第2話

 蒲田次郎がまたじろうは、今年で30歳になる刑事である。


 大学卒業と同時に警察官を拝命し、交番と本庁三課での勤務を経た後、今年から晴れて捜査一課の刑事となった。強面とずんぐりとした威圧感のある体型、それに正義感の強い性格という刑事としての資質を兼ね備えた蒲田は、入庁当初から刑事としての活躍を期待されていた。

 実際、彼は虚仮威こけおどしではなく優秀な刑事で、三課に配属されて間もなくその手腕を発揮した。現場に残された手がかりを嗅ぎ分け、些細な疑問から容疑者を炙り出し、徹底的な追及によって自白を引き出した。そうした功績が評価され、花形部署である一課への異動が決まったのだった。


 その蒲田と杯を交わしているのが、友人である花荘院総十郎かそういんそうじゅうろうである。花荘院流という華道の一派の後継者であり、時期家元として将来を期待されている。蒲田とは同級生であるが、彼もまた、年齢に似合わぬ威厳と風格を漂わせており、彼を家元と勘違いする門下生もいた。


 蒲田も花荘院も見た目がいかめしく、性格も取っつきにくいため、人好きのするタイプではない。だから友人の数も少なかったが、その分2人の結びつきは強く、気の置けない友人として幼少期から関係を続けていた。


「それにしても、俺達も随分長い付き合いだな」蒲田がビールを飲みながら呟いた。「お前と出会って今年で何年になる?」


「小学4年生の時だから、ちょうど20年になるな」花荘院が答えた。

「お前と出会った日のことは、昨日の出来事のように覚えている。私の学級に転校してきたお前は、教壇の前でにこりともせずに挨拶をしたのだったな。その後、隣の席になった女子生徒に顔が恐いと泣かれ、そのせいで学級に馴染めなかった」


「くだらん昔話だ」蒲田がふんと鼻を鳴らした。「転校生は、クラスの連中に気に入られるために愛想を振りまかねばならんのか? そんな下手に出るような真似をするくらいなら、最初から1人でいた方がマシだ」


「そうした協調性を学ぶのが学校という場だろう。だのにお前は、最初から愚劣な片意地を張りおって……。私が声をかけてやらなかったら、卒業まで孤立したままだったのかもしれんのだぞ?」


「よく言う。お前だって、俺が転校してくる前はずっと1人だったじゃないか。俺はお前の初めての友人になってやったんだ。むしろ感謝してほしいくらいだな」


「……減らず口を」


 花荘院は吐息を漏らして日本酒を口に運んだ。傍からだと罵り合っているようにしか聞こえないが、これは2人の日常的な会話であった。


「ところで次郎、お前、将来について何か考えはあるのか?」花荘院が出し抜けに尋ねてきた。


「将来? 何のことだ? 仕事なら、当面は一課でやっていくつもりだが」


「仕事の話ではない。私が言っているのは、家庭を持つ話だ」


 蒲田は途端に渋面を作った。結婚。蒲田にとって一番苦手な話題だ。


「……人のことを心配する前に、自分の心配をしたらどうだ?」蒲田が嫌味を込めて言った。「あの屋敷に引き篭もる生活を続けていては、異性と出会う機会もないだろう」


 花荘院は由緒正しい家柄で、郊外に武家屋敷のような邸宅を構えている。見事な日本庭園が広がるその屋敷は地元では有名で、紅葉の名所として雑誌やテレビで取り上げられたこともあった。


「確かに、若い女性の門下生は少ないからな」花荘院が真面目に答えた。「だが次郎、私のことに話題を転じて茶を濁すのは感心せんな」


 どうやらこちらの手の内はお見通しのようだ。蒲田は憮然として黙り込むと、気まずさを払うようにビールをぐいと呷った。


「悪いが、俺は結婚などにかかずらっている暇はない」蒲田が言った。


「この社会には、未だ法の手を免れている悪人どもがのさばっている。そいつらを全員逮捕するのが俺の仕事だ。家庭など、俺の仕事の前には障害でしかない」


「何もそこまで自分を追い込む必要はなかろう」花荘院が眉間に皺を寄せた。


「戦いには休息も必要だ。家族の元で英気を養うことで偉業を成し得ることもあるだろうに、なぜ最初からその可能性を否定する?」


「見ての通り、俺は仕事人間だ。帰宅は毎日深夜近くで、泊まり込みで捜査に当たることも珍しくない。そんな男と一緒になったところで女が不幸になるだけだ」


「それは一理あるかもしれんが……お前自身、家庭を持ちたいという希望はないのか?」


「……ないな」蒲田が首を横に振った。「俺の親父も刑事だったが、お袋とは口論が絶えなかった。毎日帰りが遅いだの、休日に遠出することもできないだのと言ってな」


「そうか。確かそれで、お前の両親は離婚したのだったな」花荘院も頷いた。

「私はただ、お前の身の回りを世話する人間がいた方がいいのではないかと思ったのだ。お前のことだ。仕事に邁進するあまり、私生活の方まで気を配る余裕がないのだろう?」


「まぁな。先月の健康診断でも、血糖値が高いという結果が出た。スーパーの揚げ物ばかり食っているせいかもしれんな」


「やはりな」花荘院がふっと息を漏らした。「私はお前と違い、身体の状態にも気を配っている。だから結婚を急ぐ必要はないが、お前は違う。今のような生活を続けていたら、今に糖尿病で入院することになるぞ」


「大きなお世話だ」蒲田が憮然として言った。「それに、俺は女房を家政婦代わりに使おうとは思わん。他人に世話をしてもらうほど落ちぶれてはいないからな」


「……お前らしい考えだな」花荘院が口元を緩めた。「私も無理に勧めるつもりはない。だが、機会があれば考えてみるといい。この広い世の中、お前に嫁ぎたいと考える奇特な女性が1人くらいいないとも限らんからな」


「……ふん、そんな女がいるなら、是非ともお目にかかりたいものだ」


 蒲田が鼻を鳴らした。そこでコース料理の品が運ばれてきて、2人の会話はそこで終わりになった。


(結婚か……)


 店員が料理の説明をするのを上の空で聞きながら、蒲田は心の中で呟いた。


(俺も30だ。一般的に言えば、身を落ち着けてもいい年齢ではある。だが俺は、自分が結婚に向いているとは到底思えん。他人との共同生活など、煩わしさしか感じんだろうからな)


 蒲田はそう結論づけると、店員に追加のビールを注文した。

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