第6話

 それから2週間後の日曜日、蒲田は花荘院と連れ立ってデパートの展覧会に来ていた。それは生け花の展覧会で、花荘院流とは別の一派が開催しているものだった。花荘院から誘いを受けたのが三日前のことで、蒲田は特に関心はなかったのだが、他に用事もなかったので付き合うことにしたのだ。


「しかしまぁ、三十路の男2人で花を見に来るとは、何とも奇妙な光景だな」


 周囲を見回しながら蒲田が呟いた。展覧会に来ているのはいずれも中年の主婦ばかりで、仏頂面の男2人が連れ立って歩く姿は嫌でも目立っていた。


「花を愛でるのに年齢や性別は関係ない」花荘院が言った。「お前はただでさえ、死体や犯罪者に囲まれた殺伐とした生活を送っているのだからな。荒んだ精神をこの場で癒すのもよかろう」


「ふん……。俺の枯れ切った心が、花1つで慰められるとも思えんがな」


 2人はいつものように悪態をつきながら展示品を見て回った。花荘院によれば、今回の展覧会を開催したのは鴻池こうのいけ流という一派らしく、華道の世界では花荘院流と並ぶ二大勢力とのことだった。もっとも、流派ごとの作風の違いなど、蒲田には露ほどもわからなかったのだが。


「しかし、どうにも解せんな」蒲田が呟いた。「自分の流派ならまだしも、何故わざわざ金を払って敵の作品を見に来る必要がある?」


「次郎、お前はわかっておらん」花荘院がかぶりを振った。「己が流儀にこだわることは井の中のかわずも同じ。敵手の作品を観察すればこそ、新たな知見が生まれることもある。父も日頃から言っている。『観よ、そして修めよ』とな」


「それは何とも……ご立派な考えだな」


 蒲田は鼻を鳴らして言った。

 総十郎の父である花荘院門左衛門かそういんもんざえもんは花荘院流の家元で、新聞にも取り上げられたことのある有名人だ。いかにも謹厳さと貫録を漂わせる老人で、その威圧感と厳しい指導から、1ヶ月と経たずに逃げ出す門下生が後を絶たないそうだ。


 そんな父親の下で、花荘院はかれこそ10年間以上修行を続けている。父からも信頼を得ているようで、近い将来、彼が家元になることは間違いなかった。ただし、それよりも蒲田が気になっているのは、総十郎以上に時代錯誤な父親の名前の方なのだが。


 その後、蒲田達はしばらく無言で作品を見て回った。9月ということもあり、秋の花が使われている作品が大半だった。桔梗ききょう竜胆りんどう女郎花おみなえし……。花荘院が一つ一つ説明してくれたが、蒲田の頭には全く入ってこなかった。


「やれやれ、花というのも随分種類があるもんだな」蒲田が息をついた。「だが、俺には全て同じにしか見えん。菊の花は見慣れているからわかるが」


「これほど多種多様な花々を十把一絡じっぱひとからげにするとは……やはりお前は感性が足りんな」花荘院が嘆かわしそうに首を振った。「本当に判別できぬのか? 例えばこの花はどうだ?」


 花荘院がそう言って前方の作品を指し示した。それは桃色の小さな花で、花弁に切れ込みを入れたように先端が細かく分かれている。蒲田は目を細めてその花を見つめたが、やがてかぶりを振って言った。


「残念だがさっぱりわからん。色だけみれば秋桜こすもすのようにも見えるが」


「確かに似ているが、これは秋桜ではない。撫子なでしこだ」


「撫子?」


「あぁ。秋の七草の一種で、見ての通り、細い糸を集めたような花弁に特徴がある。繊細で可憐な印象から、慎ましやかな女性の比喩として使われることもある。色によって花言葉が違い、桃色の花は『純粋な愛』だ」


「純粋な愛、ねぇ………」


 俺達には縁のない言葉だな、と思いながら蒲田は呟いた。花荘院の口舌は続いている。


「大和撫子、という言葉を聞いたことがあるだろう。あれは、奥ゆかしく美しい日本人女性を形容する言葉だ。もっとも、今ではそうした女性も少なくなってしまったが」


「まったくだ」蒲田が力強く頷いた。「最近の女どもと来たら、所かまわずくっちゃべるばかりで奥ゆかしさの欠片もない。こちらが何か注意しようものなら10倍にして返してくるから手に負えん」


 蒲田が額に手を当てて言った。最近雇った若い女の事務員がまさにそのタイプで、茶を入れてくれと頼んだだけでもセクハラだと訴えてくるのだ。仕事を全くしないわけではないのでクビにすることもできず、上司共に手をこまねいている状態だった。


「私のところに来る女性達も似たようなものだな」花荘院が言った。「近頃、メディアに若い男の華道家が出演しているようで、その影響で主婦の生徒が増えている。彼女達は作品の完成よりも自分達のお喋りに熱心でな。受講料を徴収している以上無下にするわけにもいかず、対応に苦慮しているところだ」


 花荘院流は『市民に開かれた華道』を目指しており、門下生以外にも一般の受講生を募っている。講師は門左衛門ではなく数名の弟子が務めており、総十郎もその一人だった。


「その連中、実はお前が目当てじゃないのか?」蒲田があてこするように言った。「中年の主婦からすれば、お前もまだまだ若造だ。目の保養としてはうってつけなんだろう」


「……何を馬鹿な。私はそのようなことは……」


「あら、そこにいるのって、もしかして花荘院先生!?」


 背後から急に甲高い声がして、二人は驚いて振り返った。パンフレットを持った中年の女性5、6人が、目を輝かせて花荘院の方を見ている。


「やっぱりそう! 紋付なんて着てる人珍しいから、もしかしてって思ったんだけど、こんなとこでお会いできるなんて感激だわぁ!」


「写真でも素敵だって思ってたけど、実物の方がずっと渋いわねぇ! あたし、鴻池流の教室に通おうと思ってたんだけど、やっぱり先生の方にしようかしら!」


「あ、ずるい! あたしは最初から先生のとこに通うつもりだったのよ! ねぇ先生、追加料金払うから、マンツーマンで指導してくださらない?」


 女性達はあっという間に花荘院を取り囲み、黄色い声を上げて騒ぎ立てている。さすがの花荘院もたじろいでおり、助けを求めるように蒲田の方を見たが、蒲田は作品を眺めて気づかない振りをした。


(普段は世捨て人のような生活をしているあいつのことだ。たまには俗世間に揉まれるのも悪くないだろう)


 蒲田は意地悪くそう考えた。花荘院が一部の中年女性の間で人気があることは知っていた。若い女性相手では畏怖を与える渋面や貫禄も、更年期を迎えた女性には渋さと色気を感じさせるらしい。

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