8章 だから僕は世界の敵になった

43.だから僕は世界の敵になった


「ごめん。君の孤独に気づけなくて」


 そう僕が言ったのを聞いた葉の顔は、口元をひきつらせたまま凍り付いていた。


「葉、君はどうしようもなく孤独だった」


 僕は昨晩、彼女の身辺をSNSで可能な限り調べてみた。彼女のアカウントはすぐ見つかったが、身の回りのことや写真などの投稿は一度も無かった。これは別段珍しいことじゃない。僕も積極的に投稿はしないが、クラスのみんなの動向を見るためだけのアカウントは持っているし、女子なら表に出す以外の『裏アカ』を持っていて、その実そちらがメインになっているということも多い。では何が『普通じゃなかった』か。

 それは彼女ではなく。葉のフォローをしている友人たちのアカウントの写真、特に中学以前の写真を遡って見たときに分かった。


 ない。ない。ない。いくら探しても、葉の中学の友人たちの投稿した写真には、葉の写り込んだ写真が一枚もなかった。


 葉ほどの美人なら『映え』の道具としていくらでも駆り出されそうなのに。風景にうっかり入ってしまった写真等もなく、修学旅行の全体で撮ったと思しき写真の中にさえ葉がいないことに、僕は戦慄した。高校以降の写真には多少写り込んだものがあったが、葉が楽しそうにしているものは一切なかった。

 いじめか、彼女が自ら望んで周囲から距離をとったか。どちらかは分からない。けれどもなんらかの事情で葉は僕よりも長く、純度の高い孤独の時間を歩んでしまったことは確かだった。

 孤独は人の心を蝕み、何かに依存させようとする。僕にとってそれは葉だった。彼女をマリア様か理想の母親か何かのように見ていたのだろう。とんだマザコン野郎でキモいことこの上ない。だけど葉に比べればはるかに『マシ』だった。


 葉は孤独が形作った心の穴を『不確かな敵』とそれに対する『復讐心』で埋めてしまったのだ。彼女がインスマスについてどこまで知っていたのか、彼らの存在が本当に葉の母親が死ぬ原因だったのか、今の僕に確かめる術はない。だけど結果として、僕の目の前にいる少女は自分と異なる種族を迫害する、虐殺者になってしまった。


「ごめん、葉」


 琉衣になぜ葉が好きになったか聞かれた時の答えが、今なら分かる。葉が孤独だったからだ。自分と同じ孤独を抱える人間だったから。そんな寂しい同族意識で僕は彼女に惹かれたのだ。僕は大馬鹿野郎だ。葉が好きだったのなら、大切に思っていたのなら、本当にすべきは彼女に縋ることなんかでは絶対にない。彼女の孤独に気づき、寄り添ってあげるべきだったのだ。


「本当にごめん。君が寂しいことに気づけなくて」

「……れ」

「君に縋りついて、君のことを知ろうとしないで」

「……まれ」

「ボブ・ディランってどんな人って、聞いてあげられなくて」

「黙れ」

「どんな曲か教えてって、君に聞けなくて」

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇ!」


 葉の顔は僕が人生で見てきた、どんな人間の怒りの顔よりも醜悪に歪んでいた。


「何も知らない癖に! 偉そうに私のことを語るなぁ! お前みたいな底辺でクズで弱者の男が!」


 葉は叫び続ける。今まで体に溜め込んできたものを吐き出すように。


「ろくに人と話せないネクラのオタクのくせに!」


 そうだよ。君が僕を引っ張ってくれたから、僕は色んな人と話せるようになったんだ。


「人から食べるものを恵んでもらってるくせに!」


 君が作ってくれたお弁当ほど、美味しいものはなかった。もう一度食べられるなら、この先、何も食べられなくても構わないくらいなんだ。


「女一人満足させられないくせに!」


 そうなんだ。君がいなければ、僕は琉衣を命に代えても守りたい人間だと気がつけなかった。本当にダメなやつだよな。


「自分一人じゃなにもできないくせに!」


 その通りだよ。君がそばにいれば、なんだって出来た。バイトもできない僕が、人だって殺せたんだ。すごいよ。


「……嗚呼、母さんが言ってたわ。世界はトカゲ人間に支配されてるって」


 葉が目がゆらりと僕を捉える。


「あなたのことを言ってたのね。私の真の敵はあなただったのよ、レプト」

「そうだ」


 笑いながら糾弾する葉に僕は頷いた。僕は彼女を『悪者』だとは思っていないし『悪者』にもさせたくなかった。以前、老人ホームの帰りに言っていた葉の言葉を思い出す。最後に見るのは幸せな幻想が良いという、彼女の願いを。


「僕は<レプト>、世界の支配者だ。君を殺して、僕は世界のすべてを手に入れる。富も、名声も、女も」


 だから僕は世界の敵になった。好きだった人を悪者にしないために。彼女の願いを叶えるために。僕は葉という正義の敵になるのだ。


「あんたなんかに、この世界を汚染させない」


 葉は腰のベルトに挟んでいたバールを抜き構える。VALではない普通のバールで、先端が塗装で赤茶で彩られている。もしかしたら塗料ではなく、彼女の殺してきたインスマスの血が固まったものかもしれない。


「来い、アルミ」


 僕はウインドウブレーカーのフードを深く被った。少しでも悪いやつに見えるように。そして、こぼれる涙が見えないように。目の前の正義の味方を見据えながら、ライフルVALを構え狙う。曇天の空が雨をぽつりぽつりと吐き出しはじめたとき、僕らは殺し合いを始めた。


「死ねぇぇぇ!」


 葉がまっすぐ僕に向ってくる。銃口を向けられているのにも関わらず、葉の表情には恐怖心は一切感じられない。構わず僕は引き金を引いたが、葉はそれよりも早く、脱いだジャケットを闘牛士のようにかざすと、爆弾をそれで受け止めて目の前に投げ捨てた。僕と葉との間で爆発のカーテンが生まれる。葉が爆発に巻き込まれて負傷しているのではないかという期待は、彼女が粉塵の中から現れ、バールを僕に振り下ろしたことで裏切られた。


「こんなおもちゃで私が殺せると思うなぁ!」

「ぐっ!」


 咄嗟にライフルVALで防御する。あまりの強力な打撃に腕が痺れる。振り下ろしで隙が出来た葉を蹴り飛ばして距離を取るが、葉は僕が視線を向け直した時にはもう立ち上がっていた。急いで葉に向けてライフルVALの引き金を再び引くが、ポップコーンを作るときみたいな破裂音が鳴ったあと、ライフルVALは煙を吐いて沈黙してしまった。今までどんなに雑に扱っても壊れなかったVALを破壊してしまうほど、葉の攻撃は強烈だった。


「それで終わりか、トカゲ人間!」


 発火しそうなライフルVALを川へ投げ捨て、再び眼前に飛び込んできた葉の攻撃を、すぐさま自分のVALを腰から引き抜いてで防ぐ。彼女が僕にバールを打ち下ろす度に腕に痛みが走る。僕のVALも、そして僕自身もそう長くかからないうちに葉に壊されるだろう。


「ごめんね」


 彼女がバールを振り上げた瞬間、僕はVALの先端を葉の胸に押し当て、スイッチを押し込む。瞬間、VALの先端から青白い稲妻が走り、葉の神経を駆け巡った。どんな人間でも体を動かすための神経が焼かれれば動けなくなる。怒りに燃えた葉とて例外ではない。葉はバールを振り上げた姿勢のまま痙攣し、雨に濡れた地面に倒れた。

 僕は倒れた葉の手からバールを蹴り飛ばし、彼女にとどめを刺すべくVALを振り上げる。本当はこういう時、葉との思い出が浮かぶのかもしれないが、僕には何も浮かばなかった。そのことがただ悲しかった。

 だけど葉はそう思っていなかったようだ。彼女は突如目を開けると、獣のように吠えながら飛び起き、隙だらけの僕の首に両手をかけた。


「死ねぇぇぇ……死ねぇぇぇレプトぉぉぉぉ!」


 酸素の供給が絶たれた僕の体は、徐々に押し込まれて、欄干に押し付けられる。VALを葉の肩に何度も突き刺すが、彼女の手の力は弱まるどころか、逆に強まっていく。


 甘い死が僕に忍び寄る。僕に安らぎを与えようと手を差し伸べてくる。もう君は頑張ったと、すべて投げ出していいと、耳元で死神が囁く。


 そんなのお断りだ。僕はまだ何もやり遂げてない。このままでは葉がまた罪を重ねることになる。罪を背負うのはもう、僕だけでいい。


「っ?!」


 葉の左手首に鉄の塊がまとわりついた。それは輪のようになっていて、ワイヤーで僕の右手首にある輪と繋がっていた。


 VALの手錠機能。葉はいらない機能だと言っていたけど、そんなことはなかった。こうやって彼女を阻止するために使えたのだから。驚いた葉の手が僕の首の拘束を緩めたことで、僕は呼吸をして、最期の言葉を発する機会を得た。


「好きだったよ、葉」


 僕は自由な手で彼女の体を掴むと地面を蹴った。欄干はそこそこの高さがあり、後ろ向きで飛び越えるのは無理そうだったが、爆発の衝撃で構造がヤワになっていたからか、僕が体を預けていた箇所は嫌な音を立てて壊れ、僕と葉の体を橋の下へ投げ出した。

 とてつもなく長く感じる空中での時間の後、僕と葉はここ数日の雨で増水した川の中へ引きこまれた。葉は僕と死から逃れるように水面に出ようとするが、僕は力の限り手錠で繋がった腕を引き、彼女を仄暗い水中にとどめる。次第に葉の抵抗の力が弱くなっていくが、それは僕も同じで、口から大きく息を吐きだすと、冷たい川の中で自分の死を待った。


 インスマスをたくさん殺した僕らは、きっと地獄に行くだろう。だけどもし叶うなら、審判の時に僕は神に乞おう。孤独の中、必死に生きた麻霧 葉という少女は地獄にふさわしくないと。どうか天国に行かせてあげてくださいと。彼女の咎は、代わりに僕が全て背負いますからと。

 死者の国から迎えが来た。それは僕らが殺してきたインスマスの姿をしていた。僕らへの恨み言がたくさんあるだろうに、その魚人間は何も言わずに、僕と葉を死者の国へ迎えるべく、僕らの体を抱えて泳ぎ始めた。

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