第5話

 会議と捜査を終え、蒲田と竹部は辟易した身体を引き摺って居酒屋へと向かった。竹部の行きつけという店に案内され、カウンターに二人並んで腰掛ける。狭い店内にはどこもかしこもサラリーマンの姿が見られ、皆仕事終わりの一杯を楽しんでいるのか、がやがやとした笑い声があちこちで飛び交っている。昨日の店とは随分雰囲気が違う。やはりあいつは趣味がいいな、と蒲田は内心で独り言ちた。


「やれやれ、結局今日も何の進展もなかったな」


 竹部がビールのジョッキを片手に大きなため息をついた。すでに3杯目だ。いつもよりペースが速い。


「前回の犯行からすでに一週間が経っています。そろそろ次の事件が起こってもおかしくない。そうなる前に何とかホシを逮捕できればいいのですが」


 蒲田が声を潜めて言った。どこで誰が聞いているかわからない以上、捜査の情報を声高に話すわけにはいかない。


「まぁな。だが考えようによっちゃ、むしろ次の事件を起こしてくれた方が有難いとも言える。調子づいたホシがヘマをやらかさないとも限らないからな」


 竹部が真顔でそんなことを言うので、蒲田は思わず眉を顰めた。


「警部……。失礼を承知で申し上げますが、その発言はいかがなものかと思いますよ。我々の仕事は犯罪を未然に防ぐことであって、犯罪の発生を望むなど……」


「あぁわかったわかった。ったく、ほんの冗談だってのに、お前は相変わらず頭が固いよなぁ」


 竹部がうっとうしそうに手を振った。蒲田は憮然として黙り込む。


「そういやぁ、頭が固いってんで思い出したが、蒲田お前、やっぱり結婚する気はないのか?」


 竹部が徐に尋ねてきた。ジョッキに口をつけていた蒲田は、思わずビールを吹き出しそうになった。


「……随分唐突ですね」蒲田が咳き込みながら言った。「警部に結婚の話題を申し上げたことはなかったと思うのですが」


「なに、俺ほどの立場になりゃあ、どっからでも情報は入ってくるんだよ」竹部がにやりと笑って自慢げに胸を反らせた。「知ってるぜ? お前、同僚の奴らからの合コンの誘いを全部断ってるそうじゃねぇか。一課の刑事だって言やぁ女の食いつきだって段違いだろうに、何でそこまで禁欲的なんだ?」


「……私は色事に関心はありませんから」蒲田が静かに首を振った。「私は悪人を逮捕し、住民が平和に暮らせる社会を作るために刑事になりました。他の連中のように遊んでいる暇はないのです」


「はぁ。ご立派なこったねぇ」竹部が半ば呆れた口調で言った。「だがよ、お前、一生独り身でいるつもりか? 誰もいねぇ墓に入るほど寂しいことはないぜ?」


「孤独には慣れていますから」蒲田がふっと息を漏らした。「私はこの見た目と性格ですから、昔から1人でいることが多かったんです。唯一の友人は昨日会った男くらいです。そんな私が、女性から愛されようなどと烏滸おこがましい考えでしょう」


「そうかねぇ。ことわざにもあるじゃねぇか。たで食う虫も好き好きってさ。お前みたいな堅物を好きになる女もどっかにいるとは思うがなぁ」


 竹部が小指で耳を穿ほじりながら言った。昨日、花荘院も同じような発言をしていたことを思い出し、蒲田は思わず苦笑を漏らした。自分に全くその気はないのに、どうして皆寄ってたかって結婚の心配をするのだろう。


「警部の方のご家庭はいかがですか?」蒲田が話題を転じた。「娘さん、確か今年から小学校に進学されたのでしたね?」


「おお、そうだそうだ」竹部が相好を崩した。「それがよ、最初は行くのをぐずっててな。『パパとずっとお家にいる!』とか言ってなかなか家から出なかったんだ。でも、友達が出来てからは手のひら返したみたいにさっさと登校するようになってな。俺が靴履くのに手間取ってたら、『パパ、邪魔!』とか言ってくるんだぜ。まったく世知辛いよなぁ」


 竹部はぼやいたが、その顔を見れば、娘が可愛くて仕方がないことは明らかだった。

 竹部は1年前に妻を亡くしており、それ以来男手一つで娘を育てている。刑事の仕事と子育てを両立するのは並大抵のことではなく、近所に住む自分の両親の手を借りて何とか生活を成り立たせているようだ。それでも子煩悩なことには変わりなく、部下を捕まえては子どもの写真を見せびらかし、娘がどれほど可愛いかを自慢して回っていた。


「なぁ蒲田、家庭を持つってのもいいもんだぜ」竹部が言った。「ろくでもない犯罪者相手にクタクタになっても、家に帰って娘の顔を見りゃあ疲れも吹き飛ぶってもんだ」


「話を聞いている限りは羨ましいですが、自分に同じ真似が出来るとは思えませんね」蒲田が残念そうにかぶりを振った。「子どもを持つ以前に、私の妻になってくれる女性が見つかるとは思えません」


「ふむ。お前がその気なら俺が探してやってもいいぜ。手始めに交通課の婦警どもに声をかけてみるか……」


 竹部が真剣な表情で考え込み始めたので、蒲田は慌てて空になった竹部のジョッキにビールを注いだ。新しく注がれたビールを竹部は勢いよく煽り、それからまた娘の自慢話を始めたので、蒲田はほっと息をついた。


(まったく……この人のお節介ぶりにも困ったものだ。結婚など、俺は少しも望んでいないというのにな)


 自分もグラスにビールを注ぎながら、蒲田は内心で独り言ちた。

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