13.エピローグ



アシュリーはげんなりしていた。

侯爵アシュリー・ジャレッド・アマーストは、王族主催のパーティーに参加していた。彼の領地、プラムペタル領は国境に面している土地のひとつで、社交シーズンに王都までくるのは手間だ。招待者や開催目的によってはアシュリーも参加しなければならない。

社交シーズンはまだ始まったばかりだが、この最低限があと何度あるのか、とアシュリーはすでに煩わしさを感じていた。彼は好奇の視線を浴びている。彼がとある噂の的だからだ。

その好奇が勝ったのだろう。彼が知り合いと最低限の挨拶を交わしているところに、普段なら話しかけてこない伯爵位の男が声をかけてきた。差し障りのない挨拶で終わらせようとするアシュリーへ、彼より十以上は歳上だろう男は下卑げひた笑みを浮かべた。


「そういえば、アマースト閣下かっかは結婚されたと伺ったが、あれは嘘ですかな」


「事実だ」


「おや? では、なぜ奥方をおつれになっていないので?」


妻がいるというのに一人でパーティーに出席する者はそれだけで珍しい。それが女嫌いで有名だった侯爵ならなおさらだ。

あの女嫌いの侯爵を射止めた令嬢はどんな女性か、参加者のなかにはそれを確認したくてパーティーにきた者も少なくない。


「奥方がどれだけ美しい方か、私も楽しみにしていたのですよ。しかし、おつれになっていないということは、他人の目に触れさせたくないほど奥方を溺愛されているという噂は本当かもしれませんな」


そこまで人が変わるものかと、冗談を口にして男が笑いかけた。


「そうだ」


だが、アシュリーに肯定され、口を開きかけたまま固まった。訊いた男も、そしてその周囲も耳を疑った。


「妻は、貴殿らの見世物みせものではない」


好奇の目に晒すものかという怒気どきに威圧され、男や周囲は口を引き結ぶ。それ以上言及する者がいないことを確認して、アシュリーは踵を返した。

彼が去ったあとは、噂が真実であることに驚愕し、さざ波のようにどよめきが広がっていった。

背後の騒がしさに関心がないアシュリーは、王族への挨拶も済ませているのでそろそろ退出しようかと考えていた。


「注目の的だね、旦那」


「きていたのか」


見知った者に声をかけられ、アシュリーは足を止める。声の先には、亜麻色のやわらかな髪を毛先だけ縦に巻いた人形と見紛みまがう美貌があった。フリルをふんだんに使ったドレスを纏った彼の隣に、彼よりフリルは控えめながら似たデザインのドレスの令嬢がつれだつ。


「お久しぶりです。閣下」


「みてみて、ツインテ―ルお揃いで可愛いでしょう」


「似合っているんじゃないか?」


イヴォンとドレスだけではなく髪型も揃えたのだと報告してくるジュリアンに、アシュリーは曖昧な同意を返す。彼にはあまり服装や髪型の良し悪しは判らない。妻の友人の二人は、婚約しており今回のパーティーもジュリアンがイヴォンをエスコートしてきたのだろう。婚約者とドレスや髪型を揃えるなんて真似は、日頃からドレスを身に着けているジュリアンだから成せる業だ。


「ていうか、見せびらかせたらいいのに。僕、どっちも贈ったよね」


友人に会わせてくれてもいいだろうと、ジュリアンは不服そうに剥れる。

彼は、友人がパーティーに参加してもいいように、盛装を二種類デザインして事前にアマースト侯爵邸に送っていた。ひとつはドレス、もうひとつは髪が短いままでもよい装いだ。

どちらも自信作だというのに、なぜ披露しないのかとジュリアンが文句をいうと、アシュリーはにべもなく返した。


「どっちも駄目だ」


「なんでー!? ルードが着たら絶対可愛いのに!」


「だから、駄目なんだ!」


ジュリアンが、友人でありアシュリーの妻であるガートルードに贈ったのは、最新の流行を押さえたデザインのドレスと、燕尾服に着想を得たショートパンツながら後ろでフリルが孔雀の尾のように段となるデザインの盛装だった。前者は一般に合わせたもので、後者は動きやすさを優先した。結納金代わりに差し出された銀髪は、執事のカルヴィンの配慮によりかつらとなっており、ドレスを纏うことも可能だった。だが、ガートルードは後者をいたく気に入った。

前者はガートルードらしさを損ねるから却下し、後者は似合っているからこそアシュリーは披露することを却下した。


「大体、どうしてああも脚がでるデザインにしたんだ。他の男にみせられる訳がないだろう」


後者は、腿まであるハイソックスをガータベルトで止め、ヒールのあるロングブーツを履くと、脚の曲線美が映えるのだ。そんな姿の彼女をパーティーに参加させたら、デザインが異色であることも手伝って、視線を集めること必至だ。


「ルードは脚が綺麗なんだから、出さないともったいないじゃないか!」


「まぁまぁ、ジュリー。またプラムペタルでみせてもらえばいいじゃない」


独占欲ゆえに披露したい派と秘匿したい派の口論など、平行線をたどるだけだ。それが解っているイヴォンは、男同士の不毛な言い争いに介入し収めた。ガートルード自身が気に入ったのなら、自分たちが訪ねた際に着てもらえることだろう。


「旦那って、ルード以外の前だと隠さなくなったよね」


うるさい」


ジュリアンに成長を認められるも、アシュリーは素直に喜べなかった。彼が歳下だからという理由ではなく、どちらかというと以前の自分の不甲斐なさが思い返されるからだった。そして、いまだに彼女を前にすると拙くなる事実を指摘されれば、余計だ。人間、そう簡単に変わらない。

さんざん周囲の生温かい眼を浴びては、いちいち羞恥していられない。ジュリアンや父親に、妻を逃がさないよう圧をかけられていた。第三者に対して、アシュリーはもう開き直るしかなかった。

ただでさえ妻が心臓に悪いのに、他の心労まで抱えていられない。

当初、ガートルードがアシュリーに持ちかけた婚姻条件は、今後見合いをしなくていいようにする代わりに、他の男の目に触れさせたくないという方便を使って彼女の苦手なパーティーに参加しないように協力する、というものだった。しかし、もう方便ではなく事実となった。


「ルードの誕生日には二人でいくから、そのときまで出し惜しみしないでよ」


「わかった」


「楽しみにしています」


この二人はガートルードの友人なので、アシュリーも歓迎する。むしろ、華やかな観光名所などがない領地に足を運ばせるのが申し訳ないくらいだ。だが、二人にはガートルードがいることが重要で場所などは気にしないのだろう。

不意に、アシュリーの視線が遠くに逸れた。ジュリアンたちは、視線が動いた理由が判らず、首を傾げる。


「どうかしたの?」


アシュリーはすぐには答えず、静かに思案したあと、イヴォンへと視線を変える。


「イヴォン嬢、あそこにいる令嬢を休憩室へ頼めないだろうか」


「え?」


アシュリーに視線で示されて、イヴォンがみた先には歓談する令嬢たちがおり、白粉やチークの濃い一人の笑みがわずかに浮いていた。


「指先が白い」


化粧を施していない指先まで白いと聞き、イヴォンは依頼された意図を理解した。上背があるためアシュリーが気付いたのだろうが、身分も歳も上の彼がいきなり声をかけては、ただでさえ不調の令嬢に負担がかかってしまう。


「お任せください」


イヴォンは朗らかに微笑んで、歓談する令嬢の方へと向かった。その背を確認して、アシュリーは安堵する。彼女に任せれば、うまく取り計らってくれることだろう。


「そういうの分かるようになったんだね」


「ルードに教えられた」


アシュリーは妻の影響だと素直に認めた。ふむ、とジュリアンは作った拳の人差し指あたりで唇を押さえた。


「ルード、パーティーにこようか、ちょっと悩んでなかった?」


「ああ。いらん心配をしていた」


女性嫌いと噂されるほどに偏見をもっていたアシュリーだが、騎士時代に警護業務にもあたったこともあり洞察力がある。偏見がなくなれば、目端まで行き届いた配慮ができる良物件となる。普段固い表情の男から、ふとした瞬間に優しくされれば弱い女性もいることだろう。ジュリアンには、友人の心配が理解できた。

ジュリアンの予想に対して、よくわかったな、とアシュリーはわずかに瞠目する。ガートルードと長年親しくしている友人だけあって、ジュリアンは彼女のことをよく解っている。ともすれば夫の自分より把握している彼は、面白くない心地と頼もしさの両方を与える。

微妙な表情を浮かべるアシュリーに小さく笑い、ジュリアンは肩をすくめた。


「まぁ、イヴォンなら、旦那の手柄だとバレないようにしてくれるだろうけど」


きっと彼女、もしくは自分が勘付いたことにするはずだ。ジュリアンは、婚約者の手腕を信じていた。彼女は、相手に気取られない配慮が上手いのだ。さらに、友人のガートルードのためになることなら、それを徹底することだろう。


「帰ったら、俺にはお前だけだ、ぐらいはいって安心させなよね」


ジュリアンの助言に、アシュリーはぐっと黙った。そして、おもむろに視線を逸らす。その目元はわずかに赤い。

彼の反応に、ジュリアンはにやりと口角をあげた。


「へぇ、もう安心させたんだ?」


「……っそこまでのことは、いっていない」


あくまで、出発前に誤解を解いただけだとアシュリーは主張する。

彼は存外素直なので、ジュリアンには面白い。元々誠実な性質たちの男ではあったが、友人の影響でずいぶん丸くなったものだ。

堅物の彼がここまで友人に陥落させられているのだ。溺愛云々の噂は、真実どころか噂以上といえよう。

会話する二人の様子は、美少女にしかみえない少年が精悍な青年をたじろかせているという異様な光景だった。周囲がざわついている理由に、二人は無関心だ。それぞれ周囲に噂されることに慣れている。

周囲のどよめきにも動じず、戻ってきたイヴォンが朗らかにその場を収める。


「閣下、惚気もほどほどにしてくだいませ」


「俺は、別に……っ」


「うふふ、ジュリーにのせられて、大分口走っていらっしゃいましたよ?」


そんなつもりはないというのに、イヴォンにそう指摘されれば、何か口走ってしまったのかとアシュリーは口をつぐんでしまう。イヴォンに、続きは今度聞く、といわれ二人と別れたが、一体どれが惚気だったのかとアシュリーは一人考え込む。続きも何も、彼には惚気ているつもりなどなかったのだ。

一度冷静になった方がいいと思い、アシュリーはテラスにでて、夜風にあたる。

ダンスのためのオーケストラの音楽も、テラスにいると遠退いた。空を見上げると、夜闇にちらちらと星が瞬いていたが、彼には小さく見えた。星が遠い。プラムペタル領のアマースト邸からの星の方が、距離が近く大きくみえた。

王都でみる星より邸からみる星の方が好きだ、とガートルードがいっていたのを思い出す。その瞳は、プラムペタルの輝ける星よりも眩しかった。


こういうところか……


何につけて彼女に思考が結び付けられてしまう。社交シーズンの付き合いだけのパーティーがしばらく続くから、余計愛しい人に思考が逃げてしまうのだろう。二人の指摘通りだと自覚してしまい、アシュリーは口元を手で覆う。口元が緩んでいやしないか、心配になった。

また星空を見上げる。

星より眩い笑顔をみれたらどんなにいいかと考えてしまう。昨年までと違い、婚姻を急かされる煩わしさはないというのに、昨年よりも煩わしさが増した。


あなた好みの嫁になれますよ。


出逢った頃、彼女はそう豪語した。現状はどうだ。アシュリーは長々と溜め息を吐く。

彼女の宣言以上に参っている自分がいる。己の心の脆さを知り、その脆さを晒せる相手ができるなど、去年の自分は知りもしなかった。溜め息がでたのは、降参しきった自分に後悔していないと気付いたからだった。

プラムペタルの邸に帰れば、きっと星より眩しい笑顔が迎えてくれることだろう。考えてしまうと、社交シーズンは始まったばかりだというのに、彼女の顔が恋しくなる。

彼は、もう星空を見上げなかった。それよりも眩いものを知るがゆえに。

早く社交シーズンが終わることを願うアシュリーだった。





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