6章 出来の悪い真実

32.出来の悪い真実


 10月27日 木曜日 午後3時30分


 AIAの総力を結集した『暴露作戦』は成功した……とは言い難い結果に終わった。

 確かに、当日のSNSのタイムラインにはインスマスたちの姿が写った画像や動画が多くアップされていた。しかし、それよりも目についたのは、僕とラフトラックの姿が写った画像や動画が添付された投稿の方だった。そして世間の目に映った僕らの印象は決して良いものではなかった。


『謎の仮装集団パフォーマンス』

『市議会選挙前に謎の集団現る』

『新世代のテロ台頭か』


 僕らの世間からの評価はこんなものだ。インスマスたちの暴露もパフォーマンスの一環程度にしか思われていない。幸い葉やみかりの姿を捉えた写真はなかったが、AIAはひとまず各自の身の安全のため少しの間、活動を控えることにした。だから僕は『暴露作戦』以降、アジトに顔を出していない。

 いや、もっと正確に言うなら学校にすら行っていない。体調不良だと嘘をつき4日間、葉とも顔を合わせていなかった。葉と両想いだと言うことが分かり、キスだってしたのに、僕は何故か彼女と顔を合わせることに酷く不安を――正直に言えば怯えていた。


 そんな僕が何をしているかと言うと、駅の中に入っているコーヒーショップの目の前でマスク――トカゲ頭のものではなく、医療用のサージカルマスクを着けて、呼び出した人物が来るのを待っていた。

 目当ての人物は時間ぴったりに現れ、僕に気づかないままコーヒーショップの中に入っていき、注文をすると小さいカップを持って座席に座る。僕はその様子を見届けた後、同じように店内に入る。オレンジジュースを注文してから、僕より先に入ったその男性の後ろ向かいの席につき、顔を見せずに言葉を投げかける。


「来ていただき、ありがとうございます。晴牧はれまき たけるさん」


 僕はその名前が書かれた運転免許証を、手を後ろに回して男性、晴牧に渡す。


「免許証を奪って、連絡先を知られ、子供たちを殺すと脅されれば嫌でも来るさ」


 晴牧は僕が22日の夜、地下駐輪場であった男性だ。命乞いをしていない晴牧の声は落ち着いており、父親らしい安心感のある声だった。同じ成人男性でも、ラフトラックとは真逆の印象を僕は受ける。


「あの場では、ああするしかありませんでした。奴らがどこで見ているとも分かりませんから」


 僕はこの男性とインスマスの子供を見逃していた。だけど、ただ見逃したわけではない。


「なぜ人間のあなたがあんな怪物どもを庇ったのか。強制されていれば助けたいし、彼らに騙されているのであれば『真実』を知ってほしかったんです」


 晴牧のことをAIAメンバーに話すことも考えたが、ラフトラックあたりが「奴らを庇ったのであれば万死に値する」と人間にも関わらず殺さないとも限らなかった。だから僕は一人で接触し、彼を助け出そうと決めたのだ。だが晴牧の反応は冷ややかものだった。


「自分の子供を守らない親がいるわけないだろう」


 嘘だ。僕は二つの意味で心中で叫ばざるをえない。僕の両親は僕をあっさり捨てた。そして、


「あんな怪物と子供を作るなんて。正気じゃありませんよ」

「確かに子供たちや妻は他の人とは違うかもしれない。でも人間を食べたりする怪物ではないし、思考も我々と同じだ。私たちと彼らの間にそれほど大きな差はないように思うよ」

「狂ってる。魚人間どもは邪神を復活させ、人類を滅ぼそうとしているんですよ。あなたの行いはそれに加担していることになる」


 僕の言葉を聞いた晴牧は鼻で笑った。


「確かに妻は言ってたよ『自分たちはタコの神様みたいなものも末裔だ』って」

「ならなん――」

「そして『それを信じているのは、もう年寄りとアイデンティティに悩む一部くらいだ』ともね」

「……あいつらは全員邪神の信奉者でしょう」


 晴牧は深いため息をついている。僕の言葉に呆れているようだ。


「聞くが、君は『ファティマの聖母出現』を知っているか」


 僕は「ええ」と返した。確か前世紀初頭に聖母マリアが現れたとかいう事件だ。カトリック教会も公認していたと記憶している。


「じゃあ君は神の存在を信じ、日々神の奇跡に感謝しながら生きているか?」

「……いいえ」

「世界的権威に認めらている事象があるのにか? うろんな新興宗教ではない、カトリックの総本山が認めているんだぞ」

「それと魚人間の陰謀になんの関係があるんですか」

「同じことだよ。今の時代、君が神やキリストを信じないように、妻たちのような魚人もタコの神様なんか信じてないのさ」


 僕は何も言い返せない。


「魚人だっているかどうか分からない神様より、友だちの結婚や、住民税が上がることや、おしゃれな15秒の動画や、エモい写真が撮れるスイーツ店の方が大事なんだよ」

「……でも彼らにはDWがあります。仮に善良な個体がいたとしても、周囲の人間を巻き込む危険があるなら、何らかの対策を打たないと」

「DW? なんだいそれは」

「彼らが死に際に発現する、人の精神を壊し死に至らしめる特殊能力です。世界中の人にそれを防ぐため仮面を被れと言うのは、無理でしょう」

「……そんなものがあるなら私は妻が殺されたときに一緒に死ねたのにな」


 僕は晴牧の言葉に思わず背後を振り返ってしまった。晴牧は肩を震わせている。泣いているのだ。


「一ヶ月前、妻が目の前で死んだんだ。白い仮面の男に追われてるって電話があって」


 ラフトラックだ。この街でその格好でインスマスを狩っている奴なんてラフトラックしかいない。


「助けに向かったら、妻があいつに殺されてるとこだった。手足を一本ずつぐちゃぐちゃにしてた。妻の叫び声を聞いて笑ってた」


 ラフトラックと共に戦ったことはないが、インスマスへの憎悪が強いラフトラックなら殺害前の拷問に至るのも想像に難しくない。


「私はただ隠れて見ることしかできなかった。自分も殺されると思って足が動かなかったんだ」


 晴牧の声はどんどん大きくなっていた。


「僕の目の前で彼女は殺されたんだ、だけど僕は狂ってもないし、君と会うために半休まで使った! 上司に頭を下げてな! 狂った人間が上司に頭を下げられるか?!」


 周囲の視線が晴牧に集まる。店員たちも声をかけるか迷っている様子だ。


「娘たちは言うんだ。『お母さんはいつ帰ってくるの?』って。言えないさ、白づくめの男に殺されただなんて! お父さんはただ見てることしか出来なかったって!」


 僕は我慢できずに立ち上がった。この場から一刻も早く立ち去りたかった。


「欲しがってたおもちゃもゲームもいらないって。土日はお母さんを探しに行くって。好きなアニメも見ずに街に探しにいきたいって!」


 僕がその場を立ち去ろうとしたとき、晴牧に声をかけようとする店員とすれ違う。店員は僕に目もくれない。僕は『透明人間』だ。


「妻を返してくれぇ! 娘たちの母親を返してくれぇ!」


 晴牧の叫びを背中に浴びながら、僕は逃げるようにその場から立ち去った。


 ◆


 駅の外に出ると、雨続きだったここ最近にしては珍しく太陽が顔を覗かせていた。日の光に照らされながらマスクを外し、自分に言い聞かせる。


 晴牧の言ったことは全部嘘だ。僕を騙そうとしている。インスマス共に脅されて、嘘をつくように強制されているんだ、きっとそうだと言い聞かせる。けれども自分へ向けた言葉が、自分の心に定着しない。必死に言い聞かせても、ある考えが頭から離れない。


『もし晴牧の言葉にひとつでも真実があったら』と。


 インスマスは邪神を信じていない――けれどDWという危険がある。放置するのは危険だ。


 でもDWが本当は存在しなかったら――けれど犯罪に走っているインスマスはいた。女性を攫っていたり、そいつらと関わりのあるインスマスもいた。


 それは一部で、他のインスマスが平和を望んでいたら? 彼らが僕らと変わらない思考の持ち主だったとしたら――僕がやったことは『虐殺』じゃないのか?


 僕の背筋に冷たい感覚が走る。ダメだ、考えるな、考えるな。思考を止めろ考えるな。足に力を入れろ。膝をつくな僕。歩道のど真ん中だぞ。立ち上がるんだ。


『妻を返してくれ!』

『あんたがいなければ!』


 膝をついた僕を糾弾する声が聞こえる。嫌だ。聞きたくない。


『保証人いないならうちでは雇えないなぁ。お父さんお母さんいないの?』

『あのねぇ、持ち家あると生活保護はもらえないの。分かる? 君、若いんだからバイトでもやりなよ』


 僕を拒否する声が聞こえる。聞くな。聞いちゃだめだ。


『妻を返してくれ!』

『あんたがいなければ!』

『保証人いないならうちでは雇えないなぁ。お父さんお母さんいないの?』

「……侍? 大丈夫?」

『あのねぇ、持ち家あると生活保護はもらえないの。分かる? 君、若いんだからバイトでもやりなよ』


 頭の中の声が僕を責め立て続ける。じゃあ僕はどうしたらよかったんだ。誰も助けてくれなかったのに。一人で生きてきたのに。幸せになりたかっただけなのに。皆が僕を攻め立てる。これ以上僕は何をすればよかったんだ。嫌だ。何も聞きたくない。考えたくない。もう生きていたくない。何も感じたくない。


『妻を返してくれ!』

「嫌だ! もう何も聞きたくない! 見たくない! 考えたくない! したくない!」

『あんたがいなければ!』

「助けて! もう何も知りたくない!」

「侍、大丈夫だよ。怖くないよ」

『保証人いないならうちでは雇えないなぁ。お父さんお母さんいないの?』

「大丈夫、大丈夫だから。私は味方だから」

『あのねぇ、持ち家あると生活保護はもらえないの。分かる? 君、若いんだからバイトでもやりなよ』

『娘たちの母親を返してくれぇ!』


 喉元から言葉以外の物があふれ出る。胃液だ。ぶちまけた胃液が地面に広がり花のように咲く。胃液の花畑が眼前に迫ったところで、僕の世界は真っ暗になった。

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