第33話 目覚めるその時まで
雪奈を連れ戻す方法は、単純な話だ。
数日前、綾音が雪奈の身体に転生した時、雪奈は階段から落ちてしまった。
その際に、俺とキスを交わして入れ替わった。
同じ状況を作り出せば、あの時、綾音が転生したように雪奈が戻ってくるかもしれない。
そう考え、綾音と共に階段の前に立っているのだった。
「……でも、こんなことはもうしないからね」
隣に立つ綾音は、背後の大きな窓から差し込んできた夕陽に赤く照らされながら、ため息を溢した。
「雪奈ちゃん……もし、本当に入れ替われたら恨んでやるんだから。まあ、入れ替われなかったら翔馬は私のものだけどね」
綾音は俺の腕を抱きしめて言った。
肩の辺りに頬を擦りつけてくる。
「翔馬に幸せにしてもらうのは私。それは、雪奈ちゃんが戻ってきても変わらないから」
「大丈夫。どっちに転んでも、綾音のことは絶対に大事にするから」
俺たちは見つめ合い、笑いあった。
「それじゃ、始めよう」
他の生徒たちはみんな校舎からいなくなっており、残されたのは俺たちだけだ。
閑散とした校舎。
その階段を、綾音から離れて一歩ずつ降りていく。
らせん状になった階段のフロアで立ち止まり、振り返る。
階段の上で、綾音が少し怯えたような表情をしていることに気づく。
「や、やっぱり怖いね……」
「俺を信じろ。絶対に受け止めるから」
「ほ、本当だよね? 受け止めてられずにケガしちゃったら、たくさん看病してもらうから」
「分かってるって。そうだ。全部終わったら綾音のやりたいこととかやってほしいこと、何でもやるよ」
「ほんと? それじゃあ、子供とか作っちゃう?」
「それは……俺たちにはまだ早いな……」
視線を逸らしながら言う。
綾音は不満げに声を漏らした。
「むぅ……何でもって言ったのに……」
「出来ることはやるよ」
「……分かった。それじゃ、翔馬に愛してもらう方法を考えとくから」
綾音はにっと笑って、両手を広げた。
「いくよ、翔馬」
「……ああ」
俺も手を広げる。
綾音を受け止めるために。
綾音は小さく笑った。
足を少し前へ踏み出すと共に、唇が動いた。
「翔馬、愛してる――」
次の瞬間、綾音は階段から飛び降りた。
白銀の髪が舞う。
彼女の小さな身体が迫る。
落ちてくる彼女は目を閉じていた。
俺は両手を伸ばした。
綾音を受け止める。
それと同時に、唇に柔らかな感触が触れた。
甘美なキスの味も分からないまま、落ちてきた衝撃で身体が後ろへ傾ぐ。
小さな体を受け止めきれず、たたらを踏みながら尻を着いた。
その勢いで、思わず壁に後頭部を打ち付ける。
「あだッ⁉」
ジンジンと、痺れるような痛みが走った。
苦悶に顔をしかめながら、腕に抱きしめた『彼女』の顔を見下ろす。
『彼女』は意識を失っていた。
「綾音……?」
目を覚まさない。
「……雪奈?」
俺の声は、『彼女』には届いていない。
本当に成功したのか?
不安が胸中に燻る。
だが、ここにいつまでもいるわけにはいかない。
誰かに見つかったら大騒ぎになりそうだし。
俺は『彼女』の身体を抱きかかえると、慎重に階段を降り始めた。
向かう先は保健室。
そこで、目を覚ますのを待つのだ。
***
保健室には相変わらず誰もいなかった。
腕に抱えた『彼女』の身体を、保健室のベッドへ寝かせた。
その身体に布団をかけると、脇に置かれたイスへ腰を下ろす。
『彼女』は、相変わらず静かな寝息を立てている。
目を覚ます気配はなかった。
「……どうか、目を覚ましてくれ……」
祈るように呟き、布団の下へもぐりこんだ手を握りしめた。
冷たく、柔らかな手。
その手に触れると、いつも安心するんだ。
また、その手を繋いで一緒に出掛けたい。
雪奈と一緒に。
綾音と一緒に。
二人を幸せにしたいんだ。
だから、だから…………。
「今度こそ二人とも幸せにするから、目を覚ましてくれ……ッ」
俺は、ただただ祈り続けた。
その時。
「――先輩は、何がしたいんすか?」
保健室に、突如声が響いてきた。
振り返れば、扉のところに桃華が立っていることに気づく。
「桃華……どうして……」
「……綾音さん、でしたっけ? その人、今日はちゃんと挨拶してくれたんすよ」
桃華は寂し気に視線を逸らしながら言った。
「それと、ちゃんと謝ってくれたんすよ」
「綾音が……?」
「ウチを悲しませるつもりはなかったって。それと、身体はちゃんと雪ぽよに返すんだって」
「だから、気になって綾音の様子を見てたのか?」
桃華は頷いた。
不安げな表情を浮かべたまま。
「本当に、あんなことで雪ぽよを取り戻せるんすか? 階段から飛び降りるなんて、普通じゃないっすよ」
「……分からない」
「分からないって……」
「ただ、綾音が転生した時には同じ状況だったんだ。もう一度、同じことをすれば雪奈が入れ替わるんじゃないかって思ったんだよ」
「下手したら大ケガするっすよ……」
「でも、これしか方法が思いつかなかったんだ」
俺は『彼女』の頭を撫で、立ち上がった。
扉の前に立つ桃華の前へ移動した。
「大丈夫。雪奈は必ず連れもど――」
「一発殴らせてくださいっす」
「え?」
返事をするより先に頬を叩かれた。
「いってぇ⁉」
「これは雪ぽよの身体で危ないことをしようとした分……そして」
「ぶはっ!」
「これは、二股してる浮気男への天罰っす」
二度、俺の頬をはたきながら桃華は言った。
反論の言葉もない……。
彼女は下から俺を睨み上げていた。
「大体、もっと他に方法とか考えられなかったんすか。下手したら大ケガするような真似をしたんすからね!」
「ああ、分かってる」
「それでケガして戻らなかったら……ウチは先輩のことを刺してたところっす」
「怖いな」
「だから、絶対に雪ぽよを連れ戻してください」
桃華は頭を下げた。
「こんなに危ないマネをして、連れ戻せないなんて嫌っすよ。だから……」
「分かってる」
桃華の頭を撫でた。
「雪奈は必ず連れ戻すよ」
「うっ……分かりましたから撫でないでくださいっす……」
彼女は俺を睨みながら、頬を赤くした。
「ああ、悪い。ついクセで……」
「まったく……ウチは先輩の妹じゃないんすからねぇ……」
不満げに言い、桃華は俺に背を向けた。
保健室の扉を開く。
「先輩の妹は、雪ぽよだけなんすから。もっと、家族を大事にしたほうがいいっすよ?」
「……ああ、分かってる」
俺の家族は雪奈だけだ。
両親には見放されているし、これからはちゃんと雪奈のことを大事にしていきたい。
桃華はまだ何か言いたげだったが、結局、何も言わずに保健室から出ていった。
保健室の扉が閉められると、ベッド脇の椅子へ移る。
椅子に座ると、布団にもぐったその手を握りしめた。
「……お前が目覚めるのをみんな待ってるんだ。雪奈、目を覚ましてくれ」
小さく呟き、その時を待つ。
俺と『彼女』しかいない、静寂に満ちた部屋で時間だけが過ぎていく。
世界から切り離されたような部屋の中、じぃと目を閉じる『彼女』の顔を見つめ続ける。
桃華がやってきてから一時間が経った。
その頃になって、ようやく変化が起きた。
「……んっ」
『彼女』の瞼がピクリと震えた。
ゆっくりと、瞼が持ち上がって世界を映す。
「……起きたか?」
虚ろな目が宙を彷徨う。
やがて、その双眸が俺を映した。
「…………どう、して……」
俺を見つめたまま、『彼女』はかすれた声で疑問を投げかける。
細めた瞳から、涙が零れ落ちる。
悔しそうに唇を噛み、恨むような目でこう訴えてきた。
「どうして……助けちゃったんですか……兄さん……ッ」
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