6.反インスマス同盟



「反、インスマス、同盟……?」

「そう! 我々は忌まわしい魚人インスマス共と、やつらが信奉する邪神の復活阻止を目的としたチームだ!」


 聞きなれない単語と、ファンタジーな語句の羅列に、僕は苦い顔をしながら首をかしげることしかできない。


「申し遅れた。私はAIAのリーダーを務めさせてもらっている者だ。ここではラフトラックと呼ばれている」


 よろしく。とヘルメット男が握手しようと手を差し出すが、それを握り返すほど、僕はこの場への警戒心を失っていなかった。


「なぁに! これはヒーローネームだよ! スパイダーマンもスーパーマンも本名で活動しているわけではないだろう? それと同じさ!」


 僕が聞きたいのはそう言うことじゃない。心の中では叫ぶが、異様な男を前にして口は堅く結ばれたままだ。余計なことを言って何かされたらたまったものじゃない。


「インスマス。忌まわしい邪神の子の末裔。あなたが倒した魚人のことよ」


 見かねた葉が僕とラフトラックの間に入る。


「アメリカ、ニューイングランドのある地名が由来。かつてインスマス共はその地を周辺にカルトを興していた」


 唐突に世界規模の話がクラスメイトの口から出たことに僕の理解は追いつかない。


「けれども1920年代、アメリカ政府の介入により彼らの住む土地は浄化された」

「代わりに、忌まわしい魚人共は世界各所に散ることになった。彼らが行きついた街の一つがここだ」


 葉はラフトラックが付け足した説明に頷く。


「彼らは人間をさらい繁殖することで数を増やしている。この街にも相当数の魚人間が紛れ込んでるの」


 昼間に聞いた琉衣の与太話は事実だった。ただの女子高校生の琉衣が知りえる噂として存在が知られているなら、相当数という数も誇張ではないのだろう。


「密かに数を増やし、人間社会に紛れ込んだ彼らはある目的のため動いている。手段は分断と対立の増長よ」

「やけに社会派な怪物だね……」


 僕の言葉に返事はせず、葉は僕とラフトラックから離れると、写真が張り付けてあるダーツボードの前に立った。ダーツボードを見る葉の表情を、僕の方からうかがい知ることはできない。


「宗教、政治、SNS、地域コミュニティ……あらゆるところにインスマスたちは潜んでる。陰謀論やプロパガンダ、他愛のない噂話を使って、この街に人々の不和と断絶をもたらそうとしている。ある目的のために」


 葉はダーツボードに張られている写真の内の一枚を外すと、僕の方へ戻ってきて写真を僕に差し出した。僕は暗い店内で写真をよく見ようと目を凝らす。

 その写真は海を写したモノクロ写真だった。小さな漁船が画面中央に浮かんでいる。問題は写真奥の物体だった。それは巨大な人型ではあるものの、背中に一対の蝙蝠のような翼が生えており、写真の中の空を覆いつくさんとしている。その巨人の頭は、まるで頭足類――タコやイカのような風貌をしていた。


「加工写真じゃないわ。実際に撮られたものよ」


 僕の心の中に生まれかけた疑念を、葉は口に出される前にぴしゃっと否定した。


「それはインスマスたちが信奉する神の姿さ」


 ラフトラックが忌々し気に吐き捨てる。

 これが神? 怪獣映画のワンシーンの間違いではないのか? そう反論することは彼らの気迫に押されてできやしなかった。


「全ての鮫の王、外宇宙からもたらされた災禍、水の旧支配者……インスマスたちはいろんな名前で呼ぶけど、私たちはこう呼んでいる」


 葉は事態を飲み込めていない僕に視線を向けると、その言葉自体が呪いを持つかのように重々し気に口を開いた。


「<邪神クトゥルフ>。現在は海底都市に封印されているけれど、インスマスたちはこの邪神の復活を目指しているの」


 邪神

 海底都市

 その復活


 祖父の蔵書にあった『英雄コナン』でしか見たことない言葉の群れに、僕の頭はクラクラしてきた。自分を酔いから醒ますように、精一杯おどけて見せる。


「じゃあ、お札を折ると秘密結社のシンボルマークになる、みたいな陰謀論が邪神復活の呪文ってわけ?」

「厳密には違うけど、方向性としては同じよ」


 葉はいたって真剣だ。僕の冗談を咎めも、茶化しもしない。


「彼らの経典にはこうあるの」


 我らの海の神

 星の並び正しく

 民草に争い満ちたとき

 眠れる都市ルルイエより目覚める


 葉の口から出された預言の言葉は、ダーツバーの暗さも相まって、名状しがたい恐怖を僕に与えた。


「邪神が目覚める条件は二つ。ひとつは太陽系の惑星がある一定の配置になること。これは私たちにも、インスマス共にもどうすることもできない」


 それはそうだ。いくら半人半魚の恐ろしい怪物でも、一介の高校生に倒されるような存在に惑星を動かす力なんかないはずだ。


「でもふたつめは達成できる。陰謀論や人々を不安にさせるメッセージを流す。それを信じた人と、否定をする人を対立させ、常に社会を不安定にさせておく」

「ついでに貧困もトッピングだ! 飯が食えないと人って生き物はすぐ殺しあうからな!」


『HAHAHAHAHAHAHAHA!』


 今度の笑い声の音声はあまりに露悪的で、僕はもちろん、葉も顔をしかめずにはいられなかったようだ。


「ともかく、そうやって人々を『常に』争わせることで、最初の条件がクリアしたときにすぐ邪神が復活できるように、インスマス共はその舞台を整えているの」

「最初の条件が満たされるのはいつ?」

「50年後とも、100年後とも言われている」


 神様にとってはくしゃみをするくらいの時間だが、僕たち人間にとっては人生の殆どを占める時間だ。そんなに長期間、争いを種をまかれる影響は計り知れない。

 もし本当に彼らの――葉の言葉を信じるなら、それだけでも放置してはいけない悪行だ。


「そして邪神クトゥルフが完全復活した場合、クトゥルフは強力な精神波を発生させ、インスマス以外の生物は全て死滅。その後、地球は彼ら怪物たちの楽園になる。それがインスマスの経典の黙示録にして、やつらの最終目標」


 しかも孫の代での人類滅亡つき。終末のバリューセットだ。


「真実を知った私たちのような一部の人間が、それを阻止すべくインスマスと戦っているの。AIAはそういう組織の一つ。私もその一員」

「善意の市民たちという奴さ。やつらが結束するなら、我々市井の人々も団結して戦うのさ」


 ラフトラックは自分と葉を讃えるように拍手する。

 もう駄目だ。耐えられない。僕は両手を上げて降参のポーズをとる。


「わかった。怪物の実物も見たし、二人の話は信じるよ」


 僕はラフトラックと葉を交互に見ながら頷いた。


「でもそんな大事なら『市井の人々』なんてものじゃなくて、国が警察や自衛隊を動かすべきだよ。僕らにどうこうできる話じゃない。そうでしょう?」


 僕は必死に訴えかけるが、二人の反応は冷ややかなものだった。ラフトラックがため息まじりにヘルメットの奥から問いを投げかける。


「では青座 侍君。聞くが、インスマスを見る前にこの話を聞いて、君は行動を起こすか?」


 僕は口を閉ざした。今日似たような話を琉衣から聞かされたとき、僕は何を考えていた? 恐らく次の授業が移動教室だったかくらいだろうし、話した当の琉衣も本気では噂を信じてはいないだろう。あくまでも僕との話題作りのためだけに話したのだ。


「よし、ではさらに仮に見たとしよう。でも君が警察や自衛隊を動かせるほどの歳のいった政治家なら、その後どうする? 批判を覚悟で若者たちを怪物と戦わせるか? そうはしないだろう。自分が死んだ後の世界を気にするくらいなら、名誉を守って今をのらりくらりとやりすごし、後世にその責任を押し付ける。そんなところだろう」


 これには僕は身をもって頷けた。祖母の認知症が悪化した時、役所の生活支援課に助けを求めたときの職員の冷ややかな態度を思い出し、悔しさで涙が出そうになる。末端でそうなのだから、上はさらに酷いだろう。祖母と二人暮らしの高校生に助け舟さえ出さない政府が、世界の危機に立ち上がるなんてことは絶対にしないはずだ。


「問題がもうひとつあるの」


 僕の手から葉は優しく写真を取って、それを自分の顔の横に掲げる。


「さっきクトゥルフは精神波を放ち、インスマス以外の生物を殺すと言ったわね」


 僕はかろうじて残った正気を総動員し頷く。


「クトゥルフの末裔であるインスマスにもそれは可能なの。私たちは<DW(ダイイングウェーブ)>と呼んでる」


 人を殺す超能力を持った怪物が、街に潜んでる? 僕の顔は恐怖で真っ青になっていることだろう。


「けれどインスマスたちはあくまで『末裔』。本家と比べてDWにそこまでの力はない。精神波が及ぶのは半径約3メートル、壁とか構造物を通過することはできない」

「そうでなくても、頭部の80パーセントを材質を問わず覆えば至近距離でも問題はない。だからこうやって我々はかっこいいマスクをつけているわけだな!」


 ラフトラックは自らの不気味なマスクを誇らしげに指さす。確かに、葉もアルミホイルでできたマスクを被っていた。


「だーがー? 頭部を保護せず精神波を受けた場合――」

「その人の精神は破壊される。廃人になってかつての生活には戻れなくなり、最後には死に至る」


『ピンポーン! ピンポーン!』


 正解音がダーツバーに響き渡る。


「幸いなのは、DWはインスマスたちが死亡した瞬間にしか発生しないこと。だから死の波。殺すときに対策すれば問題ないけど、派手に戦えば犠牲者を生むことになる」

「……ちょっと待ってよ」


 僕が聞く限り、この話には大きな問題があった。


「さっき……僕のすぐ近くでインスマスが死んだとき……」

「ええ、あなたは頭部を保護してなかった。ごめんなさい。私があのインスマスを取り逃したから――」


 葉が言い終わる前に僕は膝から崩れ落ち、頭を両手で抱えた。

 あの時、僕は葉の警告の真意が分からず、何もしないまま魚人間――彼らが言うところのインスマスを殺してしまった。つまり僕はそのDWとやらをもろに受けたことになる。もし遅行して効果が表れるのであれば、僕が僕でいられるのはあとどれくらいだ? 『アルジャーノンに花束を』のネズミのアルジャーノンのように変貌しながら死んでいくのか? 恐怖で僕は叫び出しそうになった。だが葉が膝をついて僕の肩に手を置いてくれた。人の感触に、少し安心感を取り戻す。


「でも大丈夫。DWは即効性の高いものなの。普通はあなたがインスマスを殺した時に影響が出るはず」


 僕は情けなく泣きそうになっている顔を上げる。そこには優しく微笑んでいる葉の顔が間近にあった。


「どうやらあなたはDWに耐性がある。<特異点体質者>みたい」


 自分のような特徴のない人間が、死に至らしめる超能力に抵抗する力を持つだなんて、俄かには信じられなかった。だが、現に僕はこうやって好きな人の顔を見て、その人の言葉が理解できている。彼女の語ったことは真実なのだ。


「あなたにお願いがあるの。DWが効かない、インスマスたちの天敵になりうる、あなたにだから頼めるの」


 葉の瞳に僕の視線は釘付けにされていた。


「AIAに入って、私たちの仲間になって欲しいの」


 彼女の語る言葉が、体に沁みわたっていく。


「インスマスと戦う狩人に……私たちのヒーローになって」

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