第18話

「……小塚?」


 無意識のうちに蒲田は呟いていた。その瞬間、小塚も蒲田の正体に気づいたらしく、怒りに歪められた顔がみるみる蒼白になっていく。


 蒲田は小塚に近づこうとしたが、それより早く小塚が後ずさった。踵を返し、転がるようにして信号の点滅する横断歩道を駆けて行く。


「待て!」


 蒲田は猛然と小塚の後を追った。途中で信号が赤に鳴り、何台かの車がクラクションを鳴らしたが、構わなかった。小塚は風のように歩道を通り過ぎ、通行人が何事かという顔で立ち止まる。蒲田は彼らに向かって叫んだ。


「そいつを捕まえてくれ! 指名手配中の連続強盗犯だ!」


 その言葉を聞いた瞬間、通行人達の顔がたちまち青ざめ、さっと身を引いて小塚の逃走を許してしまった。だが中には勇敢な者もいて、男性が何人か加勢して小塚を捕まえようとした。それでも小塚はすばしっこく、彼らの間を縫うようにして逃走を続けている。蒲田もそのうち息が上がってきて、小塚との距離は瞬く間に離されていく。


(くそっ、近くに交番があればそこまで追い詰めることもできるが……)


 頭の中で付近の地図を描くが、交番は駅の反対側にある。追い詰める前に逃げられてしまうだろう。


(どうすればいい……。こんなところで、奴を逃がすわけには……!)


 だが、そこで蒲田に救いの手が差し伸べられた。近くにいた主婦らしき女性が声をかけてきたのだ。


「ねぇ、あんたお巡りさん? さっきの男、あっちの方に逃げてったわよ」


 女性はそう言って右手を指差した。商店街の店と店の間に細い路地が見える。


「あそこ、1つ先の通りに繋がってるんだけど、通りの両側の入口を工事してるのよ。だから向こう側の通りに行っても出られないの。そこであの男捕まえられるんじゃない?」


 蒲田は1つ先の通りを思い浮かべた。ブティックやらケーキ屋やらが立ち並ぶ通りには、確かに入口の工事をするという看板が出ていた。入口が閉鎖されているだけで、通りにある店自体は営業しているが、逃亡ルートとしては適さない。


(自ら袋小路に入るとは……どうやら悪運も尽きたようだな)


 蒲田は女性に礼を言うと、自分も路地を抜けて1つ先の通りへと駆けて行った。


 


 路地を抜けると、通りの真ん中で立ち往生している小塚の姿が目に入った。今は休憩中なのか、工事のやかましい音は聞こえないが、それでも両の入口に鎮座する重機がしっかりと入口を塞いでいる。蒲田が路地から現れたのに気づくと、小塚ははっと息を呑んで店の方に後ずさった。


「さぁ、鬼ごっこは終わりだ。観念して逮捕されるがいい」


 蒲田が小塚に一歩近づいて言った。小塚が歯噛みして蒲田を睨みつける。


「くそっ、何で俺がサツなんかに……!」


「いつまでも警察を出し抜けるとは思わんことだ」蒲田が手厳しい口調で言った。「お前は自分の力に自惚れ、絶対に捕まらないと高を括っていたのかもしれんが、そんなものはただのまやかしだ。たとえ時間がかかっても、警察は必ず犯罪者を捕まえる。誰も俺達の手から逃れることはできんのだ」


 蒲田はそう言ってもう一歩小塚に近づいた。小塚は逃げ道を探しているのか、忙しなく視線を左右させているが、蒲田は一秒たりとも小塚に自由を許すつもりはなかった。


「詳しい話は、署でゆっくりと聞くことにしよう。凶悪な犯罪者にいつまでも付近をうろつかれては、この辺りの店も迷惑だろうからな」


 蒲田は小塚から目を離さずに言うと、ジャケットのポケットに入れていた手錠を取り出そうとした。公務以外で手錠を持ち歩くのは禁止されているが、「いつどこで犯罪者と出会うかわからない」という竹部の教えを実行したものだった。規律違反をしていることには気が咎めたが、まさか本当に役立つ時が来るとは。


 小塚はようやく観念したのか、がっくりと首を垂れている。大胆不敵な連続強盗犯の正体が、こんな軽薄な若者だという事実に蒲田は驚きを禁じ得なかった。安易な金儲けに走り、軽々と法を破るとは情けない。刑務所で一から教育し直してやらねばならないだろう。蒲田はそんなことを思いながら小塚に手錠をかけようとした。





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