16.ジョニーよ銃を取れ


 9月15日 木曜日 午後8時50分


 みかりのスマホがけたたましいアラーム音を発した。僕の視線がみかりとスマホに向かった時、みかりは既にスマートフォンを手に取り、画面の表示内容を素早く確認していた。


「ごめ! はっちゃんとうちはいったん抜けるわ!」


 僕と自分の分の代金をテーブルに置いて部屋を出るみかりを僕は追いかけた。背後から投げかけられた「避妊はしろよー」というヤジは聞かなかったことにして。


「みかりさん、どうしたの?」

「へへーん! インスマスが見つかったよーん」


 みかりが見せてくれたスマホの画面には街の地図が表示してあり、その中で赤い点が移動している。


「この赤いのがインスマス?」

「そうだよ! 今日はロックフェラーが見つけたみたい! 帰ったらいっぱい磨いてあげないと!」

「ロックフェラーってさっき飛ばしてたドローンのこと?」

「いぇーす!」


 みかりはとびっきりの笑顔で頷き、うちのいい子万歳! とはしゃいでいる。実の子供を褒められた親だってこんな顔はしないだろう。少なくとも僕の親はそうではなかった。


「ドローンにはそれぞれAIを積んでるん。きわみ……ライトフェザーから貰った目撃情報の画像データを学習させて、街の中からターゲットを見つけて追跡させられるの!」

「滅茶苦茶すごいじゃないか! みんなそれを使えばいいのに!」

「たはは、でもまだ学習が足りなくて誤認も多いん。アルミは使いたがらないねぃ」


 放置できるメリットと、正確に判断できないデメリット。確かに任せっきりにすることはできない。で、あればカラオケに行っている場合ではないのでは、と言いたかったが、ドローンが成果を見せて嬉しそうなみかりにそれを言うのは野暮に感じてやめた。僕らはカラオケ店を出ると、人通りの少ない路地へ駆けていく。


「変身の時間だねぃ!」

「ああ! やってやろう!」


 僕とみかりはそれぞれマスクを取り出す。みかりは白人男性の顔に、僕はトカゲの顔に変わる。僕は更に、アジトから出る前に葉が渡してくれていたタクティカルグローブを装着する。まだ先日の傷が治りきっていない手のひらが保護される。それ以上に彼女に貰った物を身に着けた、という事実が僕を奮い立たせた。

 暗い路地から大通りに飛び出した僕らはもう侍とみかりではない。レプトとルーズベルトという、狂気と陰謀を打ち砕く二人のヴィジランテに変わっていた。



 ◆


「……やっ! ……あっ!」


 僕らがスマホの画面が指し示した地点である、駅から少し離れた高層マンションが立ち並ぶエリアに到着したとき、人間に擬態したインスマスが三匹、恐怖で声が上手く出せなくなっている若いスーツ姿の女性をワゴン車に押し込もうとしているところだった。繁殖のための誘拐の場面を初めて目撃し、僕の中にどす黒い怒りが渦巻く。


「おーい、おっさんたち、なにしてん?」


 みかりの声にインスマスたちが反応し振り返る。僕はその醜い顔ぶれに見覚えがあった。AIAに入る前、駅前で陰謀論を流布していた連中だった。不気味な連中と感じていたが、よもや人ですらないとは思いもしなかった。


「その人を離せ! 今すぐ解放しろ!」

「なんだこの ggtn hunsg が!」

「ガキが構うんじゃねぇ gi nngoyhu!」


 人語とインスマス特有の鳴き声が混じった声を発しながら、3匹のインスマスは女性を車に閉じ込めると僕とみかりに近づく。僕がVALを構えると同時に、インスマスは雄たけびを上げ、体を自ら本来の姿に変異させ始める。あまりに醜悪なその光景がもたらす不快感に、僕はマスクの奥の顔を歪めた。絶対にあの女性を助けなければと、VALを握る手に力が入る。


「おっさんたちさー、3対2だと思って余裕こいてるっしょ?」


 力む僕とは対象的に、みかりの調子は崩れない。いつものゆるっとした雰囲気をまとったまま、スマートフォンを片手で操作している。だが僕はその姿に頼もしさすら感じた。彼女のこういう行動が決して無意味なものでないと、この短い時間で僕は知っていたからだ。


「正解は5対3でうちらが有利だかんね!」


 彼女の宣言と同時に、夜の闇からみかりの操作するドローンが飛来し、カラスのようにインスマスたちに襲い掛かった。ドローンにはカミソリのような刃が装着してあるのか、ドローンたちがインスマスに肉薄する度、奴らの体に細かい傷がつけられていく。


「Giii!」


 一匹のインスマスの左目がドローンにより潰された。僕は好機を逃すまいと、VALを中段に構えインスマスに接近する。潰れた目玉の死角から近づき、忌々しい怪物の顔目掛けVALを振り払う。曲がった先端がインスマスのこめかみに突き刺さり、怪物の命を奪った生々しい感触をVALとグローブ越しに僕の手は感じ取る。


「レプト危ない!」


 みかりの声にはっとし、攻撃後の隙を狙ったインスマスの鋭いかぎ爪を間一髪で避ける。ドローンが僕とインスマスの間に割り込み、牽制してくれた。ありがとうカーネギー、と勇敢なドローンへ心の中で賛辞を贈る。


「これ! ボタンの近くのアダプタに差して!」


 みかりから手のひら大の黒い箱が投げられ、キャッチした僕はそれをVALへ装着する。瞬間、VALに青い稲妻が宿った。スタンガン機能と瞬時に理解する。この時間を稼いだ目の前のドローンは、インスマスのかぎ爪によって地面に叩き落とされた。僕は叩き落とされたドローンを挟んで、VALの先端をインスマスの胴体に押し付ける。VALからほとばしった稲妻がインスマスの体を駆け巡り、神経を誤動作させ体を痙攣させる。渾身の力を込め、痺れて動けないインスマスの心臓部へ先端を勢いよく突き立てる。心臓を杭を打たれたドラキュラよろしく貫かれたインスマスは、断末魔もあげずにあの世へ旅立つ。あと一匹。


「GIgunt クソッ!」


 最後の一匹になったインスマスはこの状況が不利と判断したのか、僕が死体からVALを引き抜くのに手間取っている間に、ドローンから頭部を守りながらワゴン車の運転席に乗り込み逃げ出そうとしていた。


「ルーズベルト! 一匹逃げる!」

「任せて!」


 自分では間に合わないと判断した僕の叫びに、みかりは明瞭に応える。彼女は自分専用のVALを取り出すと、器用に片手でぐるぐると回す。西部劇のウィンチェスター銃のような動きを見せたみかりのVALは、みかりの手の中で静止した時に、本当にライフル銃のような形に変形していた。


「ジョニゲッチュガン」


 みかりは歌いながらライフルVALを肩づけし構える。


「ゲッチュガン」


 インスマスと拉致されようとしている女性の車のエンジンが唸る。


「ゲッチュガン!」


 ライフルVALが吠える。みかりのVALから発射されたそれを、最初は発射音で弾丸のようなものと思った。だが車の後輪ホイールにヒットしたそれは。黒い粘着質の物体に覆われた小さい機械で、着弾して2秒ほどで大きく爆ぜた。粘着爆弾。フィクションでしかみないような代物の爆音に、僕は危うく腰を抜かしかけた。

 タイヤが一つ無くなったことにより、ワゴン車はその役目を果たせず制止する。爆発の衝撃に僕はまだ面食らっていたが、女性の安否を確認しなければと恐怖を心の隅に追いやり、ワゴン車へ駆け寄る。

 窓から見えた女性はせき込んでいるが無事だった。そして運転席にいたインスマスが僕らから逃げようと、開けたドアから這いずり出ようとしているところだ。

 ここで殺せば、女性にDWの影響が出てしまう。僕は力任せにインスマスのたるんだ首を掴むと、引きずって車から引き離す。地面に転がしたインスマスの背を僕は踏みつける。


「Gi……GiGi……」


 命乞いのようなインスマスの鳴き声を聞く僕の心は、不思議と穏やかだった、女性が乱暴をされたという怒りや、先程まで目の前の怪物へ持っていた不快感も嘘のように心の中から消えていた。何故こんなにも落ち着いているんだろう。怪物とはいえ命を奪うというのに。まるで自分を俯瞰したかのような考えが頭蓋の中によぎる。だけど、僕の腕はそれを意に介さず、まるで朝の身支度でもこなすように、粛々とインスマスの頭にVALを叩き込み、その命を奪った。



 ◆


「大丈夫ですか?」

「ひぃぃぃ!」


 女性を車内から連れ出すべく、車のドアを開け放った僕を待っていたのは、攫われそうになった女性の悲鳴とハイヒールの鋭いキックだった。彼女はパニックになり、車内から僕を蹴り飛ばそうとする。無理もない。街中で攫われかけ、その集団が今度はマスクの自警団と殺し合いをはじめ、さらった奴らを皆殺しにしたマスクの二人組の内の一人が自分に近づいてきた。おまけに不気味なトカゲ頭ときている。僕が彼女と同じ立場でもこうなるだろう。

 しかしこの状況はまずい。爆発音がしたことで、確実に周囲の注意を引いたはずだ。マンションの住民がベランダからこちらを撮影していても不思議ではない。インスマスの死体は既に劣化し始めているし、このままだと僕らが爆発を起こしたテロリストか何かに見られてしまう。とにかく女性を落ち着かせないと、と僕が焦って何もできないうちに、みかりは困り果てた僕の横に立ち――なんとマスクを脱いだ。


「ルーズベルト! まずいよ、誰かに見られる!」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ」


 必死に彼女の素顔を建物から隠そうと動く僕に、みかりはいつもの口調で答えると、膝をついて車内の女性より視線を低くし、見上げるように女性を見る。


「お姉さん、大丈夫ですか?」

「……は、はい」


 素顔のみかりに声をかけられた女性は徐々に落ち着きを取り戻し始める。


「さっきの奴らはうちらがやっつけたんで、大丈夫です。迎えに来てもらえる家族とか、彼氏さんとかいますか?」

「……か、彼氏なら」

「じゃあ、連絡してマックとか、スタバとか、コンビニとか、人いるとこで待ちましょっか。ついていきますか?」

「ひ、一人で大丈夫です」


 みかりはあくまでも優しく女性に語り掛ける。いつものギャルっぽさはどこにもない。


「よかった。じゃあ、気をつけて。うちらのことは彼氏さんに秘密で。攫われそうになったけど事故してみんな逃げたって彼氏さんに言ってね」

「は、はい……あの助けてくださってありがとうございました……」

「気にしないで! 今日のことも早めに忘れちゃいましょ!」


 僕はマスク越しにその様子を眺めることしかできなかった。みかりの行動を、僕はとてもじゃないが真似することができない。身バレの危険を冒して素顔を晒し、女性を安心させ、焦るわけでもなく言葉をかけ、付き添いまで提案する。インスマスとの戦いでいっぱいいっぱいの僕とは大違いで、自分の器の小ささを痛感させれる。

 葉にヒーローになってと言われたが、僕が思うにその言葉は、目の前の長身のギャルにこそ相応しい。この高みに僕が到達するには、まだまだ時間がかかりそうだと、女性に太陽のように笑いかけるみかりを見て理解させられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る