15.ディスイズアメリカ


 9月15日 木曜日 午後6時10分


 僕とみかりは、きわみから割り当てられたエリアの中にある公園に来ていた。午後6時を回ったからか、公園には子供の姿は見当たらず、空の遊具が哀愁を感じさせた。


「よーし、この辺で良いかなぁ」


 みかりは公園の真ん中で背負っていた荷物を下ろす。彼女は僕や葉が使う通常のリュックサックは使わず、料理宅配アプリの配達員が使う大容量のバックパックを使用していた。中身は複数台のドローンとその充電ステーションで、ドローンにはそれぞれ『Carnegie』『Morgan』『Rockefeller』と書かれている。僕の記憶が確かなら、全員アメリカの実業家たちの名前のはずだ。


「さぁさぁ、みんな出番だよー」


 みかりがスマートフォンを操作する。3台の実業家の名前を授けられたドローンたちが天高く舞い、街の夜空に溶けて消えていくのを、僕は訳も分からず眺めていた。


「よし、準備完了! じゃあ行こっかはっちゃん!」

「ターゲットのところにだね」

「いや、ウチの友達んとこ。みんなでカラオケ行くみたいだから、うちらも行こ?」

「は?」


 彼女の言っている言葉の意味が理解できない。狩りのための何かの隠喩なのかと考えを巡らせるが、葉との狩りではそんな暗号は使ったことはなかった。となると、考えられるものとしてはひとつ。


「えっと、みかりさんの友達とこれから遊ぼうってこと?」

「それ以外ないじゃーん。はっちゃんて意外にバカだなぁ」


 みかりにはサボり癖がある。

 確かに葉は言っていた。だがここまで堂々としたものだと思わなかった僕は返す言葉を失ってしまった。


「ほら! みんな待ってっから行こ!」


 バックパックを背負い直したみかりに僕の腕は掴まれる。体格差で勝てない僕の体は、必死の抵抗むなしく引きずられてしまう。


「待ってみかりさん、サボったら僕まで葉に怒られ……聞いてるみかりさぁん?!」


 僕の叫びは闇夜に消えたドローンと同じく、誰もいない公園の中で霧散した。


 ◆


「てか、みかりさぁ、他校の生徒逆ナンとかチャラっ!」

「チャラくねぇし!」

「ビッチじゃん!」

「ビッチじゃねぇから!」


 公園でドローンを放ってから10分後、僕はあれよあれよという間にみかりに連れられて、騒がしいマイルドヤンキーたちがたむろするカラオケボックスの一室に閉じ込められていた。全員がみかりと同じ私立高校の制服を身を纏っていて、髪の色や着こなしが僕の学校のそれとはまるで違っていた。不良、とまではいかないが、普段であれば絶対に絡むことがない人種の中に放り込まれた僕は、借りてきた猫のように身を縮こませて、運ばれてきたメロンソーダをちびちびと飲むことに徹してこの場をやり過ごそうとしている。


「なにー? はっちゃん、葉っちにバレないか心配なん?」


 僕が不安そうにしているのを察したのか、右隣に座るみかりが僕のうつ向いた顔を覗き込んでくる。


「だーいじょぶだってぇ。葉っち、うちらとは反対のエリアだし、バレないバレない」


 みかりの友人の下手くそなJ-POPをBGMに、みかりの言い訳を聞いた僕の顔はさらに渋くなるばかりだ。信頼を裏切る、ということは考えないのかと理解に苦しむ。


「ほら、君の番だよ」


 左隣から、みかりの友人がカラオケの端末機を僕に差し出す。黒髪をツーブロックでキメたこの少年は、黒ぶち眼鏡というおよそ人を地味に見せるアイテムですら、おしゃれに着用していた。


「あ、ありがとう」


 自分よりあか抜けた同い年の少年から受け取った端末を、そのままみかりに流す。


「はっちゃん歌わないの?」

「歌える曲ないから」

「えー? 聞き専?」


 君が無理やりここに連れてきたんでしょうが、という文句を必死に飲み込んだ。ここで僕が唯一まともに話ができる人間はみかりしかいない。彼女の機嫌を損ねることは避けたかった。


「いぇーい! じゃあ行っちゃうぜぃ!」


 みかりがマイクを構えたとき、流れ始めた荘厳な伴奏に僕は思わず耳を疑った。


「オーセイキャンユーシー! バイザダウンアーリーラーイ!」


 彼女が歌い始めたのはアメリカ国家だった。僕は驚きのあまり周りを見渡すが、皆、次に自分の歌う曲を何にするかや、届いているメッセージの確認に気を取られ、みかりの歌う曲目の突拍子の無さに突っ込む様子はない。


「ホームオブザブレーブ!」


 結局僕は、みかりの熱唱をただ呆気にとられながら聞くことしかできなかった。


「ふぃー、どうだった?」


 感想を求められ、僕は歪んだ笑顔をどうにか浮かべ手を叩く。 


「なんというか、みかりさんは本当にアメリカが好きなんだね……」

「うん! そうなん!」


 若干皮肉を込めたのを申し訳なく感じさせるほどの眩い笑顔を、みかりは僕に向けた。そんなみかりの外見を改めて見直す。足元はコンヴァースのスニーカー。僕も含め同年代があまりつけない腕時計が左腕にあり、それはタイメックス製のアナログ時計。テーブルに置かれたみかりのスマートフォンは、ケースにニクソン大統領のステッカーが貼ってあり、近年46代大統領の座を巡って争った二人の大統領候補者のマスコットがストラップとして吊るされている。本国の両党派の支持者たちにこの様子を見せて反応を見てみたい。彼女は中身はともかく、外見はアメリカ色に完璧に染まっているようだ。


「なんで、みかりさんはアメリカが好きなの?」

「それはビッグだからだよ! ハンバーガー、ピザ、おうち、スーパーマーケット、車、道路! めっちゃ憧れるぅ!」


 友人の歌声に負けじと張り上げたみかりの声はしっかりと僕の鼓膜に到達した。ビッグさならみかりの声も負けてない、というかはっきり言ってうるさい。


「ビッグなのは外見だけじゃないんよ。はっちゃんはさ、アメリカが移民の国なの知ってる?」

「まぁ、一般的な知識としてなら」

「ヨーロッパ、ドイツ、中東、アジア、うちらみたいな日本から来た人もいる。精神的にもビッグな国なんよ。そんな風にみんなを受け入れる懐の深さをさ、うちも持ちたいんだよね。だから好きだし、憧れてるん!」


 実情は『懐が深い』とはかけ離れている、ということを彼女は知らないようだ。しかし、それを指摘するのも野暮に感じられるほど、彼女の言葉はまっすぐだ。


「はっちゃん知ってる? アメリカ軍はさ、戦場に取り残された兵隊さんが一人でもいたら見捨てず助けに行くんだって! うちもはっちゃんが困ってたら必ず助けに行くから!」


 そう。理屈ではなく、感情に訴えるすがすがしさを、僕は彼女から感じずにはいられなかった。


 ◆



 歌う順番が何順化したころ、グラスの中のメロンソーダも尽き、僕はこの空間からの逃避先としてスマホの画面を選んだ。丁度、琉衣からのメッセージを知らせる通知が目に入る。


[おーい、今何してる?]

[聞いて驚くな。他校の生徒とカラオケ中だ]

[ハァ?]


 こちらを恫喝するウサギのイラストスタンプに思わず吹き出してしまう。彼女が疑うのも無理はない。クラスメイトと話すことでさえ満足にできなかった僕が夜に他校の生徒とつるむとは考えにくいだろう。


[大丈夫? カツアゲとかされてない?]

[いやってくらい、みんなフレンドリーだよ]


 こちらを訝し気に睨むワニのスタンプを琉衣が貼る。


[はーべーるー。私にしときなよー]

[この話の流れでそうなるか?]

[私なら侍の好きな曲歌ったげるよー]

[僕がそういうの良く知らないの、良く知ってるだろ]

[じゃあ私の歌う曲を好きになってよ!]


 ないない、と首を振るアニメキャラのスタンプを返す。琉衣から以前プレゼントされたものだ。


[ところで昼に話せなかったけど]

[昨日送った分、読んでくれた?!]

[読んだ。主人公たちの先輩刑事が殺人鬼に殺されるシーン。緊迫感があってよかった]

[でしょでしょー]

[殺人鬼が先輩刑事の剥いだあばら骨でドラムみたいに階段の手すりを叩くシーン、最高にいかれてるな。琉衣以外書けないよ]

[それな!]


「へー可愛いじゃん」


 隣にいた少年に突然話しかけられたことに驚き、僕は野良猫のように体を強張らせる。ツーブロックの眼鏡の少年の視線の先を追うと僕のスマホの画面に向けられていた。メッセージアプリの琉衣の自撮りアイコンへの感想なのだろう。


「え、君の彼女さん?」

「いや……そういうわけじゃ……」


 二つ隣に座る金髪を逆立てた男子の視線が僕に突き刺さる。面倒なことになってきた。


「えっ、彼女いんのにお前みかりに逆ナンされてついてきたの? チャラっ!」


 君の外見ほどじゃないだろう。


「うっわ、ヤリ●ンじゃん!」


 誰がヤリチ●だ。僕はスカートをギリギリまで短くした、3つ隣のビッチっぽい女子に言い返せず、みかりの方を見て助けを求める。


「ジョニゲッチュガン、ゲッチュガン、ゲッチュガン!」


 ダメだった。高らかに第一次大戦の戦意高揚歌を歌うみかりに、僕の声は届いていない。


「なーなー彼女じゃないなら俺に紹介してよ」

「おめー彼女いたろ!」

「かな子に言いつけっからなー!」

「オーバーオーバーゼア!」


 ジョニーよ銃を取るな。父も母も恋人もきっと悲しむ。みかりの歌う曲の時代に生きた青年に訴えかけることで、僕は粗野なマイルドヤンキーたちの声を意識からシャットアウトし、なんとかこの荒波のような時間が過ぎ去るのを待った。

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