第3話

 翌日、蒲田は警視庁の廊下を大股で歩いていた。二日酔いなのか、少しばかり頭が痛い。普段の蒲田は酒に強く、翌朝まで酒が残ることはないのだが、昨日は些か飲み過ぎてしまったようだ。旧友と久しぶりに再会し、話に花が咲いたせいだろうか。


「やー、蒲田君じゃない」


 蒲田が頭を押さえながら歩いていると、後ろから能天気な声が聞こえた。振り返ると、古ぼけた庁舎には似合わない高級スーツを着込んだ男が廊下を闊歩してくるのが見えた。


「……小宮山管理官」


 蒲田は姿勢を正して小宮山に敬礼した。

 小宮山哲郎こみやまてつろう。36歳という若さで管理官のポストまで登りつめた、署内では知らぬ者のいないエリート刑事だ。長躯を包むスリーピースのスーツは一目でオーダーメイドであることがわかり、革靴は新品のようにぴかぴかに磨き上げられている。外出時はこの服装の上にロングコートと中折れ帽、それにステッキを合わせており、その姿は刑事というより英国紳士にしか見えなかった。そんな外見にもかかわらず口調は気さくで、エリートさを鼻にかけることもなく誰にでも分け隔てなく接している。


「あぁ、そんなに硬くならなくていいよ」小宮山がにこやかに言った。「僕、上下関係とかあんまり気にしないからさ」


「そうはおっしゃいましても……相手は管理官ですから。同僚と話すような口調でお話するわけには参りません」


「そう? ま、そういう律儀な性格も君のいいところだと思うけどね」


 小宮山はそう言って蒲田の眼前で立ち止まった。管理官ほどのポストにある小宮山が、ヒラ刑事に過ぎない自分に話しかけてきた意図がわからず、蒲田は困惑した顔でその艶やかな顔を見上げた。


「ところでさ、あの事件って今どうなってるのかな?」小宮山が尋ねてきた。


「あの事件?」


「ほら、ここ最近立て続けに起こってる強盗事件だよ。犯人、まだ捕まってないんでしょ?」


「あぁ……あのヤマですか。解決に時間がかかってしまい、申し訳ありません」


 蒲田が両手を身体の横につけて頭を下げた。

 小宮山が言っているのは、ここ1ヶ月の間に都内で起こっている連続強盗事件のことだ。平日、人が少ない時間帯を狙い、主婦や高齢者が在宅する家に押し入り、家人を縛り上げては金品の在処を白状させる。その手口は鮮やかで、通報を受けた警察が到着する頃には犯人はいつも姿をくらましていた。今月だけですでに3件発生しており、住民からは不安の声が寄せられている。警察も全力を挙げて捜査しているが、犯人は目出し帽を被っていたために人相がわからず、現場の周辺からも目撃証言が得られず、捜査は難航していた。


「いやいや、別に責めてるわけじゃないんだよ」小宮山が相好を崩した。「ただほら、君は一課のホープだから、今回の事件でも期待してるよって言いたかっただけで」


「……身に余るお言葉、感謝いたします」蒲田が深々と頭を下げた。

「ですが、私は一課ではまだひよっこも同然。管理官のご期待に沿えるような活躍はできないと思いますが」


「謙遜しなくてもいいよ。君の活躍は前から聞いているからね。三課にいた頃には、1ヶ月で20人の窃盗犯を捕まえたっていうじゃないか」


「……ただのまぐれですよ。それに、一課のホシは三課の奴らほど甘くはない」蒲田がかぶりを振った。


「そうかい? ま、何にしても、君には期待してるよ。何しろ、君を一課に推薦したのはこの僕なんだからね。期待を裏切らないような働きを頼むよ」


 小宮山はそう言ってぽんぽんと蒲田の肩を叩くと、ひらひらと手を振って廊下を歩いて行った。蒲田は目を細めてその背中を見送る。


 蒲田は去年まで捜査三課にいたが、その時に1年だけ、小宮山の下で働いたことがある。

 当時の小宮山は警部で、態度こそ今と変わらずに鷹揚としていたものの、被疑者を落とす手腕が卓抜していることで有名だった。取り調べで口を割らない被疑者に対し、柔和な笑みと巧みな弁舌で会話を繰り広げ、被疑者が心を許したところで供述の矛盾を突き、気づいた時には自白に追い込まれているという。

 蒲田も何度か取り調べに立ち会ったことがあるが、さっきまで気持ちよく話をしていた被疑者が、墓穴を掘ったと知った途端に顔面蒼白になる様は見ていて気の毒になるほどだった。小宮山が優秀であることは間違いないが、敵には回したくないと心から思ったものだ。

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