第31話 双子の光と影(3)

 逆に言うと彼らのせいで恐怖心を植えられた亜樹を相手に、仕掛けることができないという事情もあったのだが。


 今告白しても亜樹はきっと受け入れてはくれない。


 恋愛そのものに拒絶反応を見せている。


 翔にはそう思えた。


 今の亜樹には恋愛も、それに連なることも、すべて恐怖の対象なのだ。


 口説かれでもしたら、すぐにでも逃げ出すだろうことが、容易に想像できる。


 しかし呑気に構えていたら奪われるというのは、間違いなく事実だろう。


 なのに動くに動けないというのが、偽りのない気持ちだった。


 亜樹の気持ちを無視して決断を迫るには、翔は亜樹と親しすぎたのだ。


 傷つけるくらいならと、諦めてしまう部分がある。


 杏樹はきっとそんなことにも気づいているのだろうが。


「最終的には翔お兄ちゃん次第だから、あたしからなにか言うようなことでもないけど。後悔だけはしないようにしてね?」


「‥‥‥杏樹」


「亜樹ちゃんはああ見えて結構繊細だし、今すごく心細いんだと思う。あたしは妹だからきっと頼ってはくれないだろうし。でも、わかる? 翔お兄ちゃん? 亜樹ちゃんが不安がっている今だからこそ、今、亜樹らゃんの支えになれた人は、亜樹ちゃんの心の奥深くに入り込めるってことが」


「あ‥‥‥」


 確かに前も後ろもわからない。


 右も左も見えない状態だと不安は増すばかりだろう。


 そんなときに親切にされたり、もしくは庇うような真似をされたら、その相手は否応なく亜樹の心の中に入り込むはずだ。


 だが、並大抵のことでは無理だ。


 今の亜樹は警戒心でガチガチになっていて、翔や一樹が傍にいても、全身から見えない拒絶のオーラを発しているくらいだから。


 自分の身を守るために必死になっていて、必死になって防御壁を張っている。


 今の亜樹が丁度そうだった。


 その亜樹の心に入り込み、頼ってもいいのだと思わせることは、容易なことじゃない。


 ましてや警戒する必要もないのだと教え込むことは、東都大学に入るより難しいのではあるまいか。


 だが、それをやってのけた相手だけが亜樹を手に入れることができる。


 それは事実でも本当に警戒心を解くだけで、亜樹の心が手に入るのだろうか?


 安心できる存在だと思われるだけでは、そこから先へは進めない。


 でも、ウカウカしていたら亜樹を奪われるのは必至。


 どうしろというのだろう? 手に入れるのが、これほど難しいことだとは。


「翔お気らゃんがなにを考えているのかわかるような気もするけど、亜樹ちゃんを敢えて女の子として例えさせてもらうけど、女の子は時には強引リードしてもらいたいときもあるんだよ?」


「は?」


 答えようのない言葉である。


 複雑な顔で黙り込む翔に杏樹がため息を漏らす。


「なにもね。護ることだけが亜樹ちゃんの支えになれるっでわけじゃないでしょ? 守ってくれるのは有難いけど、結局そういう関係だとそこまでで終わってしまうから。翔お兄ちゃんがそこから先へ進みたいと思っているなら、強引になることも必要なんじゃない?」


「....なんだが知らないあいだに杏樹も大人になったね。驚いたよ」


 まさか年下の女の子に恋愛論を説かれるとは思わなかった


 この分だと精神年齢は亜樹より杏樹の方が上らしい。


 女の子というのは末恐ろしい存在だ。


 まるで小悪魔。


「亜樹ちゃんは今ねえ、ある意味で隙だらけなんだよね」


「隙だらけ?」


 意外な言葉だった。


 今の亜樹ほど警戒している者はいないと思うのだが?


「見ていればわかることだけど、あのエルダ神族の三兄弟ね。あの人たちってどうも拒絶されたりして、素直に受け入れない相手ほど燃えるタチみたいなんだよね」


 そこまで深読みしているとは、女の子は本当に恐ろしい。


「だから、今の亜樹ちゃんみたいに警戒心でガチガチになって、見かけただけで威嚇するような態度は逆効果だと思う」


「なるほど‥‥‥」


 だから、隙だらけ、なわけか。


 確かに狙っている相手の好む態度を見せているなら、そう言われても無理はない。


 自分を窮地に追い込んでいるわけだから。


「それと周囲に対して見えないバリヤーを張っていて警戒しまくっているから、逆に警戒対象じゃないと思った相手には、心を許している傾向もあるし」


 このときは杏樹がなにを言いたいのかわからなかった。


 それが弟の一樹を意味しているということに。


「エルダ神族の兄弟に関しては、あたしもよくわからないけど、でも、一筋縄ではいかない相手っていうのは確かだよね。だから、亜樹ちゃんがあんまり刺激して、本気にさせないといいのにと思ってるけど‥‥‥」


「それって彼らを拒絶したりして、逆らってみせるのは逆効果で、彼らを本気にさせるだけだって言いたいのかな?」


 苦い気分で訊ねると杏樹は「うん」と頷いた。


 当事者の亜樹よりよっぽど冷静に状況を判断している。いや。当事者ではないからこそ、冷静に見極められるのか。


「後はねえ、亜樹ちゃん次第だとは思うけど、環境が激変して戸惑ってるから、今の亜樹ちゃんはかなり不安定なんだよね。だから、容易に人を受け入れないけど一度受け入れたら、上辺だけじゃなくて本心からその人を受け入れると思う。そういう意味でさっき翔お兄ちゃんに忠告したわけだけど」


「忠告は感謝してるよ。それが実行に移すのが難しいことでも」


 肩を竦めてそう言えば杏樹は苦笑した。


 杏樹の翔に対する気持ちは消えてしまったのだるろか?


 遠い日の初恋として、淡い思い出にできたのだろうか?


 だとしたら少しは罪悪感も減るのだが。


 明るく話す杏樹に一抹の不安を覚える。


 初恋の相手にどうやったら、こんな風に助言なんてできるのだろう?


 今は思い出に過ぎないとしても、好きだったことは確か。


 翔なら新しい恋の応援なんてできない。


 杏樹は相変わらずお人好しだ。


「それからね、翔お兄ちゃん。これはあたしからの幼なじみとしての忠告だよ」


「なに?」


「あのエルダ神族のリオネスって人」


「えっと。確か三兄弟の未弟だったけ?」


「そう。あの人には注意して」


「どうして?」


 不思議そうに問えば、杏樹はなんでもないことのようにこう言った。


 軽く肩など疎めて。


「だって亜樹ちゃん、あの人の前にいると一番動揺してるんだもん」


「双生児ならではの直感ってやつだね」


「それと後要注意なのはこの国の星太子のリーン・アディールって人と、翔お兄ちゃんには言いにくいけど一樹お兄ちゃんだと思う」


「一樹が?」


 意外だった。


 それをいうならリオネスにしても、リーンにしても、亜樹とは出逢ったばかりで、一番付き合いの長いのが翔なのだが。


 付き合いの長さで愛情が動くわけではないと知ってはいるが、亜樹が関心を寄せているのが、ことごとく出逢ったばかりの相手だということに、少し驚いていた。


 リーン・アディール王子に関しては知らないが、一樹とリオネスに逢ったのは、昨日が初めてだというのに、もう興味を持っている?


 彼らのなにが亜樹の興味を惹いたのか、翔はちょっと気になった。


 そんなに短時間に心に入り込んだと知らされて。


「今のあたしにわかるのはそれだけ。その三人が亜樹ちゃんにとって特別だってことだけ。後は三人の関係と亜樹ちゃんに対する接し方次第じゃないかな?」


 杏樹の言葉を信じれば翔に割り込む余地などないような気もするが、逆に言うとおそらくそれを自覚していない三人を出し抜くためのヒントを杏樹がくれたようなものである。


 彼女もそういうつもりで教えてくれたのだろう。


 亜樹がだれの前で平静を保てないかを。


「杏樹は欲がないんだね」


 不思議に思ってそういうと、杏樹は苦い笑みを見せた。


「あたしだって人並みに欲はあるよ。欲がないのは亜樹ちゃんの方。あたしはただ比較されるのが嫌なだけ。亜樹ちゃんみたいに傷付いてもいいから、正面からぶつかっていくような勇気は、あたしにはないの」


 俯いた杏樹がなにを責めているのかは翔にもわからなかった。


 ただ彼女も女の子なのだと、改めてそう思った。


 どんなに強く見えても、誰かに頼りたいと思っている、ひとりの女の子なのだと。


「杏樹は可愛くなったね」


 本心からそう言うと杏樹は顔を真っ赤に染めた。


 自分たちがこれからどうなっていくのか、それは翔にもわからない。


 亜樹の心が誰に向かうのかすら謎のまま。


 それでも時は流れ、人の心も変わっていくだろう。


 そのことを噛み締めていた。

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