33.ペイン


 誰かの――聞き覚えのある少女の鼻歌で目が覚めた。曲名は知らないけど、街の中でよく聞くJ-POPだ。鼻歌を歌う誰かが、僕の頭を優しく撫でている。


「あ、おはよう。よかった、ちゃんと起きて」


 僕の顔を琉衣が見下ろしている。その距離間で彼女に膝枕をされていると気づくのに、そう時間はかからなかった。


「……琉衣なんで」

「私のふとももの寝心地を気に入ってもらえて嬉しいんだけどさ、目が覚めたなら起きてくれると嬉しいな。足が痺れて、限界が」

「あ……ごめん」


 僕は起き上がる。琉衣は公園のベンチに座っていて、そこで僕を介抱してくれたようだ。


「いてて……びっくりしたよ。バイト行く途中で侍がなんか死にそうになってるんだもん」

「……バイトは?」

「ゲロまみれのウインドブレーカー洗ってたら間に合わさなそうだから、今日は休んじゃった。水で落としたけど、帰ったらちゃんと洗濯しなよー」


 ベンチの端に水にぬれた僕のウインドブレーカーがかかっている。バイトまで休ませた上に汚物に触らせてしまった。僕は本当の最低野郎だ。


「ごめん。本当にごめん」

「いいってことよー友達でしょー」

「……」


 友達。彼女が何気なく発した言葉にさえ、僕の心は痛みを感じる。彼女は僕のやってしまってことを知らないから、まだ僕を友達と言えるのだ。


「何があったの? 学校も来てなかったし、さっきのも単なる体調不良っぽくなかったし、嫌なことでもあった?」


 先日、僕を拒否した時とは打って変わって、琉衣は隣に座る僕の顔を心配そうにを見ている。

 もう辛い思いはしたくなかった。すべて投げ出したかった。だから僕は告白して彼女に見捨ててもらうことに決めた。父や母や社会が僕にそうしたように。


「……人を殺したんだ。たくさん」

「何人?」

「11人」

「わぁ、それはすごい」

「嘘じゃないんだ!」


 小説の話でもしてるみたいに茶化す琉衣に思わず声を張り上げてしまうが、琉衣は変わらず穏やかだった。


「ごめんね。で、何でいっぱい殺しちゃったの?」

「世界平和のため、好きな人のために殺したんだ」

「ヒーローみたいじゃん。その理由だと」


 僕は思わず笑ってしまった。そう言われて僕はこの凶行に及んだのだから。


「けど、実際はそうじゃなかった。僕が殺した人の中には確かに悪いことをしていた奴らもいた。でもそうじゃない、普通に暮らしてた人まで殺したかもしれないんだ」

「じゃあ好きな人っていうのは?」

「その人が喜んでくれると思って殺したんだ。でもそんなの言い訳で、ただ自分が何かできるって証明したくて、僕が幸せになりたくて殺してただけなんだ」


 琉衣の顔の方を見ることができない。琉衣との関係性すら投げだしたいと思っているのに、彼女の僕を見る目が怖くもあるのだ。僕はとんだ卑怯者だ。


「ただこの街で一人で死んでいくだけの人間のために、未来ある人を、夢を持って生きていた人を、帰りを待つ人を殺したんだ」

「……」

「こんなことになるなら、何も知りたくなかった。何も知らないまま、誰も好きにならないまま、僕は消えればよかったんだ。ばあちゃんを施設に入れ終わったら、居なくなってればよかったんだ。生きる価値のない、透明人間の僕が彼らの代わりに死んでれいばよかっ――」


 不意に肩に痛みが走る。琉衣が僕の肩を殴っている。顔を上げたとき、視界に入った彼女は目に涙を溜めて僕を睨みつけていた。


「透明じゃないじゃん! ここにいるじゃん!」


 彼女は涙を流しながら僕の肩を拳で叩き続ける。


「悪いことをしたことと、侍が生きることは別じゃん!」


 書店のバイトをしている琉衣の力は、僕が思ったより強く、僕の体に痛みを刻み込んだ。


「帰りを待つ人が居なくても、夢が無くても、価値が無くても生きてていいじゃん!」


 痛み。琉衣の与える痛みが、透明の僕に形を色を与えていく。


「侍がいなかったら、誰が私の小説を読んでくれるのさ!」


 彼女の叩く力が徐々に弱まっていく。


「クレープなんか奢ってくれなくていいから! 欲しい小説もバイト代で買ってあげるから! お昼ご飯が足りないなら私の分を全部あげるから!」


 琉衣の僕を殴っていた手は、僕のシャツの袖を震えながら掴む。


「だから誰かの代わりにいなくなってもいいなんて、そんな悲しいこと言わないでよ!」

「……ごめん」

「バカはべるぅ!」


 僕の頬に冷たいものが流れる。雨かと思ったがどうやら自分の涙らしい。罪の重さに耐えかねて流れたものか。僕にいて欲しいと言ってくれる人がいると分かって嬉しかったのからか。涙の理由は自分でも分からなかったけれど、僕は自分の瞳から流れ出るものを自由にさせることにした。


 ◆


「……言わないのか、自首しなさいとか」

「んー?」


 互いに泣き腫らした目をした僕たちは帰路についている。少し先を行く琉衣は、縁石の上を平均台のようにバランスを取りながら進む。


「侍の言ったのってあれでしょ、前教えてくれたやつ。えーっとなんだっけ、貧乳表現?」

「……比喩表現」

「それそれ、言い換えのやつ。本当に11人も人殺ししてたら、普通バレて捕まっちゃってるよ」


 琉衣の反応は不思議でもなんでもない。日本の警察は優秀だ。僕の申告通りであれば――殺したのが普通の人間ならば既に捜査の網にひっかかり、お縄を頂戴しているはずなのだから信じてもらえるわけはない。


「『好きな人のため』って言ってたよね。なになに? 葉ちゃんのために万引きでもした?」


 からかうように振り返った琉衣はバランスを崩して車道側に倒れそうになる。僕は彼女の腕を掴んで歩道側へ連れ戻した。


「危ないぞ」

「ごめんごめん」


 琉衣はてへっと可愛く舌を出す。


「助けてくれたお礼に、万引きなら一緒に謝りに行ったげるよ」


 屈託なく笑う琉衣が眩しい。1ページごとに血か臓物を描写しないと満足できない彼女の笑顔は、作風とは逆に人を前向きにさせる力があるようだ。

 僕は殺人を犯した。それは変えようのない事実だ。だけどゲロまみれの僕を助けて「一緒に謝ろう」とまで言ってくれた女の子の友人として、相応しい生き方を選ぶことはできる。

 暴露作戦が失敗したAIAは更に強硬的な手段に出る可能性がある。彼らが誤った情報で動いて罪を重ねてしまうのを止められるのは今、僕しかいない。

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