5.アンダーザシルバーフード


 二足歩行の魚人間は自身の体を貫いた槍を掴み、大きく体を振る。


「きゃっ!」

「うわっ!」


 槍を持つ銀色の覆面の少女はその大きな動きに対応しきれない。体を揺さぶられて槍から手を離し、横にいる僕にぶつかった。二人とも地面に倒れる。魚人間は苦し気にうめいた後、槍を引き抜くと僕らを感情の見えない目で見降ろした。


「gotogu gukhn ftgn!」


 魚人間は槍を地面投げ捨てると、それを自らに突き立てた少女に手を伸ばした。覆面の少女は体勢を立て直す前に怪物に首元を掴まれる。少女は拳を魚人間の腕に叩きつけ、足をばたつかせて抵抗するが、魚人間は片手一本で悠々と彼女を持ち上げその体を欄干に押し付ける。僕の脳内にはまたもや悪友の言葉が響いた。


(女の子を攫っちゃうんだって!)


 琉衣の言葉が現実になりつつあった。魚人間は両手を少女の細い首に手にかけきつく締める。少女も抵抗を続けるが、酸素が体に行きわたらず、次第に動きに力が無くなっていく。抵抗しなくなったところを殺すのか、それとも更に陰惨な行為に及ぶのか。その後、僕もどうなるのか分からない。ここで自分だけでも逃げ出すのが正解なのだろう。だが、そうはしなかった。


「う、うあぁぁぁ!」


 僕は叫び、不器用に立ち上がりながら魚人間が投げ捨てた槍を拾い上げると、その穂先を少女に気を取られていた魚人間の脇腹めがけ突き立てた。


「Gyouuuuuu!」


 魚人間は少女から手を離す。手をばたつかせ槍から逃れようとするが、僕は渾身の力で一歩踏み込んで、より深く槍を突き刺す。

 好きな女の子とは結ばれないかもしれない。孤独にこの街で老いるだけの人生かもしれない。友人が都会へ行くのを黙って見送ることしかできないのかもしれない。けれども、怪物から自分を助けてくれようとした誰かが、目の前で殺されるのは我慢できなかったのだろう。僕はいやに冷静で俯瞰的になっている頭で、目の前の怪物を殺そうとしていた。


「Gi……」


 強く踏み込んだことで魚人間はわずかに鳴いた後、膝から崩れ落ち倒れ伏す。僕はしばらくの間、魚人間に刺さったままの槍から手を離せずにいた。ようやく動けたのは、魚人間が殺そうとした銀色の覆面の少女が視界の端に入ってからだ。


「だ、大丈夫ですか?!」


 僕は槍から手を離し、倒れた少女に駆け寄り抱きかかえる。呼吸しているのか傍から見て分からなかった。そういう時は相手の口元に頬を近づけると良いという、付け焼刃の救急救命法の知識を思い出し、僕は彼女のマスクに手をかけた。それはアルミホイルで出来たマスクで、破るようにして脱がすことができたが、そのマスクの下の顔に僕は驚愕した。


「麻霧さん……?」


 その顔は僕が今日昼間に話しかけ、そして弾まない会話をしてしまった少女。麻霧 葉。僕の好きな人だった。想定外すぎる状況に、僕は何もできずに、彼女の目を閉じた美しい表情を見つめることしかできない。


 そうだ、呼吸を確認しないと


 マスクを剥ぎ取った当初の目的を思い出し、僕は葉の口元に顔を近づける。が、直前で葉は目を見開いた。突然のことだったので、僕は身を引いてしまい、抱えていた葉を思わず固い地面に落とす形になってしまった。葉は痛みに口元を歪めて、その場で座り込む。


「ああっ、ごめん! ごめんなさい! こ、殺されかけてたから! 息してるか、かっ確認したくて……」

「……」


 葉は言い訳を重ねる僕ではなく、槍が突き刺さったままの魚人間を見ていた。僕も思わずそちらに目を向ける。魚人間は僕が槍を突き刺した直後からは大きく体積を減らし、緑色に変色しながらその体表が氷のように溶けだしているようだった。動物が腐敗するの映像を早回しで見ているかのような光景だ。


「……このインスマスはあなたが?」


 インスマス。


 聞きなれない単語を聞いた僕が、それを僕が刺殺した魚人間のことだと気づくには、少し時間を要した。


「え、あ、うん。えっと麻霧さんが首絞められてて、危ないって思ってそれで……」


 葉はたどたどしく話す僕を一瞥すると、少し困ったように目元を細め、視線を逸らした。『大橋』の街灯に照らされた彼女の困惑する表情を、不謹慎にもまた美しいと感じてしまった。そんな風に油断しきった僕の頬に、すっと葉の右手のひらが当てられた。優しく僕の頬を撫でる細い指の感触に、僕の顔は顎先から額まで紅潮する。


「悪いけど、今夜はあなたを帰せなくなった」


 彼女の言葉の意味が理解できない。


「私と一緒に来てくれる? 話さなきゃいけないことがあるの」


 好きな女の子に夜の時間をくれといわれて、拒否できる男がいるだろうか。少なくとも僕はそうではない。僕は何度も首を縦に揺らす。その様子を見て、葉は満足そうに微笑むと、立ち上がって彼女がインスマスと呼んだ魚人間に刺さったままの槍を引き抜く。槍についたボタンを押すと、1メートル50センチ以上あったその槍は、50センチほどにその長さを縮めた。槍から<バールのようなもの>に形に変わったそれを、葉はジーンズとベルトの間へサムライの刀のように差し込み携帯する。


「じゃあ、行きましょう」


 彼女は地面に座り込んだままのの僕に白く、細い手を差し伸べた。僕はひんやりとした彼女の手を取り立ち上がる。高鳴る胸の鼓動が、手を通して彼女に伝わっていないか、心配になった。





 葉に手を引かれてやってきたのは、先ほどまで僕がいた街の中心地だった。

 駅前を通り過ぎ、かつての栄華を無くした飲み屋街に僕と葉は足を踏み入れる。まだかろうじて営業を行っているバーや居酒屋の看板を横目で見ながら、僕が葉に手を引かれるがまま、夜の街を突き進む。自分が普段体験しない非日常感と、好きな女の子と一緒にいるという高揚感が僕から正常な思考を奪い、これからどこに連れていかれるかも目的地につくまで聞くことができなかった。


「ここ」


 到着したのは飲み街の中心にあるダーツバーだった。店のネオンは消えているが、ダーツボードを模したそれに『Highway 61』という店名がひっそりと書かれている。ここも一見すると潰れた他の夜の店と同じように見えたが、葉は躊躇なく店の扉を開け中に入った。手をつないでいる僕もそれに付き従う。

 内部にはボックス席が4つ、ダーツ台が数台あり、無論カウンターもある。内部はいくつか照明がついているもの、全体を照らすには光量が足りていない。店内の壁はクラシックなアメリカンインテリアが飾られており、恐らく本来の用途で使われなくなったであろうダーツボードにはメモ帳やいくつかの写真が張り付けられている。


「麻霧さん、ここって……」


 僕が隣の彼女に話しかけようとしたとき、バックヤードの扉が大きく開かれた。


「おやおやおや。珍しいこともあるものだ。麻霧君が男の子を連れ込むとは」


 バックヤードから現れたのは純白のスーツに身を包んだ男だった。ただし、紳士的な風貌は首から下までだった。


「これは私も孫の顔が見れる日が来るかな?」


 そう笑って言ったスーツの男の顔は、白いヘルメットに覆われていた。白いスモーク加工で素顔をうかがい知ることはできないが、その顔面には赤い塗料で裂けんばかりに口角を上げた、笑った口がペイントされている。


「……私はあなたの子供じゃない」


 葉がその不気味な男にそう告げた、その瞬間、


『HAHAHAHAHAHAHAHA!』


 ダーツバー全体に海外コメディでよく聞かれる録音の笑い声が鳴り響いた。突然の音に僕はびくっと肩をすくめる。


「彼は狩りに失敗しかけた私を助けてくれた。名前は青座 侍」


 葉は握っていない方の手で僕を指す。僕は自分の名前を彼女が覚えていたことによる嬉しさに顔がほころびそうになるが、ぐっと目の前に近づいてきたヘルメット男の不気味さに、すぐ表情を強張らせることになった。


「ほう! 我らが<アルミ>を忌まわしいインスマスから助けたって?」


 僕は事態が把握できず、口の中の生唾を飲み込むことしかできない。


「彼は<特異点体質者>よ」

「特異点体質者だって?」


 葉とは僕から手を離し、ヘルメット男の隣に行くと、彼の耳元で何かを囁いた。それを聞いたヘルメット男は両手を叩きだす。


「素晴らしい! なんと素晴らしいことだ!」


 なにがなんだか分からない僕に視線を戻した葉は、冷たくも優しい声音で僕にお願いをする。


「あなたには私たちの一員になってほしいの」


 一員? なんの? その疑問が口から出る前に、ヘルメット男は両手を大げさに広げ、その疑問に答えつつ僕を歓迎した。


「ようこそ! <アンチインスマス同盟アライアンス>、略して<AIA>へ!」

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