二十二日目:「メッセージ」『怪獣の足跡』

 毎朝、花に水をやるときに会う人だった。

 朝起きて、カーテンを開けて、朝食の準備をして食べて、外に出て花に水をあげる頃。

 左の道からあの人はやってくる。

「おはようございます~」

 挨拶する俺に、

「……はよッス」

 ぺこ、と小さく頭を下げて、あの人は去って行く。

 夏でも全身黒ずくめで、いつもコートを着ている。

 挨拶するだけの仲だったから、何の仕事をしているかは知らない。

 でも、なんとなく、陽の光が当たる仕事ではないような雰囲気があった。


 毎日毎日その人と会う。

 休みとかないのかな。

 そんなことを考えながら挨拶をする。

 普段は何をしているのかな。

 どうでもいいことを考える。

 

 そんな夏のある日。

「おはようございます~」

 恒例の挨拶をする。

「はよッス。あの、その花……」

「花! 俺が育ててるこれですか?」

「そうです。ええと……何ていう花なのかなと思って」

「トケイソウって言うんです。花が時計のような姿をしているから」

「へえ……」

 一瞬の沈黙を挟み、

「俺、それ好きッス」

 表情を変えずにその人は言う。

「……! ありがとうございます」

「それじゃ」

 片手を挙げて去っていく彼の姿を俺はぼんやりと見送っていた。

 

 夜。

 怪獣警報が出て、いつものようにヒーローが戦って倒す姿が中継される。

『さすがヒーロー!』

『私たちの街の平和を守るのは、いつもヒーローです!』

『がんばれヒーロー!』

 俺はテレビの音量を小さくして、夕食の片付けをする。

 テレビはあまり好きじゃない。でも、見ないと雑談についていけないので仕方なく見ている。

 仕事はリモートなので、会議以外他人と話すことはないのだが、それでもやはり雑談は発生してしまう。

 俺は雑談が苦手だ。


 学生時代の友人たちとのグループSNSはヒーローの話で盛り上がっていた。

『今日のヒーローもかっこよかったな!』

『あんな全身黒い怪獣なんかに負けるはずがなかったんだよね』

『ヒーローに感謝だな』

「……」

 俺は静かに端末を閉じる。

 怪獣がどこに出ているのかは知らない。

『閑散とした住宅街の真ん中に怪獣が出ました!』

 というのが中継開始のお決まりの台詞で、具体的な場所や地名は挙げられない。

 おそらく、野次馬が集まるのを防ぐためだろう。

 怪獣は毎回必ず倒される。

 ヒーローは強い。

 どこか遠くの出来事。

 

 次の日。

 いつものように花に水をあげる。

 しかしあの人は来なかった。

 どうしたんだろう。寒くても暑くても雨でも晴れでもあの人がここを通らなかったことはないのに。

 水をあげ終わって、じょうろを倉庫にしまう。

 花のそばで、少し待ってみた。

 けれど、来ない。

 風邪でもひいたのだろうか。

 そう思いながら、家に引っ込む。

 仕事はいつも通りだった。

 

 次の日も、あの人は来なかった。

 次の次の日も、次の次の次の日も。

 

 相変わらず、怪獣中継は流れる。

 同じ怪獣は二度と現れないのが常。

 死んだ者は復活しない。

 

 あの人が来なくなる前の日の夜の中継。

 全身黒い怪獣。

 初めて話しかけてきたあの人。

 

 ……もしかすると、「そう」なのかもしれない。

 けれどそんなことを考えるのは非現実的で、それでも俺は……そう考えるしかなかった。

 

 あの人が来なくなっても花に水はあげないといけないから、外に出る。

 あの人が好きだと言ってくれたトケイソウを枯らさないよう、世話をする。

 何でもよかったんだ。

 この生活に彩りを与えてくれるものなら、何でも。

 灰色になった世界で、トケイソウだけが色を留めていた。

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