第30話 今を幸せに生きるために
学校からの帰宅中に沙織と再会した俺は、彼女の家まで連れていかれた。
沙織が出てきたアクセサリーショップは両親が経営している店だったらしく、自宅も店の裏にあった。
「まさかあんなところで会うなんてねぇ~」
「何だかよく会うよな……」
「えぇ~? もしかして、翔ちゃんってあたしのストーカーなのぉ?」
「俺、何でそんなにストーカーだって疑われるかなぁ!」
「してそうな顔、してるからじゃないかなぁ?」
「どんな顔だよ!」
「鏡見る?」
「その鏡、叩き割ってやろうか!」
ツッコミを入れると、沙織は笑った。
爆笑する沙織から視線を外し、周囲を見回す。
沙織に連れてこられたのはリビングだった。
車イスの沙織が動きやすくするためか、部屋の中に置かれている物は少ない。
段差もなくすためか、絨毯すら敷かれていなかった。
部屋には花のような爽やかな匂いが漂っている。
よく見れば、窓辺にピンク色の花が置かれていたことに気づいた。
「そんなにあたしの家が気になっちゃう?」
訊ねられて振り返ると、沙織はニヤニヤ笑っていた。
「い、いや……女子の家に上がったのは二回目でさ」
「彼女いない歴=年齢?」
「いや、一応いたけど……」
「ほんとに? 何人? どんな子だった? 誰が一番付き合うの長かった?」
沙織の目がキラキラと輝き始めた。
「沙織って恋バナとか好きなの?」
「好きというか、自分にはそんな経験なかったからかなぁ」
「沙織ってモテそうなのに、意外だな」
「口説いてる?」
「口説いてねぇよ」
「ごめんね、翔ちゃんのことタイプじゃないんだぁ」
「だから口説いてないって! 沙織はそうやって人とすぐに仲良くなれるし、彼氏もいそうだなって思っただけだよ」
「何それ。あたしが人たらしみたいじゃん~」
「実際、人たらしじゃないか。出会った人、みんな友達って言ってるし」
「だって、その方がきっと楽しいでしょ」
俺にはよく分からない感性だ。
「私ね、もうすぐ大きな手術するんだぁ」
「……話の流れ、急に変わったな」
しかも、ここでぶっ込んでくるか?
呆れ半分、不安半分に沙織を見つめる。
「関係あるよ。次の手術で、私がこれから生きられるかどうかが決まるの。だからね、出会った人みんなが友達になってくれたら私も幸せなんだよぉ」
俺たちと比べると、沙織の生きられる時間は僅かしかない……かもしれない。
だから、今すぐに自分が幸せになれるように出来ることをやっているだけなんだろう。
それは『人たらし』と呼べるものじゃなくて、単に自分が幸せになりたいだけのエゴだ。
「でも、それならどうして家にいるんだ?」
「一時帰宅ってやつだよぉ。最後の思い出になるかもしれないから、一週間だけ家で過ごすことにしたの」
「まだ、会えなくなるって決まったわけじゃないのに……」
「私も考えたくないよ」
沙織は苦笑しながら言った。
「でも、これで終わりなら終わりで仕方ないなぁって思うんだよねぇ」
「生きたいのに、未練はないのか?」
「ないよぉ。だって、そのために毎日友達を作ってるんだもん」
短い命を抱えているから、沙織は後悔のない人生を歩んでいる。
今すぐに死んでもいいように。
「……俺には無理だな」
拳を握り、言った。
「例えば、自分が次の瞬間にこの世から消えたとしたら、きっと後悔だらけだ。やりたいことをやろうとして、そのせいで誰かを傷付けちゃうし」
「……だから、翔ちゃんはそんなに落ち込んでたの?」
「え……」
「お店の前で会ったときから、ずっと俯いてたよぉ?」
沙織が俺の手を握った。
「何か悩んでるなら、あたしが相談に乗ってあげる。友達だもん」
「で、でも……」
綾音と雪奈のことは、沙織に話せるようなことじゃない。
転生なんて話をしても、きっと信じてもらえない。
しかし、俺が言い淀むと沙織は不機嫌そうに頬を膨らませるのだ。
「むぅ……翔ちゃんがそんなに落ち込んでるなら、あたしの後悔が一つ増えちゃうんだけどなぁ」
「うっ……」
「友達に後悔したまま手術しろっていうつもりぃ?」
卑怯な奴だ。そうやって脅してくるなんて。
ため息を一つ溢し、俺は観念して話すことにした。
「……転生?」
沙織はいまいちピンと来てない様子で首を傾げた。
「死んじゃったら何かに生まれ変わるっていう話はあれだよね。輪廻転生ってやつだよね。けど、生きてる人の人格になっちゃうことなんてあるのぉ?」
「さあな。でも、実際に綾音は雪奈の身体に転生したよ」
「じゃあ、私も誰かに転生するのかな? 雪ちゃんの身体に転生したら、翔ちゃんの妹になれるね!」
「マジでやめてくれ。これ以上、修羅場を悪化させないで……」
ただでさえ、綾音と雪奈の扱いに困惑しているんだ。
そこへ沙織が巻き込まれるなんて、酷い地獄絵図になる予感しかしない。
「冗談だよぉ。それで、翔ちゃんは雪ちゃんに元カノさんが転生したことを後悔してるのぉ?」
「というより、俺のせいで雪奈が目覚めなくなったんだ」
「……もしかして、病院に入院してたのって……」
「……雪奈が俺に振り向いてもらおうとして自殺を図ったんだ」
「――――……」
沙織が息を呑む気配が伝わって来た。
これから死ぬかもしれない少女に、こんな話をするべきじゃなかったのかもしれない。
だが、沙織は瞑目して「そっか……」と小さく頷いた。
「その子、きっと後悔でいっぱいだったんだね」
「え……」
「翔ちゃんに振り向いてもらえなくて、後悔でいっぱいだった。後悔を晴らせないのってやっぱり辛いことだよね」
「……そうだな」
俺にも、綾音との後悔がたくさんある。
過去を変えることは出来ない。
後悔したら最後。
その傷を一生抱えて生きていかないといけない。
「……俺なら雪奈を助けられたかもしれないんだ。もう救うことはできないって気づいて、せめて綾音を後悔させないように大事にしようとしてたんだ。だけど、俺がどちらかを救おうとすれば誰かが傷ついてしまうってことに気づいて……」
綾音は既に雪奈のことを忘れて前を向いている。
俺がまだ雪奈に囚われていることを知れば、きっと綾音は悲しむし怒るだろう。
だが、このまま雪奈が救われないなんていうのも嫌だ。
彼女の想いを知っているのに、それを無視したまま進むなんて……雪奈が可哀そうだ。桃華だって、きっと許してくれない。
「俺はどちらかを選ばないといけない。でも、どうすればいいんだ! 両方悲しませたくないのに、どちらかを悲しませる選択なんて俺にはできないよ……」
「……だったら、両方選べばいいんじゃないかなぁ?」
沙織は平然とそう口にした。
「両方なんて選べるわけがないんだって。そんな方法、もう思いつかないって……」
「きっと、どこかに解決策はあるよ。でもね、今すぐ見つけられなくてもいいんじゃないかな」
俺の手を握ったまま、沙織は諦めたような笑みを浮かべた。
「だって、翔ちゃんは私よりも長生きするはずだもん」
「ッ……」
「確かに、生きてる時間は有限だよ。死ぬ前にやりたいことをして後悔しないように生きなきゃ勿体ないと思う。だけどね、明日来るかもしれない死に怯えるよりも、毎日楽しく過ごそうって考える方が大事じゃないかな?」
「それは……」
「今すぐ解決できなくてもいいんだよ。きっと」
沙織はそうして生きてきたのだろう。
生きている時間は限られているかもしれないけど、今の自分が楽しめることをする。
そのために、出会った人みんなを友達だと思い込んでいるんだ。
「いつか答えを見つけられるように頑張ってみたらどうかな? 翔ちゃんなら、きっとできると思うよ」
「…………ああ、そうだな」
じわりと、涙が浮いてくる。
ずっと探せなかった答えの一端をようやく見つけた気がした。
沙織の優しさが胸にしみて、思わず膝をついてしまった。
床に座り込んだ俺の隣に沙織がやってくる。
「大丈夫。私は、翔ちゃんのこと信じてるよ」
そう言って、彼女は俺の頭を撫でてくれた。
***
しばらくして、俺は沙織の家を出た。
玄関前で、沙織は車いすに乗ったまま手を振ってくれた。
「それじゃ、元気でね」
「ありがとな、沙織。お見舞い、きっと行くから」
沙織は目を見開いた。
次の瞬間には、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうね、翔ちゃん。それと、ごめんね。変なことに付き合わせて」
「え……?」
「ほんとはね、変なことだって分かってるんだよ。会った人みんなが友達なんて。私がいくら言っても受け取ってくれない人もいるの。翔ちゃんにも偉そうなこと言ったけどさ、あたしにそんな資格なんてないって分かってるから……」
こちらを見上げた沙織は、困ったように笑っていた。
「だから、翔ちゃんも無理しなくていいから。あたしのやってることは、ただの友達ごっこ。無理して付き合わなくても――」
「俺は、沙織と友達になれてよかったって思ってるから」
「っ……」
沙織の前まで歩み寄ると、その頭を撫でた。
亜麻色の髪を梳きながら、俺は笑いかける。
「手術が終わったら、今度はウチでいっぱい話そう。雪奈……ああ、いや。綾音も沙織と話せるの、きっと楽しみにしてるから」
「……いいの、かな……あたし、勝手に友達って呼んでただけなのに……」
「いいよ。沙織が俺の悩みを相談してくれたように、俺だって君の力になりたいんだ」
変なことを言ったり、ドSな一面をのぞかせたりする沙織だけど。
そんな彼女のことを嫌いになれない自分もいるんだ。
「……ありがと、翔ちゃん」
彼女は涙目になって、俺を見上げた。
「きっと、帰ってくるね。約束する! だから、翔ちゃんもちゃんと解決してね?」
「ああ、約束だ」
そうして、俺たちは指切りした。
手を振ってくれる彼女を背に、家を出る。
夕日が沈みかけた帰路を歩きながら、胸にはある感情が燃え滾っていた。
「もう、誰にも後悔はさせない。俺の大切な人は全員幸せにする――たとえ、それがエゴだったとしても」
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