軍自体の運命すら危ういのに、数万人の窮民をつれ歩いていたのでは、所詮、行動の取りようもない。

「背に腹はかえられません」

 孔明は諭すのであった。玄徳の仁愛な心はよく分っているが、そのため、敵の殲滅に会っては、なんの意味もないことになる。

「ここは一時、涙をのんでも、百姓、老幼の足手まといを振り捨て、一刻もはやく江陵へ行き着いて、処置をお急ぎなさらなければ、ついに曹軍の好餌となるしかありますまい」

 というのであった。

 が――玄徳は依然として、

「自分を慕うこと、あたかも子が親を慕うようなあの領民を、なんで捨てて行かれようぞ。国は人をもって本とすという。いま玄徳は国を亡ったが、その本はなお我にありといえる。――民と共に死ぬなら死ぬばかりである」と云ってきかなかった。

 このことばを孔明から伝え聞いて、将士も涙を流し、領民もみな哭いた。

 さらばと、――孔明もついに心をきめて、領民たちに相互の扶助と協力の精神を徹底させ、一方、関羽と孫乾に、兵五百を分けて、

「江夏におられる嫡子劉※「王+奇」君のところへ急いで、つぶさに戦況を告げ、江陵の城へお出会いあるべしと、この書簡をとどけられよ」と、玄徳のてがみを授けて、援軍の急派をうながした。


(中略)


 数万の窮民を連れ歩きながら、手勢はわずかに二千騎に足らなかった。

 千里の野を、蟻の列が行くような旅だった。道の捗らないことはおびただしい。

「江陵の城はまだか」

「まだまだ道は半ばにすぎません」

 襄陽を去ってから、日はもう十幾日ぞ。――こんな状態でいったらいつ江陵へ着くだろうと、玄徳も心ぼそく思った。

「さきに江夏へ援軍をたのみにやった関羽もあれきり沙汰がない。――軍師、ひとつ御身が行ってくれないか」

 玄徳のことばに、孔明は、

「行ってみましょう。どんな事情があるかわかりませんが、この際は、それしか恃む兵力はありませんから」と、承知した。

「ご辺が参って、援軍を乞えば、劉※「王+奇」君も決して嫌とは申されまい。――ご辺の計らいで、継母蔡夫人の難からのがれたことも覚えておられるだろうから……」

「では、ここでお別れしましょう」

 孔明は兵五百をつれ、途中から道をかえて、江夏へいそいだ。

 孔明と別れてから二日目の昼である。ふと、一陣の狂風に野をふりかえると、塵埃天日をおおい、異様な声が、地殻の底に鳴るような気がされた。

「はて、にわかに馬のいななき躁ぐのは――そも、何の兆しるしだろう」

 玄徳がいぶかると、駒をならべていた糜芳、糜竺、簡雍らは、

「これは大凶の兆せです。馬の啼き声も常とはちがう」と呟いて、みな怖れふるえた。

 そして、人々みな、

「はやく、百姓どもの群を捨て先へお急ぎなさらねば、御身の危急」

 と、口を揃えてすすめたが、玄徳は耳にも入れず、

「――前の山は?」と、左右に訊いた。

「前なるは、当陽県の水、うしろなる山は景山といいます」

 ひとりが答えると、さらばそこまでいそげと、婦女老幼の群れには趙雲を守りにつけ、殿軍には張飛をそなえて、さらに落ちのびて行った。

 秋の末――野は撩乱の花と丈長き草におおわれていた。日もすでに暮れかけると、大陸の冷気は星を研き人の骨に沁みてくる。啾々として、夜は肌の毛穴を凍らすばかりの寒さと変る。

 真夜中のころである。

 ふいに、人の哭きさけぶ声が、曠野の闇をあまねく揺るがした。――と思うまに、闇の一角から、喊声枯葉を捲き、殺陣は地を駆って、

「玄徳を逃がすな」

 と、耳を打ってきた。

 あなや! とばかり玄徳は刎ね起きて、左右の兵を一手にまとめ、生命をすてて敵の包囲を突き破った。

「わが君、わが君。――はやく東へ」

 と、教えながら、防ぎ戦っている者がある。見れば、後陣の張飛。

「たのむぞ」

 あとを任せて、玄徳は逃げのびたが、やがて南のほう――長坂坡の畔にいたると、ここに一陣の伏兵あって、

「劉予州、待ちたまえ、すでにご運のつきどころ、いさぎよくお首をわたされよ」

 と、道を阻めて、名乗り立った一将がある。

 見れば、荊州の旧臣、文聘であった。彼は、義を知る大将と、かねて知っていた玄徳は、

「おう足下は、荊州武人の師表といわれる文聘ではないか。国難に当るや直ちに国を売り、兵難に及ぶやたちまち矛を逆しまにして敵将に媚び、その走狗となって、きのうの友に咬みかかるとは何事ぞ。その武者振りの浅ましさよ。それでも足下は、荊州の文聘なるか」と、罵った。

 ――と、文聘は答えもやらず、面を赤らめながら遠く駆け去ってしまった。次に、曹操の直臣許※「ころもへん+睹のつくり」が玄徳へ迫って来たが、その時はすでに張飛があとから追いついていたので、辛くも許※「ころもへん+睹のつくり」を追って、一方の血路を切りひらき、無二無三、玄徳を先へ逃がして、なお彼はあとに残って、奮戦していた。


 しかし、張飛の力も、無限ではない。結局、一方の敵軍を、喰い止めているに過ぎない。

 その間に、なおも、玄徳を目がけて、

「遁さじ」

「やらじ」

 と、駆け追い、駆け争って来る敵は、際限もなかった。逃げ落ちて行く先々を、伏兵には待たれ、矢風は氷雨と道を横ぎり、玄徳はまったく昏迷に疲れた。睫毛も汗に濡れて、陽も晦い心地がした。

「ああ。――もう息もつけぬ」

 われを忘れて、彼は敢て馬からすべり降りた。五体は綿のごとく知覚もない。

「……おお」

 見まわせば、つき従う者どもも、百余騎しかいなかった。彼の妻子、老少を始め、糜竺、糜芳、趙雲、簡雍そのほかの将士はみな何処で別れてしまったか、ことごとく散々になっていたのである。

「百姓たちはどうしたか。妻子従者の輩も、一人も見えぬは如何にせしぞ。たとい木石の木偶なりと、これが悲しまずにおられようか」

 玄徳はそういって、涙を流し、果ては声をはなって泣いた。

 ――ところへ……糜芳が満身朱にまみれて、追いついてきた。身に立っている矢も抜かず、玄徳の前に膝まずいて、

「無念です。趙雲子龍までが心がわりして、曹操の軍門に降りました」

 と、悲涙をたたえて訴えた。

「なに、趙雲が変心したと?」玄徳は、鸚鵡返しに叫んだが、すぐ語気をかえて、糜芳を叱った。

「ばかなことを! 趙雲とわしとは、艱難を共にして来た仲である。彼の志操は清きこと雪の如く、その血は鉄血のような武人だ。わしは信じる。なんで彼が富貴に眼をくらまされて、その志操と名を捨てよう!」

「いえいえ、事実、彼が味方の群れを抜けて、まっしぐらに、曹軍のほうへ行くのを、この眼で見届けました。確かに見ました」

 すると、横合いから、

「さてこそ。ほかにもそれを、見たという声が多い」

 と、呶鳴って、糜芳のことばを、支持したものがある。

 殿軍を果たして、今ここへ、追いついてきた張飛だった。

 気の立ッている張飛は、眦を裂いていう。

「よしっ。もう一度引っ返して、事実とあれば、趙雲を一鎗に刺し殺してくれねばならん。君にはどこぞへ身をかくして、しばしお体をやすめていて下さい」

「否々。それには及ばぬ、趙雲は決してこの玄徳を捨てるような者ではない。やよ張飛、はやまったこと致すまいぞ」

「何の! 知れたものではない」

 張飛はついにきかなかった。

 二十騎ばかりの部下をひきつれ、再びあとへ駆けだして行く。すると一河の水に、頑丈な木橋が架かっていた。

 長坂橋――とある。

 橋東の岸に密林があった。張飛は部下に何かささやいて、二十騎を林にかくした。部下は彼の策に従って、おのおの馬の尾に木の枝を結いつけ、がさがさと林の中をのべつ往来していた。

「どうだ、この計りごとは。まさか二十騎とは思うまい。四、五百騎にも見えようが」

 ほくそ笑みして、彼はただ一人、長坂橋の上に馬を立てた。そして大矛を小脇に横たえ、西のほうを望んでいた。

 ――ところで、噂の趙雲は、どうしたかというに。

 彼は襄陽を立つときから、主君の眷属二十余人とその従者や――わけても甘夫人だの、糜夫人だの、また幼主阿斗などの守護をいいつけられていたので、その責任の重大を深く感じていた。

 ところが、前夜の合戦と、それからの潰走中に、幼主阿斗、二夫人を始め、足弱な老幼は、あらかた闇に見失ってしまったのである。

 趙雲たるもの、何で、そのまま先を急がれよう、彼は、血眼となって、

「君にお合せする顔はない」

 と、夜来、敵味方の中を、差別なく駈けまわって、その方々の行方をさがしていたのだった。


 面目――面目――何の面目あってこのまま主君にまみえん?

「生命のある限りは」

 と、趙雲は、わずか三十余騎に討ちへらされた部下と共に、幾たびか敵の中へ取って返し、

「二夫人は何処? 幼君はいずれにおわすぞ」

 と、狂気のごとく、尋ねまわっていた。

 そうして、四方八面、敵味方の境もなく、馳けめぐっている野にはまた、数万の百姓が、右往左往、或いは矢にあたり、石に打たれ、または馬に蹴られ、窪に転び落ちなど、さながら地獄図のような光景を描いていた。親は子を求め、子は親を呼び、女は悲鳴をあげて夫を追い、夫は狂奔して一家をさがし廻るなどと、その声は野に満ち、天をおおうばかりである。

「――やっ? 誰か」

 草の根に血は溝をなして流れている。趙雲はふと見たものに、はっとして駒を下りた。

 うっ伏している武者がある。近づいて抱き起してみると、味方の大将、簡雍であった。

「傷は浅いぞ、おうッいッ、簡雍っ――」

 簡雍は、その声に、意識づいて、急にあたりを見廻した。

「あっ、趙雲か」

「どうした? しっかりせい」

「二夫人は? ……。幼主、阿斗の君は、どう遊ばされたか?」

「それは、俺から聞きたいところだ。簡雍、おぬしはここまでお供してきたのか」

「むむ、これまで来ると、一彪の敵軍につつまれ、俺は敵の一将を討ち取って、お車の側へすぐ引っ返してきたが、時すでに遅しで」

「や。生擒となられたか」

「いや二夫人には、阿斗の君を抱き参らせて、お車を捨て、乱軍の中を、逃げ走って行かれたと――部下のことばに、すわご危急と、おあとを追って行こうとした刹那、流れ矢にあたったものか、後ろから斬りつけられたのか……その後は何もわからない、思うに、気を失っていたとみえる」

「こうしてはおられぬ。――簡雍、おぬしは君のおあとを慕って急げ」

 と、趙雲は彼を扶けて、駒の背に掻い上げ、部下を付けて先へ送らせた。

 そして、彼自身は、

「たとえ、天を翔け、地に入るとも、ご眷族の方々を探し当てぬうちは、やわか再び、君のご馬前にひざまずこうぞ」と、いよいよ、鉄の如き一心をかためて、長坂坡のほうへ馬を飛ばしていた。

 一隊の兵がうろうろしていた。手をあげて、

「趙将軍。趙将軍」と、彼を見かけて呼ぶ。

 それは、車をおす役目の歩卒たちである。趙雲は、振り向きざま、

「夫人のお行方を知らぬか」と、たずねた。

 車兵はみな指を南へさして、

「二夫人には、お髪をふりさばき、跣足のままで、百姓どもの群れにまじり、南へ南へ、人浪にもまれながら逃れておいでになりました」と、悲しげに訴えた。

「さては」と趙雲は、なおも馬を飛ばすこと宙を行くが如く、百姓の群れを見るごとに、

「二夫人はおわさぬか。幼君はおいでないか」と、声を嗄らしながら馳けて行った。

 するとまた、数百人の百姓老幼の一群に会った。趙雲が馬上から同じことばを声かぎりくり返すとわっと泣き放ちながら、馬蹄の前に転び伏した人がある。

 甘夫人であった。

 趙雲は、あなやと驚いて、鎗を脇に挟んで鞍から飛びおりざま、夫人を扶け起して詫びた。

「かかる難儀な目にお遭わせ申しましたのも、まったく臣の不つつかが致したこと、何とぞお怺えくださいまし。してしてまた、糜夫人と阿斗の君のお二方には、何処においで遊ばしますか」

「若君や糜夫人とも、初めはひとつに逃げのびていたが、やがて一手の敵兵に駈け散らされ、いつかはぐれてしもうたまま……」

 涙ながら甘夫人が告げているまに、辺りの百姓たちはまた、騒然と群れを崩して、蜘蛛の子のように逃げ出した。


 曹仁の旗下で、淳于導という猛将があった。

 この日、玄徳を追撃する途中、行く手に立ちふさがった糜竺と戦い、遂に糜竺を手捕りにして、自身の鞍わきに縛りつけると、

「きょう第一の殊勲は、玄徳をからめ捕ることにあるぞ。玄徳との距離はもう一息」

 と、淳于導はなおも勢いに乗って、千余の部下を励ましながら、驟雨の如くこれへ殺到してきたものだった。

 逃げまどう百姓の群れには眼もくれず、淳于導は、趙雲のそばへ駆け寄ってきた。玄徳の一将と見たからである。

「やあ、生捕られたは、味方の糜竺ではないか」

 趙雲は、その敵と鎗をまじえながら、驚いて叫んだ。

 猛将淳于導も、こんどの相手は見損っていた。かなわじと、あわてて馬の首をめぐらしかけた刹那、趙雲のするどい鎗は、すでに彼の体を突き上げて、一旋! 血を撒きこぼして、大地へたたきつけていた。

 残る雑兵輩を追いちらして、趙雲は糜竺を扶けおろした。そして敵の馬を奪って、彼を掻き乗せ、また甘夫人も別な駒に乗せて、長坂橋のほうへ急いだ。

 ――と。

 そこの橋の上に、張飛が馬を立てていた。さながら天然の大石像でも据えてあるような構えである。ただ一騎、鞍上に大矛を横たえ、眼は鏡の如く、唇は大きくむすんで、その虎髭に戦々と微風は横に吹いていた。

「やあっ。それへ来たのは、人間か獣か」

 いきなり張飛が罵ったので、趙雲もむッとして、

「退がれっ。甘夫人の御前を――」と、叱りとばした。

 張飛は、彼のうしろにある夫人の姿に、初めて気がついて、

「おお、趙雲。貴様は曹操の軍門に降伏したわけじゃなかったのか」

「何をばかな」

「いや、その噂があったので、もしこれへ来たら。一颯のもとに、大矛の餌食にしてやろうと、待ちかまえていたところだ」

「若君と二夫人のお行方をたずね、明け方から血眼に駆けまわり、ようやく甘夫人だけをお探し申して、これまでお送りしてきたのだ。して、わが君には?」

「この先の木陰にしばしご休息なされておる。君にも、幼君や夫人方の安否をしきりとお案じなされておるが」

「さもあろう。では張飛。ご辺は甘夫人と糜竺を守って、君の御座所まで送りとどけてくれ。それがしは、またすぐここから取って返して、なお糜夫人と阿斗の君をおたずね申してくる」

 云い残すや否や、趙雲は、ふたたび馬を躍らせて、単騎、敵の中へ駆けて行った。

 すると彼方から十人ほどの部下を従えた若い武者が、ゆったりと駒をすすめて来た。背に長剣を負い、手に華麗な鎗をかかえている容子、然るべき一方の大将とは、遠くからすぐ分った。

 趙雲はただ一騎なので、近づくまで、先では、敵とも気がつかなかったらしい。不意に名乗りかけられて若武者はひどく驚愕した。従者もいちどに趙雲をつつんだが、もとより馬蹄の塵にひとしい。たちまち逃げ散ってしまい。その主人たる若武者は、あえなく趙雲に討たれてしまった。

 その際、趙雲は、

「や。いい剣を持っている」と、眼をつけたので、すぐ死骸の背から剣を奪りあげてあらためてみた。

 剣の柄には、金を沈めて、青※「金+工」(せいこう)の二字が象嵌されている。――それを見て、初めて知った。

「あ。この者が、曹操の寵臣、夏侯恩であったか」――と。

 伝え聞く、侯恩は、かの猛将夏侯惇の弟であり、曹操の側臣中でも、もっとも曹操に愛されていた一名といえる。――その証拠には曹操が秘蔵の剣「青※「金+工」・倚天」の二振りのうち、倚天の剣は、曹操みずから腰に帯していたが、青※「金+工」の剣は、侯恩に佩かせて、

「この剣に位負けせぬほどな功を立てよ」

 と、励ましていたほどである。


 青※「金+工」の剣。青※「金+工」の剣。

 趙雲は狂喜した。

 かかる有名な宝剣が、はからずも身に授かろうとは。

「これは、天授の剣だ」

 背へ斜めにそれを負うやいな、趙雲はふたたび馬へ跳びのって、野に満つる敵の中へ馳駆して行った。

 そのとき曹操の軍兵はすでに視野のかぎり殺到していた。逃げおくれた百姓の老幼や、離散した玄徳の兵を、殺戮して余すところがない。

趙雲は義憤に燃ゆる眦をあげて、

「鬼畜め」

 むらがる敵を馬蹄の下に蹂躙しながら、なおも、声をからして、

「お二方あっ。お二方はいずこに」

 と、糜夫人と幼主阿斗の行方を尋ねまわっていた。

 すでに八面とも雲霞の如き敵影だったが、彼は還ることを忘れていた。すると、傷を負って、地に仆れていた百姓の一人が、むくと首を上げて、彼へ叫んだ。

「将軍将軍。その糜夫人かも知れませんよ。左の股を敵に突かれ、彼方の農家の破墻の陰へ、幼児を抱いて、仆れている貴夫人があります。すぐ行ってごらんなさい。つい今し方のことですから」

 指さして教え終ると、そのまま百姓は息が絶えた。

 趙雲は、飛ぶが如く、彼方へ駆けて行った。なかば兵火に焼かれたあばら家が、裏の墻と納屋とを残して焦げていた。馬をおりて、そこかしこを見まわしていると、破墻の陰で、幼児の泣き声がした。

「おうっ、和子様っ」

 彼の声に、枯草をかぶって潜んでいた貴夫人は、児を抱いたまま逃げ走ろうとした。しかし身に深傷を負っているとみえて、すぐばたりと仆れた。

「糜夫人ではありませんか。家臣の趙雲です。お迎えに来ました。もうご心配はありません」

「……おお、趙雲でしたか。……うれしい。どうか、和子のお身をわが良人のもとへ、つつがなく届けて下さい」

「もとよりのこと。いざ、あなた様にも」

「いいえ! ……」

 彼女は、強くかぶりを振った。そして阿斗の体を、趙雲の手へあずけると、急に、張りつめていた気もゆるんだか、がくとうつぶして、

「この痛手、この痛手。……たとえふたたび良人のもとへ還っても、もう妾の生命はおぼつかない。もし妾のために、将軍の馬を取ったら、将軍は和子を抱いて、敵の中を、徒歩で行かねばならないでしょう。……もうわが身などにかまわず、少しも早く和子のお身をこの重囲の外へ扶け出して下さい。それが頼みです。臨終の際のおねがいです」

「ええ! お気の弱い! たとえ馬はなくとも、趙雲がお護りして行くからには」

「オオ……喊の声がする。敵が近づいて来るらしい。趙雲、何でそなたは、大事な若君を預りながら、なお迷っているか。早くここを去ってたも。……妾などは見捨てて」

「どうして、あなた様おひとりを、ここに残して立去れましょう。さ、その馬の背へ」

 駒の口輪を取って引き寄せると、糜夫人は突如身をひるがえして、傍らの古井戸の縁へ臨みながら、

「やよ趙雲。その子の運命は将軍の手にあるものを。妾に心をかけて、手のうちの珠を砕いてたもるな」

 云うやいな、みずから井戸の底へ、身を投げてしまった。

 趙雲は、声をあげて哭いた。草や墻の板を投げ入れて、井戸をおおい、やがて甲の紐をといて、胸当の下に、しっかと、幼君阿斗のからだを抱きこんだ。

 阿斗は、時に、まだ三歳の稚さであった。


 阿斗を甲の下に抱いて、趙雲が馬にまたがると、墻の外、附近の草むらなどには早、無数の歩兵が這い寄って、

「この内に、敵方の大将らしいのがいる」

 と、農家のまわりをひしひしと取巻いていた。

 ――が、趙雲は、ほとんど、それを無視しているように、馬の尻に一鞭加え、墻の破れ目から外へ突き出した。

 曹洪の配下で晏明という部将がこれへきた先頭であった。晏明はよく三尖両刃の怪剣を使うといわれている。今や趙雲のすがたを目前に見るやいな、それを揮って、

「待てっ」と、挑みかかったが、

「おれをさえぎるものはすべて生命を失うぞ」

 と、趙雲の大叱咤に、思わず気もすくんだらしく、あっとたじろぐ刹那、鎗は一閃に晏明を突き殺して、飛電のごとく駆け去っていた。

 しかし行く先々、彼のすがたは煙の如く起っては散る兵団に囲まれた。馬蹄のあとには、無数の死骸が捨てられ、悍馬絶叫、血は河をなした。

 時に、一人の敵将が、背に張※「合+おおざと」(ちょうこう)と書いた旗を差し、敢然、彼の道をふさいで、長い鎖の両端に、二箇の鉄球をつけた奇異な武器をたずさえて吠えかかってきた。それは驚くべき腕力と錬磨の技をもって、二つの鉄丸をこもごも抛げつけ、まず相手の得物をからめ取ろうとする戦法だった。

「しまった」と、さしもの趙雲も、この怪武器には鎗を奪られ、さらに応接の遑もないばかり唸り飛んでくる二箇の鉄丸にたじたじと後ずさった。

(――今は強敵と戦って、功を誇っている場合ではない。若君のお身をつつがなく主君へお渡し奉るこそ大事中の大事)

 そう気づいたので趙雲は、急に馬を返して、張※「合+おおざと」の猛撃を避けながら馳け出した。

 と、見て、張※「合+おおざと」は、

「口ほどもない奴、それでも音に聞ゆる趙雲子龍か。返せっ」

 と、悪罵を浴びせながらいよいよ烈しく追ってきた。

 趙雲の武運がつきたか、ふところにある阿斗の薄命か。――あッと、趙雲の声が、突然、埃につつまれたと思うと、彼の体は、馬もろとも、野の窪坑におち転んでいた。

「得たりや」と、張※「合+おおざと」はすぐ馬上から前かがみに、一端の鉄丸を抛りこんだ。ところが、鉄丸は趙雲の肩をそれて坑口の土壁にぶすッと埋まった。

 次の瞬間に、張※「合+おおざと」の口から出た声は、ひどく狼狽した叫びだった。粘土質の土壁に深く入ってしまった鉄丸は、いかに彼の腕力をもって鎖を引っ張っても、容易に抜けないからであった。

 その隙に、趙雲は躍り立って、

「天この若君を捨てたまわず、われに青※「金+工」の剣を貸す!」

 と、歓喜の声をあげながら、背に負う長剣を引き抜くやいな、張※「合+おおざと」の肩先から馬体まで、一刀に斬り下げて、すさまじい血をかぶった。

 後に、語り草として、世の人はみなこういった。

(――その折り、坑のうちから紅の光が発し、張※「合+おおざと」の眼がくらんだ刹那に趙雲は彼を仆した。これみな趙雲のふところに幼主阿斗の抱かれていたためである。やがて後に蜀の天子となるべき洪福と天性の瑞兆であったことは、趙雲の翔ける馬の脚下から紫の霧が流れたということを見てもわかる)

 しかし、事実は、紫の霧も、紅の光も、青※「金+工」の剣があげた噴血であったにちがいない。けれどまた、彼の超人的な武勇と精神力のすばらしさは、それに蹴ちらされた諸兵の眼から見ると、やはり人間業とは思えなかったのも事実であろう。紅の光! ――それは忠烈の光輝だといってもいい。紫の霧! ――それは武神の剣が修羅の中にひいて見せた愛の虹にじだと考えてもいい。

 ともあれ、青※「金+工」の剣のよく斬れることには、趙雲も驚いた。この天佑と、この名剣に、阿斗はよく護られて、ふたたび千軍万馬の中を、星の飛ぶように、父玄徳のいるほうへ、またたくうちに翔け去った。


 この日、曹操は景山の上から、軍の情勢をながめていたが、ふいに指さして、

「曹洪、曹洪。あれは誰だ。まるで無人の境を行くように、わが陣地を駆け破って通る不敵者は?」

 と、早口に訊ねた。

 曹洪を始め、そのほか群将もみな手を眉にかざして、誰か彼かと、口々に云い囃していたが、曹操は焦れッたがって、

「早く見届けてこい」と、ふたたび云った。

 曹洪は馬をとばして、山を降ると、道の先へ駆けまわって、彼の近づくのを見るや、

「やあ。敵方の戦将。ねがわくば、尊名を聞かせ給え」と、呼ばわった。

 声に応じて、

「それがしは、常山の趙子龍。――見事、わが行く道を、立ちふさがんとせられるか」

 と、青※「金+工」の剣を持ち直しながら趙雲は答えた。

 曹洪は、急いで後へ引っ返した。そして曹操へその由を復命すると、曹操は膝を打って、

「さては、かねて聞く趙子龍であったか。敵ながら目ざましい者だ。まさに一世の虎将といえる。もし彼を獲て予の陣に置くことができたら、たとえ天下を掌に握らないでも、愁いとするには足らん。――早々、馬をとばして、陣々に触れ、趙雲が通るとも、矢を放つな、石弩を射るな、ただ一騎の敵、狩猟するように追い包み、生け擒ってこれへ連れてこいと伝えろ!」

 鶴の一声である。諸大将は、はっと答えて、部下を呼び立てた。――たちまち見る、十数騎の伝令は、山の中腹から逆落しに駆けくだると、すぐ八方の野へ散って馬けむりをあげて行く。

 真の勇士、真の良将を見れば、敵たることも忘れて、それを幕下に加えようとするのは、由来、曹操の病といっていいほどな持ち前である。

 彼の場合は、士を愛するというよりも、士に恋するのであった。その情熱は非常な自己主義でもあり、盲目的でもあった。さきに関羽へ傾倒して、あとではかなり深刻に後悔の臍を噛んでいるはずなのに、この日また常山の子龍と聞いて、たちまち持ち前の人材蒐集慾をむらむらと起したものであった。

 趙雲にとって、また無心の阿斗にとって、これもまた天佑にかさなる天佑だったといえよう。

 行く先々の敵の囲みは、まだ分厚いものだったが、趙雲は甲の胸当の下に、三歳の子をかかえながら、悪戦苦闘、次々の線を駆け破って――敵陣の大旆を切り仆すこと二本、敵の大矛を奪うこと三条、名ある大将を斬り捨てることその数も知れず、しかも身に一矢一石をうけもせず、遂に、さしもの曠野をよぎり抜けて、まずはほっと、山間の小道までたどりついた。

 するとここにも、鍾縉、鍾紳と名乗る兄弟が、ふた手に分かれて陣を布いていた。

 兄の縉は、大斧をよくつかい、弟の紳は方天戟の妙手として名がある。兄弟しめし合わせて、彼を挟み討ちに、

「のがれぬ所だ。はやく降れ」と喚きかかった。

 さらに、張遼の大兵、許※「ころもへん+睹のつくり」(きょちょ)の猛部隊も、彼を生け擒りにせんものと、大雨のごとく野を掃いて追ってきた。

「――あれに追いつかれては」

 と、趙雲も今は、死か生かを、賭するしかなかった。

 おそらく彼にしても、この二将を斃したのが最後の頑張りであったろう。前後して縉と紳の二名を斬りすてたものの、気息は奄々とあらく、満顔全身、血と汁にまみれ、彼の馬もまたよろよろに成り果てて、からくも死地を脱することができた。

 そしてようやく長坂坡まで来ると、彼方の橋上に、今なおただ一騎で、大矛を横たえている張飛の姿が小さく見えた。

「おおーいっ。張飛っ」

 思わず声を振りしぼって彼が手をあげた時である。執念ぶかい敵の一群は、もう戦う力もない趙雲へふたたび後ろから襲いかかった。


「救えっ、救えっ張飛。おれを助けろっ――」

 さすがの趙雲も、声あげて、橋のほうへ絶叫した。

 馬は弱り果てているし、身は綿のように疲れている。しかも今、その図に乗って、強襲してきたのは、曹軍の驍将文聘と麾下の猛兵だった。

 長坂橋の上から、小手をかざして見ていた張飛は、月にうそぶいていた猛虎が餌を見て岩頭から跳びおりて来るように、

「ようしっ! 心得た」

 そこに姿が消えたかと思うと、はや莫々たる砂塵一陣、駆けつけてくるや否、

「趙雲趙雲。あとは引受けた。貴様はすこしも早く、あの橋を渡れっ」と、吠えた。

 たちまち修羅と変るそこの血けむりを後にして、趙雲は、

「たのむ」

 と一声、疲れた馬を励まし励まし、長坂橋を渡りこえて、玄徳のやすんでいる森陰までやっと駆けてきた。

「おうっ、これに――」

 と、趙雲は、味方の人々を見ると、馬の背からどたっとすべり落ちて、その惨澹たる血みどろな姿を大地にべたと伏せたまま、まるで暴風のような大息を肩でついているばかりだった。

「オッ、趙雲ではないか。――して、そのふところに抱えているのは何か」

「阿斗公子です……」

「なに、わが子か」

「おゆるし下さい。……面目次第もありません」

「何を詫びるぞ。さては、阿斗は途中で息が絶えたか」

「いや……。公子のお身はおつつがありません。初めのほどは火のつくように泣き叫んでおられましたが、もう泣くお力もなくなったものとみえまする。……ただ残念なのは糜夫人のご最期です。身に深傷を負うて、お歩きもできないので、それがしの馬をおすすめ申しましたが、否とよ、和子を護ってたもれと、ひと声、仰せられながら、古井戸に身を投げてお果て遊ばしました」

「ああ、阿斗に代って、糜は死んだか」

「井には、枯れ草や墻を投げ入れて、ご死骸を隠して参りました。その母の御霊が公子を護って下されたのでしょう、それがしただ一騎、公子をふところに抱き参らせ、敵の重囲を駆け破って帰りましたが、これこのとおりに……」

 と、甲の胸当を解いて示すと、阿斗は無心に寝入っていて、趙雲の手から父玄徳の両手へ渡されたのも知らずにいた。

 玄徳は思わず頬ずりした。あわれよくもこの珠の如きものに矢瘡ひとつ受けずにと……われを忘れて見入りかけたが、何思ったか、

「ええ、誰なと拾え」

 と云いながら、阿斗の体を、※「毬」の「求」に代えて「鞠のつくり」(まり)のように草むらへほうり投げた。

「あっ、何故に?」

 と、趙雲も諸大将も、玄徳のこころをはかりかねて、泣きさけぶ公子を、大地からあわてて抱き取った。

「うるさい、あっちへ連れて行け」

 玄徳は云った。

 さらにまた云った。

「思うに、趙雲のごとき股肱の臣は、またとこの世で得られるものではない。それをこの一小児のために、危うく戦死させるところであった。一子はまた生むも得られるが、良き国将はまたと得がたい。……それにここは戦場である。凡児の泣き声はなおさら凡父の気を弱めていかん。故にほうり捨てたまでのことだ。諸将よ、わしの心を怪しんでくれるな」

「…………」

 趙雲は、地に額をすりつけた。越えてきた百難の苦も忘れて、この君のためには死んでもいいと胸に誓い直した。原書三国志の辞句を借りれば、この勇将が涙をながして、

(肝脳地にまみるとも、このご恩は報じ難し)

 と、再拝して諸人の中へ退がったと誌してある。

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