20.マクドナルドロマンス
9月24日 土曜日 午前9時55分
僕が約束の時間の5分前に待ち合わせ場所に着いたとき、約束の相手は既に僕のことを待っていた。
「琉衣、お待たせ」
「あっ、侍おはよ!」
スマホを鏡代わりに前髪をいじっていた琉衣は顔を上げ、歯を見せて笑う。前日に見た葉とは反対に、琉衣のファッションはこれぞストリート系というカジュアルなスタイルだ。オーバーサイズのパーカーは穿いているショートパンツをほとんど隠している。バイトで酷使しているという琉衣の足はすらりとして健康的で、彼女のお気に入りのスニーカーがその先端を彩っていた。
「じゃあ行こっか。希望はある?」
「Sサイズのドリンクが100円のとこならどこでも」
「はいはい、マックねー」
先に歩き始める琉衣が背負う撥水加工のされたリュックが楽しそうに揺れる。ここ最近は葉と毎日昼食を取るため、琉衣の小説への直接のレビューが出来なくなっていた。そんな折、琉衣から『集中してレビューしてほしい!』と要望を受け、僕らは土曜の昼前から集合し感想会を行うことにしたのだ。
「レビューはメッセージじゃダメなのか? やっぱり」
「ダメ、絶対に! 生の声が聞きたいの! 今日は私が侍を占有するんですぅ」
占有したところで、立派なコメントがもらえるわけではないのだが。振り返って笑顔を向けてくる琉衣の考えを、僕は理解できないでいた。
◆
アーケード商店街の終端にあるマクドナルドの二階席、外が良く見える窓際のテーブル席を僕らは占拠した。僕の頼んだSサイズのコーラと琉衣のビッグマックセットが乗せられたトレーが、土地の領有権を主張するかのようにテーブルに置かれる。窓を背に座った琉衣が心配そうに眼を細めて口を開く。
「最近、おばあちゃんはどう? 体調悪くして無い?」
「元気だよ。昨日会ってきた」
「よかったぁ」
「ただ、もう自分じゃ歩けないし、ボケも酷い。家で暮らすのは厳しいと思う」
「そっかぁ……侍のおばあちゃんのお焼き、また食べたかったのに」
まるで自分の家族の悪い病状を聞いたかのように、琉衣の顔は暗くなる。高校一年の春、琉衣は一度だけ家に来たことがある。家に女の子を連れてきたことを祖母はいたく喜び、しわしわの手でおやつまで作っていた。野沢菜漬けが入ったお菓子なんて、恥ずかしいから出さなくていいと何度も言ったが聞かなかった。幸いにも琉衣はそれをえらく気に入って僕の分まで平らげていたが。
「あーあーもうあの味を覚えてるのは侍と私だけかぁ」
お約束となった流れを感じ、否定の言葉を滞りなく発するために僕はコーラで唇を湿らす。
「私にしときなよ! おばあちゃんの味、完全再現してあげる!」
「僕は野沢菜漬けが嫌いだ」
「祖母不孝ものぉ!」
朝食を取る客が退店し、昼食を取る客が来る前の空いた店内に僕を罵倒する声が響く。
「うるさい。で、本題の物は」
「そう焦んなさんなって。侍は欲しがりやさんだなぁ」
言い方はともかく、否定はしない。僕はこれでも、彼女の拙いながらも迫力のある小説を気に入っているから。
琉衣はリュックから取り出したノートPCを起動し、いくつか操作すると画面を僕に向ける。差し出された画面に表示されたテキストファイルを僕は一行一行読み込んでいく。ちらりと視線を上げると、琉衣は僕の顔をうつむきながら上目遣いで見ていた。
「顔を見ても評価は変わらないから、ビッグマックの箱に溜まったレタスでも食べて待っててよ」
「き、緊張して、読まれてるときに食事なんかできないよー!」
「普段は大口開けてサンドイッチ食ってるのに」
「あれは昼休みだからー! 侍も作家になってみれば分かるよ!」
なる気はないので、琉衣の言葉を無視して読み進める。琉衣は飲み物には口を付けたが、目線を上げる度に、ずっと僕の顔を見ているようだった。流行りのJ-POPと店内放送だけが流れる、都市部の休日にしては静かな時間だった。彼女の書き溜めた小説を読み終えた僕は、息をついて琉衣をまっすぐ見つめた。
「単刀直入に言っていいか」
「……いいよ」
琉衣は顔を強張らせて息を呑む。
「すっっっっっっごく、面白かった!」
「よっしゃぁぁぁぁぁ!」
琉衣はガッツポーズを取った。
「先輩刑事を殺された恨みで犯人を追って冷静さを欠く主人公と、それを止めようとする女性刑事の感情の対比! すれ違いが良く書けてた!」
「でしょでしょ!」
「僕が特に好きなのは……ほらここだ。刑事にビルの屋上に追い詰められた殺人鬼が……」
「ワイヤーの出る銃でビルから飛ぶ!」
「現場から殺人鬼が忽然と姿を消していた伏線回収と、かっこいいアクションシーンの両立。すごいリライトしたな! めっちゃいいぞ!」
「えへへーほめろーもっとほめろー」
僕の絶賛に、琉衣は顔を赤らめる程嬉しいようだ。ここまで喜ばれると、僕もレビューのし甲斐がある。
「やっぱりこれが世に出ないのはもったいないよ。賞に出さないにしても、例えば小説投稿サイトとかに投稿すれば……」
言葉が出なくなった。
「すれば?」
琉衣は首を傾げ僕を不思議そうに見つめる。
「広告収入とかもらえるよ」
「夢のない話だなぁ!」
「お金は大事だ」
「違うのー私は小説を書きたいのであって、賞とかお金がゴールじゃないのー!」
琉衣はテーブルを子供みたいにバンバンと叩く。振動で倒れて全てが無に帰さないよう、僕は素早くパソコンから自分のコーラを遠ざける。
「そんなにお金が欲しいなら侍も書こうよー。私と共同著とか、どう? どう?」
「やだ。面倒くさい。琉衣が発表しない原稿を、死後にまとめて出版して、それでたんまり稼ぐ」
「ひどーい! そんな悪徳読者にはポテトの刑だ。おらおら~!」
僕の口に塩気の強いフライドポテトが琉衣によって押し込まれ始めた。僕は抵抗しようとするそぶりを見せて、自分の本心を悟られないように努める。
小説投稿サイトに投稿すれば――琉衣がどこかに行ってしまっても僕は琉衣の物語を読めるから。か細い絆だけど、繋がっていられるから。僕はそう願ってしまっていた。
気持ち悪すぎる。おこがましすぎる。図々しすぎる。
僕は自分がこの街で朽ちることを許容したはずだった。いずれ友人が遠くに行ってしまうことを受け入れたはずだった。好きな人と共に日々を過ごし幸せなはずだった。インスマスとの戦い、葉が幸せな思い出を作れるようにすると昨日誓ったばかりだった。
それなのに僕は、僕に楽しそうに冷めたフライドポテトを差し出す琉衣を見ると、糸が絡み合うように乱れた、名前が付けられないような情動に心が支配されてしまった。
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